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「きっとアルは私になにか残してくれたはずです! でも王家の方から連絡はなくて……私に渡さないよう隠しているに違いないんです」
「マリーアさん」
眉をひそめて、低く彼女を呼びました。
私個人への無礼ならば、私の裁量で見ないふりをしていられます。ですが王家を責めるような言葉を聞かされて黙ってはいられません。忠誠心が強いわけではありませんが、侯爵家の娘でしかない私は、王家に睨まれないよう自衛しなければならないのです。
怒りを込めたことはきちんと伝わったようです。彼女は身を縮めて、怯えたように私を見ました。
「ご、ごめんなさい、でも……王家の方々を責める気はないんです。あんなに素敵な王子様が亡くなったのだもの。きっと傷ついていて、だから、私に形見を渡してくださらないんだわ。家族としての愛はわかります。でも、アルの望みを叶えて欲しい」
「マリーアさん、あなたにその権利はありません。殿下とあなたの関係は、少なくとも公的に存在しないのですから」
「わかっています! 愛だけで結ばれているのです。でも、でも……死してなお身分に縛られるなんて、残酷な……」
「身分というものを理解しているなら、このような無礼な訪問はやめるべきでしたわね。不愉快です」
「でも」
これで話は終わりのつもりだったのに、マリーアさんは身を乗り出しました。まるで曇りのない真っ直ぐな目で、じっと私を見て言います。
「ルアニッチェ様は、アルを愛していなかったでしょう?」
「……っ」
「私、わかります。わかりますわ。だって私がルアニッチェ様なら、私のような泥棒猫を放ってなどいません。絶対に、絶対に排除して、絶対にアルの前に二度と顔を見せないようにします」
「そんなこと、私は……」
「ええ、だから、ルアニッチェ様はアルを愛していないのでしょう? ね、私、ルアニッチェ様となら上手くやれると思ったんです。私はアルを愛します。でも、アルにはちゃんとした王妃様が必要だわ。だってアルは王子様だもの。王子様のままでいさせてあげる、それが私の愛なの……」
マリーアさんはうっとりと、私よりずっと向こうを見ながら語ります。私はぞっとしました。
恋に溺れながらマリーアさんには冷静な部分があるのです。殿下と平民になって駆け落ちするなんて、夢見がちなことは考えていないのです。
そして私を恋敵と思ってさえいません。殿下を私から奪おうなどということは考えもしなかったのです。それをすれば身の破滅だと、きちんとわかっているのでしょう。
その妙な冷静さが、私は恐ろしくなったのです。ただ恋をして浮かれているだけならば、どうとでも扱えるでしょう。けれどマリーアさんはきちんと頭が回るのです。それでいて、恋に狂っているのです。
「ルアニッチェ様、お願いです。どうか私にアルの形見を……形見、を……」
ふいにマリーアさんの視線が落ちました。
私の隣、ソファの上にあるストールは、日記帳をくるんだものです。
どうして、と思わず私は口にしていたかもしれません。マリーアさんの愛が、それに気づかせたのでしょうか?
「……それって、もしかして」
「いえ、」
「ああ! 感謝しますルアニッチェ様!」
「ちが、違います!」
「わかっております、わかっておりますわ。だって来客を迎えるのに、意味のないものを持ってくるなんてありえませんもの!」
「それは……」
「いったい何を持ってきたのかと気になっていたのですわ。ええ、ええ、私ったらどうして気づかなかったのかしら! アルのものなんでしょう、それは?」
私は思わず身を引きました。
マリーアさんの嬉しそうな瞳の奥に、ずしりとこちらの胸を押してくる、決して嘘を許さないひたむきさがあります。ガラス玉のようでいて、人間でなければたどり着けない狂気の色を見ました。
「ルアニッチェ様、感謝します。もちろんアルの形見ですもの。私が大事にします。きっときっと大事にします。永遠に、共にありますわ……」
そうして両手を差し出すのです。
私は……私は、その言葉にぐらりと揺れました。
(だってきっと、そうだわ。マリーアさんなら、離すわけがない)
この日記帳をマリーアさんに渡してしまえば、もう二度と戻って来ることはないでしょう。そう信じられたのです。マリーアさんの愛はきっと本物です。
きっと、この日記帳を……。
「ダメだわ」
「ルアニッチェ様……?」
マリーアさんが、手を差し伸べたまま不思議そうに首をかしげました。頼りのない、子どものような仕草です。邪気のなさに、やはり私はぞっとしてしまいます。
そう、この狂気的な愛に、私は決して関わりたくありません。
(この日記を読んだら、どうなるかわからない……)
マリーアさんに良いことなど何も書かれていないのです。愛などなかったはずの私への、気味の悪い愛を語る日記帳なのです。
これを読んでマリーアさんがどう思うか、まったく想像もできません。万が一にも私は、こんな相手に恨まれたくないのです。
(でも、渡してしまいたい)
「マリーアさん」
眉をひそめて、低く彼女を呼びました。
私個人への無礼ならば、私の裁量で見ないふりをしていられます。ですが王家を責めるような言葉を聞かされて黙ってはいられません。忠誠心が強いわけではありませんが、侯爵家の娘でしかない私は、王家に睨まれないよう自衛しなければならないのです。
怒りを込めたことはきちんと伝わったようです。彼女は身を縮めて、怯えたように私を見ました。
「ご、ごめんなさい、でも……王家の方々を責める気はないんです。あんなに素敵な王子様が亡くなったのだもの。きっと傷ついていて、だから、私に形見を渡してくださらないんだわ。家族としての愛はわかります。でも、アルの望みを叶えて欲しい」
「マリーアさん、あなたにその権利はありません。殿下とあなたの関係は、少なくとも公的に存在しないのですから」
「わかっています! 愛だけで結ばれているのです。でも、でも……死してなお身分に縛られるなんて、残酷な……」
「身分というものを理解しているなら、このような無礼な訪問はやめるべきでしたわね。不愉快です」
「でも」
これで話は終わりのつもりだったのに、マリーアさんは身を乗り出しました。まるで曇りのない真っ直ぐな目で、じっと私を見て言います。
「ルアニッチェ様は、アルを愛していなかったでしょう?」
「……っ」
「私、わかります。わかりますわ。だって私がルアニッチェ様なら、私のような泥棒猫を放ってなどいません。絶対に、絶対に排除して、絶対にアルの前に二度と顔を見せないようにします」
「そんなこと、私は……」
「ええ、だから、ルアニッチェ様はアルを愛していないのでしょう? ね、私、ルアニッチェ様となら上手くやれると思ったんです。私はアルを愛します。でも、アルにはちゃんとした王妃様が必要だわ。だってアルは王子様だもの。王子様のままでいさせてあげる、それが私の愛なの……」
マリーアさんはうっとりと、私よりずっと向こうを見ながら語ります。私はぞっとしました。
恋に溺れながらマリーアさんには冷静な部分があるのです。殿下と平民になって駆け落ちするなんて、夢見がちなことは考えていないのです。
そして私を恋敵と思ってさえいません。殿下を私から奪おうなどということは考えもしなかったのです。それをすれば身の破滅だと、きちんとわかっているのでしょう。
その妙な冷静さが、私は恐ろしくなったのです。ただ恋をして浮かれているだけならば、どうとでも扱えるでしょう。けれどマリーアさんはきちんと頭が回るのです。それでいて、恋に狂っているのです。
「ルアニッチェ様、お願いです。どうか私にアルの形見を……形見、を……」
ふいにマリーアさんの視線が落ちました。
私の隣、ソファの上にあるストールは、日記帳をくるんだものです。
どうして、と思わず私は口にしていたかもしれません。マリーアさんの愛が、それに気づかせたのでしょうか?
「……それって、もしかして」
「いえ、」
「ああ! 感謝しますルアニッチェ様!」
「ちが、違います!」
「わかっております、わかっておりますわ。だって来客を迎えるのに、意味のないものを持ってくるなんてありえませんもの!」
「それは……」
「いったい何を持ってきたのかと気になっていたのですわ。ええ、ええ、私ったらどうして気づかなかったのかしら! アルのものなんでしょう、それは?」
私は思わず身を引きました。
マリーアさんの嬉しそうな瞳の奥に、ずしりとこちらの胸を押してくる、決して嘘を許さないひたむきさがあります。ガラス玉のようでいて、人間でなければたどり着けない狂気の色を見ました。
「ルアニッチェ様、感謝します。もちろんアルの形見ですもの。私が大事にします。きっときっと大事にします。永遠に、共にありますわ……」
そうして両手を差し出すのです。
私は……私は、その言葉にぐらりと揺れました。
(だってきっと、そうだわ。マリーアさんなら、離すわけがない)
この日記帳をマリーアさんに渡してしまえば、もう二度と戻って来ることはないでしょう。そう信じられたのです。マリーアさんの愛はきっと本物です。
きっと、この日記帳を……。
「ダメだわ」
「ルアニッチェ様……?」
マリーアさんが、手を差し伸べたまま不思議そうに首をかしげました。頼りのない、子どものような仕草です。邪気のなさに、やはり私はぞっとしてしまいます。
そう、この狂気的な愛に、私は決して関わりたくありません。
(この日記を読んだら、どうなるかわからない……)
マリーアさんに良いことなど何も書かれていないのです。愛などなかったはずの私への、気味の悪い愛を語る日記帳なのです。
これを読んでマリーアさんがどう思うか、まったく想像もできません。万が一にも私は、こんな相手に恨まれたくないのです。
(でも、渡してしまいたい)
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