投獄された聖女は祈るのをやめ、自由を満喫している。

七辻ゆゆ

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(最終話)共に祈り、食事を楽しみ、遊んで、眠りましょう。

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 リーリエは目を閉じ、祈りの輝きを感じている。
 マイラと王子の祈りはやはり極めて弱く、地上にわだかまっているばかりだ。リーリエの祈りだけが闇を抜け、空を抜けて天まで上がっていく。
 ひとりで祈るのと何ら変わらない。

 しかしリーリエはそもそも祈る気がないのだ。
 祈れ祈れと言うばかりの彼らに腹がたったので、じゃあ自分で祈れと言っただけだ。
 彼らが祈るのなら、祈ってもいい。少しはこちらの苦労を知ればいい。だが祈らないなら、別にそれはそれで構わない。

「喉が……乾いた……」
 王子の嘆きにリーリエは微笑んだ。
「泣かないで」
 当たり前のことで、泣けば泣くだけ水分は失われていく。雨がやみ、この場に補給する方法などないのだから、枯れ果てれば闇に飛び込むしかない。

「くそっ……くそっ……!」
 泣きながら罵倒するさまは気の毒だが、リーリエは祈りをやめてぼんやり見つめた。一方的に祈れと言ってきた人に、リーリエはもう何もしてあげるつもりはなかった。
 ただ少し微笑ましいのは、自分も通ってきた道だからだ。

「泣いても、喚いても、凍りついても、乾いても、空腹でも、祈るだけ。ただ祈るだけ」
 それが聖女だと教えられた。リーリエはそうしてきた。同じだけのことをしてくれなければ、公平じゃない。

「……そんな」
 マイラが泣きながら言った。
 彼女は知っていると思っていた。けれど、知らないらしい。リーリエは冷たく彼女を見た。
「そんなのは、人間の……やることじゃ……」
 言いかけたマイラが黙り、呆然と空を見上げた。消失した闇に囲まれて、わずかなだけの空だ。

「俺の仕事ではない、それは、それは奴隷の……」
「祈って!」
 マイラが泣きながら王子の体を揺さぶった。王子は彼女をにらみつけるが、すぐに脱力した。

 のろのろとまた祈りに入る。
 ぐったりとした腕は上がらず、地面にへたりと座り込んでいるだけだ。けれどそこに祈りの心があれば、リーリエにはわかる。
 二人が祈るのならば、約束のとおりに祈ってやる。

 しばらくするとまた、リーリエの祈りが天まで上がっていった。
 どれだけの時間が経ったのかわからない。没頭すると、ただ時は通り過ぎていくだけだ。

 祈りが途切れて目を開けると、マイラと王子はぐったりとして、世界は少しだけ広がっていた。

「許してくれ、もう……眠い……」
「眠ると良いわ」
 リーリエはそう言った。
 二人が諦めるのならば、リーリエも祈らずにすむ。それがいい。

「祈らなければ成らない国なんて、いらないもの」
 しかしなぜかマイラが大きく首を振った。癇癪のように地に体を投げ出し、身を捩るように拒否を示すのだ。
「だめ、だめよ、この国は……この国は必要なの」
「どうして?」
「だって……みんなの、国じゃないの」

 リーリエにはわからない。
「聖女が祈らなきゃ消えてしまうのに?」
 マイラは黙った。

 黙ったが、王子を揺らした。王子は唸ってマイラを殴った。しかしろくに力が入っていない。ただのふらついた勢いのようだった。
「祈って」
「もう、無理だ。……無理だ……」
「あなたは王族でしょう! 祈って、祈るの。祈るのよ……!」
「やめてくれ、許してくれ……」

 二人はそれでも、ぐらぐらと、朦朧と揺れながらも祈り始めた。であればリーリエも祈らねばならない。

 祈りの光は上がる。
 よろめくように、二人の光も上がっていく。ふらつく。落ちる。落ちてはまた上がっていく。
 リーリエは神に語りかけた。祈りとは何なのか?
 神は何を望んでいるのだろう。

 答えはない。
 ただリーリエは孤独に祈る。
(孤独?)

 そんなことはなかった。
 共に祈っている。ふたりの祈りは神に届く前に落ち、意味がないといえばない。だがリーリエはどこかで嬉しかった。

 二人がひどく苦しんでいる。
 かつてのリーリエと同じに。
 胸を塞ぐ怒りが解けたようだった。

(ああ、そう……そうね)
 リーリエはわかって欲しかったのだ。

 祈ることは楽なことではない。だがあまりに簡単に、誰もが祈れ祈れとリーリエに願うのだ。
 うっすらと目を開き、リーリエは二人を見た。座っていることさえできず、地面に倒れてそれでも祈る。
 彼らの姿はかつてのリーリエのものだった。聖女となってしばらくはそんなもので、そのたび、侍女が姿勢を直した。何度も何度も、飽きずに。

(あれは必要なことだったの?)
 神に問いかける。
 内容はなんでもいい。どのような祈りが届くのか、いまだリーリエにはわからない。ただ祈り続ければいつかは届く。

 天に昇る。
(ああ)
 届いた。
 これでまた土が広がるのだろう。それに何の意味があるのかはわからない。こんなあやふやな土地でなく、皆、大陸で暮せばいいのだ。
 故郷とは何だ?
 リーリエは知らない。わからない。

「……」
 それが急に寂しいことに思え、リーリエは切なく自分の願いが天に届くのを見守った。ひとつだけの輝き。二人の祈りははるか下方にある。

 さみしい。

 リーリエはそう思った。しかしふと、気づく。

「え……?」
 輝きは三人のものだけではなかった。
「どうして……」

 いつの間にだろう。
 いくつもの、数え切れない輝きが周囲にあり、それらは天上を目指していく。

 そのほとんどはさほども上がらない。だがキラキラと世界が輝いて見えた。

 これほどの数の祈りを見たことはない。

「……きれい」
 低い位置にある祈りはあまりに多いので、それが祈りだとわからないほどだ。輝きの洪水。その中から、ひとつ、ふたつ、いくつもの願いが飛び上がっていく。

 そのうちの一つはリーリエの願いを追うように、天上にまで届いた。

「これは……どうして……」

 いくつもいくつも。
 多くの願いは落ちていく。だがこれだけの数がある。そのうちのいくつかが天上に届くのは、不思議なことではなかった。

 リーリエは目を開けた。

「あっ……」
 闇が薄れていく。
 広がっていく土地の先、そこにいるのは誰だろう。

 見覚えがある。

「……!」
 リーリエは固まった足で強引に立ち上がった。よろめく。それでも、走った。彼女もこちらに向かっている。
 大きな体を堂々と揺らして、笑顔を浮かべた。

「リーリエ!」
「おばさま!」
 抱きついた。
 ユーファミアの体はいつでも柔らかく、しっかりとリーリエを受け止めた。ひとしきり喜びを交わし合ってから、リーリエは困惑する。

「どうして……」
 ユーファミアは遠い地にいるはずだった。馬車も、馬の姿もなく、ゆったりと歩いてここに現れたのだ。

 彼女は少し困ったように言った。
「……距離も消失したのね。そして、残った土地が繋がった」
「そう……なの?」
「ええ、嬉しいわリーリエ。会いたかったの」
「私も!」

 また抱擁を交わしてリーリエは、ユーファミアの向こうに世界があることに気づいた。

 土、なだらかな傾斜、それから緑、建物さえ見えた。ずいぶんと長い間、土ばかりを見ていた気がして、なんだか懐かしかった。

「あの祈りは……」
「皆が祈っているのよ」
「皆……?」

「ええ。人々が。……かつてこの国ができた時、祈っていたのは王女だけではなかった。それが正しい姿なのよ。聖女がひとりで祈るなんて、間違いなの」

 リーリエは驚いてユーファミアを見た。

 彼女は笑って、リーリエの髪を撫でながら聞く。
「祈りが上がっていくのを感じた?」

「……たくさんあったわ。たくさん、たくさん」
「そうよ。あれだけの人の祈りがあれば、聖女なんていらないくらいなの。本当は、そうだったのよ。……でもいつしか人々は祈りを忘れてしまった。聖女ひとりに祈らせておけばいいと思うようになった。今がやり直しの時だわ」
「やりなおしの……」

 ユーファミアが笑顔で手を差し伸べてきた。
「さあ、リーリエ、皆で一緒に祈りましょう」

 リーリエは一瞬だけ体を強張らせてから、なんだか泣きたい気分になった。
「一緒に?」
「ええ、一緒に。少しだけでいいのよ。これだけ小さくなった国だもの、少しの祈りで大丈夫。終わったら美味しいものを食べて、ぐっすり眠って、遊んで、また、祈って……」
 それはとても素晴らしい想像だった。

「おばさまも一緒に?」
「もちろん! さあ、急いで、日が暮れてしまうわ」

 差し出された手をとって、リーリエは笑った。ふっくらとして優しい手だ。
 そして町への道に向かおうとして、思い出した。

「むこうに、人がいるの。二人……」
「あら、そう。じゃあ、その人達も一緒に祈りましょうね」
「ねえ、おばさま、美味しいものって」
「この町の名産はね……」

 親しく語りながら踏む道は、生まれたての柔らかさをしている。リーリエも生まれたての子供になった気分で、愛する家族と共に歩き出したのだった。

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