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「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話
「東アジアの思想」という話-10
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「東アジアの思想」という話-10
【『孟子』の思想的世界-2】
《王道論》
〈王道論/徳・仁/民への眼差し〉
「孟子曰く、『力を以て仁を仮る者は覇たり。覇は必ず大国を有つ。徳を以て仁を行う者は王たり、王は大を待たず』」――『孟子』「公孫丑上」
酷な言い方です。「仁を仮る」とあります。偽物な訳です。そうした者は力でねじ伏せなければ制圧できません。ですから力に任せた大国である必要があるのです。
一方、徳があれば、それほど大きな国でなくても大丈夫と言うのです。ちょび髭伍長のように世界征服とか目指していません。
「民を貴しと為す。社稷これに次ぎ、君を軽しと為す」――『孟子』「尽心下」
民がNo.1です。国家はその次で、君の存在は軽いです。西郷隆盛はかなり『孟子』を読み込んでいたそうです。
「民の楽(たのしみ)を楽しむ者は、民も亦其の楽を楽しむ。民の憂(うれい)を憂うる者は、民も亦其の憂を憂う。楽しむにも天下を以(とも)にし、憂うるにも天下を以にす。然(かくのごと)くにして王たらざる者は、未だこれ有らざるなり」――『孟子』「梁恵王下」
王は民と苦楽を共にするものです。
北宋の范仲淹(はんちゅうえん)が『岳陽楼記』で「天下の憂いに先だちて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」と記しています。より発展させた考え方でしょう。
日本三名園の一つである岡山市の後楽園は、こちらから命名されました。
東京都文京区の小石川後楽園も同じです。小石川後楽園は、もと水戸家上屋敷内の庭園でした。藩祖徳川頼房(とくがわよりふさ)が手がけたのですが、明暦の大火で焼けてしまい、二代徳川光圀(とくがわみつくに)によって完成されました。その名前は、日本に亡命した明の遺臣朱舜水(しゅしゅんすい)が選んだそうです。
徳川光圀は『大日本史』という歴史書に着手します。ただし完成したのは明治になってからです。
「敬天愛人」――天を敬い人を愛するその学問は水戸学と言われます。後期水戸学は、幕末の思想に多大な影響を与えました。実質、明治維新の機動力になりました。
徳川光圀がどうして「水戸黄門」かというと、中納言の唐名が「黄門」だからです。なんともミーハーというか……ままそれだけ中国に対しては憧れはあったのでしょう。
なお、日本三名園は水戸市の偕楽園、金沢市の兼六園、岡山市の後楽園です。
「太誓(書経)に天の視るは我が民の視るに自(したが)い、天の聴くは我が民の聴くに自うと曰えるは、此れをこれ謂うなり」――『孟子』「万章上」
「天」という存在は目も耳もありませんが、民の目や耳をとおして、視聴します。ぼんやり見たり聞いたりしている訳ではなく、じっくり視たり聴いたりしています。この部分はちょっとキリスト教っぽいですね。
《湯武放伐論》
〈「革命」をめぐって〉
前述の『「東アジアの思想」という話-5』にあるように、殷の湯王が夏の桀を、周の武王が殷の紂を倒しました。湯武放伐(とうぶほうばつ)です。
「斉の宣王問いて曰く、湯・桀を放ち、武王・紂を伐てること、諸(これ)有りや。孟子対えて曰く、伝に於てこれ有り。曰く、臣にして其の君を弑(しい)す、可ならんや。曰く、仁を賊(そこの)う者之を賊と謂い、義を賊(そこの)う者之を残と謂う。残賊の人は、之を一夫と謂う。一夫紂を誅せるを聞けるも、未だ君を弑するを聞かざるなり」――『孟子』「梁恵王上」
ジオン軍総帥ギレン・ザビ「あえて言おう、カスであると!」
――『機動戦士ガンダム』
ヒトラーの尻尾もよく言いますね……。
宣王「殷の湯王が夏の桀を殺めて、周の武王も殷の紂を殺めたけど、アリ?」
孟子「そんな話ありましたね」
宣王「いやいや臣下が君主を殺めたらダメでしょ?」
孟子「仁を害(そこな)う人は賊と言います。義を害う人は残(カス)と言います。世の中を害する残賊は、単なる一個人です。一個人である紂を殺めた話は聞いていますが、君を殺めた話は聞いたことがないですよ」
アカン君主は、世の中を害する一個人だから、討っても問題ないという発言です。
「革命」――命(めい)を革(あらた)めるは、『易経』の49卦「革」にあります。
「湯武命を革めて、天に順(したが)い人に応ず」
――高田真治訳、後藤基巳訳『易経』(岩波書店、1969年)P118
「革」は、沢火革(離下兌上)です。
「明徳(離)によって悦び(兌)に変えるならば、革新の事業は大いに伸び栄え、正道を貫くことができる」
――松枝茂夫・竹内好監修、丸山松幸翻訳『易経』(徳間書店、1996年)P194
微妙なところです。「徳を失った暴君は討伐して放逐しても良い」ですが、これって体制側からしたら非常に困る内容ですよね……。実際、吉田松陰は『孟子』を深く読んでいます。
ともあれ、周王室を正統化するには、「天命が革(あらた)まる」ことを事実としなければいけません。でないと周の武王が逆臣・謀反人になってしまいます。
あくまで、天命によって有徳者が暴君と代わる「易姓革命(えきせいかくめい)」というシナリオが必要になります。
【易姓革命】
中国古来の政治思想。天子は天命を受けて天下を治めるが、もしその家(姓)に不徳の者が出れば、別の有徳者が天命を受けて新しい王朝を開くということ。――『広辞苑 第五版CD-ROM版』(岩波書店、2000年)
孟子としては、認めなければ仕方ないことです。ですが、このことが将来、東アジアの革命に正統性を与えてしまいました。
【『孟子』の思想的世界-2】
《王道論》
〈王道論/徳・仁/民への眼差し〉
「孟子曰く、『力を以て仁を仮る者は覇たり。覇は必ず大国を有つ。徳を以て仁を行う者は王たり、王は大を待たず』」――『孟子』「公孫丑上」
酷な言い方です。「仁を仮る」とあります。偽物な訳です。そうした者は力でねじ伏せなければ制圧できません。ですから力に任せた大国である必要があるのです。
一方、徳があれば、それほど大きな国でなくても大丈夫と言うのです。ちょび髭伍長のように世界征服とか目指していません。
「民を貴しと為す。社稷これに次ぎ、君を軽しと為す」――『孟子』「尽心下」
民がNo.1です。国家はその次で、君の存在は軽いです。西郷隆盛はかなり『孟子』を読み込んでいたそうです。
「民の楽(たのしみ)を楽しむ者は、民も亦其の楽を楽しむ。民の憂(うれい)を憂うる者は、民も亦其の憂を憂う。楽しむにも天下を以(とも)にし、憂うるにも天下を以にす。然(かくのごと)くにして王たらざる者は、未だこれ有らざるなり」――『孟子』「梁恵王下」
王は民と苦楽を共にするものです。
北宋の范仲淹(はんちゅうえん)が『岳陽楼記』で「天下の憂いに先だちて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」と記しています。より発展させた考え方でしょう。
日本三名園の一つである岡山市の後楽園は、こちらから命名されました。
東京都文京区の小石川後楽園も同じです。小石川後楽園は、もと水戸家上屋敷内の庭園でした。藩祖徳川頼房(とくがわよりふさ)が手がけたのですが、明暦の大火で焼けてしまい、二代徳川光圀(とくがわみつくに)によって完成されました。その名前は、日本に亡命した明の遺臣朱舜水(しゅしゅんすい)が選んだそうです。
徳川光圀は『大日本史』という歴史書に着手します。ただし完成したのは明治になってからです。
「敬天愛人」――天を敬い人を愛するその学問は水戸学と言われます。後期水戸学は、幕末の思想に多大な影響を与えました。実質、明治維新の機動力になりました。
徳川光圀がどうして「水戸黄門」かというと、中納言の唐名が「黄門」だからです。なんともミーハーというか……ままそれだけ中国に対しては憧れはあったのでしょう。
なお、日本三名園は水戸市の偕楽園、金沢市の兼六園、岡山市の後楽園です。
「太誓(書経)に天の視るは我が民の視るに自(したが)い、天の聴くは我が民の聴くに自うと曰えるは、此れをこれ謂うなり」――『孟子』「万章上」
「天」という存在は目も耳もありませんが、民の目や耳をとおして、視聴します。ぼんやり見たり聞いたりしている訳ではなく、じっくり視たり聴いたりしています。この部分はちょっとキリスト教っぽいですね。
《湯武放伐論》
〈「革命」をめぐって〉
前述の『「東アジアの思想」という話-5』にあるように、殷の湯王が夏の桀を、周の武王が殷の紂を倒しました。湯武放伐(とうぶほうばつ)です。
「斉の宣王問いて曰く、湯・桀を放ち、武王・紂を伐てること、諸(これ)有りや。孟子対えて曰く、伝に於てこれ有り。曰く、臣にして其の君を弑(しい)す、可ならんや。曰く、仁を賊(そこの)う者之を賊と謂い、義を賊(そこの)う者之を残と謂う。残賊の人は、之を一夫と謂う。一夫紂を誅せるを聞けるも、未だ君を弑するを聞かざるなり」――『孟子』「梁恵王上」
ジオン軍総帥ギレン・ザビ「あえて言おう、カスであると!」
――『機動戦士ガンダム』
ヒトラーの尻尾もよく言いますね……。
宣王「殷の湯王が夏の桀を殺めて、周の武王も殷の紂を殺めたけど、アリ?」
孟子「そんな話ありましたね」
宣王「いやいや臣下が君主を殺めたらダメでしょ?」
孟子「仁を害(そこな)う人は賊と言います。義を害う人は残(カス)と言います。世の中を害する残賊は、単なる一個人です。一個人である紂を殺めた話は聞いていますが、君を殺めた話は聞いたことがないですよ」
アカン君主は、世の中を害する一個人だから、討っても問題ないという発言です。
「革命」――命(めい)を革(あらた)めるは、『易経』の49卦「革」にあります。
「湯武命を革めて、天に順(したが)い人に応ず」
――高田真治訳、後藤基巳訳『易経』(岩波書店、1969年)P118
「革」は、沢火革(離下兌上)です。
「明徳(離)によって悦び(兌)に変えるならば、革新の事業は大いに伸び栄え、正道を貫くことができる」
――松枝茂夫・竹内好監修、丸山松幸翻訳『易経』(徳間書店、1996年)P194
微妙なところです。「徳を失った暴君は討伐して放逐しても良い」ですが、これって体制側からしたら非常に困る内容ですよね……。実際、吉田松陰は『孟子』を深く読んでいます。
ともあれ、周王室を正統化するには、「天命が革(あらた)まる」ことを事実としなければいけません。でないと周の武王が逆臣・謀反人になってしまいます。
あくまで、天命によって有徳者が暴君と代わる「易姓革命(えきせいかくめい)」というシナリオが必要になります。
【易姓革命】
中国古来の政治思想。天子は天命を受けて天下を治めるが、もしその家(姓)に不徳の者が出れば、別の有徳者が天命を受けて新しい王朝を開くということ。――『広辞苑 第五版CD-ROM版』(岩波書店、2000年)
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