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「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話
「東アジアの思想」という話-17
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「東アジアの思想」という話-17
【『老子』の思想的世界-3】
《『老子』の名》
『老子』の名は後人がつけたもので、もともと名がありませんでした。けっこう神秘的です。『老子道徳経』『道徳経』『道徳真経』とも呼ばれます。これは老子が「道」と「徳」について述べたからです。
《『老子』の内容》
上下2篇――「道経」37章+「徳経」44章=全81章で構成されています。五千字ちょっとですから、すぐに読める分量です。
全81章に章立てされたのは、前漢末期のようです。現在の順序になったのはそれよりも後です。
《さまざまな『老子』》
〈「郭店楚簡『老子』」〉
書物としての『老子』は、一番古いものが紀元前300年ごろの竹簡の「郭店楚簡(かくてんそかん)『老子』」です。楚の貴族の墓から見つかりました。現在伝わっているものとは内容が違うので、研究されています。
〈「帛書『老子』」〉
次に古いのが紀元前200年ごろの絹に書かれた「帛書(はくしょ)『老子』」です。こちらは甲本・乙本、二種類あります。帛書の「帛」は、絹を意味します。紙のない時代ですからね。高価な絹が使われました。
「楚簡」も「帛書」も、章立てされていません。どうやら昔は章になっていなかったようです。
「帛書」はほぼ現在の『老子』と同じですが、「楚簡」は配列も変わっていて分量も「今本『老子道徳経』」の3分の1ほどしかありません。現在もなお研究が進められています。
〈「王弼注」〉
三国の魏の儒者の王弼(おうひつ)(226年―249年)が注釈した「王弼注」があります。こちらが古くから伝わる『老子』の解説では評価が高いです。現在の主流です。
〈「河上公注」〉
前漢の河上公による注釈「河上公注」もあります。もっとも成立は六朝時代(三世紀末から六世紀末)のようです。一般の人も読むようになりました。
〈「今本(『老子道徳経』)」〉
「今本(きんぽん)」は、708年に建てられた易州龍興観道道徳経碑という石碑がベースになっています。
《『老子』の解釈》
『老子』の印象は、抽象的で難解だと言われています。では、何故そうした分かりにくい書が人の心の掴むのでしょうか。
〈易の内包〉
『老子』を理解できない第一の理由が、易を内包していないことにあります。『易経』の易です。易の三義(易簡、変易、不易)が自らの内にないと、そもそも理解などできません。
『易』には「一名にして三義を含む」とされています。名前に三つの意味があります。「易簡」「変易」「不易」です。
・易簡(いかん)――簡単に変わるものです。
・変易(へんえき)」――変わるものです。
・不易(ふえき)」――変わらないものです。
『易』の三義「易簡」「変易」「不易」は、森羅万象の変化――宇宙のうつろう様を表現しています。
cf.
『『易経』という話-1』【『易経』-1】《三義》
東アジアの思想の第一が『易経』です。およそ学びを知る人であれば、必ず読んでいます。絶対条件です。『易経』に語られている易は、万華鏡のようにうつろいます。それだけに深遠です。
もちろん初心者が読んで一度で理解できるものではありません。ただし、『易経』を読んでいないと、すべての話が続きません。
〈さまざまな解釈〉
『老子』は確かに難解です。多くの研究者がさまざまな解釈をしています。しかし、そのどれもが研究者の主観が入っていて、『老子』の思想そのままではありません。
ただ、『老子』を読む前に、先に『易経』を読んでいることが条件だとは書いていません。全ての書籍を確かめた訳ではありませんが、そんな当たり前のことを書いていないのが現実です。
どのような解釈があるにしても、必ず「易が内包されている」解釈だということを覚えておいてください。
比較的『老子』の思想に忠実なのは、蜂屋邦夫による『老子』訳と、その解説かと思われます。
cf.
*老子、蜂屋邦夫訳『老子』(岩波書店、2008年)
*蜂屋邦夫『老子』(NHK出版、2013年)
〈あやしい解釈〉
「易が内包されていない」解釈もあります。
いわゆるスピリチュアル系のあやしいヤツです。こちらは、思想ではなく、商売です。
きちんと学んでいれば、変な電波を受信することはありません。
まず最初に、先人の知恵を学び、その上で各自の解釈がなされます。
人間が空中に浮いたり、宇宙の電波を受信することは、絶対にありません。
ただし、宇宙空間で空中に浮いたり、電波望遠鏡で宇宙の電波を受信することができます。カール・セーガン原作の映画『コスモス』はとても幻想的ですよ。
先人の知恵を否定するような冒涜をしてはいけません。パラダイムシフトから天動説から地動説になる――これは問題ありません。そうしたことでさえ、先人の知恵の上にある論争なのです。
ままチャクラを動かしたり、宇宙意識と会話するのは楽しいですけれど、ほどほどにしましょう。商売です。
スピリチュアル系を信じるのは別に構いませんが、調べもしないで過去の天動説を支持する人とはお話できません。
どうしても信じたいとしても、とりあえずカール・セーガンによる『悪霊にさいなまれる世界「知の闇を照らす灯」としての科学』を読んでみてください。こちらの前の題名は『人はなぜエセ科学に騙されるのか』(!)という本です。秀逸です。
cf.
*カール・セーガン、青木薫訳『悪霊にさいなまれる世界「知の闇を照らす灯」としての科学』(早川書房、2009年)
*カール・セーガン、青木薫訳『人はなぜエセ科学に騙されるのか』(新潮社、2000年)
《老子が目指したもの》
道家の老子は、儒家の孔子によって「易」の解釈が歪(ゆが)められたと告発しました。
『易経』の正統が孔子の『論語』です。
・『易経』→『論語』→『孟子』→『荀子』
『易経』のもう一つの流れが老子の『老子』です。
・『易経』→『老子』→『荘子』
cf.
『「東アジアの思想」という話-14』【『老子』の思想的世界-1】
時は春秋戦国であり、周王室は滅びゆくばかりです。孔子はかつての栄光を夢見ました。老子はそれこそが夢だと説きます。
同じ「易」の思想から出発していますが、後発の「道家思想」は徹底的に「儒家思想」を否定します。
孔子が堅実で、老子が夢想のような印象がありますが、違います。儒教が国教になったので、そうした印象があるだけです。
老子は恐ろしいまでに冷静に現実を直視しています。それだけに儒家は恐怖したのです。
【『老子』の思想的世界-3】
《『老子』の名》
『老子』の名は後人がつけたもので、もともと名がありませんでした。けっこう神秘的です。『老子道徳経』『道徳経』『道徳真経』とも呼ばれます。これは老子が「道」と「徳」について述べたからです。
《『老子』の内容》
上下2篇――「道経」37章+「徳経」44章=全81章で構成されています。五千字ちょっとですから、すぐに読める分量です。
全81章に章立てされたのは、前漢末期のようです。現在の順序になったのはそれよりも後です。
《さまざまな『老子』》
〈「郭店楚簡『老子』」〉
書物としての『老子』は、一番古いものが紀元前300年ごろの竹簡の「郭店楚簡(かくてんそかん)『老子』」です。楚の貴族の墓から見つかりました。現在伝わっているものとは内容が違うので、研究されています。
〈「帛書『老子』」〉
次に古いのが紀元前200年ごろの絹に書かれた「帛書(はくしょ)『老子』」です。こちらは甲本・乙本、二種類あります。帛書の「帛」は、絹を意味します。紙のない時代ですからね。高価な絹が使われました。
「楚簡」も「帛書」も、章立てされていません。どうやら昔は章になっていなかったようです。
「帛書」はほぼ現在の『老子』と同じですが、「楚簡」は配列も変わっていて分量も「今本『老子道徳経』」の3分の1ほどしかありません。現在もなお研究が進められています。
〈「王弼注」〉
三国の魏の儒者の王弼(おうひつ)(226年―249年)が注釈した「王弼注」があります。こちらが古くから伝わる『老子』の解説では評価が高いです。現在の主流です。
〈「河上公注」〉
前漢の河上公による注釈「河上公注」もあります。もっとも成立は六朝時代(三世紀末から六世紀末)のようです。一般の人も読むようになりました。
〈「今本(『老子道徳経』)」〉
「今本(きんぽん)」は、708年に建てられた易州龍興観道道徳経碑という石碑がベースになっています。
《『老子』の解釈》
『老子』の印象は、抽象的で難解だと言われています。では、何故そうした分かりにくい書が人の心の掴むのでしょうか。
〈易の内包〉
『老子』を理解できない第一の理由が、易を内包していないことにあります。『易経』の易です。易の三義(易簡、変易、不易)が自らの内にないと、そもそも理解などできません。
『易』には「一名にして三義を含む」とされています。名前に三つの意味があります。「易簡」「変易」「不易」です。
・易簡(いかん)――簡単に変わるものです。
・変易(へんえき)」――変わるものです。
・不易(ふえき)」――変わらないものです。
『易』の三義「易簡」「変易」「不易」は、森羅万象の変化――宇宙のうつろう様を表現しています。
cf.
『『易経』という話-1』【『易経』-1】《三義》
東アジアの思想の第一が『易経』です。およそ学びを知る人であれば、必ず読んでいます。絶対条件です。『易経』に語られている易は、万華鏡のようにうつろいます。それだけに深遠です。
もちろん初心者が読んで一度で理解できるものではありません。ただし、『易経』を読んでいないと、すべての話が続きません。
〈さまざまな解釈〉
『老子』は確かに難解です。多くの研究者がさまざまな解釈をしています。しかし、そのどれもが研究者の主観が入っていて、『老子』の思想そのままではありません。
ただ、『老子』を読む前に、先に『易経』を読んでいることが条件だとは書いていません。全ての書籍を確かめた訳ではありませんが、そんな当たり前のことを書いていないのが現実です。
どのような解釈があるにしても、必ず「易が内包されている」解釈だということを覚えておいてください。
比較的『老子』の思想に忠実なのは、蜂屋邦夫による『老子』訳と、その解説かと思われます。
cf.
*老子、蜂屋邦夫訳『老子』(岩波書店、2008年)
*蜂屋邦夫『老子』(NHK出版、2013年)
〈あやしい解釈〉
「易が内包されていない」解釈もあります。
いわゆるスピリチュアル系のあやしいヤツです。こちらは、思想ではなく、商売です。
きちんと学んでいれば、変な電波を受信することはありません。
まず最初に、先人の知恵を学び、その上で各自の解釈がなされます。
人間が空中に浮いたり、宇宙の電波を受信することは、絶対にありません。
ただし、宇宙空間で空中に浮いたり、電波望遠鏡で宇宙の電波を受信することができます。カール・セーガン原作の映画『コスモス』はとても幻想的ですよ。
先人の知恵を否定するような冒涜をしてはいけません。パラダイムシフトから天動説から地動説になる――これは問題ありません。そうしたことでさえ、先人の知恵の上にある論争なのです。
ままチャクラを動かしたり、宇宙意識と会話するのは楽しいですけれど、ほどほどにしましょう。商売です。
スピリチュアル系を信じるのは別に構いませんが、調べもしないで過去の天動説を支持する人とはお話できません。
どうしても信じたいとしても、とりあえずカール・セーガンによる『悪霊にさいなまれる世界「知の闇を照らす灯」としての科学』を読んでみてください。こちらの前の題名は『人はなぜエセ科学に騙されるのか』(!)という本です。秀逸です。
cf.
*カール・セーガン、青木薫訳『悪霊にさいなまれる世界「知の闇を照らす灯」としての科学』(早川書房、2009年)
*カール・セーガン、青木薫訳『人はなぜエセ科学に騙されるのか』(新潮社、2000年)
《老子が目指したもの》
道家の老子は、儒家の孔子によって「易」の解釈が歪(ゆが)められたと告発しました。
『易経』の正統が孔子の『論語』です。
・『易経』→『論語』→『孟子』→『荀子』
『易経』のもう一つの流れが老子の『老子』です。
・『易経』→『老子』→『荘子』
cf.
『「東アジアの思想」という話-14』【『老子』の思想的世界-1】
時は春秋戦国であり、周王室は滅びゆくばかりです。孔子はかつての栄光を夢見ました。老子はそれこそが夢だと説きます。
同じ「易」の思想から出発していますが、後発の「道家思想」は徹底的に「儒家思想」を否定します。
孔子が堅実で、老子が夢想のような印象がありますが、違います。儒教が国教になったので、そうした印象があるだけです。
老子は恐ろしいまでに冷静に現実を直視しています。それだけに儒家は恐怖したのです。
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