61 / 66
「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話
「東アジアの思想」という話-31
しおりを挟む
「東アジアの思想」という話-31
【清談】
《党錮の禍》
後漢の桓帝・霊帝のときに、党錮の禍(とうこのか)という事件がありました。儒者でもある官僚が、汚職まみれの宦官による専断を咎めたのですが、逆に弾圧されてしまったのです。党錮の禁とも言います。「党」は派閥で「錮」は禁錮で仕官させないことです。
宦官は、後宮に仕えた去勢男子です。もともとは宮刑になった人や、異民族の捕虜などから採用していたようです。それが後には志望者も任用しました。この時代、医療技術もアレなので、けっこう大変だったようです。
そういえば、カストラートという男性去勢歌手がありました。ボーイ・ソプラノのままの声で歌えます。今はもういません。
ともあれ、宦官は皇帝の世話をしているので気に入られることも多く、それで政治を左右することもありました。まま権力をもったとしても子ができないので、皇帝としては安心だった訳です。それが逆に汚職につながってしまいます。
党錮の禍の後、運の悪いことに天災がやってきます。飢饉や水害です。その前に羌人の反乱(107年)があり、後漢の威信は失墜しつつありました。しかし、高節の士の多くは横死しています。
そこに、黄巾の乱(184年)や五斗米道(ごとべいどう)といった道教の反乱がありました。これはヤバいと、霊帝は大赦令を出しますが覆水盆に返らず、すでに遅すぎました。
『後漢書』には「秦は奢侈と虐政をもって災を致し、前漢は外戚に亡び、後漢は宦官のために国を傾けた」と書かれています。
《清談》
後漢の儒学は国学になりました。つまりは学問を国家が統制したのです。経典の解釈に終始するようになり、春秋戦国時代の諸子百家のような自由な思想はできなくなります。
後漢の儒学は形に走りましたが、曹操が「聖人」孔子の子孫を殺すことで、呪縛の鎖を切ってしまいました。
さて、漢代の官吏任用制度によって、豪族社会に「清議」という一種の社交界ができました。その延長で、魏晋では「清談(せいだん)」がなされるようになります。
儒学の礼教に反した知識人が、清談したのが老荘思想です。酒を飲み空理を談ずるなど、儒学では許されないことをしていました。清談の代表が、竹林七賢(ちくりんのしちけん)です。
《竹林七賢》
西晋代で、世塵を避けて清談した七人(阮籍・嵆康・山濤・向秀・劉伶・阮咸・王戎)の隠士です。
リーダーの阮籍(げんせき)は、好きな客には青眼を、気に入らない客には白眼をみせたそうです。
竹林七賢は世に憂いがありました。やがてそれも形だけの憂いとなります。
【魏晋の貴族】
九品中正から世襲した貴族が、高級官僚に選ばれるようになります。家柄で官僚の地位が決まるのですから、政治になど興味はなくなります。知識と機知をひけらかしつつも、高級官僚でありながら政に関与しなくなりました。気ままな生活から曲解された老荘思想は、西晋を蝕みます。
華北を異民族に蹂躙された貴族は、華南に逃げます。黄河流域に限定されていた中国の文明が、南の沃野で花開くことになります。皮肉なことに、追われたからこそ経済的に豊かになりました。
東晋の貴族は過去を忘れ、政治に関心をよせなくなります。そして、暗君が擁立され、反乱があり、不幸な歴史が繰り返されることになります。
【清談】
《党錮の禍》
後漢の桓帝・霊帝のときに、党錮の禍(とうこのか)という事件がありました。儒者でもある官僚が、汚職まみれの宦官による専断を咎めたのですが、逆に弾圧されてしまったのです。党錮の禁とも言います。「党」は派閥で「錮」は禁錮で仕官させないことです。
宦官は、後宮に仕えた去勢男子です。もともとは宮刑になった人や、異民族の捕虜などから採用していたようです。それが後には志望者も任用しました。この時代、医療技術もアレなので、けっこう大変だったようです。
そういえば、カストラートという男性去勢歌手がありました。ボーイ・ソプラノのままの声で歌えます。今はもういません。
ともあれ、宦官は皇帝の世話をしているので気に入られることも多く、それで政治を左右することもありました。まま権力をもったとしても子ができないので、皇帝としては安心だった訳です。それが逆に汚職につながってしまいます。
党錮の禍の後、運の悪いことに天災がやってきます。飢饉や水害です。その前に羌人の反乱(107年)があり、後漢の威信は失墜しつつありました。しかし、高節の士の多くは横死しています。
そこに、黄巾の乱(184年)や五斗米道(ごとべいどう)といった道教の反乱がありました。これはヤバいと、霊帝は大赦令を出しますが覆水盆に返らず、すでに遅すぎました。
『後漢書』には「秦は奢侈と虐政をもって災を致し、前漢は外戚に亡び、後漢は宦官のために国を傾けた」と書かれています。
《清談》
後漢の儒学は国学になりました。つまりは学問を国家が統制したのです。経典の解釈に終始するようになり、春秋戦国時代の諸子百家のような自由な思想はできなくなります。
後漢の儒学は形に走りましたが、曹操が「聖人」孔子の子孫を殺すことで、呪縛の鎖を切ってしまいました。
さて、漢代の官吏任用制度によって、豪族社会に「清議」という一種の社交界ができました。その延長で、魏晋では「清談(せいだん)」がなされるようになります。
儒学の礼教に反した知識人が、清談したのが老荘思想です。酒を飲み空理を談ずるなど、儒学では許されないことをしていました。清談の代表が、竹林七賢(ちくりんのしちけん)です。
《竹林七賢》
西晋代で、世塵を避けて清談した七人(阮籍・嵆康・山濤・向秀・劉伶・阮咸・王戎)の隠士です。
リーダーの阮籍(げんせき)は、好きな客には青眼を、気に入らない客には白眼をみせたそうです。
竹林七賢は世に憂いがありました。やがてそれも形だけの憂いとなります。
【魏晋の貴族】
九品中正から世襲した貴族が、高級官僚に選ばれるようになります。家柄で官僚の地位が決まるのですから、政治になど興味はなくなります。知識と機知をひけらかしつつも、高級官僚でありながら政に関与しなくなりました。気ままな生活から曲解された老荘思想は、西晋を蝕みます。
華北を異民族に蹂躙された貴族は、華南に逃げます。黄河流域に限定されていた中国の文明が、南の沃野で花開くことになります。皮肉なことに、追われたからこそ経済的に豊かになりました。
東晋の貴族は過去を忘れ、政治に関心をよせなくなります。そして、暗君が擁立され、反乱があり、不幸な歴史が繰り返されることになります。
0
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる