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崩壊前夜
窮鼠、虎を噛む
しおりを挟む「彼氏がいなくて寂しいのか知らねえが、人に当たるのはよくねえな」
「……っ、離せ……っ!」
逃げなければ。
頭に鳴り響く警笛に従うがままその手を振り払おうとするが、かいちょーの手は振り解けない。
そのまま腕ごと引っ張られ、テーブルの上へと引っ張り出される。
気付けばすぐ鼻先に迫るかいちょーの顔に体が凍りついた。
「……ッ!」
「無謀だな、仙道京。……お前らしくもねえ」
「……っ、な……」
に、と言いかけた瞬間、唇にぬるりとした舌が這わされる。舐められてる、と理解した瞬間体は石のように硬くなった。
やめろ、とその横っ面を殴ろうとして、出来なかった。かいちょーの拘束を解くこともできず、そのまま重ねられる唇に頭の中が真っ白になる。
どうして、とか何故、とか。そんなことはどうでもよかった。
とにかくこの男を殴りたい。殴って止めたい。逃げなければ。純。純を早く探し出さなければ。
そんなことばかりが脳に浮かんでは消えて、硬く結んだ唇の表面を滑る肉の塊にただ寒気がした。
「っ、ん、む……っ」
「……は、力が入ってないな。それとも、嫌がってるのはポーズだけか? 京」
アンタが俺の名前を呼ぶな。
そう言い返してやりたいのに、噛みついてやりたいのに、少しでも口を開けばやつの舌が口の中に入ってきそうで嫌だった。
だからせめてもの抵抗でネクタイを掴む。そのまま引っ張って引き剥がそうすれば、かいちょーは苦しそうにするどころか楽しげに笑った。
「……なんだ? せがんでんのか」
「っ、……」
「舌に噛み付くくらいしてみせろよ。……それとも、俺の舌を受け入れるつもりもねえってか?」
その通りだよ、と睨み返せば、かいちょーは喉を鳴らす。満足そうにそうか、と一人頷いた瞬間。
「っ、ん……っ?! む、ぅ゛」
先ほどよりも深く、執拗に塞いでくる唇に目を見張った。
逃げなければ。
粘膜ごと、この男に触れられたところを洗い流したい。のに、かいちょーはそれを許してくれない。
「っ、ふ、ぅ……ッ」
「は……口開け」
「ん、む、ぅ……ッ!」
ふざけんな、と思いっきり胸を押し返そうとしたとき、唇をこじ開け侵入してきた舌先に歯列を舐られる。
ぞわりとした嫌な感覚が這い上がってくる。足元から背筋、首筋から頭の先まで。
噛み付くために一旦この男の舌を受け入れなければならないという現実が嫌で、呼吸の仕方も分からなくて、ただ追い詰められては踏み躙られていく。
逃げなければならないというのに、この頭はいっぱいになってまともに機能してくれやしない。
呻き声、呼吸と水音だけが部屋の中にやけにうるさく響いた。
長ったらしいキスの末、まともに抵抗すらできなかった俺を見下ろしてかいちょーは目を細める。
「……それはか弱いフリか? ……それとも、男に甘やかされてきたせいで本気で鈍ったのか」
掴まれた手首がじぐじぐと疼く。
体が熱いのに、寒い。逃げないとと思うのに、がっちりと掴まれたままの手首はびくともしない。
それどころか、そのまま強く引っ張られる。
「は、なせ……っ」
「……気が変わった」
一気に引っ張り上げられ、ふらつく暇もなくそのまま部屋の奥まで引きずられる。
「触るな……ッ、おい……ッ!!」
「佐倉純に会いたいんだろ?」
「――ッ」
かいちょーの口から出た言葉に息を呑む。
一瞬でも隙を見せたのが悪手だった。
ベッドの側まで歩いていくかいちょー。逃げる暇もなく、そのままベッドへと引き摺り倒される。
「っ、純は、」
「後で会わせてやるよ。用が済んだらな」
ネクタイを手にしたかいちょーは笑う。
この先に自分がどうなるのか、嫌でも想像してしまう。
けど今の言葉で確信した。やはり純はこの部屋のどこかにいる。
眠らされてるのか。助けを求めるべきなのではないか。でも、こんなところあいつに見られたくない。
純にまで見限られるようなことには、なりたくない。
けど、あいつは。
「なんだ? 急に大人しくなりやがって――」
眼球の奥が熱い。思考がまとまらない。
冷静にならなければならないのに、近づいて来るかいちょーに体がただ硬くなっていく。
ただ、この男に好き勝手踏み荒らされることだけはされたくない。
それだけは明確だった。
向かい合えばまともに抵抗できない、ならばとベッドの側のサイドボードに目を向ける。その上に置かれていた小洒落たスタンドライトの首を掴む。
本人をこれ以上殴ったところで罪状が増えるだけだ。ならば、とそれを思いっきり部屋の隅――別室へと繋がる扉へと放り投げた。
思いの外重いが、ガラス製のそれは壁にぶち当たりいい音を立ててくれる。鼓膜を劈くような不快な破壊音――それは少しでも外にも届いたはずだ。
「……暴行罪に加えて器物損壊とまできたか」
お宅に好き勝手されるくらいなら、風紀委員に捕まって𠮟られた方が断然マシだ。
純がいるのではないかと狙った扉はうんともすんともしなかったが、その代わりに騒音を聞きつけ廊下の外が騒がしくなる。
インターホンが鳴り響く中、かいちょーは不快そうにするわけでもなくやはり楽しそうに笑った。
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