悪役令息イアン・ラッセルは婚約破棄したい

小山有

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1巻

1-2

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 鏡の中の着飾られていく己を見ていると、ふとそんなことを思った。今世と前世の世界の違いは沢山あれど、大きな違いの一つはそもそも女性が存在しないことだろう。女性がいないと人類は滅亡の危機に瀕するところであるが、当然対策がなされている。女性がいないならば男同士で子どもを産めばいいじゃない、ということだ。
 これも記憶が落ち着き、ゲームのことを思い出してから、そういえば……とやっと疑問を感じたことである。自身の母が男であることに全く違和感がなかったので、暫くは不思議にも思っていなかった。元々ご都合主義のゲームの世界とはいえ、まさか現実にも反映されているとは恐れ入る。物語が男だけで完結するので、ゲーム上では女性が存在しない方が都合が良いのだろう。それが当たり前の世界なので特に嫌悪感はないが不思議だとは思う。
 もちろんすんなり自分の中に落とし込めたわけではない。疑問を覚えてしまえば途端に、前世の記憶の中にいる柔らかな曲線の女体を思い浮かべては混乱したりしていた。異性愛者であった前世の記憶と、男同士で好き合うことに何の躊躇もない今世の人格がせめぎ合っていた時期は、周囲からすると突然うずくまったり唸ったりする危険人物だったと思う。


 ちなみにゲームをしていた頃から思っていたが、教会で祈りを捧げると小さな光がふよふよと現れ、なぜか必ず受け側の腹に入って、そこから突然命宮と呼ばれる器官ができ、両親がやりまくると妊娠し、十月十日で腹から大きくなった光が再び現れ、そこから子どもが生まれるというのはかなり無理のある設定だと思う。勉強中に何度も頭に浮かんだ「リバカップルの時はどうなるのですか」という質問はなんとか控えたが、英断だったに違いない。


「イアン様、もう少しで終わりますから寝ないでくださいね」
「ごめんごめん。寝てはないよ大丈夫」

 色んなことを思い出しつつうっかり目を瞑って頭を下げてしまった。正直、暇なのだ。ニールに愛想笑いを浮かべつつまた頭を上げてキリリとした顔を作っておく。服を着てしまうと最後にアクセサリーを身に着けなければならない。再び鏡の前に座らされ、ピアスやらネックレスやら指輪やらで、派手にならない程度に飾り付けられるのだ。複数ある候補から真剣な顔をしたニールが選んでいるのを横目に、小さく欠伸を噛み殺した。

(それにしても、ここまでゲーム通りに進むなんて怖すぎるよなぁ)

 色々とゲームを思い出した当初は、己の人生で一番の絶望と混乱に満ちていた時期だと思う。池に落ちて一か月近く苦しみ抜きやっと元気になった頃、〝絶対に婚約回避するぞ〟と鼻息荒く決意したものの、まさかその数時間後オーノー! と泣き崩れることになるとは夢にも思わなかった。どういった経緯があったかは未だ知れないが、イアンが病にせっている間に既に第二王子殿下の婚約者に納まっていたのだから、このゲームの強制力は侮れない。
 非情な現実に相対した当時のイアンはむせび泣き、よくある転生モノの漫画や小説等を必死に思い出しこの世界と比較した。


 まず俺TSUEEEEはできない。この世界には一応魔法のようなものはあるが、使用できるのは極一握りの人間だけであるし、どんな魔法があるかも正直よく分からない。
 そもそもドラゴンや魔王のような存在はお伽話の中だけであるし、スタンピードに至っては長い歴史の中で一度も起きたことはない。魔物はいるし脅威ではあるが冒険者や騎士が討伐していて、被害はあれど現状この世界が滅びるほどのものではない。つまり一番楽しそうな、魔法での無双はできない。


 次にこの世界の特徴と言えば、神子という存在が語り継がれていることだろう。神子とは簡単に言えば神の遣いである。嘘か本当かはさて置き、一先ず神子が現れたらば、その国のその代はとても栄えると言われていて、魔法使いよりもずっとずっと特別な存在だ。しかしその役はイアンに割り当てられたものではない。
 当然のように主人公がその神子である。この世界では生まれた子どもが無事に三歳を迎える頃、平民貴族関係なく必ず一度教会に向かう。そこで神の祝福として生誕の儀式をするのだが、その時に使用する神玉が白く光ると神子なのだと言われている。儀式が三歳で行われる理由は、その歳を無事迎えるまでは神の身元に魂が在るとされており、本当の意味で生まれたとされるのがおぎゃあと泣いて誕生してから三年後だと言われているからだ。
 また、後天的に神子と判明する者がいるかもしれない、ということで十五の歳にもう一度簡単な儀式をすることができる。未だかつて二度目の儀式で神子と判断された人間はいないので強制ではなく任意だ。本来必要のない二度目の儀式は、何代目かの王が自身の代に神子が現れないことに納得がいかず法を変えたことが始まりだ。一時期は強制だったらしいが結局神子が現れることはなかったので、数代後の王が法を改正したらしい。全国民が二度儀式をすると教会の負担が大きいため改正したとも伝えられている。
 ともかく、今まで二度目の儀式で神子が現れた事例などなかったのだが、ゲームの舞台ではその〝絶対〟が崩れる。
 主人公が偶々少し遠出をして野菜を売りに出たところ、教会の人間がやたら野菜を買い取ってくれたのがことの始まりだ。善良な主人公は量の多さから運搬を手伝い、その際の何気ない会話から二度目の儀式をする機会がやってきたはずだ。神子は心が乱れれば未曽有の自然災害を起こす存在だと言われているので、突如現れた神子に教会は飛び上がるほど驚いたに違いない。それどころか、ボロボロの服で野菜を売っている姿を見て、心臓が一回くらい止まったかもしれない。


 さて、このように転生したとてイアンに割り当てられた役柄は特別な存在ではない。物語を盛り上げるための当て馬だ。一応体を鍛えたりもしてみたけれど突出した才能はなかった。勉学にしたってほどほどに成績は良いが、飛びぬけて良いわけでも天才でもない。そんなイアンが、あの日から何か派手に行動を起こしていたとして、すんなり婚約者から外れることができただろうか。正直王族相手に高位とは言え、たかが貴族ができることなど限られているのだから、悪い方向にしか向かなかっただろうと思っている。
 結果的にあの時から今に至るまで、イアンは派手に行動を起こしてはいないが、着実に第二王子殿下にとって〝不要物〟となり下がっていた。きっとこれで正しかったのだと言い聞かせるのは、一度や二度じゃない。


「こちらと、こちら、それからこちらも一度身に着けていただいて少しバランスを見ますね」
「うん、よろしく」

 ニールが選び抜いた装飾品をこちらに見せて意思を確認してくる。婚約者や恋人や夫夫ふうふなどの間では、己の髪や目の色のアクセサリーを贈り合うことが主流だ。だが、イアンは余程の状況じゃない限り己の色を身に着けるようにしている。己の髪や瞳が黒色のため、イアンの装飾品は黒っぽいものが多い。今ニールが提案してきた装飾品も濃淡に違いはあれど全体的に黒っぽい。楽しそうにイアンを着飾っていくニールには悪いが、正直イアンにはどうでもいいことなので、ニールに意見したことはない。
 鏡の中の己の顔を眺めつつ、ゲームの主人公を思い浮かべて身震いする。イアンからしてみれば主人公は人外染みていた。ゲームプレイ中あれだけ鬼畜エロに襲われていたというのに、災害描写がなかったという点から一度も精神を乱してなかったことになるからだ。主人公の精神が鋼すぎて怖い。そんな人と対等に渡り合い王子の心を繋ぎ止めるなんて無理だし、なんなら別に第二王子殿下のことは好きでもなんでもないから、巻き込まないで欲しいと心から思っている。

「さぁ準備は整いました。いかがですか?」
「うん、見られるようになったよ」
「イアン様は元々美しいのですから当然です」

 ニールに磨かれたイアンの姿は美しかった。主人公のライバルキャラなのだから当然である。「面倒くさい」「今すぐ逃げ出したい」という気持ちを頭を左右に振って追い払い、気合を入れて玄関へ歩いて行く。すれ違う使用人たちの心配そうな表情にとびきりの笑顔を返しながら、やたら豪華な屋敷を出ると、自家の馬車へ乗り込んだ。


   ◇ ◇ ◇


 ニールが馭者ぎょしゃの隣に座ると、馬車の中はイアン一人になる。

「折角休みなのにさぁ」

 王宮へ辿り着いてしまえば暫し堅苦しい時間が続く。面白くも無い時間のために休日が潰されるのは不快だが、仕方がないことなので大きな溜息を吐いて鬱憤を晴らす。
 年々苦痛になる第二王子殿下との交流は、さかのぼれば随分前から続いている。残念ながら婚約者になったことを知った次の日、第二王子殿下は婚約者を見舞うという名目でラッセル家にやってきた。イアンの記憶上ではそれが初めてまともに言葉を交わした日である。
 イアンはその時、既に婚約解消、最低でも婚約破棄を目指すと決めていたのだが、相手は歩く国家権力だ。いくら高位貴族とておざなりな対応はできない。立場的に無視はできないしラッセル家側からの婚約解消も難しい。そもそもまさかそんなに早くお目見えするとも思ってなかったので、そう熟考する時間もなかった。そこで慌てて思いついた目的を達成するための手段は、出力が最低値で済む相手への無関心を装うことである。


『イアン、体はだいじょうぶか?』
『だいじょうぶです』
『くだものをもってきた。この中に好きなものはあるか?』
『きらいなものはないです』


 だが意外にも無関心であることは難しかった。同じ年で、なんなら精神年齢が上のはずのイアンよりも随分成熟しているらしい第二王子殿下は、殊更柔らかに微笑んでイアンを気遣った。振る舞いも言葉遣いも既に大人と言っていいほど落ち着いている彼は、必死にイアンに言葉をかける。


『俺たちはこんやくしゃになった。もう聞いただろうか』
『はい』
『これからよろしくな、イアン』
『はい』
『……何か好きなたべものはないか? ほしいものも、なんでももってくる』
『またくるんですか』
『……きてはいけないのか?』
『いいえ』


 この頃の第二王子殿下は今よりずっと表情が豊かだったように思う。機械的に、意識的に話を広げないように返事をするイアンに、彼は悲し気な表情を何度もしていたがイアンは酷い態度を取り続けた。


『……今日はつかれているのか?』
『いいえ』
『俺とはなすのは、いやか?』
『いいえ』
『そうか……ではまたくる』
『ありがとうございます』


 暫くは何が好きか、何が欲しいか、普段何をして遊んでいるか、と色々な質問をされたけれど、結局、第二王子殿下は悲し気な顔をして肩を落とし帰っていった。
 それを見て胸を酷く痛めたけれど、イアンは知っていた。彼はこんなに優しく接しながらも、あれだけ尽くしていたイアンをあっさり捨てるのだ。イアンは不思議なくらいに己の心に憎しみにも似た強い感情が滲み出ているのが分かった。全く好きでもなんでもない第二王子に対して無関心でいることはとても簡単だと思っていたのに、この湧き出る妙な感情はなんだろうか。
 それだけじゃない。前世のおっさんの記憶があるはずなのに、目の前の幼子が誰よりも輝いて見えるなんておかしいし心拍数も異常だった。その上、何とも言えない重くドロドロした、決して幼子が抱くようなものじゃない掴みきれない感情まで抱きつつある。そこに純粋なトキメキは一切なく、ただ脳が痺れて心が震えているような飢餓感。当然、顔だって引き攣る。心も体も近づきたくなかった。このまま近しい存在になれば少しずつ心臓はただれて、いずれ己を捨てるはずの幼子に溺れるのだと何となく分かった。
 イアンは己でも理解できない心のざわめきが、とても恐ろしかった。
 ゲームの中のイアンのように見っとも無く足掻くなんて嫌だった。傷つきたくないし死にたくもなければ、知らないおっさんに犯されるのも修道院で一生暮らすのも嫌だ。粉々になると分かっているのに心を奪われに行く真似なんて当然絶対に無理である。


 イアンは良くも悪くもおっさんであった頃の記憶が、知識として頭に残っている。心を奪われ捨てられた先にある痛みや恐怖をリアルに想像できてしまうし、世界の強制力もあるのだと思うと関係改善に向けての活力など全く湧かなかった。
 であれば、キッパリサッパリそんな気持ちを無かったことにする他ない。イアンは滲み出てくる心のざわめきを切り刻んで、あっさりとゴミ箱に捨てた。だが、王妃教育のため王宮へ出向けば第二王子殿下とすれ違う。生活圏内に頻繁に出向かなければならないので仕方がないが、イアンはそれがとても億劫おっくうだった。


『イアン、次の夜会は出席しなければならない』
『はい』
『俺が贈るものを身に着けてほしい』
『分かりました』
『……イアン、今度何処かに買い物にでも行かないか? お前の好みも知りたい』
『何を貰っても嬉しく思っております』
『そうじゃなくて、俺はもっと二人で』
『この後、王妃教育が控えてますのでそろそろ失礼します』


 十の歳になっても第二王子殿下は、会えばこうしてイアンとの会話を試みてくれる。それに引き攣った笑顔で当たり障りなく短く返答し、すぐに表情を消してスルリとその場を去るのが常だ。恐る恐る伸ばされたその手を、見えていないとでもいうように己の視界から外す。傷ついた顔をする彼を見て胸を痛めると同時に、少しばかり憎らしい気持ちが湧きあがる。が、第二王子殿下に対する感情はどんなものでも、すぐにボコボコに殴って捨てた。


『イアン、茶会だ』
『生憎、今月は予定が詰まっております』
『前々回もそう言っていたと記憶しているが』
『えぇ。その前々回と同じ理由です』
『そうか』


 十二の歳の頃には第二王子殿下がイアンに向かって微笑むことはほとんどなくなっていた。義務的に度々誘われることはあれど、口数は随分減ってイアンの好みを探ることもなくなった。互いに表情も変えず言葉を交わすだけという事実に、身勝手ながら怒りにも似た気持ちが燻る。それでもその気持ちをクルクルと丸めて踏みつけてしまえば、どうということもない。


『来週、昼頃に』
『承知いたしました。先月は申し訳ございませんでした』
『いい、把握している』
『さようで』


 適当に頭を下げその場を離れる。十四にもなると、ほぼ単語を投げ捨てるような会話とも言えないやり取りだけになった。第二王子殿下の手は、もうイアンを追いかけることはない。相変わらず心の奥にしつこく現れるモヤモヤは滲み出ると同時に鉄バッドで遠くに打ち飛ばす。これでこのまま距離が空けばきっと何があっても平気でいられるはずだ。そうしなければならない、とイアンは彼を見かける度に思う。


『茶会だ』
『はい。今回は伺います』
『そうか』


 十五で学園へ入学し半年も経つと、王宮や学園の廊下ですれ違っても視線すら合わなくなった。けれど月に最低限一度、決められた二人きりの交流がある。学園が休みで王妃教育もない日に王宮を訪れ、第二王子殿下の終わりの合図があるまで、ただ二人で静かに茶を飲むだけの時間。イアンは互いに会話も交わさず茶を飲むだけの時間に意味を見い出せない。そのため、二回に一回は適当なことを言って断っている。当然第二王子殿下には予定を把握されていて、特別な用もないのに王族の誘いを断っていると知られていた。
 それでも第二王子殿下は何も言わない。不敬だとも婚約についても何も。そういえば学年が上がった春頃、イアンが十六になった時に、いつも通りプレゼントは贈ってくれたけれど、初めて「おめでとう」という言葉を直接貰えなかった。
 イアンは心の奥底にしつこく芽生えるモヤモヤに辟易していた。モヤモヤの理由は毎回己でもよく分からない。ただ彼の顔を見るといつも何らかのくらい気持ちが頭をもたげて胸を搔きむしりたくなるのだ。掻きむしる前にしっかり廃棄しているので大きくはならないが、正直この謎のモヤモヤには鬱陶しささえ感じていた。


 そしてついにその日がやってくる。第二王子殿下との関係が冷えに冷え切っていた学園生活二年目の始め、イアンの誕生日が終わってすぐの頃に、平民出の神子がこの学園に入学してきたのだ。主人公は記憶に違わず秋も終わる頃に十五になり、すぐに神殿で二度目の儀式を行い、そこで白く眩い光に包まれたという奇跡の子どもだった。
 神子になってからかれこれ半年前ほどかけて、最低限文字を書けるように勉強したり住まいを神殿に移したりと色々準備をしてこの学園に入学してきたらしい。そんな噂は瞬く間に広がった。
 ゲームでは「慌ただしく入学準備をして半年後にやっと入学できた」とナレーションがあったが、なるほど。確かに田舎から王都に出たばかりの、文字も書けぬ平民が学園へ入学となると、最低でも半年はかかるだろう。そもそも王族側が〝神子と良い関係を築く〟という思惑を抱えているので、主人公が恐ろしく阿呆でも王族と同じ学年へ途中入学すると決まっていたはずだ。今回はちょうど同じ年の王族がいるから、当たり前のように二年からのスタートになった。


 ちなみに色々と思惑のある現実と違い、ゲームでは主人公が中途半場な時期にこの学園へやってきた理由は語られない。ただただ〝年下も出したいし、ルートによっては意中の人間が先に卒業し学園内では会えなくなるという状況も作りたい〟というご都合主義的な理由でそうなっただけだと思う。年下と年上を相手にした場合のルートにそういう、独自のイベントがあったはずだ。


 イアンはゲームが開始されると、本当に記憶の中のゲーム通りだと戦慄したが、何をするでもなく傍観者を決め込んだ。それでも聞きたくもない話題は耳に入ってくる。異質な神子の存在は常に話題の中心にいた。当然のように年齢やクラスがバラバラな攻略対象者たちが様々なきっかけで主人公に興味を持ち、至る所で主人公に構う姿を目撃するようになるのは直ぐのことだった。


『お前は本当に可愛い。アレとは大違いだ』
『アレって……婚約者様ですか? アルフレート様の婚約者の方、とてもお綺麗じゃないですか、僕なんて……』


 誰に聞かれるとも分からない廊下で、この白々しい会話である。主人公は一か月もしたら第二王子殿下を名前で呼んでいた。イアンはそう呼んだこともないし呼んでいいと言われたことも無いが、彼らはスムーズに信頼関係を築いているらしい。それにしても会話の内容が非常に不快である。「アレ」に対して即イコール婚約者と繋がるということは、己の知らぬところで散々馬鹿にされていると見て間違いないだろう。ぶん殴りたい気持ちを堪えて、イアンはモヤモヤを凍らせて叩き割った。


『時間だ、出ていけ』
『はい』


 そして最終学年へ突入した頃には、第二王子殿下はイアンへの興味も気遣いも何もかもを失って、その目に映すのは主人公だけとなった。最低限の茶会は続いている。今までと同様に二回に一回は断っていてイアンの対応は何も変わらない。けれど主人公との仲が深まれば深まるだけ第二王子殿下は変わっていく。
 誘いは従者の寄越した手紙一枚で、返答も直接ではなく手紙でいいと言われた。少し前までは茶会中限定ではあれど、視線を寄越されていたものだがそれも次第に無くなった。会話どころか挨拶の言葉すらなく、イアンの挨拶が空しく部屋に響くだけになった。婚約者同伴の社交へも主人公を取り合うようにして攻略対象者たちで参加しているらしく、イアンへ同伴の誘いがくることもない。こうして三年目の終わり頃には、二人きりの茶会では目も合わせず耐久で茶を飲み続け、一時間も経つと冷たく「出ていけ」と吐き捨てられるようになったのだ。


『それでは御前失礼いたします』


(関わらないようにして正解だったわ。関わった後でこんな態度を取られちゃ、やってらんねーってなもんよ)

 イアンはそう内心で思いながらも頭を下げて部屋を出る。何もしなかったから当然未来は変わらないし、ゲーム通り立派な当て馬ポジションになったのだが、邪魔立てすることもないので毒にも薬にもなってないモブである。ゲームと違い主人公を虐めてもないし少しでも姿を見たら逃げるようにしているので、きっと婚約を破棄されたとて罪状は付かないはずだ。
 思った通りに進んでいることに安堵するも、やはり出てくる謎のモヤモヤ。イアンは火炎放射器を構えてそれを燃やし、スッキリ爽快な気持ちを維持した。この不快なモヤモヤもゲームが終わってしまえば発生することがなくなるだろう。やっとこの嫌な状況から解放されるはずだ。

(そしたらやっと本当の人生だなー。俺金持ちの家の末の子だし好きにする。絶対人生謳歌してやる!)

 イアンはその日が待ち遠しかった。


「イアン様、到着しました」

 馬車が止まり、扉の外からニールの声が聞こえてハッとした。いつの間にか到着していたらしい。音も無く静かに馬車の扉が開くと、ニールが微笑みながら手を差し出している。それに微笑み返し手を乗せて馬車からゆっくり降りると、相変わらず迫力のある白亜の城がドーンと目の前にあって、何度見ても頬が引きつりそうになる。

「ニール、一時間ほどだと思うから」
「……はい、お待ちしております」
「うん。いつもごめんね」

 朝から暗い気持ちを悟られないように気を付けているイアンだが、ニールにはバレているのだろう。苦笑したイアンと同じように苦笑するニールから手を離し、背筋を伸ばして前を見据えた。

「じゃ、行ってくるね」
「はい。お気をつけて」

 いつも一時間程度で終わるこの苦痛な時間のため、無駄に家の馬車を使うのは気が引ける。その上時間が短すぎて家に戻ることも城に馬車を停め続けることもできず、近くの馬繋場ばけいじょうで待機してもらっているのが大変申し訳ないところである。

(まぁそれもあと少しだけ)


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