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番外編
番外編4・Happy Wedding Days(◇+◆side)
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◇砂里side
それはサースが旅立つ一月前。
高校一年の夏の終わりの休日、お付き合いしている彼氏が、我が家に挨拶にやって来た。
サースがうちの両親に会うのはこの日が初めてだった。
その頃もうサースは私が譲渡したミュトラスの願いを使い、外国籍の身分と、別の名前を手に入れていた。私たちは話し合い、異世界のことを伏せ、新たに手にいれた彼の新しい人生を両親に語ることにした。
私たちの馴れ初めはこんな感じ。
彼と私は元々メル友であり、バカンスを利用した旅行者である彼と日本で出会ってから急速に恋に落ちたのだ。
なんともはや……。
私からサースに熱を上げるだけならいざ知らず、サースが私にあっさりと恋に落ちると言うのは真実味の無い話に思えたのだけれど……。
結局、うちの両親はあっさりとそれを信じることになる。
なぜなら。
我が家にやって来た彼は、私の部屋の壁に飾られている、私が描いていたイラストの彼にそっくりだったのだから。
その日、朝からそわそわと落ち着きのなかった両親は、サースがやって来ると、驚愕に目を見開く様にして固まった。
見慣れることがないほど整った顔立ちの青年は、日本の普通の家の中でも、美を描いた一枚の絵画のようの美しかった。艶やかな髪の毛のその一本一本からもきらめきがあふれ出て見えるようだった。
お母さんは「夢……?」と呟いている。
お父さんは何も言えず固まっていた。
しばらくしてから二人ははっとするように意識を取り戻すと、私を見つめ「砂里……何かご迷惑をお掛けしていないか?」などと娘をまず疑った。お父さーんお母さーん。
サースをリビングに招いてお茶を飲みながら彼を紹介していても、二人の視線がずっと私に突き刺さっている。とっても痛い。
「あの……えっと。サース・クエンツさん。娘が無理や……いや、ちょっとばかり強引に、なにかご迷惑をお掛けする事態になっていなかったでしょうか……?」
「お、お父さん」
「だってね、そっくりなんですよ。娘がのめり込んでいたゲームの人の容姿に。この子思い込んだら人の話聞かないところあるし……」
「お母さーん……!」
「私たちには大事な子供ですが、もしご迷惑をお掛けしているなら、私たちからも詫びねばなりません」
私は混乱していた。
今日は、もっとこう、娘の初めての彼氏に対する緊張感や反発感みたいなのを想像していたのだ。
例えば「交際は許さーん!」みたいなの。
まるで違う展開になってしまった。
おかしいな、私信頼されてる子供だと思ってたんだけどな!?
もはやいい子過ぎて心配だと言っていたお母さんはどこに行ってしまったんだろう??
とは言え仕方がないのかもしれないけれど……。
サースの美しさは、目の前にすると、まるで非現実的に思えるのだろう。
サースは少し驚いたような表情はしていたけれど、それでもふっと微笑み言った。
「砂里……さんに付き合って欲しいと申し出たのも、ずっとそばに居て欲しいと願うのも俺の方です」
頬を染めながら、本心から言っているだろうことが伝わる、嬉しそうに語る彼の言葉を両親はその美しさに息を飲むようにして見つめている。
「寂しい時も嬉しい時も何も求めては来ないのに……いつも一緒に居る者の気持ちを考えてくれる。俺はそんな優しい彼女に助けられた者の一人で、砂里さんが自分の為に心から幸福に笑って居てくれる未来と場所を、一緒に作っていきたいと思っています」
……あれ、と思う。
なんだかプロポーズみたいな台詞になって来た気がする。
私はプロポーズを受けた身だけれど、お父さんもお母さんもそれを知らないし。
サースはいつの間にそんなことを考えていたんだろう……。
サースの言葉を受けた両親は少し考えるようにしてから顔を見合わせていた。
そうして不思議そうに、もう一度サースを見つめた。
「あなたは……砂里ちゃんをよく知ってるのね?」
「娘が一方的に追いかけてる訳じゃないんだな?」
お父さーん!!
「違います。ずっと俺が……俺の方から好きになりました」
それもだいぶちがーう!?
二人はもう一度顔を見合わせて、小声で何か話している。
サースが心配になり見上げると、彼は優しげな笑みを浮かべた。
うちの両親を前に緊張しているだろうに、私を見下ろすその瞳には、まるで愛していると書かれた刻印でも刻まれているかのように甘く煌めいて見える。
くっ……両親の前だと言うのに、私のときめき値は、いつだってサースを前にマックスに振り切れるよ……!
「砂里ちゃん……」
気が付くと呆れたようなお母さんの声が聞こえて来た。
う、うん、娘はきっと赤面中だよね……。
「うん、分かったよ。君の誠実な言葉はとても好ましく思える。娘を宜しく頼むよ」
「砂里ちゃん……良かったね。良い人に会えたね」
トロトロに溶けだしそうな私の表情を見て諦めたのか、二人は私たちの交際を認めてくれた。
こうして、なんだかんだと両親に紹介したサースは気に入られ、この先数年を経る間にも彼は度々我が家を訪問し、うちの家族の人気者へとなって行くのでした。
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◆サースside
異世界で暮らすようになってから一年。
知れば知るほど奥深い世界に俺は未だ終焉への片鱗に辿り着けずにいた。
そんな中、時折、砂里の休日を俺の元居た世界の方で落ち合い共に過ごすことがあった。
ラーバンダー王国の……なぜかギアン家の中庭だった。
事の発端は、一年前、魔力の均等が保たれ、平安が訪れる兆しが見えて来たその頃、報告をしにギアン家に帰って来た時に、砂里が父に手土産を渡したのだ。
異世界の米で作った……おにぎりを。
普通でも、食べるのだろうか。誰とも分からぬものが握った食べ物を。いや食べないだろう。
しかも異世界のものなど……食べる訳がないそれを、父は躊躇することなく食べて砂里を喜ばせた。
社交辞令なのか、礼と共にまた食べたいと言った言葉を切っ掛けに、度々砂里は手土産を持ち一人ギアン家を訪れていた。
父と世間話をし、次第に小さな妹たちも加わり、共に中庭で昼食やお茶の時間を過ごすことが増えたそうだ。
忙しくしていた俺がそれを知ったのは昼食会が定番となりだいぶ経ってからだった。
砂里は一体一人でなにをしているのだと、思った。
今日も、遅れてギアン家を訪れると……光差す中庭に用意されたテーブルを前に、椅子に腰を下ろした砂里と父が笑っている。
そして砂里の膝の上には一番下の妹が砂里に支えられるように座っていた。
……なんだこの家族の団らんのような光景は。
「あ、サース……!」
砂里が俺を見つけ満面の笑みを浮かべる。
父が、おや、というように俺を見つめる。含みのある笑みに俺は多少の不快を覚える。
「……サースどうかしたの?」
「いや……」
どうやら、自分でも分からぬうちに複雑な思いを顔に出していたらしい。
「愚息は貴女の笑顔を独り占めしたいだけでしょう」
「え~?」
砂里が面白そうに笑うが、俺としては恐らく、図星を刺されているのだろうと感じていた。
下の妹は、まだ四つになったばかりだ。
俺とは接点のなかったこの子と初めて会話をしたのも、この昼食会がきっかけだった。
砂里の膝の上から不思議そうに俺を見つめている。
「にーさま」
「シェイラ」
妹を抱え上げると、砂里が合図のように立ち上がり俺の腕にしがみついてくる。
「会いたかったサース」
「俺もだ、砂里……」
砂里は俺の背後に何かを見つけ、小さく「あ……」と声を出す。
視線を移すと木々の向こうに上の妹を連れた母が見えた。
「ちょっと待っててね」
砂里は駆け足で中庭を走り去る。
止める間もなく、また、きっと、止めても無駄だろうと思いながら。
なぜなら砂里は、とうの昔に上の妹とも友だちになっているのだから。
残された俺は、父の隣に腰を下ろす。
天気の良い昼下がりの、明るいこの場所は、俺には居心地が悪い。
掛けるべき言葉を飲みこむように、メイドが入れてくれた紅茶を口に含んだ。
「いつ結婚するんだ」
吹き出すかと、思った。
「……解決したらですよ」
「あまり待たせるのは良くないだろう」
「分かってますよ」
なぜこの父は、砂里の味方なのだろうか。
とても不思議なのだが……この世界を砂里が一人で訪れるのは本来とても危険なことだった。
彼女は、今この時、恐らく世界一の”力持つ者”だ。
”力を欲する者”ならば、誰もが彼女を手に入れることを望むだろう。
だからはじめ、訪問を知ったときに俺は一人では行かないようにと砂里を説得しようと試みたが、結果、俺は知ることになった。
ギアン家に居る限り……いや、この世界に居る限り、わが父が、彼女を守っていたのだ。
彼の全ての魔法と、そして権力を使い。
……なぜそこまでと、不思議だった。
「砂里は……普通の少女ですよ」
「……ほう」
「貴方を前にした礼儀も作法も知らない」
「そうかもしれないな」
「気にされないのですか」
「……異世界の少女だと我が家の者は皆が知っているからな」
「反対されないのですか?」
「反対?」
父はまるで面白い事でも言われたかのように、おおげさな笑みを浮かべる。
「世界を救った少女をか?」
「……」
食えない人だ。何もかも知っていて、これまで何も聞いてはこなかった。
「我が家のしがらみを、不幸の連鎖を、がんじがらめになり動けなくなった縺れた糸を、あっという間に解いてくれた……お前と共に」
父の目は、不機嫌さも不快さも浮かべずに、俺をまっすぐに見つめている。
「縛られ続けていたものが無くなり、はじめは放心するように過ごしていた。だが今は……感謝している。ただそれだけだ」
父は、そしてそれは俺だけではないんだ……そう続けて言うと、視線を俺の後ろに向けた。
砂里と上の妹と、そして……母がいた。
母は気まずそうに視線を伏せながらも、この場に一緒にしてもいいかと問うてくる。断る理由などない。
魂に刻まれるかのような心無い言葉のほとんどは母の口から出たものだった。
だが俺は……母を憎んでいるわけではない。
我が子の魔力暴走から生まれた恐怖は、人には乗り越えられるものではなかっただろう。
望まぬ結婚の末、ギアン家の運命に巻き込まれた被害者だと……ずっとそう思ってきたし、事実その通りだった。
だから例え食事の席を共にすることがなくとも、語り合える日が来ずとも、それは仕方がない事だと思ってきた。
気が付くと俺の隣に立っていた砂里が、まっすぐに俺の瞳を見つめながら微笑んだ。
彼女は、この世界で一番の「聖女」だ。
そして何も知らずに、ただ俺の父だと言うだけであの気難しい人間に親し気に話しかける物おじしない少女だ。
俺の妹たちを母を……ただ俺の血縁者であるというだけで、大切に敬おうとする。
言ってみれば、彼女はただ「普通の少女」が「恋人」の親族に微笑み話しかける、それだけの行為しかしていない。
だが今この世界に、真実を知る者が彼女に対して、礼を欠く態度を取ることなどありえない。
幸運なことに異世界の少女であることは、彼女が多少風変りでも許される土壌まで作っている。
思い込みや生まれの違いから壁を作る必要などどこにもない今、彼女の向ける純粋な好意を、そのままに受け取ることになんの障害もなかったのだ。
「君に会えて良かった……」
唐突にそう言う俺の言葉に、砂里は不思議そうな顔をしながらも、私も、と言って幸せそうに微笑んだ。
かつて俺の居場所などどこにもなかった世界。
そして俺を一番に否定した存在だったはずの生まれた家の中で、父が母が妹たちが、俺たちを中心に笑っている。
まるで、普通の家族のように。
彼女は、俺がどれほどの想いでこの台詞を口にしているのか、きっと分かってはいないのだろう。
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◇砂里side
高校三年生になって、学校の推薦で調理科のある短大に入学出来ることが決まった。
そしてちょうどその頃、メアリー様の結婚式の招待状を貰った。
何を着て行ったらいいのかも、向こうの世界の結婚式の作法も、何も分からず困っていたら、ギアン家のお父様とお母様が衣装を用意してくれて必要な知識を全て教えてくれた。
恐縮していると、自分たちはそれ以上のものを貰っているのだと、自分の親のように頼って欲しいと言ってくれた。とても嬉しかったけれど、そこまで言ってもらえることが私は不思議で仕方がなかった。
そうして晴れた日曜日。
メアリー様とロデリック様の結婚式は、王国で一番大きな教会で厳かに行われた。
美しいメアリー様は、この世界で一番の幸せそうな花嫁に見えた。
この世界の結婚式は私の世界のものと少し違うみたい。
花嫁はその日、聖花に包まれる。
多くの白い花が、衣装にも髪にも飾られている。
花嫁は、とても美しく咲き誇る花のようだった。
式が終わった後に少しだけ挨拶が出来た。
メアリー様は「サリーナ様のおかげで、ロデリック様と今まで以上に親しくなれたんですよ」と不思議なことを言っていた。
ローザ様もアラン様も、ライくんもラザレスも来ていて、私たちは少しだけ近況を話し合ったり、また以前のように軽口を言い笑い合ったりしていた。
もう、学生なのは私だけだった。
皆と別れ、ギアン家に帰る道すがら、サースが私をまっすぐに見つめながら言った。
「俺たちが結婚できるのか確認したことがある……」
突然の話題に私は驚いた。結婚の確認ってなんのこっちゃ?
サースが言うには、以前双子世界の話を聞くためにミュトラスの願いを使ったときに、この事も一緒に聞いていたのだそう。
「元は同じ神が作った、”誤差”の範囲で似た二つの世界の生き物は、番合い繁殖出来るそうだ」
繁殖……?ピンと来ないで首を傾げると、
「子供を生せるということだ」
(……!?)
「ずっと砂里の体のことを心配していたが、世界を越える行為にはミュトラスの補正が掛かり、肉体に負担もないそうだ」
何やら想像しながら、顔を赤くさせ固まっている私に、サースは真剣な表情を向けた。
「待たせてすまない砂里……」
「え?」
「俺はずっと君を待たせている」
「え……ええ!?」
サースがそんな気持ちでいたなんて知らなくて、私は本当に驚いた。
「私高校生だし、まだ短大行ける予定だし、そもそもサースは私の為に世界を駆けずり回ってるんだよ」
私はサースを見上げて、きっぱりと言った。
「待ってないよ!」
「待ってないのか……」
驚くほど意気消沈していくサースの表情を見つめながら、言い方を間違っただろうことを感じていた。
あれ、なんて言うのが正解なんだろう。慌てて考えるけれど思いつかない。
待ってるんじゃなくて……。
「待たせてるのは……私だよ」
正装をしている彼の胸に、私は頬を寄せる。
「サースに一緒に付いて行けてなくて……ごめんね」
本来なら、彼を一人にするべきではないのだろうと思う。
私が子供でなかったならば、結婚していたならば、どんなところにでも付いて行ったのだろう。
それでも私は、まだどうしようもないくらい、子供だった。
「大人になるまで待っててね」
学生時代が終わって、独り立ち出来るようになって、両親を心配させずに家を出れるようになるまで。
顔を上げてサースを見上げると、頬を染めたサースがなんとも言えない表情で私を見下ろしていた。
「サース?」
「……お前はいつまでも無自覚だな」
無自覚……?
突然変わった話題に付いていけなくて首を傾げると、サースが困ったように微笑んだ。
そうして優しく頬を撫でた後に、口づけを落としてくる。
私はまだ子供だけど……。
瞼を落としながら、ふと、思う。
それでも少しずつ、大人のキスが増えて行くのを感じている。
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◆サースside
砂里が短大に入学し、毎日忙しく過ごしている頃、俺も目を離せない案件を抱え彼女の元に中々飛べない日々が続いていた。
その頃、週に一度は砂里の元を訪れていた人物がいた……ラザレスだ。
ラザレスはあの夏以来定期的にこちらの世界にやって来ている。
世慣れた社交的な性格をしている彼は、次々と友達を作りながらこの世界に順応しているらしい。
社会的なことに関しては、俺よりもずっと詳しいと言ってもいい。
この間は、砂里の学校の友だちとの飲み会に交ぜて貰ったと言っていた。一体何をやっているんだ、砂里もラザレスも。
どうやらこの世界には「合コン」という出会い目的の飲み会が若者たちの間で行われるのだそうだ。
「ちょっとどんなものかと思って見に行ったんだよ」
「待て、砂里がそれに参加していたのか?」
「うーん、サリーナは、知らないっぽかった。気が付いてなかったのかな?しかもお前があげたペアリングをはめた指を煌めかしていたから、すでに主婦感が漂っていて、男たちもがっつかなかったな」
「がっつく……」
ラザレスは、定期的に俺の元にも飛んで来ては、砂里の近況を教えてくれた。
今俺は、時折危険と隣り合わせの場所に赴くことがあったが、そんな場所に居てもラザレスはひょっこりと現れた。
「なぁ、サース」
「なんだ」
借りたアパートの個室のソファーの上、資料を眺めている俺に、ラザレスは珍しく真面目な表情を向けた。
「夢を見ると言っていたよ」
「……夢?」
「魔王の夢を、今も見てるって」
魔王と言うと、かつて存在した、もう一人の俺のことだろう。
そうしてその夢を見るというのなら、それは、砂里しかありえないだろう。
運命が変わった時点で彼は俺の元に還って来ているのだろうと思っていたのだが……。
「戸惑うように自分を見ているって、言ってた」
「……」
砂里が言うのならば、彼はまだ俺とは別に存在しているのだろうか……?
ラザレスは少し考えるようにしてから、思い切ったように言った。
「俺も夢を見るんだ」
「ラザレスが?」
砂里の近くにいることでなにか影響があるのだろうか。
「魔王の夢か?」
「違うんだ……」
日頃緊張感のない顔をしたラザレスが、瞳に影を落とすようにして言う。
「頻繁に同じ夢を見るんだ。サリーナとよく似た顔立ちの女の子が俺を呼んでる。その子もきっと”日本”の人なんだろうと思う。サリーナより髪が長くて幼い感じの……。そんな子に心当たりはないんだよ」
魔王と、少女の夢。
世界を越え、この世界に未だ引きずる、異世界の者たちの夢か……。
「何か意味があると思うか?」
「分からないな……」
俺の言葉に、ラザレスは明るく、そっか、と笑う。
「意味なんてないのかもしれないけど、何か気になるんだよなぁ」
遠い目をするように窓の外を見下ろす彼の横顔に、あの日明るく冒険がしたいのだと語っていた彼の、ここではないどこかを探すその瞳の裏に隠された内面を、初めて垣間見たような気がした。
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◇砂里side
短大2年になって、私は二十歳の誕生日を迎えた。
その日はお父さんとお母さんがお祝いをしてくれた。
初めてお酒を飲んだのだけど、どうやらお酒に弱い体質みたい。すぐに顔が真っ赤になってしまった。
この年はとても忙しくて。学校の授業に、資格と試験に、そして将来の事。
サースに相談をしたかったのだけれど、サースの方もとても忙しく、ほとんど会うことが出来なくなっていた。毎日の連絡だけは欠かさなかったのだけれど。
そうして、この年、アラン様とローザ様の結婚式が開かれた。
私はまたギアン家のお父様とお母さまに衣装をお借りし、今度は王族の式だからと、二人も一緒に行ってくれることになった。
サースも来れたら来るといっていたのだけど、式が始まる時にその姿は見えなかった。
それは盛大な結婚式だった。
美しい王子と、美しい王子妃の、誰からも祝福される幸福を絵に描いたような式だった。
式が終わり、二人の元に招かれた私は、心からのお祝いの言葉を送った。
ローザ様は、次はお二人ですね、と言いながら、自身の衣装から一本の聖花を抜くと私に渡した。
それは花嫁の花。託された私は、次の花嫁になるのだろう。
……だけれど、もうずっとサースに会えていなかった。私は学校を卒業してもいない。
いつか結婚出来るのだろうとは思っていたのだけれど、それがいつになるのかは、まだピンと来なかった。
「もうすぐ、だな」
――え?
突然後ろから響いて来た、私の全身を震わせる甘い声に電流が走るような衝撃を感じる。
振り返ると、黒色の正装に身を包んだ美しい彼が、私の肩を抱くようにして立っていた。
「砂里……迎えに来たよ」
優しく細められた瞳は私をまっすぐに見つめ、そしてその大きな手が私を強く抱きしめる。
「……終わったよ、砂里」
彼が私の世界でやっていたことも、私たちが離れ離れに暮らしていたことも、たった一つの理由があるからだった。
だから今、彼の言う台詞の意味するものは……。
「終わったの……?」
「ああ。俺たちに出来ることはここまでだ」
「……」
「終焉に向かう流れを断ち切った。はじけ飛ぶ寸前の膨らんだ運命の輪を消滅させたんだ。あとは、俺の世界と同じだ。残された皆の知恵で、道を選び歩んでいくだけだ」
信じられない思いで彼を見上げていると、サースはそんな私の表情を見て面白そうに微笑んだ。
「俺たちの式の準備の話をするのに今日はちょうどいい機会かと思ったんだが」
そう言うサースにアラン様が呆れたように答える。
「僕の結婚式をだしに使おうとするやつはお前だけだろうな」
「もちろん、祝いに来た。……おめでとうアラン。幸せになってくれ」
サースの言葉に、アラン様は狼狽えるようにしてから、力なく笑った。
その日サースは、ギアン家のお父様やお母さまにも近々結婚式を挙げたいと伝え、二人はとても喜んでくれた。
サースとお母さまのぎこちない関係も、最近、段々と和らいで来ているのを感じていた。
月日は流れる。
もう今ではうちのお父さんもお母さんも、まるで熱狂的なファンのように、サースのことが大好きになってしまっている。
さすが私のお父さんとお母さん。好みがそっくり、良い趣味してる!サースは世界で一番魅力的だものね。
結婚のお伺いも「あらそう、いつ挙げるの?」と当たり前のように言われてしまい、私とサースは顔を見合わせた。学生の私が言い出したというのに軽すぎてびっくりした。
1月になると成人式があった。
サースは成人式の会場まで迎えに来てくれて、着物を着た私をエスコートする姿は多くの写真に残され、その日地元民のSNSに多く出回ってしまったらしい……サースはともかく私の写真はお見せ出来るものじゃないんだけどな。
3月は学校の卒業式があった。
資格や免許を取得して、私はやっと、学生の身分を終える。
レンタルで借りた袴姿の私を、迎えに来たサースが写真に撮った。
「……サースでも写真撮るんだね」
と言うと、サースは面白そうに笑って答えた。
「お前を見ていたら、ついな」
私を見ていたら……ってどういうことだろう?
そう思いながら彼を見上げると、苦笑しながら言った。
「俺の全てを、まるで愛しいもののように形に残そうとするだろう。真似をしたくなった」
「愛しいもの……」
その通りだったけれど、言葉にされるととっても恥ずかしかった。
赤くなった私の顔を、サースはさらに写真に撮った。
「だ、だめだよ……」
「なぜだ?」
意地悪そうに微笑む顔も、最近になってよく見るようになった彼の新しい表情だった。
「は、恥ずかしいから……」
「……」
サースは蕩けるような微笑みを私に向けると、言った。
「ならば、俺の心の中だけに残そう」
その台詞は一番恥ずかしくなるものなんですけれど!
そう思いながら赤面した顔を背けると、私の頬にサースが口づけを落として来る。
うぎゃぎゃぎゃぎゃ!?
「真っ赤だな砂里」
当たり前ですよ!
体をプルプルと震わせながら涙目で恥ずかしさに耐えていると、目の前には笑い出しそうなサースの顔。
サースは本当に幸せそうに笑うようになったと思う。
今はもう、過去は彼の心を苦しめてはいないのだろうか。
「お義父さんとお義母さんが待っている……帰ろう」
「うん……」
先日、サースの誕生日に、私たちは籍だけ先に入れた。
まだ式はこれからだし、一緒に暮らすのもその後だ。
サースと知り合ってから、もうすぐで五年経つ。
まだまだ子供だった私が、同じく子供だった彼からのプロポーズを受けたのはもうそんな昔のこと。
彼と共に知らなかったことを知って行く日々。
気が付くと私たちは、子供ではなくなっていた。
もう少ししたら、私は本当の、サースのお嫁さんになる――。
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◆サースside
結婚式は、砂里が学校を卒業した翌月行うことになった。
俺の国の教会と、そして砂里の国の神社で。
その二つを終えてから、俺たちは新居に越すことにした。
新居は俺が建てた。
砂里は、まさかポンと土地を買うと言い出すとは思わなかったらしく、えらく反対された。
だが、主に家で出来る仕事を糧にするつもりだった俺には、自分仕様に作られる家は必須で、説得の為に見せた俺の資産残高に、砂里は「ちょっとピンと来ないから見なかったことにする」と言ってそっと目を逸らした。
そして、迎えに行ったあの日から幾度も話し合いを重ね、砂里は新卒での就職を諦めた。
俺は決して彼女の道を遮ることなどしないが、本人が「私の一番の仕事はサースのご飯を作る事なの」と言ってやまなかった。
本当に……長い時間を掛けてお互いの気持ちを確かめ合うように話し合い、折り合いをつけた。
砂里は自分には分不相応だと悩みぬいたが……結局は受け入れてくれた。
敷地内に、彼女の望む飲食店舗と、住居を建てようと。
いずれ、俺達にも子供が出来るだろう。広く住みやすく、多少の魔法を使っても周囲に悟られない暮らしの出来る場所に、彼女の夢見た店舗と、住居と、少し離れた場所に俺の仕事部屋を。
買った土地は、かつて彼女が幼い頃に住んでいた場所にほど近かった。
郊外の緑の多い土地。公園が近く、人の動きのあるそこは、きっと穏やかな午後には、人が集ってくれる場所になるだろうと思えた。
ラーバンダーでの式の日。
その日教会の控室に居る俺に、ラザレスが話しかけて来た。
「まだ、見てるって言ってたよ……夢」
ラザレスは学生時代よりいっそう肉体は鍛えられ、精悍な顔立ちになっていた。
柔和で人当たりの良い性格のため非常にモテるが、飄々と女の子たちの誘いをかわして行く。
そんなラザレスが真面目な顔つきで言うそれは、砂里が見ているはずの、魔王の夢のことだった。
「そうか……」
”彼は”未だ彷徨い続けている。
孤独なまま人としての生を終えた彼は、満たされた今の俺に同化することは、きっと難しいのだろう。
それならばそれで、上手く付き合って行けばいい。
同化することが出来なかった”彼”がもたらす全てを、俺が受け止めれば良い。
「昼寝してて……泣いていたことが、あったよ」
「……」
だがそれも、砂里の心が痛められているならば話は別なんだろう。
俺はもう一度、彼に向き合わなくてはならないのかもしれない。
白色の聖花に包まれた砂里は、とても美しかった。
彼女自身が、生命力に溢れた咲き誇る花のようだった。
輝くような彼女のその光に、触れても壊さないかと、俺は、今でも彼女を前に少し躊躇う。
けれどそんな時、彼女は決まって、とても幸福そうな笑顔を俺に向ける。
誰に向けるよりも一番に、輝く笑顔を、俺自身に。
――すると訳も無く、俺の中に許される何かを感じる。
未だ未成熟さを抱え持つ、弱く平凡な俺のような男でも、幸福を感じていいのだと。
ラーバンダー王国の、歴史ある教会には、俺たちのかつての学友、俺の家族、そして親しくなった聖女団体長、俺が世話になった魔法院のフリードや、ライが祝いに来てくれた。
皆からの祝辞を、心から受け取る。
花が開くように自然に笑顔が浮かぶこの時間を噛みしめながら……俺は思っていた。
――『ああ、きっと、ここに”彼”は近寄ることも出来ないのだろう』と。
そして砂里の国での結婚式の日もまもなくやって来た。
日本の神が祀られているその宗教の儀式や作法を、俺は式が決まってから初めて学ぶことになった。
晴れた日曜日の、昼下がり。
明るい日差しの下のその社屋の控室に……ちゃっかりとラザレスもやってきていた。
まぁ、砂里が招待していたんだが。
”好青年”の彼は砂里の両親にも気に入られ、ふと見ると楽しそうに世間話をしている。
――彼のようになりたいと。
今なら気が付ける。恐らく俺はずっとそう思っていたのだろうと思う。
明るく社交的で、誰も不快にさせずに、笑顔の輪の中で生きられている彼の自然な生き方に、俺は憧れていたのだろう。その思いは俺を屈折させ、余計にラザレスに反発心を抱いたのだ。
そんなことが静かに考えられるほど……今の俺の心はただ満たされている。
砂里とラザレスがどんなに気が合おうとも、親しく見えようとも、砂里を心から満たすことが出来るのは俺だけだと……今は疑う余地もなく思えている。
お互いの気持ちだけではない、過ごした年月、話し合った会話、彼女と築き上げた全てが、俺にそれを確信させる。
俺はもう、別の誰かに成り代わる必要など、どこにもないのだと。
神前式の結婚の儀式は厳かに行われた。
今日の砂里も透けて消えそうなほど美しく見えた。
この世界の人は本来魔力を感じ取ることは出来ないし、見ることも出来ない。
だが、俺のように魔力を感じ取る力が強い人間がいるならば、きっと砂里から湧き上がるような清らかな光の欠片の断片を感じとれる者もいるのではないかと、思う。
厳格な作法を、所作を、一つ一つこなし、式が進んで行く。
そうして二つの式を終えた時。俺たちは、それぞれの父母に祝福される中、本当の夫婦と認められることとなった。
式の夜、俺たちはその足で二人、建てられたばかりの新居に帰ってきた。
荷物運びも済んでおり、後は暮らすだけとなっていた。
披露宴は、砂里の飲食店の準備が整ってから、開店前に店舗で行うことにしようと言っていた。
これから少しの準備期間が持てる。慌てることはない。
なのに新居に帰って来てから、砂里はずっとそわそわとして落ち着かない。
「砂里……疲れたのか?」
「う……ううん?」
「疲れたのなら、このまま休んでもいいが」
「え……え?」
砂里は、俺の抱き締めようとした腕をするりと交わし、壁に張り付くようにして言った。
「お、お風呂入ってくるね」
「ああ……」
彼女の消えていく足音と気配に、彼女への愛おしさを感じながら、物音が消えると俺は目を瞑った。
魔法を使わなくなって久しいが。
全神経を集中させながら、最大の魔力を言葉に込めた。
『還ってこい、魔王』
”彼”は、砂里の周りをうろついているだろうが、俺には姿を見せたことなど一度もなかった。
『俺を妬んでも、否定しても、無駄だ。俺たちは、最初から、ただ一人だ』
俺のような本物の絶望を知らない男からの言葉を、果たして”彼”は聞き入れるのだろうか。
『俺は、お前になれないし、お前も俺にはなれない』
だが……と、俺は続ける。
『俺たちは、今までもこれからも、ただ一人の人間なんだ。これまで感じられなくとも、これから先、共に幸福を感じることだって出来る』
俺は偽りのない本心を言葉に込め続ける。
『お前はお前のままでいい。俺の中に還って来い……』
――いいのか……。
そんな小さな声が聞こえた気がした。
(それはどういう意味だ?)
そう思いながら耳を澄ませてみれば、魔王の声が聞こえてくる。
――俺は、彼女を穢すだろう……。
(ああ……)
俺はやっと、彼の想いに気が付く。馬鹿な男だ。俺と何も変わらない、弱く愚かな、ただの恋を知る男だ。
(彼女は、穢れない)
――……。
(ずっと見ていたなら、知っているだろう? 彼女は……俺をとうの昔に受け入れている)
初めて出会ったときから何も変わらず、俺と過ごす時間の全てを慈しんでくれている。
(お前のことなど……俺と出会う前から受け入れているんだよ)
――ああ……確かに……彼女はそう言っていた……。
その言葉を切っ掛けとするように、目の前に、もう一人の俺の姿が浮かび上がって来た。
長い黒髪をたなびかせた闇の化身のような彼に俺は言う。
『還れ』
――ああ……。
ゆっくりと歩いて来た彼は、溶けるように俺に重なると、闇が霧散するように形を無くした。
心臓が脈打つような衝動とともに、俺がもう一人重なるような不思議な感覚を初めて味わった。
いや、俺の肉体の上に、さらに闇の魔力が重なっている……?
俺自身の魔力が二重に折り重なっている、こんな状態の魔力は、いまだかつて見たことが無かった。
「サース!?」
声に驚き振り返ると、砂里が目を見開いて俺を見つめていた。
俺に駆け寄ると、砂里は俺の両腕を掴み、強く胸をさすり、そうして体を密着させ匂いを嗅いだ。
「……え?なぁに?」
砂里の驚きを隠せないような声が響く。
いや俺がそれを問いたい。
「なんでサース重なってるの?」
「見えるのか?」
砂里は俺を見上げて言う。
「純粋な闇の魔力……サース様だよ」
砂里は魔力には敏感ではないはずなのだが、俺に関してだけは、語り継がれる偉大な魔術師たち以上の能力を発揮することがある。
「還って来たんだ」
「そう……」
砂里は微笑んでから、俺の胸に強くしがみついて来た。
「良かったね……!」
「ああ」
彼女は気が付いていないが、本来人を不快にさせ恐れさせるはずの闇の魔力の波動を、彼女は最初からまるで愛おしいもののように感じ取る。
俺を感じられて嬉しいと。心地よいと。
それは彼女の内から溢れる光の魔力が中和させそう思わせているのかもしれないが。
魔王を引き受けた俺の身体に、躊躇なく抱き付いて幸せそうに微笑むことが出来るのは間違いなく彼女一人で、それがどれほど奇跡的なことなのか、彼女はきっと知ることもないのだろう。
そうしてその夜が明けると。
まるで彼女の中に残る願いの力の全てを使い切ったかのように。
魔王の存在が俺の中から消え、彼女からは聖女の力が消えた。
--------
◇砂里side
新婚旅行は異世界ツアーでした。
もう一度言います。新婚旅行は、異世界ツアーでした!
お店の開店の準備のめどがたって来た頃、サースと共に、新婚旅行に出かけた。
私はよく考えたら、向こうの世界のこともいまだにあまり良く知らなかった。
学校と、ギアン家のまわりと、王宮と、良く行く街中くらいしか行ったことがない。
サースは向こうの世界のことを色々と教えてくれた。
とは言えサースだって行ったことがあるわけではなく、書物で読んだことがあるだけだったんだって。
魔法が社会を動かしている世界なのは知っていたけれど、至る所で見る魔法社会の片鱗はすごかった。
森では魔獣に遭遇し(居たんだ!)
旅先では冒険者と世間話をし(居たんだ!)
伝説の泉には精霊の姿が見えた(居たんだ!)
あと遊園地が凄かった。
魔法で作られた、魔法の国の本気の魔法の国は、半端なかった。
虹色の雲がふよふよと浮かぶ世界に白いもふもふキャラクターが飛び回っていて、魔法で動く娯楽遊具が楽しめるようになっていた。
でもそんなところでも、サースは少し居心地が悪そうにしながらも、優しく寄り添っていてくれたのが一番嬉しかった。
異世界ツアーから帰って来た後は、今度は私の国の方で旅行に行こうね、とサースと約束をした。
サースには一度温泉に入ってもらいたいなぁってずっと思ってる。浴衣姿が見たいからなんて理由だけじゃないよ。もちろん見たいけど。
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◆サースside
ネットを使った資産運用の他に、俺はこの世界で助力を得てきた人たちへ恩返しの為に、知識と頭脳を貸し出すことが多かった。
ほぼ一日中、パソコンの前から動かない俺を砂里はとても心配していた。
「サースは集中すると周りが見えなくなる」
そんなことを言われたのは初めてで、誰よりも俺を知る彼女がただ愛おしく思えたが、彼女は思いの外本気で言っているようだった。
それから俺は、彼女の店に、俺の方から日に何度か訪れることにした。
彼女の店がオープンしたのは三か月前。こじんまりとしたカフェだ。
ユズルの兄の店に少し雰囲気が似ているのは、きっと俺も砂里もあの店が居心地のいい場所だと思えていたからなのだろう。
オープンまでの日々は毎日手伝っていたが、今は開店準備と仕入れを手伝うのみで、砂里が一人で店を回している。
彼女の他に、高校生と大学生の女の子のアルバイト3人が入れ替わりでやってくる。
かつての砂里を思わせる少女たちと、上手くやっているようだ。
手作りのパンと、サンドイッチと、コーヒーと紅茶の店。
なぜかこのメニューの中に「おにぎり」が混ざり込んでいるのが不思議だったが、砂里は思い入れがあるから、と笑って言っていた。
裏の扉から店に入ると、常連客とアルバイトの子たちで話をしているのが聞こえて来た。
「……そっか~」
「自分が好きなのは乙女ゲーの話ですかね。好きな作家さんのは終わってしまったんですが」
「この子、推しを追い掛ける話が好きなんですよ」
「推し……分かります!」
「そりゃー旦那さま、あの方ですし」
「若くして出会ってしまったら生涯をかけた推しになりそうです!」
「え?なんでわかるの??」
「そりゃー……」
「ねぇ?」
一体なんの話をしているのだろうか。
「自分は最近エルフものにもはまっていて」
「分かる!本格ファンタジーも読みたくなる」
「エルフさんは美形なの?」
「そうですね、自分の推しは超絶美形、鍛えられた筋肉の美しいギルセリオン様と言う方です」
「え?リンク送ってくれる?」
「もちろんです」
だからなんの話をしているのだろうか。
調理場側から店に顔を出すと、一瞬で砂里と若い女の子たちがキラキラと輝くような視線を俺に投げかけて来た。
「サース!珈琲飲みに来たの?」
「ああ。構わないだろうか?」
「もちろん」
店のカウンター席に腰を下ろすと、少女たちの視線が痛いほどに感じた。
振り返り微笑むと、小さな歓声が起こる。
「なんの話を?」
俺の台詞に一生懸命答えてくれる。
「えっと、好きなネット小説の話題です。私たち良く読んでるから」
「乙女ゲームの中に入り込んで、自分や攻略対象の死亡フラグを折りまくったりするんですよ」
なんだか、どこかで聞いたことがあるような話だと思う。
そんな偶然があるものなのか。これもまたミュトラスの悪戯なのか。それとも。
いつだって新たな誰かの願いが、まだ見ぬ未来へと、今を導いているのかもしれない。
今の俺達にはもうそれを確認出来るほどの力は無かったけれど。
「サースお待たせ」
砂里の淹れた香ばしいコーヒーの匂いが漂う。
彼女はニコニコと嬉しそうに俺を見つめている。
「今日ねラザレスが来たよ」
「またか……」
卒業してから3年が過ぎたが、これほど気さくにやって来るようになるとは思わなかった。
そうしてそんな彼に、度々本音や軽口を言えるようになっている自分自身にも驚いていた。
「やっぱりおにぎりは梅だって言ってた」
そう言うと砂里は、くふふふと面白そうに笑う。
「あれはうまい……」
「うん」
砂里は微笑みながら頷く。
「また、作るね」
「ああ」
日々が、穏やかに過ぎて行く。
俺たちは互いの足りない部分を補い合いながら側に暮らす。
生活を支え合い、そうして、お互いを守るように手を貸しあう。
過不足ない生活は、まるで初めて訪れた楽園のように、今はまだ俺の心を戸惑わせる。
いつかまた運命が変わる日が来るとするならば。
薄氷の上の幻想は壊され、生き物として弱く儚い俺たちは、いつ命を落としたとしても不思議ではないんだろう。
出来ることと言えばただ、今日の日を慈しみ、後悔なく優しさを伝え合うことくらいなのだ。
俺にとってそれは容易いことではないと、誰よりも俺の中に消えた”彼”が知っている。
そうしてまた新たな”彼”はいつだって現れることがありえるのだ。幸福を破滅させる使者として。
「手伝えることがあったら言ってくれ」
俺の台詞に砂里が笑う。
「ありがとう。何かあったら言うね。サースも言ってね」
「ああ」
(だが俺は叶うならば、幸福を紡ぎ続けられる者でありたいと願う)
次回、番外編最終話
それはサースが旅立つ一月前。
高校一年の夏の終わりの休日、お付き合いしている彼氏が、我が家に挨拶にやって来た。
サースがうちの両親に会うのはこの日が初めてだった。
その頃もうサースは私が譲渡したミュトラスの願いを使い、外国籍の身分と、別の名前を手に入れていた。私たちは話し合い、異世界のことを伏せ、新たに手にいれた彼の新しい人生を両親に語ることにした。
私たちの馴れ初めはこんな感じ。
彼と私は元々メル友であり、バカンスを利用した旅行者である彼と日本で出会ってから急速に恋に落ちたのだ。
なんともはや……。
私からサースに熱を上げるだけならいざ知らず、サースが私にあっさりと恋に落ちると言うのは真実味の無い話に思えたのだけれど……。
結局、うちの両親はあっさりとそれを信じることになる。
なぜなら。
我が家にやって来た彼は、私の部屋の壁に飾られている、私が描いていたイラストの彼にそっくりだったのだから。
その日、朝からそわそわと落ち着きのなかった両親は、サースがやって来ると、驚愕に目を見開く様にして固まった。
見慣れることがないほど整った顔立ちの青年は、日本の普通の家の中でも、美を描いた一枚の絵画のようの美しかった。艶やかな髪の毛のその一本一本からもきらめきがあふれ出て見えるようだった。
お母さんは「夢……?」と呟いている。
お父さんは何も言えず固まっていた。
しばらくしてから二人ははっとするように意識を取り戻すと、私を見つめ「砂里……何かご迷惑をお掛けしていないか?」などと娘をまず疑った。お父さーんお母さーん。
サースをリビングに招いてお茶を飲みながら彼を紹介していても、二人の視線がずっと私に突き刺さっている。とっても痛い。
「あの……えっと。サース・クエンツさん。娘が無理や……いや、ちょっとばかり強引に、なにかご迷惑をお掛けする事態になっていなかったでしょうか……?」
「お、お父さん」
「だってね、そっくりなんですよ。娘がのめり込んでいたゲームの人の容姿に。この子思い込んだら人の話聞かないところあるし……」
「お母さーん……!」
「私たちには大事な子供ですが、もしご迷惑をお掛けしているなら、私たちからも詫びねばなりません」
私は混乱していた。
今日は、もっとこう、娘の初めての彼氏に対する緊張感や反発感みたいなのを想像していたのだ。
例えば「交際は許さーん!」みたいなの。
まるで違う展開になってしまった。
おかしいな、私信頼されてる子供だと思ってたんだけどな!?
もはやいい子過ぎて心配だと言っていたお母さんはどこに行ってしまったんだろう??
とは言え仕方がないのかもしれないけれど……。
サースの美しさは、目の前にすると、まるで非現実的に思えるのだろう。
サースは少し驚いたような表情はしていたけれど、それでもふっと微笑み言った。
「砂里……さんに付き合って欲しいと申し出たのも、ずっとそばに居て欲しいと願うのも俺の方です」
頬を染めながら、本心から言っているだろうことが伝わる、嬉しそうに語る彼の言葉を両親はその美しさに息を飲むようにして見つめている。
「寂しい時も嬉しい時も何も求めては来ないのに……いつも一緒に居る者の気持ちを考えてくれる。俺はそんな優しい彼女に助けられた者の一人で、砂里さんが自分の為に心から幸福に笑って居てくれる未来と場所を、一緒に作っていきたいと思っています」
……あれ、と思う。
なんだかプロポーズみたいな台詞になって来た気がする。
私はプロポーズを受けた身だけれど、お父さんもお母さんもそれを知らないし。
サースはいつの間にそんなことを考えていたんだろう……。
サースの言葉を受けた両親は少し考えるようにしてから顔を見合わせていた。
そうして不思議そうに、もう一度サースを見つめた。
「あなたは……砂里ちゃんをよく知ってるのね?」
「娘が一方的に追いかけてる訳じゃないんだな?」
お父さーん!!
「違います。ずっと俺が……俺の方から好きになりました」
それもだいぶちがーう!?
二人はもう一度顔を見合わせて、小声で何か話している。
サースが心配になり見上げると、彼は優しげな笑みを浮かべた。
うちの両親を前に緊張しているだろうに、私を見下ろすその瞳には、まるで愛していると書かれた刻印でも刻まれているかのように甘く煌めいて見える。
くっ……両親の前だと言うのに、私のときめき値は、いつだってサースを前にマックスに振り切れるよ……!
「砂里ちゃん……」
気が付くと呆れたようなお母さんの声が聞こえて来た。
う、うん、娘はきっと赤面中だよね……。
「うん、分かったよ。君の誠実な言葉はとても好ましく思える。娘を宜しく頼むよ」
「砂里ちゃん……良かったね。良い人に会えたね」
トロトロに溶けだしそうな私の表情を見て諦めたのか、二人は私たちの交際を認めてくれた。
こうして、なんだかんだと両親に紹介したサースは気に入られ、この先数年を経る間にも彼は度々我が家を訪問し、うちの家族の人気者へとなって行くのでした。
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◆サースside
異世界で暮らすようになってから一年。
知れば知るほど奥深い世界に俺は未だ終焉への片鱗に辿り着けずにいた。
そんな中、時折、砂里の休日を俺の元居た世界の方で落ち合い共に過ごすことがあった。
ラーバンダー王国の……なぜかギアン家の中庭だった。
事の発端は、一年前、魔力の均等が保たれ、平安が訪れる兆しが見えて来たその頃、報告をしにギアン家に帰って来た時に、砂里が父に手土産を渡したのだ。
異世界の米で作った……おにぎりを。
普通でも、食べるのだろうか。誰とも分からぬものが握った食べ物を。いや食べないだろう。
しかも異世界のものなど……食べる訳がないそれを、父は躊躇することなく食べて砂里を喜ばせた。
社交辞令なのか、礼と共にまた食べたいと言った言葉を切っ掛けに、度々砂里は手土産を持ち一人ギアン家を訪れていた。
父と世間話をし、次第に小さな妹たちも加わり、共に中庭で昼食やお茶の時間を過ごすことが増えたそうだ。
忙しくしていた俺がそれを知ったのは昼食会が定番となりだいぶ経ってからだった。
砂里は一体一人でなにをしているのだと、思った。
今日も、遅れてギアン家を訪れると……光差す中庭に用意されたテーブルを前に、椅子に腰を下ろした砂里と父が笑っている。
そして砂里の膝の上には一番下の妹が砂里に支えられるように座っていた。
……なんだこの家族の団らんのような光景は。
「あ、サース……!」
砂里が俺を見つけ満面の笑みを浮かべる。
父が、おや、というように俺を見つめる。含みのある笑みに俺は多少の不快を覚える。
「……サースどうかしたの?」
「いや……」
どうやら、自分でも分からぬうちに複雑な思いを顔に出していたらしい。
「愚息は貴女の笑顔を独り占めしたいだけでしょう」
「え~?」
砂里が面白そうに笑うが、俺としては恐らく、図星を刺されているのだろうと感じていた。
下の妹は、まだ四つになったばかりだ。
俺とは接点のなかったこの子と初めて会話をしたのも、この昼食会がきっかけだった。
砂里の膝の上から不思議そうに俺を見つめている。
「にーさま」
「シェイラ」
妹を抱え上げると、砂里が合図のように立ち上がり俺の腕にしがみついてくる。
「会いたかったサース」
「俺もだ、砂里……」
砂里は俺の背後に何かを見つけ、小さく「あ……」と声を出す。
視線を移すと木々の向こうに上の妹を連れた母が見えた。
「ちょっと待っててね」
砂里は駆け足で中庭を走り去る。
止める間もなく、また、きっと、止めても無駄だろうと思いながら。
なぜなら砂里は、とうの昔に上の妹とも友だちになっているのだから。
残された俺は、父の隣に腰を下ろす。
天気の良い昼下がりの、明るいこの場所は、俺には居心地が悪い。
掛けるべき言葉を飲みこむように、メイドが入れてくれた紅茶を口に含んだ。
「いつ結婚するんだ」
吹き出すかと、思った。
「……解決したらですよ」
「あまり待たせるのは良くないだろう」
「分かってますよ」
なぜこの父は、砂里の味方なのだろうか。
とても不思議なのだが……この世界を砂里が一人で訪れるのは本来とても危険なことだった。
彼女は、今この時、恐らく世界一の”力持つ者”だ。
”力を欲する者”ならば、誰もが彼女を手に入れることを望むだろう。
だからはじめ、訪問を知ったときに俺は一人では行かないようにと砂里を説得しようと試みたが、結果、俺は知ることになった。
ギアン家に居る限り……いや、この世界に居る限り、わが父が、彼女を守っていたのだ。
彼の全ての魔法と、そして権力を使い。
……なぜそこまでと、不思議だった。
「砂里は……普通の少女ですよ」
「……ほう」
「貴方を前にした礼儀も作法も知らない」
「そうかもしれないな」
「気にされないのですか」
「……異世界の少女だと我が家の者は皆が知っているからな」
「反対されないのですか?」
「反対?」
父はまるで面白い事でも言われたかのように、おおげさな笑みを浮かべる。
「世界を救った少女をか?」
「……」
食えない人だ。何もかも知っていて、これまで何も聞いてはこなかった。
「我が家のしがらみを、不幸の連鎖を、がんじがらめになり動けなくなった縺れた糸を、あっという間に解いてくれた……お前と共に」
父の目は、不機嫌さも不快さも浮かべずに、俺をまっすぐに見つめている。
「縛られ続けていたものが無くなり、はじめは放心するように過ごしていた。だが今は……感謝している。ただそれだけだ」
父は、そしてそれは俺だけではないんだ……そう続けて言うと、視線を俺の後ろに向けた。
砂里と上の妹と、そして……母がいた。
母は気まずそうに視線を伏せながらも、この場に一緒にしてもいいかと問うてくる。断る理由などない。
魂に刻まれるかのような心無い言葉のほとんどは母の口から出たものだった。
だが俺は……母を憎んでいるわけではない。
我が子の魔力暴走から生まれた恐怖は、人には乗り越えられるものではなかっただろう。
望まぬ結婚の末、ギアン家の運命に巻き込まれた被害者だと……ずっとそう思ってきたし、事実その通りだった。
だから例え食事の席を共にすることがなくとも、語り合える日が来ずとも、それは仕方がない事だと思ってきた。
気が付くと俺の隣に立っていた砂里が、まっすぐに俺の瞳を見つめながら微笑んだ。
彼女は、この世界で一番の「聖女」だ。
そして何も知らずに、ただ俺の父だと言うだけであの気難しい人間に親し気に話しかける物おじしない少女だ。
俺の妹たちを母を……ただ俺の血縁者であるというだけで、大切に敬おうとする。
言ってみれば、彼女はただ「普通の少女」が「恋人」の親族に微笑み話しかける、それだけの行為しかしていない。
だが今この世界に、真実を知る者が彼女に対して、礼を欠く態度を取ることなどありえない。
幸運なことに異世界の少女であることは、彼女が多少風変りでも許される土壌まで作っている。
思い込みや生まれの違いから壁を作る必要などどこにもない今、彼女の向ける純粋な好意を、そのままに受け取ることになんの障害もなかったのだ。
「君に会えて良かった……」
唐突にそう言う俺の言葉に、砂里は不思議そうな顔をしながらも、私も、と言って幸せそうに微笑んだ。
かつて俺の居場所などどこにもなかった世界。
そして俺を一番に否定した存在だったはずの生まれた家の中で、父が母が妹たちが、俺たちを中心に笑っている。
まるで、普通の家族のように。
彼女は、俺がどれほどの想いでこの台詞を口にしているのか、きっと分かってはいないのだろう。
--------
◇砂里side
高校三年生になって、学校の推薦で調理科のある短大に入学出来ることが決まった。
そしてちょうどその頃、メアリー様の結婚式の招待状を貰った。
何を着て行ったらいいのかも、向こうの世界の結婚式の作法も、何も分からず困っていたら、ギアン家のお父様とお母様が衣装を用意してくれて必要な知識を全て教えてくれた。
恐縮していると、自分たちはそれ以上のものを貰っているのだと、自分の親のように頼って欲しいと言ってくれた。とても嬉しかったけれど、そこまで言ってもらえることが私は不思議で仕方がなかった。
そうして晴れた日曜日。
メアリー様とロデリック様の結婚式は、王国で一番大きな教会で厳かに行われた。
美しいメアリー様は、この世界で一番の幸せそうな花嫁に見えた。
この世界の結婚式は私の世界のものと少し違うみたい。
花嫁はその日、聖花に包まれる。
多くの白い花が、衣装にも髪にも飾られている。
花嫁は、とても美しく咲き誇る花のようだった。
式が終わった後に少しだけ挨拶が出来た。
メアリー様は「サリーナ様のおかげで、ロデリック様と今まで以上に親しくなれたんですよ」と不思議なことを言っていた。
ローザ様もアラン様も、ライくんもラザレスも来ていて、私たちは少しだけ近況を話し合ったり、また以前のように軽口を言い笑い合ったりしていた。
もう、学生なのは私だけだった。
皆と別れ、ギアン家に帰る道すがら、サースが私をまっすぐに見つめながら言った。
「俺たちが結婚できるのか確認したことがある……」
突然の話題に私は驚いた。結婚の確認ってなんのこっちゃ?
サースが言うには、以前双子世界の話を聞くためにミュトラスの願いを使ったときに、この事も一緒に聞いていたのだそう。
「元は同じ神が作った、”誤差”の範囲で似た二つの世界の生き物は、番合い繁殖出来るそうだ」
繁殖……?ピンと来ないで首を傾げると、
「子供を生せるということだ」
(……!?)
「ずっと砂里の体のことを心配していたが、世界を越える行為にはミュトラスの補正が掛かり、肉体に負担もないそうだ」
何やら想像しながら、顔を赤くさせ固まっている私に、サースは真剣な表情を向けた。
「待たせてすまない砂里……」
「え?」
「俺はずっと君を待たせている」
「え……ええ!?」
サースがそんな気持ちでいたなんて知らなくて、私は本当に驚いた。
「私高校生だし、まだ短大行ける予定だし、そもそもサースは私の為に世界を駆けずり回ってるんだよ」
私はサースを見上げて、きっぱりと言った。
「待ってないよ!」
「待ってないのか……」
驚くほど意気消沈していくサースの表情を見つめながら、言い方を間違っただろうことを感じていた。
あれ、なんて言うのが正解なんだろう。慌てて考えるけれど思いつかない。
待ってるんじゃなくて……。
「待たせてるのは……私だよ」
正装をしている彼の胸に、私は頬を寄せる。
「サースに一緒に付いて行けてなくて……ごめんね」
本来なら、彼を一人にするべきではないのだろうと思う。
私が子供でなかったならば、結婚していたならば、どんなところにでも付いて行ったのだろう。
それでも私は、まだどうしようもないくらい、子供だった。
「大人になるまで待っててね」
学生時代が終わって、独り立ち出来るようになって、両親を心配させずに家を出れるようになるまで。
顔を上げてサースを見上げると、頬を染めたサースがなんとも言えない表情で私を見下ろしていた。
「サース?」
「……お前はいつまでも無自覚だな」
無自覚……?
突然変わった話題に付いていけなくて首を傾げると、サースが困ったように微笑んだ。
そうして優しく頬を撫でた後に、口づけを落としてくる。
私はまだ子供だけど……。
瞼を落としながら、ふと、思う。
それでも少しずつ、大人のキスが増えて行くのを感じている。
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◆サースside
砂里が短大に入学し、毎日忙しく過ごしている頃、俺も目を離せない案件を抱え彼女の元に中々飛べない日々が続いていた。
その頃、週に一度は砂里の元を訪れていた人物がいた……ラザレスだ。
ラザレスはあの夏以来定期的にこちらの世界にやって来ている。
世慣れた社交的な性格をしている彼は、次々と友達を作りながらこの世界に順応しているらしい。
社会的なことに関しては、俺よりもずっと詳しいと言ってもいい。
この間は、砂里の学校の友だちとの飲み会に交ぜて貰ったと言っていた。一体何をやっているんだ、砂里もラザレスも。
どうやらこの世界には「合コン」という出会い目的の飲み会が若者たちの間で行われるのだそうだ。
「ちょっとどんなものかと思って見に行ったんだよ」
「待て、砂里がそれに参加していたのか?」
「うーん、サリーナは、知らないっぽかった。気が付いてなかったのかな?しかもお前があげたペアリングをはめた指を煌めかしていたから、すでに主婦感が漂っていて、男たちもがっつかなかったな」
「がっつく……」
ラザレスは、定期的に俺の元にも飛んで来ては、砂里の近況を教えてくれた。
今俺は、時折危険と隣り合わせの場所に赴くことがあったが、そんな場所に居てもラザレスはひょっこりと現れた。
「なぁ、サース」
「なんだ」
借りたアパートの個室のソファーの上、資料を眺めている俺に、ラザレスは珍しく真面目な表情を向けた。
「夢を見ると言っていたよ」
「……夢?」
「魔王の夢を、今も見てるって」
魔王と言うと、かつて存在した、もう一人の俺のことだろう。
そうしてその夢を見るというのなら、それは、砂里しかありえないだろう。
運命が変わった時点で彼は俺の元に還って来ているのだろうと思っていたのだが……。
「戸惑うように自分を見ているって、言ってた」
「……」
砂里が言うのならば、彼はまだ俺とは別に存在しているのだろうか……?
ラザレスは少し考えるようにしてから、思い切ったように言った。
「俺も夢を見るんだ」
「ラザレスが?」
砂里の近くにいることでなにか影響があるのだろうか。
「魔王の夢か?」
「違うんだ……」
日頃緊張感のない顔をしたラザレスが、瞳に影を落とすようにして言う。
「頻繁に同じ夢を見るんだ。サリーナとよく似た顔立ちの女の子が俺を呼んでる。その子もきっと”日本”の人なんだろうと思う。サリーナより髪が長くて幼い感じの……。そんな子に心当たりはないんだよ」
魔王と、少女の夢。
世界を越え、この世界に未だ引きずる、異世界の者たちの夢か……。
「何か意味があると思うか?」
「分からないな……」
俺の言葉に、ラザレスは明るく、そっか、と笑う。
「意味なんてないのかもしれないけど、何か気になるんだよなぁ」
遠い目をするように窓の外を見下ろす彼の横顔に、あの日明るく冒険がしたいのだと語っていた彼の、ここではないどこかを探すその瞳の裏に隠された内面を、初めて垣間見たような気がした。
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◇砂里side
短大2年になって、私は二十歳の誕生日を迎えた。
その日はお父さんとお母さんがお祝いをしてくれた。
初めてお酒を飲んだのだけど、どうやらお酒に弱い体質みたい。すぐに顔が真っ赤になってしまった。
この年はとても忙しくて。学校の授業に、資格と試験に、そして将来の事。
サースに相談をしたかったのだけれど、サースの方もとても忙しく、ほとんど会うことが出来なくなっていた。毎日の連絡だけは欠かさなかったのだけれど。
そうして、この年、アラン様とローザ様の結婚式が開かれた。
私はまたギアン家のお父様とお母さまに衣装をお借りし、今度は王族の式だからと、二人も一緒に行ってくれることになった。
サースも来れたら来るといっていたのだけど、式が始まる時にその姿は見えなかった。
それは盛大な結婚式だった。
美しい王子と、美しい王子妃の、誰からも祝福される幸福を絵に描いたような式だった。
式が終わり、二人の元に招かれた私は、心からのお祝いの言葉を送った。
ローザ様は、次はお二人ですね、と言いながら、自身の衣装から一本の聖花を抜くと私に渡した。
それは花嫁の花。託された私は、次の花嫁になるのだろう。
……だけれど、もうずっとサースに会えていなかった。私は学校を卒業してもいない。
いつか結婚出来るのだろうとは思っていたのだけれど、それがいつになるのかは、まだピンと来なかった。
「もうすぐ、だな」
――え?
突然後ろから響いて来た、私の全身を震わせる甘い声に電流が走るような衝撃を感じる。
振り返ると、黒色の正装に身を包んだ美しい彼が、私の肩を抱くようにして立っていた。
「砂里……迎えに来たよ」
優しく細められた瞳は私をまっすぐに見つめ、そしてその大きな手が私を強く抱きしめる。
「……終わったよ、砂里」
彼が私の世界でやっていたことも、私たちが離れ離れに暮らしていたことも、たった一つの理由があるからだった。
だから今、彼の言う台詞の意味するものは……。
「終わったの……?」
「ああ。俺たちに出来ることはここまでだ」
「……」
「終焉に向かう流れを断ち切った。はじけ飛ぶ寸前の膨らんだ運命の輪を消滅させたんだ。あとは、俺の世界と同じだ。残された皆の知恵で、道を選び歩んでいくだけだ」
信じられない思いで彼を見上げていると、サースはそんな私の表情を見て面白そうに微笑んだ。
「俺たちの式の準備の話をするのに今日はちょうどいい機会かと思ったんだが」
そう言うサースにアラン様が呆れたように答える。
「僕の結婚式をだしに使おうとするやつはお前だけだろうな」
「もちろん、祝いに来た。……おめでとうアラン。幸せになってくれ」
サースの言葉に、アラン様は狼狽えるようにしてから、力なく笑った。
その日サースは、ギアン家のお父様やお母さまにも近々結婚式を挙げたいと伝え、二人はとても喜んでくれた。
サースとお母さまのぎこちない関係も、最近、段々と和らいで来ているのを感じていた。
月日は流れる。
もう今ではうちのお父さんもお母さんも、まるで熱狂的なファンのように、サースのことが大好きになってしまっている。
さすが私のお父さんとお母さん。好みがそっくり、良い趣味してる!サースは世界で一番魅力的だものね。
結婚のお伺いも「あらそう、いつ挙げるの?」と当たり前のように言われてしまい、私とサースは顔を見合わせた。学生の私が言い出したというのに軽すぎてびっくりした。
1月になると成人式があった。
サースは成人式の会場まで迎えに来てくれて、着物を着た私をエスコートする姿は多くの写真に残され、その日地元民のSNSに多く出回ってしまったらしい……サースはともかく私の写真はお見せ出来るものじゃないんだけどな。
3月は学校の卒業式があった。
資格や免許を取得して、私はやっと、学生の身分を終える。
レンタルで借りた袴姿の私を、迎えに来たサースが写真に撮った。
「……サースでも写真撮るんだね」
と言うと、サースは面白そうに笑って答えた。
「お前を見ていたら、ついな」
私を見ていたら……ってどういうことだろう?
そう思いながら彼を見上げると、苦笑しながら言った。
「俺の全てを、まるで愛しいもののように形に残そうとするだろう。真似をしたくなった」
「愛しいもの……」
その通りだったけれど、言葉にされるととっても恥ずかしかった。
赤くなった私の顔を、サースはさらに写真に撮った。
「だ、だめだよ……」
「なぜだ?」
意地悪そうに微笑む顔も、最近になってよく見るようになった彼の新しい表情だった。
「は、恥ずかしいから……」
「……」
サースは蕩けるような微笑みを私に向けると、言った。
「ならば、俺の心の中だけに残そう」
その台詞は一番恥ずかしくなるものなんですけれど!
そう思いながら赤面した顔を背けると、私の頬にサースが口づけを落として来る。
うぎゃぎゃぎゃぎゃ!?
「真っ赤だな砂里」
当たり前ですよ!
体をプルプルと震わせながら涙目で恥ずかしさに耐えていると、目の前には笑い出しそうなサースの顔。
サースは本当に幸せそうに笑うようになったと思う。
今はもう、過去は彼の心を苦しめてはいないのだろうか。
「お義父さんとお義母さんが待っている……帰ろう」
「うん……」
先日、サースの誕生日に、私たちは籍だけ先に入れた。
まだ式はこれからだし、一緒に暮らすのもその後だ。
サースと知り合ってから、もうすぐで五年経つ。
まだまだ子供だった私が、同じく子供だった彼からのプロポーズを受けたのはもうそんな昔のこと。
彼と共に知らなかったことを知って行く日々。
気が付くと私たちは、子供ではなくなっていた。
もう少ししたら、私は本当の、サースのお嫁さんになる――。
--------
◆サースside
結婚式は、砂里が学校を卒業した翌月行うことになった。
俺の国の教会と、そして砂里の国の神社で。
その二つを終えてから、俺たちは新居に越すことにした。
新居は俺が建てた。
砂里は、まさかポンと土地を買うと言い出すとは思わなかったらしく、えらく反対された。
だが、主に家で出来る仕事を糧にするつもりだった俺には、自分仕様に作られる家は必須で、説得の為に見せた俺の資産残高に、砂里は「ちょっとピンと来ないから見なかったことにする」と言ってそっと目を逸らした。
そして、迎えに行ったあの日から幾度も話し合いを重ね、砂里は新卒での就職を諦めた。
俺は決して彼女の道を遮ることなどしないが、本人が「私の一番の仕事はサースのご飯を作る事なの」と言ってやまなかった。
本当に……長い時間を掛けてお互いの気持ちを確かめ合うように話し合い、折り合いをつけた。
砂里は自分には分不相応だと悩みぬいたが……結局は受け入れてくれた。
敷地内に、彼女の望む飲食店舗と、住居を建てようと。
いずれ、俺達にも子供が出来るだろう。広く住みやすく、多少の魔法を使っても周囲に悟られない暮らしの出来る場所に、彼女の夢見た店舗と、住居と、少し離れた場所に俺の仕事部屋を。
買った土地は、かつて彼女が幼い頃に住んでいた場所にほど近かった。
郊外の緑の多い土地。公園が近く、人の動きのあるそこは、きっと穏やかな午後には、人が集ってくれる場所になるだろうと思えた。
ラーバンダーでの式の日。
その日教会の控室に居る俺に、ラザレスが話しかけて来た。
「まだ、見てるって言ってたよ……夢」
ラザレスは学生時代よりいっそう肉体は鍛えられ、精悍な顔立ちになっていた。
柔和で人当たりの良い性格のため非常にモテるが、飄々と女の子たちの誘いをかわして行く。
そんなラザレスが真面目な顔つきで言うそれは、砂里が見ているはずの、魔王の夢のことだった。
「そうか……」
”彼は”未だ彷徨い続けている。
孤独なまま人としての生を終えた彼は、満たされた今の俺に同化することは、きっと難しいのだろう。
それならばそれで、上手く付き合って行けばいい。
同化することが出来なかった”彼”がもたらす全てを、俺が受け止めれば良い。
「昼寝してて……泣いていたことが、あったよ」
「……」
だがそれも、砂里の心が痛められているならば話は別なんだろう。
俺はもう一度、彼に向き合わなくてはならないのかもしれない。
白色の聖花に包まれた砂里は、とても美しかった。
彼女自身が、生命力に溢れた咲き誇る花のようだった。
輝くような彼女のその光に、触れても壊さないかと、俺は、今でも彼女を前に少し躊躇う。
けれどそんな時、彼女は決まって、とても幸福そうな笑顔を俺に向ける。
誰に向けるよりも一番に、輝く笑顔を、俺自身に。
――すると訳も無く、俺の中に許される何かを感じる。
未だ未成熟さを抱え持つ、弱く平凡な俺のような男でも、幸福を感じていいのだと。
ラーバンダー王国の、歴史ある教会には、俺たちのかつての学友、俺の家族、そして親しくなった聖女団体長、俺が世話になった魔法院のフリードや、ライが祝いに来てくれた。
皆からの祝辞を、心から受け取る。
花が開くように自然に笑顔が浮かぶこの時間を噛みしめながら……俺は思っていた。
――『ああ、きっと、ここに”彼”は近寄ることも出来ないのだろう』と。
そして砂里の国での結婚式の日もまもなくやって来た。
日本の神が祀られているその宗教の儀式や作法を、俺は式が決まってから初めて学ぶことになった。
晴れた日曜日の、昼下がり。
明るい日差しの下のその社屋の控室に……ちゃっかりとラザレスもやってきていた。
まぁ、砂里が招待していたんだが。
”好青年”の彼は砂里の両親にも気に入られ、ふと見ると楽しそうに世間話をしている。
――彼のようになりたいと。
今なら気が付ける。恐らく俺はずっとそう思っていたのだろうと思う。
明るく社交的で、誰も不快にさせずに、笑顔の輪の中で生きられている彼の自然な生き方に、俺は憧れていたのだろう。その思いは俺を屈折させ、余計にラザレスに反発心を抱いたのだ。
そんなことが静かに考えられるほど……今の俺の心はただ満たされている。
砂里とラザレスがどんなに気が合おうとも、親しく見えようとも、砂里を心から満たすことが出来るのは俺だけだと……今は疑う余地もなく思えている。
お互いの気持ちだけではない、過ごした年月、話し合った会話、彼女と築き上げた全てが、俺にそれを確信させる。
俺はもう、別の誰かに成り代わる必要など、どこにもないのだと。
神前式の結婚の儀式は厳かに行われた。
今日の砂里も透けて消えそうなほど美しく見えた。
この世界の人は本来魔力を感じ取ることは出来ないし、見ることも出来ない。
だが、俺のように魔力を感じ取る力が強い人間がいるならば、きっと砂里から湧き上がるような清らかな光の欠片の断片を感じとれる者もいるのではないかと、思う。
厳格な作法を、所作を、一つ一つこなし、式が進んで行く。
そうして二つの式を終えた時。俺たちは、それぞれの父母に祝福される中、本当の夫婦と認められることとなった。
式の夜、俺たちはその足で二人、建てられたばかりの新居に帰ってきた。
荷物運びも済んでおり、後は暮らすだけとなっていた。
披露宴は、砂里の飲食店の準備が整ってから、開店前に店舗で行うことにしようと言っていた。
これから少しの準備期間が持てる。慌てることはない。
なのに新居に帰って来てから、砂里はずっとそわそわとして落ち着かない。
「砂里……疲れたのか?」
「う……ううん?」
「疲れたのなら、このまま休んでもいいが」
「え……え?」
砂里は、俺の抱き締めようとした腕をするりと交わし、壁に張り付くようにして言った。
「お、お風呂入ってくるね」
「ああ……」
彼女の消えていく足音と気配に、彼女への愛おしさを感じながら、物音が消えると俺は目を瞑った。
魔法を使わなくなって久しいが。
全神経を集中させながら、最大の魔力を言葉に込めた。
『還ってこい、魔王』
”彼”は、砂里の周りをうろついているだろうが、俺には姿を見せたことなど一度もなかった。
『俺を妬んでも、否定しても、無駄だ。俺たちは、最初から、ただ一人だ』
俺のような本物の絶望を知らない男からの言葉を、果たして”彼”は聞き入れるのだろうか。
『俺は、お前になれないし、お前も俺にはなれない』
だが……と、俺は続ける。
『俺たちは、今までもこれからも、ただ一人の人間なんだ。これまで感じられなくとも、これから先、共に幸福を感じることだって出来る』
俺は偽りのない本心を言葉に込め続ける。
『お前はお前のままでいい。俺の中に還って来い……』
――いいのか……。
そんな小さな声が聞こえた気がした。
(それはどういう意味だ?)
そう思いながら耳を澄ませてみれば、魔王の声が聞こえてくる。
――俺は、彼女を穢すだろう……。
(ああ……)
俺はやっと、彼の想いに気が付く。馬鹿な男だ。俺と何も変わらない、弱く愚かな、ただの恋を知る男だ。
(彼女は、穢れない)
――……。
(ずっと見ていたなら、知っているだろう? 彼女は……俺をとうの昔に受け入れている)
初めて出会ったときから何も変わらず、俺と過ごす時間の全てを慈しんでくれている。
(お前のことなど……俺と出会う前から受け入れているんだよ)
――ああ……確かに……彼女はそう言っていた……。
その言葉を切っ掛けとするように、目の前に、もう一人の俺の姿が浮かび上がって来た。
長い黒髪をたなびかせた闇の化身のような彼に俺は言う。
『還れ』
――ああ……。
ゆっくりと歩いて来た彼は、溶けるように俺に重なると、闇が霧散するように形を無くした。
心臓が脈打つような衝動とともに、俺がもう一人重なるような不思議な感覚を初めて味わった。
いや、俺の肉体の上に、さらに闇の魔力が重なっている……?
俺自身の魔力が二重に折り重なっている、こんな状態の魔力は、いまだかつて見たことが無かった。
「サース!?」
声に驚き振り返ると、砂里が目を見開いて俺を見つめていた。
俺に駆け寄ると、砂里は俺の両腕を掴み、強く胸をさすり、そうして体を密着させ匂いを嗅いだ。
「……え?なぁに?」
砂里の驚きを隠せないような声が響く。
いや俺がそれを問いたい。
「なんでサース重なってるの?」
「見えるのか?」
砂里は俺を見上げて言う。
「純粋な闇の魔力……サース様だよ」
砂里は魔力には敏感ではないはずなのだが、俺に関してだけは、語り継がれる偉大な魔術師たち以上の能力を発揮することがある。
「還って来たんだ」
「そう……」
砂里は微笑んでから、俺の胸に強くしがみついて来た。
「良かったね……!」
「ああ」
彼女は気が付いていないが、本来人を不快にさせ恐れさせるはずの闇の魔力の波動を、彼女は最初からまるで愛おしいもののように感じ取る。
俺を感じられて嬉しいと。心地よいと。
それは彼女の内から溢れる光の魔力が中和させそう思わせているのかもしれないが。
魔王を引き受けた俺の身体に、躊躇なく抱き付いて幸せそうに微笑むことが出来るのは間違いなく彼女一人で、それがどれほど奇跡的なことなのか、彼女はきっと知ることもないのだろう。
そうしてその夜が明けると。
まるで彼女の中に残る願いの力の全てを使い切ったかのように。
魔王の存在が俺の中から消え、彼女からは聖女の力が消えた。
--------
◇砂里side
新婚旅行は異世界ツアーでした。
もう一度言います。新婚旅行は、異世界ツアーでした!
お店の開店の準備のめどがたって来た頃、サースと共に、新婚旅行に出かけた。
私はよく考えたら、向こうの世界のこともいまだにあまり良く知らなかった。
学校と、ギアン家のまわりと、王宮と、良く行く街中くらいしか行ったことがない。
サースは向こうの世界のことを色々と教えてくれた。
とは言えサースだって行ったことがあるわけではなく、書物で読んだことがあるだけだったんだって。
魔法が社会を動かしている世界なのは知っていたけれど、至る所で見る魔法社会の片鱗はすごかった。
森では魔獣に遭遇し(居たんだ!)
旅先では冒険者と世間話をし(居たんだ!)
伝説の泉には精霊の姿が見えた(居たんだ!)
あと遊園地が凄かった。
魔法で作られた、魔法の国の本気の魔法の国は、半端なかった。
虹色の雲がふよふよと浮かぶ世界に白いもふもふキャラクターが飛び回っていて、魔法で動く娯楽遊具が楽しめるようになっていた。
でもそんなところでも、サースは少し居心地が悪そうにしながらも、優しく寄り添っていてくれたのが一番嬉しかった。
異世界ツアーから帰って来た後は、今度は私の国の方で旅行に行こうね、とサースと約束をした。
サースには一度温泉に入ってもらいたいなぁってずっと思ってる。浴衣姿が見たいからなんて理由だけじゃないよ。もちろん見たいけど。
--------
◆サースside
ネットを使った資産運用の他に、俺はこの世界で助力を得てきた人たちへ恩返しの為に、知識と頭脳を貸し出すことが多かった。
ほぼ一日中、パソコンの前から動かない俺を砂里はとても心配していた。
「サースは集中すると周りが見えなくなる」
そんなことを言われたのは初めてで、誰よりも俺を知る彼女がただ愛おしく思えたが、彼女は思いの外本気で言っているようだった。
それから俺は、彼女の店に、俺の方から日に何度か訪れることにした。
彼女の店がオープンしたのは三か月前。こじんまりとしたカフェだ。
ユズルの兄の店に少し雰囲気が似ているのは、きっと俺も砂里もあの店が居心地のいい場所だと思えていたからなのだろう。
オープンまでの日々は毎日手伝っていたが、今は開店準備と仕入れを手伝うのみで、砂里が一人で店を回している。
彼女の他に、高校生と大学生の女の子のアルバイト3人が入れ替わりでやってくる。
かつての砂里を思わせる少女たちと、上手くやっているようだ。
手作りのパンと、サンドイッチと、コーヒーと紅茶の店。
なぜかこのメニューの中に「おにぎり」が混ざり込んでいるのが不思議だったが、砂里は思い入れがあるから、と笑って言っていた。
裏の扉から店に入ると、常連客とアルバイトの子たちで話をしているのが聞こえて来た。
「……そっか~」
「自分が好きなのは乙女ゲーの話ですかね。好きな作家さんのは終わってしまったんですが」
「この子、推しを追い掛ける話が好きなんですよ」
「推し……分かります!」
「そりゃー旦那さま、あの方ですし」
「若くして出会ってしまったら生涯をかけた推しになりそうです!」
「え?なんでわかるの??」
「そりゃー……」
「ねぇ?」
一体なんの話をしているのだろうか。
「自分は最近エルフものにもはまっていて」
「分かる!本格ファンタジーも読みたくなる」
「エルフさんは美形なの?」
「そうですね、自分の推しは超絶美形、鍛えられた筋肉の美しいギルセリオン様と言う方です」
「え?リンク送ってくれる?」
「もちろんです」
だからなんの話をしているのだろうか。
調理場側から店に顔を出すと、一瞬で砂里と若い女の子たちがキラキラと輝くような視線を俺に投げかけて来た。
「サース!珈琲飲みに来たの?」
「ああ。構わないだろうか?」
「もちろん」
店のカウンター席に腰を下ろすと、少女たちの視線が痛いほどに感じた。
振り返り微笑むと、小さな歓声が起こる。
「なんの話を?」
俺の台詞に一生懸命答えてくれる。
「えっと、好きなネット小説の話題です。私たち良く読んでるから」
「乙女ゲームの中に入り込んで、自分や攻略対象の死亡フラグを折りまくったりするんですよ」
なんだか、どこかで聞いたことがあるような話だと思う。
そんな偶然があるものなのか。これもまたミュトラスの悪戯なのか。それとも。
いつだって新たな誰かの願いが、まだ見ぬ未来へと、今を導いているのかもしれない。
今の俺達にはもうそれを確認出来るほどの力は無かったけれど。
「サースお待たせ」
砂里の淹れた香ばしいコーヒーの匂いが漂う。
彼女はニコニコと嬉しそうに俺を見つめている。
「今日ねラザレスが来たよ」
「またか……」
卒業してから3年が過ぎたが、これほど気さくにやって来るようになるとは思わなかった。
そうしてそんな彼に、度々本音や軽口を言えるようになっている自分自身にも驚いていた。
「やっぱりおにぎりは梅だって言ってた」
そう言うと砂里は、くふふふと面白そうに笑う。
「あれはうまい……」
「うん」
砂里は微笑みながら頷く。
「また、作るね」
「ああ」
日々が、穏やかに過ぎて行く。
俺たちは互いの足りない部分を補い合いながら側に暮らす。
生活を支え合い、そうして、お互いを守るように手を貸しあう。
過不足ない生活は、まるで初めて訪れた楽園のように、今はまだ俺の心を戸惑わせる。
いつかまた運命が変わる日が来るとするならば。
薄氷の上の幻想は壊され、生き物として弱く儚い俺たちは、いつ命を落としたとしても不思議ではないんだろう。
出来ることと言えばただ、今日の日を慈しみ、後悔なく優しさを伝え合うことくらいなのだ。
俺にとってそれは容易いことではないと、誰よりも俺の中に消えた”彼”が知っている。
そうしてまた新たな”彼”はいつだって現れることがありえるのだ。幸福を破滅させる使者として。
「手伝えることがあったら言ってくれ」
俺の台詞に砂里が笑う。
「ありがとう。何かあったら言うね。サースも言ってね」
「ああ」
(だが俺は叶うならば、幸福を紡ぎ続けられる者でありたいと願う)
次回、番外編最終話
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