婚約者が私にだけ冷たい理由を、実は私は知っている

潮海璃月

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婚約者が私にだけ冷たい理由を、実は私は知っている

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 私の婚約者であるユリアン様は、一見クールですが、私にはその一見のとおり非常に素っ気なく冷たいです。

「ユリアン様、本日は王家公認のマーケットの日です。よろしければ、授業終わりにご一緒しませんか?」
「すまないが、夕方は予定がある」

 答えながら、ユリアン様は僅かながら申し訳なさそうに肩を竦めます。
 分かっていた答えでした。ですから私も追いすがるなんて無様な真似はいたしません。

「そうですか。残念です」

 残念だとも思っておりません。しかし、ただ相槌を打っただけでは無愛想なので、残念でなくとも残念だと付け加えるのが礼儀です。応えるために多大な労力が見込まれるとしても、困ったことがあったら言ってくださいねと末尾に付け加える、それが淑女の礼儀です。

 紅茶のカップを口に運び、目を伏せながら、そっとユリアン様を盗み見します。こんなことをしても、ユリアン様が私に盗み見されていることに気付くことはございません。なぜならユリアン様が私を見ることはないからです。

 ユリアン様は、私が7歳の頃にそうと決められた婚約者です。婚約者が決まったと聞いたときは私も興味がありませんでしたが、相手が公爵令息ユリアン様だと知って子どもながらに仰天してしまいました。確かに、公爵は父と竹馬の友だと聞いていましたが、だからといって大事な息子に歴史以外取柄のない伯爵家の娘を娶らせるとは思っていなかったのです。

 そんな立場の差がありましたので、初めてユリアン様と顔を合わせた際、私は緊張で震えてしまっておりました。立場だけではありません、その顔つきも雰囲気も、挨拶をする声の響きまでも、すべてが公爵令息にふさわしい品と格を備えておりましたから、小娘の私は感動とおりこして畏縮しました。私がこんな素晴らしい方の婚約者でいいのかと。

 しかし、ユリアン様は、公爵令息にふさわしい素晴らしい内面の持ち主でした。恐縮する私に「これからよろしく頼む」と僅かに微笑み、私が畏まるひとつひとつのことを「褒めてくれてありがとう」と優しく受け取ってくださいました。

 そんな日々を経て、私は愚かな自分の考えを改めました――“私がこんな素晴らしい方の婚約者でいいのか”ではない、“私はこんな素晴らしい方の婚約者となったのだから、それにふさわしい女とならねばならない”と。
 将来はユリアン様の妻として、私はユリアン様を支え、公爵家を内側から守り、ときにその隣に並び領地を治めねばなりません。そのときに“私がユリアン様なんかの妻でいいのか”など戯言をぼやく暇はありません。そのときのために、いまの私が、将来の私を支えなければ。

 そうして猛勉強する私を、ユリアン様は支えてくれました。ご自身が読んで面白かった本を貸してくれ、一日の会話を外国語のみとして語学の勉強に付き合い、また贈り物で疲れを癒してくれることもありました。
 さすがユリアン様、未熟な婚約者への気遣いも忘れないなんて。私ももっと頑張らねば。私は日々、決意を新たにしていました。

 そんな日々も、もうすっかり過ぎ去りました。
 あの日々と異なり、いまは私に視線を向けないユリアン様を、もう一度見つめます。

 丸テーブルの向こう側のユリアン様は、仏頂面で腕を組み、視線をよそへ流しています。風が吹き、その白銀の髪が流れ、横顔を撫でます。その冷たい目は、風を鬱陶しく感じるかのように、ブルーの瞳を細くしました。

「……シャルロッテ、他に用事がないなら俺はもう行くが」
「あら、残念です」

 残念ではありません。でも残念だと付け加えるのが淑女の礼儀です。

「ではまた明日に、ごきげんよう、ユリアン様」
「ああ」

 ユリアン様が席を立ちます。私は座ったまま、その姿を見守りました。やがて侍女がテーブルを片付けにやってくるまで、鮮やかなブルーの上着を翻す背中を見送っていました。

 ユリアン様が、こうして私とお茶を飲むのは、私に呼ばれたお昼休みのみです。ですから、私が声をかけねば、私とユリアン様が、授業の合間にお茶を飲むことはありません。
 婚約者に声をかけられないのは、私だけです。

 貴族学院に入学する子女は、その地位が高ければ高いほど、入学までに婚約者が決まっているのが通例です。それは、高位貴族同士の婚姻による結びつきがそれほどまでに強固だからです。名門はより名門の血を求め、結託するのです。それが婚姻というものです。もちろん例外はありますが、あくまで例外です。
 そして、強固な結びつきを求める彼らは、婚約者同士で昼食をとるのが通例です。もちろん、友人同士の歓談も推奨されております。それでも、婚約者同士、一日に少しの時間でも共にいようとするものです。婚約とは、多くの場合両家にメリットがあり、一方にしか利益のない不釣り合いな婚約というものはあまり存在しないからです。

 しかし、ユリアン様が消極的であるのはなぜか? その理由を、私は知っています。

 そもそも、入学後しばらく、あるご友人ができて以来、ユリアン様は分かりやすく私への態度を硬化させました。勉強は一人でするものだと突き放し、必要以上の贈り物は控えるとしたほか、家でのお茶会はすべて拒絶なさるようになりました。辛うじて、こうして朝の授業と昼の授業の間はお茶会に応じてくれるようになりましたが、私が誘った場合のみです。そして、お茶の間も、私が話しかければ返事はしますが、目は合わず、どこかつっけんどんです。

 他の方には斯様な態度に出ることはございません。平等を志す我が学院にふさわしく、ユリアン様は相手の爵位に関わらず分け隔てなく、親切になさっています。ご令嬢の黄色い歓声を浴びているのも何度見たことか。お茶に誘われて無下に断るなど、そんな真似はなさいません。
 しかし、私に対しては違います。他の方からの誘いがなくとも、ユリアン様は私のお茶会を2回に一度は断ります。その塩対応は他の事柄についてもぶれません。

 極めつけは、放課後のお誘いです。

『すまないが、今日は予定がある』

 ユリアン様は、必ずそう断ります。今日だけのことではありません。
 しかし私は知っています。ユリアン様には、今日も、何の予定もないことを。

 テーブルを侍女に片付けてもらった後、私はそっと、ユリアン様が歩いていったほうへ向かいました。ユリアン様の姿を探しながら、しかし気取られぬよう、そっと建物の陰からあちらこちらへ視線を走らせました。

 そして――見つけました。ご友人のアドリア様と話しています。

 その声がなかなか聞こえず、私は素早く建物の間を移動しました。まるで暗殺者です。本で読みました、どうやら暗殺者は、影と一体化して、標的に悟られず、その目的を遂げるものだそうです。
 私も同じです。ユリアン様に悟られず、アドリア様との会話を盗聴すべく、影の中に身を潜めます。

「……から……で……」
「……と……のか?」

 ユリアン様とアドリア様の声はとぎれとぎれにしか聞こえません。それでは困ります。私はさらに近付きました。私からは、ユリアン様が肩を竦める様子が見えました。

「そういうわけで、今回もシャルロッテの誘いは断った。ゲームなら付き合おう」
「付き合おうって、お前、いいのか? 誘った俺が言うのもなんだが、お前がシャルロッテ様と一緒にいる様子をさっぱり見かけないぞ」

 やはり、ユリアン様にご予定はありませんでした。アドリア様の素朴な疑問に対し、ユリアン様は軽く顎を引いて答えます。

「ああ。そのくらいでないと、シャルロッテにモテないからな」

 ぶふっ。
 私は吹き出してしまい、慌てて一度建物の陰に隠れました。ぶくくくと笑いそうになる口を必死に押さえます。

「モテないって……お前、婚約者の身分でなにを言っているんだ」
「お前こそ何を言っている? 知らないのか、巷では婚約破棄なら喜んでと諸手を上げて受け入れるほど男に愛情を持たない令嬢もいると? 婚約中にすべきことは一に愛すること二にとりこにすることだ。婚約さえすれば愛されるなど、そんな甘い考えは捨ておけ」
「言いたいことは色々あるが、なぜそれがシャルロッテ様の誘いを断ることになるんだ」
「お前が言ったんじゃないか、がっつく男はモテないと!」

 ユリアン様は、アドリア様というご友人を手に入れ、目に見えて私に素っ気なくなりました。最初はアドリア様に悪い遊びでも教えられたのかと疑いましたが、その疑いはすぐに晴れました。このように、ユリアン様はアドリア様に“首尾”を報告していたからです。

 いつからのことか、詳しく存じ上げませんが、どうやらユリアン様は、私はユリアン様に興味がないのではないのかと気が気でなくなってしまったそうです。

 心当たりはございます、私はユリアン様を支える女として、いかなるときも感情を表に出さず、穏やかに微笑むことを常とするよう、訓練して参りました。幼い頃はユリアン様とお会いするたびに赤面してしまっていましたが、今ではユリアン様の一挙手一投足に珍行動まで、ご本人の目の前では微笑で済ませることができるようになっております。それが淑女の品格です。

 ちなみに、ユリアン様の妹君と婚約者は、外野が恥ずかしくなるほど仲睦まじく、お互いの甘いセリフにお互いに恥じらっていらっしゃいます。ゆえに、ユリアン様にとって最も卑近な婚約者の例は“睦言を囁かれ頬を染める”でした。いま思えば猿真似だったのですが、以前のユリアン様は「今宵は月が綺麗だが、シャルロッテには敵わぬ」とおっしゃいました。当時の私は深く考えず「恐れ入ります」と微笑んで返しました。ユリアン様はビネガーをラッパ飲みしたような顔をなさっていました。本当に申し訳なく思っております。

 そんな折、ユリアン様の耳に「どこぞの伯爵令息が子爵令嬢に『興味を失くして久しいので』とフラれたそうだぞ!」と知らせが入りました。

 最悪のタイミングだったようです。ユリアン様は「睦言を囁かれても頬を染めないどころか、日に日にシャルロッテの微笑が穏やかになってくるのは、俺への興味が失せたからなのでは?」と盛大な勘違いをなさいました。

 そこで相談なさったお相手も最悪でした。妹君の婚約者です。悪い方ではないのですが、言い回しが妙に芸術的で分かりにくく、結局ユリアン様は「相手に気持ちを確認するなど失礼極まりなく言語道断」という、最小限にして最悪の対策しか得られませんでした。結果、ユリアン様は私に「ちゃんと好きだよね?」と確認することを封じられて終わりました。

 そもそも、公爵令息が婚約者との関係に懸念を抱いているなど知られては、公爵家の沽券に関わります。どこからハイエナが狙ってくるかも分かりません。ユリアン様は将来の義弟以外に相談することもできず頭を抱えていらっしゃいました。これを一人相撲というようです。

 そんな最中に出会ったのが、ご友人のアドリア様でした。色を好むアドリア様を見て「色を好めるほど女性に人気があるとは、その手法はいかに」と妙な着眼点でアドバイスを求めたのです。例によって公爵令息の秘密を漏らすわけにはいかず、ユリアン様は理由を隠してお尋ねになり、アドリア様はユリアン様が遊び相手を探していると勘違いなさったようでした。しかし、アドリア様も見て理解したのでしょう、経緯が詳らかにされるまでそう時間はかからなかったようです。そうして、アドリア様のアドバイスのもと、ユリアン様は私にモテるべく、手練手管を尽くすようになりました。

 そんな裏事情すべてを、私はこうして盗み聞きして知ってしまいました。知ったときはさすがの私も淑女の品格が頭からすっぽ抜け、噴火する火山のように顔を赤くしておりました。

 もちろん、次の瞬間にはさすがに申し訳なくなりました。私がよかれと思ってした振る舞いが、すべて裏目に出てしまったとは。すぐさま誤解をとくべく、お茶の席を設けました。

『私はユリアン様をお慕いしておりますよ』

 それが淑女たる私の決意です。それをはっきりとお伝えしたのですが、どうやらユリアン様は想像以上に思いつめていらしたようです。後日アドリア様に「俺の不安を察され、フォローを入れられてしまった。相変わらずの愛想笑いだった。公爵家との良縁を切ってはならぬと責任を感じてのことに違いない。このままでは巷で噂の『お前を愛することはない』宣言が待っている」と泣き言を零しておりました。淑女の鉄仮面は一朝一夕には剥がれません。

 そこまできては、私も打つ手立てがございません。仕方がなく、ユリアン様のご満足のいく形で、反応を示すことにしました。いまは“がっついてない男がモテる”アドバイス実践時期と理解し、ユリアン様のがっつかない態度に「残念です」と答えております。

 アドリア様は、そんなユリアン様の真剣なお顔を見て、まるで興味のなさそうな顔をなさいます。

「そんなこと言ったっけ?」
「言っただろう! まったく、いつも言っているだろう、お前は自分の言葉に責任を持てと!」

 ふう……。笑い過ぎて乱れた息を整え、もう一度顔を出しました。ユリアン様は、私に見られているとは気が付かず、アドリア様に熱弁をふるいます。

「お前は婚約者がいない身なのをいいことにふらふらとし、声をかけられるがままに数多の令嬢と懇意にしている。その様子を見た俺が、お前は何の贈り物をするでもないのに、なぜそうモテるのだと訊ねた際、『根本的に気を引きたがるようながっつく男はモテない』と、はっきりそう言った!」
「ああ、はいはい、初めて会ったときね。その顔で聞いてくる時点で嫌味だし、真面目に聞いてんだとしたら馬鹿だなって思ったわ」
「嫌味でもなければ馬鹿でもない」
「いや馬鹿だよお前は」
「しかしアドリア、実際、お前の言っていることは正しいじゃないか」

 大真面目な顔で、ユリアン様は腕を組み、顎に手を当てます。

「お前は相変わらず、令嬢達に何の気遣いをみせるわけでもなく、むしろ無視する勢いで振る舞っているが、常に黄色い声の的だ。対して、お前がたびたびちょっかいをかけるシャルロッテは、お前に見向きもしない。いいかアドリア、分かっているからな、お前がシャルロッテにちょっかいをかけていることを、俺は知っているが、シャルロッテがお前に微塵の興味も示さないから黙ってやっているのだということをよく心得ろよ!」
「はい、はいはいはい」

 ユリアン様のご友人のアドリア様は、ユリアン様と異なり、クールな外面に甘いマスクを織り交ぜてくる方です。言葉を選ばずにいえば腹黒い方で、軽薄な口上の裏で何を考えているのか常に考えねばなりません。例えば、アドリア様はたまに、私に花を贈ってみたり、お茶に誘ってみたりしますが、それは私に気があるからではありません。このようにユリアン様の反応が面白いからです。
 もちろん、私とてユリアン様の反応を楽しみたい気持ちはありますが、そのような意地悪は決してしてはなりません。ですからアドリア様の誘いはすべてお断り申し上げています。淑女のたしなみです。

「片や、シャルロッテの俺に対する反応はどうか」

 ユリアン様は少し頬を緩め、しかしそれを誤魔化すように咳払いします。

「予定があると答えると、残念だと必ず付け加える。いじらしい」
「『必ず』って自分で言ってんじゃん。シャルロッテ様にとっての定型句なんだよ。こんにちはと温度変わんねえよ」
「おそらく、俺の迫真の演技の甲斐あり、シャルロッテは徐々に俺への思いを募らせているに違いない」
「聞いてる? 募ってるのお前の妄想だけだよ?」
「確かに裏付けは必要だ。その点はシャルロッテの顔を見れば一目瞭然なのだが、見つめてもいけないとなると、視線を逸らさねばならないからな。そうそう、以前我慢できずに薄目で見ると、シャルロッテが目を伏せていて、まるで湖のように深い青色の髪が頬にかかり、透き通るように美しく……目を離せなくなってしまって、危うく目蓋がけいれんしてしまうところだった」

 けいれんしてました。そう教えて差し上げたかったです。当時、必死に目を伏せて紅茶を飲むふりをしながら、ぴくぴくと動くユリアン様の目蓋に笑い出してしまいそうで、私の腹筋もぴくぴく痙攣しておりました。

「つか、お前とシャルロッテ様ならシャルロッテ様のほうが立場が下だろ? 婚約破棄を仄めかされようがなにされようが、ノーと言えば済む話だ」
「馬鹿かお前は! シャルロッテに婚約破棄などと言われた日には何を楽しみに生きればいい!」
「そういう話はしてないんだよなあ」
「大体、爵位などに囚われるようではお前も料簡が狭いというものだ。シャルロッテがいかに優れているか、お前は分かっているだろう。しかもそのシャルロッテとて、最初からすべてに通じていたわけではない。公爵令息の俺が息を呑むほどの学びへの貪欲さ、それがいまのシャルロッテを作っている」
「いやあ、シャルロッテ様は、まあ優秀だよ? でも公爵令息のお前が下に出るほどじゃないじゃん」
「だから何度も言わせるな、ただでさえシャルロッテは可憐で美しいんだと!」
「本当に何度も言わないでくれよ、こっちは毎日聞かされてるんだぞ」

 私は腹筋を震わせながら、もう一度壁の陰に隠れ、笑いをこらえるあまり蹲ってしまいました。そうです、いつものことです。ユリアン様は、毎日毎日、アドリア様が辟易するほど、同じことを繰り返していらっしゃいます。
 いかに私が可愛いか。いかに美しいか。自分がいかに私に夢中であるか。最初は聞いているこちらが恥ずかしくなってしまうほどでした。

 そんなユリアン様のご様子をどうしても見たくて、私は、もう一度、そっと顔を覗かせました。
 ユリアン様は、なにか恐ろしいことが起こってしまったかのように愕然とした表情に変わっておりました。

「可憐で美しいシャルロッテは、今や侯爵令息のお前も一目置く存在。それほどの才媛は引く手数多だ、男は黙っていまい。そしてシャルロッテは爵位で相手を判断するような相手ではない。となれば、顔が良く、やたらと女性に人気のある男が、その手練手管を尽くしてシャルロッテを口説こうとするのも必至……!」
「もしかして俺のことかな」
「お前がシャルロッテに懸想した日にはその場で決闘を申し込む。どちらがシャルロッテにふさわしいか、その身に分からせてやろう」
「俺の体刻む気満々じゃん、愛が重すぎて引くわ。そういうのがモテないんだよ」
「はっ……!」

 一瞬冷ややかな顔になったユリアン様は、再び落雷を受けたような衝撃の顔に変わりました。
 ややあって、ユリアン様は顎に手を当てました。あの優雅な立ち姿を見て、誰が“婚約者にモテるための作戦会議”だと思うでしょう。

「そうだな、シャルロッテのこととなると、俺は事あるごとに取り乱してしまう。これではシャルロッテの気を引けたところでたちまち冷められてしまう。卒業までまだ1年もあるというのに……」
「つか、その調子で結婚したらどうすんの」
「どうするもなにもないだろう。結婚さえしてしまえばこちらのものだ、シャルロッテは、公爵家との離婚などという国を巻き込む一大事に出る馬鹿ではない」

 まるで手籠めにしてやろうと企む邪悪な男のような口ぶりで、ユリアン様は言ってのけます。

「そもそも、俺の計画では婚姻中にシャルロッテを夢中にさせる手筈となっている」
「手筈」
「俺に夢中にさせさえすれば、毎日眺めても毎日食事を共にしても……あまつさえ、毎日愛してると言っても問題はあるまい。シャルロッテを愛で放題だ」
「愛で放題」
「来たるべきそのときのために、いまは“引く”時期だ。ただ……最近悩みがある」

 まるで駆け引きです。いえ、ユリアン様は恋の駆け引きをしているのでした。

「深刻な悩みか?」
「ああ。……両親が、恋人としての時間はそれはそれで楽しくかけがえのないものだったという。だから俺もシャルロッテと恋人のように楽しんでみたいんだが、そんながっついたことをすると、シャルロッテは俺のことを気持ち悪がるんじゃないかと……」

 大丈夫ですよ、ユリアン様。私は遠くのユリアン様に向けて頷きました。私は、いまというユリアン様との恋人の時間を存分に楽しんでおります。いま現在進行形で。

「……まあ、やたら二人でいたがる男って気味悪がられるよね」
「やはりか!」
「イケメンならいいらしいけどな」
「……俺はイケメンなんだろうか」
「そこの池で見てきな。ついでにそのまま顔突っ込んできな」
「昔、シャルロッテと歌劇を見に行ったことがあるんだが、そのときにシャルロッテが好んだ舞台俳優は俺と全く顔の系統が違っていてな……優しい顔つきの、髭面の男だった。俺は体質のせいか髭がほとんどまったく生えず、顔や口周りを髭で覆うことは到底できない……」
「あーね、色々あるよね、イケメンの定義ね」
「だが、持って生まれた顔を嘆いても仕方ないからな。シャルロッテのイケメンの定義が俺になるように、俺がシャルロッテを夢中にさせないといけない。友人らによれば、シャルロッテは俺のことを決して格好いいなどとは言わないそうだからな……」
「そうだな。頑張れよ」
「だからお前は、そうやっていつも適当な相槌ばかり打ってだな。大体聞いたぞ、先日も――」

 ユリアン様からアドリア様へのお説教が始まりましたので、私はその場を離れることにしました。疲れてしまったお腹のあたりを制服のドレスの上から撫でながら、何事もなかったかのように、中庭へ戻ります。

「シャルロッテ様、ここにいらしたの」

 そこで、マーケットへ行く約束をしていた友人と合流しました。ユリアン様がお断りになるのは見えていたので、最初から友人を誘っていたのです。

「ええ、お待たせしてごめんなさい。行きましょう」
「でも、本当にユリアン様とご一緒でなくてよかったの? 確かにユリアン様はクールで、マーケットになど興味はないのでしょうけど……」
「あら、そんなことないわ」

 ユリアン様がクールだなんて、そんなまさか。ふふ、と今日の出来事も思い出しながら、私はまた笑ってしまいます。

「ユリアン様は、とっても可愛い方よ」

 なんたって、私にモテたい一心で必死にクールなふりをしているんですから。
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感想 7

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みんなの感想(7件)

すずは
2025.08.20 すずは

面白かった~
せっかくの幸せな学生時代が…
なんか可哀想になりました
他の誰か、教えてあげて~

解除
fumi
2025.07.02 fumi

途中、声を出して笑ってしまいました。
可愛くて楽しいお話をありがとうございました。

解除
沙吉紫苑
2025.05.31 沙吉紫苑

このお話、ぜひ長編で読んでみたいです。

腹具合表現でいうならまだまだ2分目くらいな感じで「おかわり」したいです〜。

解除

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