最後の女

蒲公英

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 実は強く言い過ぎたかと、秀一は気にしてるんである。本来茜の年齢であるならば、後先なんて気にせずに思うがまま、進学や就職を決めるだろう。生活の順序を組み立てるのは、その後の話だ。順番の逆転を強いているのは自分なのに、説教がましいことを言ったと思う。
 茜が他人の生活を見る機会が増えれば増えるほど、自分の男としての価値は下がるのではないかと、秀一には僅かな怯えがある。老いに向かう一方で将来性など望みもなく、若い娘が夢見るような甘い新婚生活など与えることすらできなかった男。そんな男と共に在りたいと望んでくれた女に、それ以上何をさせようというのか。支えるのは自分の仕事だ、あいつは俺がいなくなった後にも人生が続くはずなんだから。送りが順当であるならば下りに向かっていく自分の人生に、上り階段の中途の茜をつきあわせてしまってはならない。社会生活や体力の自分の盛りは現在だという自覚はあって、もしも待っていてやれるものなら、女盛りを迎える茜と少しの間だけでも充実して落ち着いた日々を持ちたい。それはすでに、諦めた男の希望だろうか?

 帰社すると、事務所のほうから聞き覚えのある笑い声がした。
「あ、平野さん。三沢ちゃんが遊びに来てるよ」
 三沢ちゃんとは、茜のことだ。社内結婚だったから、円満退社した会社に遊びに来ることは、別に不思議じゃない。けれど何も聞いてなかった。
「三沢ちゃん、一年経っても変わんないな。あんな可愛くて若い嫁さんじゃ、平野さん、心配で後ろついて歩くようじゃないの?」
「家にいれば、ただの母ちゃんだ」
 答えながら、自分の席に着いて日報を広げる。何しに来たんだ、あのバカは。

「平野さん、おかえりなさーい。安全靴脱いで、乾かしておかないと」
 自分の机の上に置かれた湯飲みを見て、顔を上げた。座った椅子の横に立つ紺色の事務服の上に乗っている顔は、よく見慣れた顔だ。
「茜っ?」
 こらえていたらしい室内が、一気に笑い出す。わざわざ制服まで着た悪ふざけに、みんな乗っていたらしい。女の子たちまで、秀一の驚いた顔を珍しがって大笑いしている。当のふざけた本人が、一番腹を抱えて笑っている。
「秀さんのそんなにびっくりした顔、はじめて見た! 驚いた?」
 ここは会社だと顰め面をするほど、くそ真面目じゃない。けれど自分が笑いものになるとは。
「懐かしいでしょ? 安全靴脱いでね、シャツも着替えて」
 まだ結婚していなかったころ、現場から戻るたびにそうやって世話をやかれた。事務服の茜と作業着の自分は、ここにこうしていたのだ。笑われながら、妙な気持ちになる。まるで戻ったみたいだと、思わず目で追う。
「若い嫁が可愛いからって、そんなに一生懸命見てないでよ」
 同僚にからかわれて、顔を引き締める。
「見てねえよ。日報書くんだから」
 渋面を作りながら、気になって仕方ない。

 新婚なんだから早く帰れと急き立てられ、一緒に会社を出る。事務所に顔を覗かせて、またねと手を振る茜はまだ、そこに座っている女の子たちよりも若い。
「お母さんにね、いらなくなったお勤めの服、貰いに行ってたの。資料館は私服だけど、ショートパンツとかミニスカートとかってわけにも行かないし、買い揃えたらお小遣いなくなっちゃうもん。で、電車に乗ったついでだから遊びに来た」
 確かに大き目のバッグを持った茜は、そんな風に言い訳をした。それを持ってやりながら、事務服姿の茜をもう一度思い浮かべる。
 確かに、可愛かった。普段の見慣れた部屋着より、格段に可愛かった。
 駐車場でトランクにバッグを放り込み、運転席に座る。助手席の茜を、横目で見て発進させた。こいつは充分に男の目を惹くし、狩られる側だ。それに対抗するために、俺は何をしてる? メシ作らせて掃除させて、膝に座らせてるだけか?
 ちらりと横切った焦りが、言葉に繋がった。
「帰ったら、たまには呑みに出るか。メシ作るの、億劫だろ」
 甘い言葉じゃないのが、情けない。
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