最後の女

蒲公英

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 骨が抜けてでもいるかのような茜をタクシーから降ろし、アパートの鍵を開けた。
「ほれ、到着」
 居間にどさりと置いて、上着を脱がせる。
「しょーがねーな、ここで寝ちまえ」
「やだあ。秀さんと一緒に寝るのー」
「うるせえ、酔っぱらいが」
「邪険にしちゃ、やだあ。秀さん、やっぱり怒ってるんだ……迎えになんか行かなきゃ良かったって……ごめんなさあい。もうしませんー。嫌いにならないでぇぇ」
 わけのわからないことで、茜は身を捩っている。大したトラぶりで、改めて引取りに行って正解だったと思う。外では幾分気を張っていたのだろうが、帰宅した途端にこれだ。手洗いに行くのに、あっちによろけこっちにぶつかり、目も当てられない。
「シャワー浴びるー」
「止めとけ、明日にしとけ」
「一緒に入っちゃダメだよ? エロ親父なんだから」
「明日にしろってんだ、酔っぱらい!」
「酔っぱらい、嫌いなんだ……嫌いになっちゃやだあ」

 どうにかこうにか宥めて着替えさせて、布団を被せる。
「丸山のバーカ。秀さんのこと苛めたら、私が守るんだから」
 秀一は別に苛められたりしていないし、実際泣きながら電話してきたのは茜のくせに、小学生みたいなせりふがおかしい。大真面目に言っているつもりだろうが、イントネーションは怪しい。唇を寄せる仕草に応え、布団の中で腰をポンポン叩いてみる。赤ん坊を寝かしつけたことはないが、多分似ているのではないかと思う。
「秀さん、私がおばあちゃんになっても、可愛い?」
「……寝ろよ」
「ずっと可愛いと思っててくれなくちゃ、やだあ」
「はいはい、可愛い可愛い」
 絶対に他人様には聞かせたくない会話である。添い寝の形になってはいるが、茜の腕は秀一の首に巻きつき(吐息は酒臭い)、秀一の手は時々意図的に横滑りしているのだ。

 なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ

 文学に無造詣な秀一ではあるが、不思議と覚えているのは閑吟集のこの句だ。人生なんて夢のようなものだから、考え込まないで遊んじゃおうぜ、そんな意味合いだったと思う。

 ようやっと寝息になった茜の髪を撫でて、秀一も眠くなってきた。おまえがおばあちゃんになった時、多分俺は生きてないぞ。俺には一期の夢で終わっても、おまえの人生が終わらないんじゃ、一緒にただ狂えとも言えないからなあ。
 俺のためになんて不愉快な思いして、自分のプライドじゃないとこで戦ってみたりして、バカが。ああ、そんなレベルの男を選んだんだと、自分のレベルを貶められてる気がしたか。どっちにしろ、俺のせいなんだろ?悪かったな、大見得切って出せるような相手じゃなくて。
 酔いのために寝苦しそうな、茜の寝息が近い。眠りながら勝手に、秀一の懐を巣に仕立て上げている。悪かったな、申し訳ないなと思いながら、その温もりを生活の一部から抜き取るようなことは、もうできない。
 珠は秀一の掌中にある。磨かずとも光を放つそれを壊さぬよう失くさぬよう、けれども握りつぶしたりせぬように。その手法の指南は、どこにもない。大切だよと百万遍言ったところで意味はなく、風をも当てぬという取り囲み方では、大切どころか壊すも同然なのだ。

 夫婦のすりあわせ作業と子育てを、同時にやってるようなもんだ。ま、相手は言葉の通じない赤ん坊じゃなくて、これから子供産ませようっていう俺の母ちゃんだけどな。
 電灯を消した暗い部屋で、秀一はひとり小さく笑った。
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