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この恋、止まれません!①
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運命は本当にある――男性の整った顔をぼうっと見あげながら確信した。
階段から落ちたと思ったのに、恋に落ちた。
◇この恋、止まれません!◇
暑い夏がすぎ、外気が涼しく感じられるようになってきた、夜は半袖だと少し肌寒いくらいだ。すうっと通りすぎた風に、ネイビーのTシャツから出た腕をさする。なにか上に着てくればよかった、と思いながら歩を進めた。繁華街からはずれてはいるがこのあたりも夜の街なので、空が濃紺になっていても周囲は明るい。
待ちに待った十月の第一水曜日、心とともに足取りも弾む。駅から繁華街を抜けて人通りの少ない道を歩き、「pasture」とポップな字体で書かれたオレンジ色の看板の前で立ち止まる。指定された時間より少し早めに店についた。看板の下には地下へと導くように斜め下へ向けた矢印がある。肩にかけた黒いボディバッグのショルダー紐をぎゅっと一度握ってから矢印に従い、店がある地下におりる階段に向かう。どきどきと高鳴る胸は、これからの自分に期待をしている予感が鼓動を速くさせるのだ。
「わっ」
足取りが弾みすぎ、狭い階段の二段目で躓いた。体勢を直そうと思ったが、うまい具合に身体が浮く。まずい、と思ったときにはそのまま落ちて――行かなかった。前を歩いていた人が受け止めてくれたからだ。ムスクの香りがして、それがあまりに柔らかく感じ、一瞬現実と非現実の境界がわからなくなった。階段の中ほどで実里の身体は力強い腕に抱き留められた。相手は落ちてきた実里の勢いでも身体がぐらつくことなく、しっかりと支えてくれている。
「大丈夫か?」
「は、はい」
低い声になんとか応じるが、階段から落ちかけたことへの恐怖と、助けてもらえた安堵で足が小さく震える。しがみつくように男性の腕を掴み、自分を落ちつけるためにひとつ深呼吸をした。
「すみません。ありが――」
顔をあげて衝撃を受けた。受け止めてくれたのは、輝くほどの美形男性だった。ふわりとした黒髪に切れ長の真っ黒な瞳が印象的で、黒曜石のような深い色の瞳に吸い込まれそうな錯覚を起こす。一七一センチの実里より十センチは高い身長に、生成の襟つきシャツの上からでもわかる、ほどよい筋肉がついた体格が男らしい。二十代後半くらいだろうか、落ちついた大人の色気がある。
ぽうっと顔を見あげていると、男性が困り顔で微笑む。その笑顔も綺麗で、胸がとくんと鳴った。
「ぼんやりしてると危ないから、気をつけろ」
「はい……。ありがとうございます」
魂を抜かれたように見入っていたら、男性が身体を離した。慌てて実里も離れるが、ムスクの香りが近くに残っているように感じる。わずかな香りさえ、実里の心を甘く揺らした。
男性は実里を受け止めるときに落としたのだろう、グレーのジャケットを拾って店に入っていく。その背をぼんやりと見送りながら、芸能人だろうか、と考える。あれほどに整った顔立ちでスタイルもいいのだから、一般人とは思えない。男性の腕の力強さを思い出しながら、支えてくれた感覚にうっとりと酔いしれる。
しばしのあいだ放心状態になっていたが、はっと自力で解凍して実里も店に入る。ぼんやりしている場合ではない。早めに来て正解だったと胸を撫でおろす。初日から遅刻するわけにはいかない。
「すみません。村瀬と申します」
「ああ、村瀬さんですね」
店に入って女性スタッフに声をかけると、相手はすぐにわかったようだ。
「今日からよろしくお願いします」
「少しお待ちください」
にこやかに笑みを返して女性スタッフがその場を離れていく。実里は自分の失敗と、輝くような美貌の男性のことはいったん脇に置いて背筋を伸ばした。
階段から落ちたと思ったのに、恋に落ちた。
◇この恋、止まれません!◇
暑い夏がすぎ、外気が涼しく感じられるようになってきた、夜は半袖だと少し肌寒いくらいだ。すうっと通りすぎた風に、ネイビーのTシャツから出た腕をさする。なにか上に着てくればよかった、と思いながら歩を進めた。繁華街からはずれてはいるがこのあたりも夜の街なので、空が濃紺になっていても周囲は明るい。
待ちに待った十月の第一水曜日、心とともに足取りも弾む。駅から繁華街を抜けて人通りの少ない道を歩き、「pasture」とポップな字体で書かれたオレンジ色の看板の前で立ち止まる。指定された時間より少し早めに店についた。看板の下には地下へと導くように斜め下へ向けた矢印がある。肩にかけた黒いボディバッグのショルダー紐をぎゅっと一度握ってから矢印に従い、店がある地下におりる階段に向かう。どきどきと高鳴る胸は、これからの自分に期待をしている予感が鼓動を速くさせるのだ。
「わっ」
足取りが弾みすぎ、狭い階段の二段目で躓いた。体勢を直そうと思ったが、うまい具合に身体が浮く。まずい、と思ったときにはそのまま落ちて――行かなかった。前を歩いていた人が受け止めてくれたからだ。ムスクの香りがして、それがあまりに柔らかく感じ、一瞬現実と非現実の境界がわからなくなった。階段の中ほどで実里の身体は力強い腕に抱き留められた。相手は落ちてきた実里の勢いでも身体がぐらつくことなく、しっかりと支えてくれている。
「大丈夫か?」
「は、はい」
低い声になんとか応じるが、階段から落ちかけたことへの恐怖と、助けてもらえた安堵で足が小さく震える。しがみつくように男性の腕を掴み、自分を落ちつけるためにひとつ深呼吸をした。
「すみません。ありが――」
顔をあげて衝撃を受けた。受け止めてくれたのは、輝くほどの美形男性だった。ふわりとした黒髪に切れ長の真っ黒な瞳が印象的で、黒曜石のような深い色の瞳に吸い込まれそうな錯覚を起こす。一七一センチの実里より十センチは高い身長に、生成の襟つきシャツの上からでもわかる、ほどよい筋肉がついた体格が男らしい。二十代後半くらいだろうか、落ちついた大人の色気がある。
ぽうっと顔を見あげていると、男性が困り顔で微笑む。その笑顔も綺麗で、胸がとくんと鳴った。
「ぼんやりしてると危ないから、気をつけろ」
「はい……。ありがとうございます」
魂を抜かれたように見入っていたら、男性が身体を離した。慌てて実里も離れるが、ムスクの香りが近くに残っているように感じる。わずかな香りさえ、実里の心を甘く揺らした。
男性は実里を受け止めるときに落としたのだろう、グレーのジャケットを拾って店に入っていく。その背をぼんやりと見送りながら、芸能人だろうか、と考える。あれほどに整った顔立ちでスタイルもいいのだから、一般人とは思えない。男性の腕の力強さを思い出しながら、支えてくれた感覚にうっとりと酔いしれる。
しばしのあいだ放心状態になっていたが、はっと自力で解凍して実里も店に入る。ぼんやりしている場合ではない。早めに来て正解だったと胸を撫でおろす。初日から遅刻するわけにはいかない。
「すみません。村瀬と申します」
「ああ、村瀬さんですね」
店に入って女性スタッフに声をかけると、相手はすぐにわかったようだ。
「今日からよろしくお願いします」
「少しお待ちください」
にこやかに笑みを返して女性スタッフがその場を離れていく。実里は自分の失敗と、輝くような美貌の男性のことはいったん脇に置いて背筋を伸ばした。
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