この恋、止まれません!

すずかけあおい

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この恋、止まれません!⑲

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 昨夜交わしたデートの約束に胸が弾む。軽い足取りで出勤の道のりを進みながら、口もとが緩んで仕方がない。このまま本当に恋人になれたらいいな、と密やかな願望に胸を高鳴らせる。今まで好きになった相手と、こんなにも距離が近づいたことがない。創の優しい笑顔や、そっけない言葉まですべてが実里の心を温かくする。
 今日も会えるかな、早く会いたい――そんな気持ちで浮かれていたら、店の近くのビル影に私服姿の富永の姿を見つけた。今日は休みなのかな、と思いながら声をかけようとしたけれど、言葉を呑み込む。富永は、以前創と一緒にいた男たちとなにか話している。富永と三人の男たちは一様に険しい顔をしていて、なんだか嫌な感じがして思わず足が止まった。男のひとりがそんな実里に気がついた。
「ねえ、来たよ」
 低い声が妙にはっきりと聞こえた。前に創といた可愛い容姿の男と、爽やかな雰囲気のイケメン、モデルのようなスタイルの金髪の男が三人で実里に近づいてくる。金髪の男は見覚えがないが、この人も創と関係を持ったことがあるのだとわかった。三人は実里を囲んで忌々しげに睨みつけてくる。富永はそんな三人と実里の様子を眺めていて、なにが起ころうとしているのか、実里にはまったくわからない。
「どういうつもり?」
 可愛い容姿の男が問うので、実里は唾を飲んだ。創には甘えた声を出していたが、今は敵意がむき出しになっている。
「な、なにがですか?」
 三人の男が言いたいことはなんとなくわかるが、その男たちと富永が一緒にいることがわからない。富永に視線を向けると、富永はゆっくりと笑みを浮かべた。
「富永さん……これってどういうことですか?」
「俺、村瀬さんが店で働きはじめる前に、創さんに振られたんだよね」
 ぞくりとするほど暗い笑顔に、実里は顔が引き攣るのが自分でわかった。あんなに応援してくれたのに、と言われたことが信じられずに縋る目を向けてしまう。
「あの人は本気の相手なんて、絶対作らないと思ってたのに」
 富永は表情を歪め、実里を睨みつける。信頼していた人が向けてくる敵意は、他の人から向けられるものよりずっと怖くて、ショックだった。なにも言えずにいると、実里を囲んでいた三人の中から可愛い容姿の男が腕を伸ばし、肩を押された。
「創は皆のものなんだよ!」
「す、好きだから告白するのはいけないことですか?」
 それでも負けたくなくて、実里はぎゅっと手を握り込んで言い返す。人を好きになるのは自由だし、それを誰かに咎められる謂れはない。
「いけないに決まってるでしょ!」
 また男に肩を強く押され、うしろによろめく。背後にいた爽やかな雰囲気のイケメンがよろめいた実里の背を同じように強く押すので、今度は前につんのめる。足に力を入れてなんとか体勢を戻すと、男たちは馬鹿にした笑みを浮かべた。
「創が本気になんて、なるわけないんだから」
「しつこく言い寄られて創が迷惑してるの、わかんないの?」
 とげのついた言葉が次々向けられ、唇を噛む。富永は薄い笑いを浮かべて、やり取りをただ眺めている。自分は見ているだけで手を出さないずるさにも、実里は眉をひそめる。信頼していたし、こんな人だとは思わなかった。
「あんたなんか選ぶなら、創もその程度の男ってことだけどね」
「っ……!」
 金髪の男に創のことまで馬鹿にされて、かあっと頭に血がのぼる。自分のことを言われるのは我慢できるけれど、好きな人を罵られても黙っていられるほど、実里はいい子ではない。
「創さんのことを悪く言わないでください」
 言い返すと、男たちは眦をあげた。実里の背後にいた爽やかに見えるイケメンが、実里を羽交い絞めにする。
「なにするんですか!」
「うるさい!」
 ただ創が好きなだけなのに、それはいけないことなのか。敵意を全身に滾らせた男たちの鋭い視線が突き刺さる。荒々しい声に気がついた周囲も、なにか揉めてる、と遠巻きに様子を見ているのがわかる。もしかして自分は、好きな人に手を伸ばすこともしてはいけないような存在なのだろうか。目の前が暗くなっていくような感覚に陥った。
「考えごとすんなよ!」
 はっとしたときには、振りあげられた手が顔に向かっておりてきていた。羽交い絞めにされていてよけられない。叩かれる、とぎゅっと目をつぶる。叩かれることも怖いけれど、あんなに優しくしてくれた富永が実里に敵意を持っていたことも怖い。身体を強く押された感覚に、奥歯を噛み締めた。
 叩かれた音がひどく大きく聞こえるのに、衝撃も痛みもない。恐る恐る瞼をあげると、男と実里のあいだに創がいた。
「は、創……」
「なんでこんな子助けるの?」
 実里に背を向けている創がどんな表情をしているのかわからないけれど、男たちの顔が青ざめていく。創はただ実里の前に立っていて、なにも言わない。男たちは二歩三歩とあとずさって、そのまま散らされたように走っていなくなった。
「ちょ、ちょっと」
 富永が慌てた様子で男たちが去った方向に顔を向け、創は怒りの表れた強い足取りで少し離れたところにいる富永に近づいた。
「どういうつもりだ」
「っ……」
 創が逃げようとする富永の前に立ちはだかる。彼の表情がようやく実里からも見えて、その険しさに唾を飲んだ。創のこんな顔は見たことがない。怒りがはっきりと見て取れる表情は相手を威圧し、言い逃れも逃げ出すことも許さないというように睨みつけている。
「ど、どうして創さんがここに……」
 富永が蒼白になったまま口を開くが、声が震えているのが離れた位置にいる実里にもわかった。
「こいつの味方みたいな顔してそばにいるから、気になってたんだよ」
 創の言葉に、富永は悔しげに唇を歪めた。それが泣き出しそうな顔にも見えて胸が痛む。
「なんで村瀬さんなんですか……。なんで俺じゃだめなんですか!」
「こうやって卑怯なことするところがだめなんだよ」
 痛む胸もとを手で押さえ、ふたりのやり取りを聞いているしかできない。責められている富永に同情はしたくないけれど、今までいろいろな面で支えてくれた人をどうしても嫌いになれない。
「こいつに二度と手出すな」
「は、創さん……俺は……」
 富永に背を向けた創は、もう富永を振り返らなかった。まっすぐに実里に歩み寄り、背をかがめて頬を撫でてくれる。創の肩の向こうに、走り去る富永が見えた。人の中にまぎれていく背を視線で追いかけていたら、それを遮るように目の前に手を翳された。
「大丈夫か?」
 創のほうこそ大丈夫ではない。綺麗な頬には引っかき傷ができていて、爪を立てて叩いたんだ、と今さら震えが起こった。実里が震えているあいだにも傷から血が滲んでくる。
「だ、大丈夫です……。すみません、僕……」
 様子を見ていた周囲の人たちがざわついている。それ以上に実里の心は騒いで鎮まらない。
 僕の気持ちが創さんを傷つけた。
 手を伸ばしたらこんなことになるのなら、やはり自分はなにも求めてはいけないのかもしれない。
「店の近くまで来ててよかった」
 創は安堵している様子だが全然よくない。指先から全身に震えが広がっていき、創が心配するように肩に手を置いてくれた。なだめるように肩を撫でられているのに、恐怖だけが襲ってくる。
 自分のせいで好きな人が傷ついた。それは実里にとって、なによりも恐ろしいことだ。
 好きな人に手を伸ばし、振り向いてもらうことをずっと願ってきた。好きな人はイコール実里の大切な人で、絶対に傷つけたくない相手だ。
「僕のせいで……すみません」
「おまえのせいじゃない。あいつらと、もとをただせば俺のせいだ」
「……でも」
 実里が創を好きにならなければ、こんなことにならなかった。好きになっても、そのまま黙っていれば創は傷つかなかった。
 今までは気持ちを正直に出しても軽くあしらわれるばかりだったから、こういう事態を想定したことがない。創だけが実里の気持ちに向き合ってくれて、その結果傷つけた。彼の傷は実里のせいだ。
「仕事行けるか?」
「はい。行ってきます」
 すうっと頭の中が一気に冷静になり、創に手を伸ばしたことを後悔した。熱が急激に冷めるように、今まで沸きあがっていたものが足もとに流れ落ちていくのを感じる。
「あいつがまた手出さないか心配だから、あとで俺も行くけど。……無理するなよ」
「大丈夫です」
 逃げるように店に向かい、階段を駆けおりる。逃げ出した自分の心の汚さも気持ち悪くて、腹の奥が重くなった。鉄の塊を吞み込んだように、内臓が圧迫される。
 更衣室で制服に着替えながら、まだ震えたままの手をじっと見る。
 もう手を伸ばしたらいけない。また創さんを傷つけるかもしれない。
 今回は頬の引っかき傷だったけれど、このまま自分が手を伸ばし続けたら、もっとひどいことになる可能性だってある。そのときに実里がどんなに謝っても済まないような大変なことが起こってしまったら、この怖さなど比ではないほどの恐怖と申し訳なさで消えたくなる。
「ごめんなさい、創さん」
 自分が求めたのがすべて悪い。悪いのは実里だ。

 仕事中もうわの空で、何度も失敗をした。オーダーを間違えるし、ドリンクをひっくり返して自分の制服にかけた。創は言葉どおり店に来ていて、実里に心配そうな眼差しを向けている。
 創さんが見てるんだから、しっかりしないと。
 何度自分に言い聞かせても、震えが起こる。
「村瀬さん、大丈夫?」
「と、富永さん……」
 実里のあとから出勤してきた富永が、いつもどおりでいることも怖い。創はずっと実里の様子を見ている。これ以上迷惑をかけてはいけないのに、実里は「いつもどおり」ができない。
「どうしたの?」
「具合悪い?」
「すみません」
 他のスタッフたちも心配して声をかけてくれるけれど、謝るしかできない。なんでもないふりをしないと、創だけではなく皆にたくさん心配をかけるし、迷惑もかけてしまう。
 それなのに平然とできない。創の頬の傷を見ると、自分の罪がのしかかってくる。彼の傷を目でとらえるたびに、罪悪感が実里をひどく苛む。
「村瀬さん、今日はあがっていいよ」
「でも」
「疲れてるのかもしれないから、今日は帰って休んで、明日からまた頑張って」
「……はい」
 店長の言葉に静かに頷く。いても迷惑をかけるだけなのがわかったので、もう一度謝罪してから更衣室に向かった。
 結局、出勤して一時間でまた私服に着替えている。指が震えてシャツのボタンがうまく留められない。申し訳なさと恐怖が交互に襲ってくる。
 制服をバッグに入れて、その場にしゃがみ込む。
 ごめんなさい。
 怖い。
 ごめんなさい。
 怖い――。
 好きな人が自分のせいで傷ついた。自分が手を伸ばしたから、大切にしたい人が怪我をした。
 店を出て階段をあがると、いつもの場所で創が待っていた。すごく嬉しかったはずなのに、今はただ罪悪感とおぞ気しか心に湧かない。
「大丈夫か? 送ってく」
 創が優しくしてくれたことに対して自分が返したものが彼を傷つける結果なんて、絶望しかない。自分が手を伸ばさなければ――。
「いえ。ひとりで帰れます」
 逃げるように走り出すと、創は追いかけてこなかった。視線を感じるが振り返ることができない。彼に近づくことが怖い。
 創にこれ以上不測のなにかが起こる前に、実里が離れなくてはいけない。
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