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第1話「追放宣告と砂の城」
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アルトリア王国の王宮、その一室である「白百合の間」は、名の通り清らかで美しい装飾が施されている。しかし、今この場に流れる空気は、凍てつく冬の風のように冷え切っていた。私の目の前に立つ夫、第一王子ルドルフ・フォン・アルトリアが完璧な笑みを浮かべながらも、その瞳に一切の温かみを宿さない、彼の言葉のせいだった。
「リセラ、君との婚姻関係を本日をもって解消する。つまり、離婚だ」
ああ、ついに来た。
内心で安堵した私は、感情の読めない表情を貼り付けたまま、静かにルドルフを見返した。
ここは、前世で私がプレイしていた乙女ゲーム『王宮の聖女様と七人の騎士』の世界。そして私は、ヒロインをいじめ、最後には断頭台の露と消える悪役令嬢リセラその人だった。
ゲームのシナリオでは、ヒロインである聖女セリーナへの嫉妬から数々の嫌がらせを重ね、その罪によって婚約破棄と国外追放を言い渡されるはずだった。しかし、現実の私はルドルフとすでに結婚して二年が経っている。ゲームとは少しだけ違う流れ。それでも、結末は同じようだ。
「理由をお聞かせいただけますか、殿下」
「決まっているだろう。私はセリーナを、聖女セリーナ・ブラウンを心から愛している。彼女こそが私の、そしてこの国の光だ。君のような心の冷たい女は、私の隣にはふさわしくない」
ルドルフの背後、少し離れた場所に立つ小柄な少女、セリーナが庇護欲をそそるようにか弱くうつむいている。茶色の髪に大きな青い瞳。いかにもなヒロインといったところか。彼女はこちらをちらりと盗み見ては、すぐにルドルフの影に隠れる。その一連の動作が計算され尽くしたものであることくらいは、私にはお見通しだった。
彼女もまた、私と同じ転生者なのだろう。ゲームの知識を使い、聖女としての地位と王子の愛を手に入れた、抜け目のないヒロイン様。
「さあ、ここにサインを」
差し出された離婚合意書に目を落とす。そこには、すべての罪を私が認め、慰謝料も財産分与も一切請求しない、と書かれていた。あまりにも一方的で、ヴァイスハルト公爵家を侮るにもほどがある内容だ。
「お待ちください、ルドルフ様」
私が口を開くと、ルドルフは苛立ちを隠しもせずに眉をひそめた。
「まだ何かあるのか。往生際が悪いぞ」
「この条件では飲めません。私は公爵家の娘として殿下に嫁ぎました。二年間の結婚生活で、私が王家に対して不義理を働いたことは一度もございません。それを一方的に、他の女に心を移したというだけの理由で放り出すのであれば、それ相応の対価を支払っていただくのが筋というものでしょう」
「なっ……! 口の利き方に気をつけろ!」
「事実を申し上げているまでです」
前世の記憶が蘇ったのは、この世界に生を受けて五年が経った頃。それ以来、私は悪役令嬢としての破滅フラグを回避するため、必死に知識を蓄え、礼儀作法を身につけ、誰からも後ろ指をさされない完璧な令嬢として生きてきた。ルドルフとの結婚も、政略結婚として真摯に務めてきたつもりだ。
だが、聖女セリーナが現れた瞬間、彼の心は砂の城のように脆くも崩れ去った。
「では、何が望みだ。金か? 宝石か?」
侮蔑に満ちたルドルフの言葉に、私は静かに首を振った。
「いいえ。金銭など結構です。ただ、私に領地を一つ、譲っていただきたいのです」
「領地だと?」
私の意外な要求に、ルドルフだけでなくセリーナも驚いたように顔を上げた。
「はい。東の国境沿いにある、あの『忘れられた土地』。かつてヴァイスハルト公爵家が管理していましたが、あまりの痩せ地のため王家へ返還したと聞いております。あそこを、私に」
その土地は税収もほとんどなく、人もまばらな荒れ果てた土地だ。王家にとってもお荷物でしかない。ルドルフは一瞬考え込んだが、すぐに嘲るような笑みを浮かべた。
「ふん、そんな不毛の地で何をするつもりだ。まあいいだろう。そんなもので君を黙らせられるのなら安いものだ。他に、最低限の生活資金もつけてやろう」
「ありがとうございます。それと、もう一つだけ。私の侍女であるユリアの同行を許可してください。それ以外の者は、実家にお返しします」
「好きにするがいい」
交渉成立だ。私は滑らかな仕草でペンを取り、離婚合意書にサインをした。もう、悪役令嬢リセラ・ヴァイスハルトではない。ただのリセラとして、明日から生きていくのだ。
前世の私は、農業大学で土壌学を専攻していた。来る日も来る日も土をいじり、作物を育てることだけが楽しみだった、根っからの農業オタク。
あの痩せきった土地。普通の貴族なら絶望するだろう。だが、私には違って見えた。あの土地は、死んではいない。改良すれば必ずや豊かな実りをもたらすはずだ。私には、その知識と確信があった。
「リセラ様……本当に、よろしいのですか?」
王宮を去る準備をしていると、侍女のユリアが心配そうに尋ねてきた。彼女だけが、離婚後も私についてきてくれると言ってくれた、たった一人の味方だ。
「ええ、いいのよ、ユリア。これで自由になれるわ」
窓の外では、ルドルフとセリーナが仲睦まじく庭園を散歩している。セリーナが勝ち誇ったように、こちらを一瞬見た気がした。
どうぞお幸せに。せいぜい後悔しないことね。
私は心の中でそうつぶやくと、王都での生活に未練なく背を向けた。これから始まるのは処刑台への道ではない。土と緑に囲まれた、新しい人生だ。私の胸には、絶望ではなく、むしろ確かな希望に満ちていた。
「リセラ、君との婚姻関係を本日をもって解消する。つまり、離婚だ」
ああ、ついに来た。
内心で安堵した私は、感情の読めない表情を貼り付けたまま、静かにルドルフを見返した。
ここは、前世で私がプレイしていた乙女ゲーム『王宮の聖女様と七人の騎士』の世界。そして私は、ヒロインをいじめ、最後には断頭台の露と消える悪役令嬢リセラその人だった。
ゲームのシナリオでは、ヒロインである聖女セリーナへの嫉妬から数々の嫌がらせを重ね、その罪によって婚約破棄と国外追放を言い渡されるはずだった。しかし、現実の私はルドルフとすでに結婚して二年が経っている。ゲームとは少しだけ違う流れ。それでも、結末は同じようだ。
「理由をお聞かせいただけますか、殿下」
「決まっているだろう。私はセリーナを、聖女セリーナ・ブラウンを心から愛している。彼女こそが私の、そしてこの国の光だ。君のような心の冷たい女は、私の隣にはふさわしくない」
ルドルフの背後、少し離れた場所に立つ小柄な少女、セリーナが庇護欲をそそるようにか弱くうつむいている。茶色の髪に大きな青い瞳。いかにもなヒロインといったところか。彼女はこちらをちらりと盗み見ては、すぐにルドルフの影に隠れる。その一連の動作が計算され尽くしたものであることくらいは、私にはお見通しだった。
彼女もまた、私と同じ転生者なのだろう。ゲームの知識を使い、聖女としての地位と王子の愛を手に入れた、抜け目のないヒロイン様。
「さあ、ここにサインを」
差し出された離婚合意書に目を落とす。そこには、すべての罪を私が認め、慰謝料も財産分与も一切請求しない、と書かれていた。あまりにも一方的で、ヴァイスハルト公爵家を侮るにもほどがある内容だ。
「お待ちください、ルドルフ様」
私が口を開くと、ルドルフは苛立ちを隠しもせずに眉をひそめた。
「まだ何かあるのか。往生際が悪いぞ」
「この条件では飲めません。私は公爵家の娘として殿下に嫁ぎました。二年間の結婚生活で、私が王家に対して不義理を働いたことは一度もございません。それを一方的に、他の女に心を移したというだけの理由で放り出すのであれば、それ相応の対価を支払っていただくのが筋というものでしょう」
「なっ……! 口の利き方に気をつけろ!」
「事実を申し上げているまでです」
前世の記憶が蘇ったのは、この世界に生を受けて五年が経った頃。それ以来、私は悪役令嬢としての破滅フラグを回避するため、必死に知識を蓄え、礼儀作法を身につけ、誰からも後ろ指をさされない完璧な令嬢として生きてきた。ルドルフとの結婚も、政略結婚として真摯に務めてきたつもりだ。
だが、聖女セリーナが現れた瞬間、彼の心は砂の城のように脆くも崩れ去った。
「では、何が望みだ。金か? 宝石か?」
侮蔑に満ちたルドルフの言葉に、私は静かに首を振った。
「いいえ。金銭など結構です。ただ、私に領地を一つ、譲っていただきたいのです」
「領地だと?」
私の意外な要求に、ルドルフだけでなくセリーナも驚いたように顔を上げた。
「はい。東の国境沿いにある、あの『忘れられた土地』。かつてヴァイスハルト公爵家が管理していましたが、あまりの痩せ地のため王家へ返還したと聞いております。あそこを、私に」
その土地は税収もほとんどなく、人もまばらな荒れ果てた土地だ。王家にとってもお荷物でしかない。ルドルフは一瞬考え込んだが、すぐに嘲るような笑みを浮かべた。
「ふん、そんな不毛の地で何をするつもりだ。まあいいだろう。そんなもので君を黙らせられるのなら安いものだ。他に、最低限の生活資金もつけてやろう」
「ありがとうございます。それと、もう一つだけ。私の侍女であるユリアの同行を許可してください。それ以外の者は、実家にお返しします」
「好きにするがいい」
交渉成立だ。私は滑らかな仕草でペンを取り、離婚合意書にサインをした。もう、悪役令嬢リセラ・ヴァイスハルトではない。ただのリセラとして、明日から生きていくのだ。
前世の私は、農業大学で土壌学を専攻していた。来る日も来る日も土をいじり、作物を育てることだけが楽しみだった、根っからの農業オタク。
あの痩せきった土地。普通の貴族なら絶望するだろう。だが、私には違って見えた。あの土地は、死んではいない。改良すれば必ずや豊かな実りをもたらすはずだ。私には、その知識と確信があった。
「リセラ様……本当に、よろしいのですか?」
王宮を去る準備をしていると、侍女のユリアが心配そうに尋ねてきた。彼女だけが、離婚後も私についてきてくれると言ってくれた、たった一人の味方だ。
「ええ、いいのよ、ユリア。これで自由になれるわ」
窓の外では、ルドルフとセリーナが仲睦まじく庭園を散歩している。セリーナが勝ち誇ったように、こちらを一瞬見た気がした。
どうぞお幸せに。せいぜい後悔しないことね。
私は心の中でそうつぶやくと、王都での生活に未練なく背を向けた。これから始まるのは処刑台への道ではない。土と緑に囲まれた、新しい人生だ。私の胸には、絶望ではなく、むしろ確かな希望に満ちていた。
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