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第9話「ひまわりのような真っ直ぐな瞳」
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「アルクさん……」
ヒマリは、アルクの前に立つと、静かに彼の名前を呼んだ。
その声には、非難の色も、懇願の色もなかった。ただ、深い信頼と、そしてほんの少しの悲しみが滲んでいた。
アルクは、彼女の顔をまともに見ることができなかった。
自分の頑なな態度を、この純粋な少女に見られるのが、なぜかたまらなく恥ずかしかった。
「……お前には、関係ないことだ」
やっとのことで絞り出した言葉は、突き放すような響きになってしまった。
だが、ヒマリは怯まなかった。彼女は一歩踏み出し、アルクの作業着の袖を、そっと掴んだ。
「関係なくなんてないです。私には、わかります。アルクさんが、本当は冷たい人なんかじゃないってこと」
彼女は、自分の左腕をアルクの前に差し出した。
そこには、かつて呪いの痣があった場所が、今はただ、清らかな白い肌があるだけだった。
「アルクさんの力は、私のこの『恥』を洗い流してくれました。私がずっと隠して、苦しんできたものを、綺麗さっぱり消してくれました。そして、私に笑顔をくれました」
彼女の言葉の一つ一つが、アルクの心の壁を、静かに、しかし確実に叩いていた。
「だから、わかるんです。アルクさんのその力は、誰かの過去を責めたり、見捨てたりするための力じゃない。誰かの恥を洗い流して、苦しみを取り除いて、笑顔にするための力です」
ヒマリの瞳は、潤んでいた。だが、その眼差しは、どこまでも真っ直ぐで、力強かった。
まるで、太陽を見つめるひまわりのように。
「王都の人たちが、昔、アルクさんにひどいことをしたのかもしれません。でも、今、病気で苦しんでいる人たちに、罪はあるんでしょうか。彼らの体に浮かんだ黒い痣も、私のかつての痣と同じ、辛くて恥ずかしい『染み』なんじゃないでしょうか」
彼女は、自分の経験から、王都の人々の苦しみに寄り添おうとしていた。
自分を救ってくれたこの優しい力で、今度は彼らを救ってあげてほしい。彼女の瞳は、そう訴えかけていた。
その言葉は、ギデオンたちの胸にも深く突き刺さった。
彼らは、ただアルクの過去の責任を問い、協力を命令することしか考えていなかった。だが、この少女は、彼の力の本当の意味を、誰よりも深く理解していた。
ギデオンは、恥じ入るように俯いた。
アルクの心は、激しく揺れていた。
そうだ、この力は、ヒマリを笑顔にするために磨いてきた力だ。彼女の言う通り、誰かの苦しみを洗い流すための、優しい力のはずだ。
それを、過去の個人的な恨みで、使うことを拒んでいいのだろうか。
『洗い場のシミ落とし』
脳裏に、かつての嘲笑が蘇る。だが、その声をかき消すように、ヒマリの笑顔と、村人たちの「ありがとう」という言葉が響いた。
どちらが、今の自分にとって、本当の評価なのか。答えは、分かりきっていた。
足元で、ブクが心配そうにアルクのズボンを泡でつついた。「ブク……」という鳴き声が、まるで『大丈夫だよ』と励ましてくれているように聞こえた。
そうだ。過去の恥を乗り越えるために、この村に来たのではないか。
うつむいてばかりだった自分が、ヒマリのおかげで、少しだけ顔を上げられるようになったのではないか。
ここで再び過去に囚われ、背を向けてしまっては、何の意味もない。
アルクは、深く、長く息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと顔を上げる。
彼の目に、もう迷いはなかった。
彼は、呆然と成り行きを見守っていたギデオンの方へ向き直った。
「……協力しよう」
その一言に、ギデオンたちの顔が、ぱっと明るくなる。
「おお、本当か!」
「ただし」と、アルクは彼らの歓声を遮った。「勘違いするな。俺は宮廷魔術師として王都に帰るつもりはない。あんたたちの仲間になる気も、国王陛下に頭を下げる気もない」
彼は、自分の胸を指さして、はっきりと言った。
「俺は、洗濯屋として、あんたたちの『汚れ』を洗いに行く。それだけだ」
それは、過去との決別であり、新たな自分自身の矜持を示す、力強い宣言だった。
ギデオンは一瞬虚を突かれたが、やがて深く、深くうなずいた。
「……わかった。洗濯屋、アルク・レンフィールド殿。我々の、そして王都の運命を、君に託す」
彼の口調から、高圧的な響きは消え、純粋な敬意が滲んでいた。
アルクは、隣で安堵の表情を浮かべるヒマリに、小さく微笑みかけた。
彼女が信じてくれたこの力を、今こそ、多くの人のために使う時が来たのだ。
彼は、ひまわり畑を渡る風を胸いっぱいに吸い込み、これから始まる大きな洗濯に、静かに覚悟を決めた。
ヒマリは、アルクの前に立つと、静かに彼の名前を呼んだ。
その声には、非難の色も、懇願の色もなかった。ただ、深い信頼と、そしてほんの少しの悲しみが滲んでいた。
アルクは、彼女の顔をまともに見ることができなかった。
自分の頑なな態度を、この純粋な少女に見られるのが、なぜかたまらなく恥ずかしかった。
「……お前には、関係ないことだ」
やっとのことで絞り出した言葉は、突き放すような響きになってしまった。
だが、ヒマリは怯まなかった。彼女は一歩踏み出し、アルクの作業着の袖を、そっと掴んだ。
「関係なくなんてないです。私には、わかります。アルクさんが、本当は冷たい人なんかじゃないってこと」
彼女は、自分の左腕をアルクの前に差し出した。
そこには、かつて呪いの痣があった場所が、今はただ、清らかな白い肌があるだけだった。
「アルクさんの力は、私のこの『恥』を洗い流してくれました。私がずっと隠して、苦しんできたものを、綺麗さっぱり消してくれました。そして、私に笑顔をくれました」
彼女の言葉の一つ一つが、アルクの心の壁を、静かに、しかし確実に叩いていた。
「だから、わかるんです。アルクさんのその力は、誰かの過去を責めたり、見捨てたりするための力じゃない。誰かの恥を洗い流して、苦しみを取り除いて、笑顔にするための力です」
ヒマリの瞳は、潤んでいた。だが、その眼差しは、どこまでも真っ直ぐで、力強かった。
まるで、太陽を見つめるひまわりのように。
「王都の人たちが、昔、アルクさんにひどいことをしたのかもしれません。でも、今、病気で苦しんでいる人たちに、罪はあるんでしょうか。彼らの体に浮かんだ黒い痣も、私のかつての痣と同じ、辛くて恥ずかしい『染み』なんじゃないでしょうか」
彼女は、自分の経験から、王都の人々の苦しみに寄り添おうとしていた。
自分を救ってくれたこの優しい力で、今度は彼らを救ってあげてほしい。彼女の瞳は、そう訴えかけていた。
その言葉は、ギデオンたちの胸にも深く突き刺さった。
彼らは、ただアルクの過去の責任を問い、協力を命令することしか考えていなかった。だが、この少女は、彼の力の本当の意味を、誰よりも深く理解していた。
ギデオンは、恥じ入るように俯いた。
アルクの心は、激しく揺れていた。
そうだ、この力は、ヒマリを笑顔にするために磨いてきた力だ。彼女の言う通り、誰かの苦しみを洗い流すための、優しい力のはずだ。
それを、過去の個人的な恨みで、使うことを拒んでいいのだろうか。
『洗い場のシミ落とし』
脳裏に、かつての嘲笑が蘇る。だが、その声をかき消すように、ヒマリの笑顔と、村人たちの「ありがとう」という言葉が響いた。
どちらが、今の自分にとって、本当の評価なのか。答えは、分かりきっていた。
足元で、ブクが心配そうにアルクのズボンを泡でつついた。「ブク……」という鳴き声が、まるで『大丈夫だよ』と励ましてくれているように聞こえた。
そうだ。過去の恥を乗り越えるために、この村に来たのではないか。
うつむいてばかりだった自分が、ヒマリのおかげで、少しだけ顔を上げられるようになったのではないか。
ここで再び過去に囚われ、背を向けてしまっては、何の意味もない。
アルクは、深く、長く息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと顔を上げる。
彼の目に、もう迷いはなかった。
彼は、呆然と成り行きを見守っていたギデオンの方へ向き直った。
「……協力しよう」
その一言に、ギデオンたちの顔が、ぱっと明るくなる。
「おお、本当か!」
「ただし」と、アルクは彼らの歓声を遮った。「勘違いするな。俺は宮廷魔術師として王都に帰るつもりはない。あんたたちの仲間になる気も、国王陛下に頭を下げる気もない」
彼は、自分の胸を指さして、はっきりと言った。
「俺は、洗濯屋として、あんたたちの『汚れ』を洗いに行く。それだけだ」
それは、過去との決別であり、新たな自分自身の矜持を示す、力強い宣言だった。
ギデオンは一瞬虚を突かれたが、やがて深く、深くうなずいた。
「……わかった。洗濯屋、アルク・レンフィールド殿。我々の、そして王都の運命を、君に託す」
彼の口調から、高圧的な響きは消え、純粋な敬意が滲んでいた。
アルクは、隣で安堵の表情を浮かべるヒマリに、小さく微笑みかけた。
彼女が信じてくれたこの力を、今こそ、多くの人のために使う時が来たのだ。
彼は、ひまわり畑を渡る風を胸いっぱいに吸い込み、これから始まる大きな洗濯に、静かに覚悟を決めた。
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