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第10話「王都へ、決意を胸に」
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アルクの王都行きは、すぐに決まった。
準備は、洗濯屋ならではのものだった。宮廷魔術師たちが持参した物々しい魔道具の数々を尻目に、アルクが荷馬車に積み込んだのは、大きな木製の洗い桶と洗濯板、そして彼が作り上げた最高傑作である、大量のひまわり特製石鹸だった。
ひまわり油も、村中の在庫を分けてもらい、樽に詰めて積み込む。
そして何より、最高の相棒であるブクが、専用の水瓶の中で準備万端といった様子で泡を立てていた。
出発の朝、村人たちが総出で見送りに来てくれた。
誰もが、不安と期待の入り混じった顔で、自分たちの村の誇りである洗濯屋を見守っている。
「アルクさん、気をつけてな!」
「王都の奴らを、ぎゃふんと言わせてやんな!」
村人たちの温かい声援に送られ、アルクは荷馬車の御者台に座る。
隣には、心配そうな顔をしたヒマリが立っていた。
「アルクさん……」
「大丈夫だ。ただ、洗濯に行くだけだ。終わったら、すぐに帰ってくる」
アルクは、彼女の不安を拭うように、穏やかな声で言った。
そして、少し躊躇った後、そっと手を伸ばし、彼女の頭をくしゃりと撫でた。
「お前が信じてくれた力だ。無駄にはしない」
ヒマリの顔が、ぱっと赤くなる。だが、彼女は力強くうなずいた。
「はい! 私、待ってます。アルクさんが、王都を世界一綺麗にして、帰ってくるのを!」
そのひまわりのような笑顔に見送られ、アルクを乗せた一団は、王都へと向けて出発した。
数日間の旅路を経て、王都の城門が見えてきた時、アルクは息を呑んだ。
彼が記憶している活気と輝きに満ちた都の姿は、そこにはなかった。城壁の周りには重くよどんだ空気が漂い、行き交う人々の顔は一様に暗く、絶望に打ちひしがれている。
道の端には、黒い痣を浮かび上がらせた人々が力なく座り込み、乾いた咳を繰り返していた。これが、黒煤病の惨状か。
王城の雰囲気は、輪をかけて陰鬱だった。
かつては華麗な装飾と明るい声に満ちていた城内は、静まり返り、まるで巨大な霊廟のようだった。すれ違う兵士や侍女たちも、皆、死人のような顔色をしている。
案内されたのは、王女の寝室だった。
天蓋付きの豪華なベッドの上で、まだ十代前半ほどの可憐な王女が、浅い呼吸を繰り返していた。その白い肌には、痛々しい黒い痣が無数に浮かび上がり、彼女の生命力を蝕んでいるのが見て取れた。
部屋には、国の最高位とされる魔術師や神官たちが十数人詰めていたが、誰もがなすすべもなく、ただ立ち尽くしているだけだった。
彼らは、みすぼらしい洗濯屋の身なりをしたアルクの姿を認めると、侮蔑と不信の目を隠そうともしなかった。
「ギデオン、本気か? こんな男に、王女殿下を任せるなど……」
囁かれる声が聞こえる。
だが、アルクは彼らを一瞥もせず、部屋の中央に進み出た。
「桶と水を。それと、例の聖布を持ってこい」
彼の落ち着き払った、しかし有無を言わせぬ口調に、場の空気が一瞬で張り詰めた。
ギデオンがうなずき、部下たちに指示を出す。やがて、アルクが村から持ってきた大きな洗い桶が運び込まれ、清らかな水が満たされた。
そして、厳重な封印が施された箱の中から、呪いの根源である聖布が取り出される。
アルクの前に、その純白だったはずの布が広げられた。
中央には、五年前、彼が己の手で生み出してしまった、醜い黒いシミが、まるで悪意の塊のように鎮座していた。そのシミは、この五年間でさらに色を濃くし、禍々しいオーラを放っている。
五年前の悪夢が、鮮明に蘇る。
人々の非難の声、同僚たちの嘲笑、師の失望の眼差し。胸の奥が、氷の刃で抉られるように痛んだ。
だが、今の彼は、五年前の彼とは違う。
彼の足元では、ブクが水瓶から飛び出し、洗い桶の中で「ブクブク!」と力強い泡を立てている。
遠い村では、ヒマリが彼の帰りを待っている。
彼の背中には、村人たちの期待がある。
彼はもう、一人ではなかった。
アルクは、ゆっくりと袖をまくり、洗い桶の前に立った。
周りの高位の魔術師たちが、これから何が始まるのかと、固唾を飲んで見守っている。
彼は目を閉じ、深く息を吸った。ひまわり畑の匂いを、ソレイユの丘を渡る風を思い出す。
そして、静かに目を開いた。その瞳には、かつての「銀閃」の輝きとは違う、どこまでも深く、澄み切った決意の光が宿っていた。
「さあ、洗濯の時間だ」
彼の静かな声が、絶望に沈む王城に響き渡った。
準備は、洗濯屋ならではのものだった。宮廷魔術師たちが持参した物々しい魔道具の数々を尻目に、アルクが荷馬車に積み込んだのは、大きな木製の洗い桶と洗濯板、そして彼が作り上げた最高傑作である、大量のひまわり特製石鹸だった。
ひまわり油も、村中の在庫を分けてもらい、樽に詰めて積み込む。
そして何より、最高の相棒であるブクが、専用の水瓶の中で準備万端といった様子で泡を立てていた。
出発の朝、村人たちが総出で見送りに来てくれた。
誰もが、不安と期待の入り混じった顔で、自分たちの村の誇りである洗濯屋を見守っている。
「アルクさん、気をつけてな!」
「王都の奴らを、ぎゃふんと言わせてやんな!」
村人たちの温かい声援に送られ、アルクは荷馬車の御者台に座る。
隣には、心配そうな顔をしたヒマリが立っていた。
「アルクさん……」
「大丈夫だ。ただ、洗濯に行くだけだ。終わったら、すぐに帰ってくる」
アルクは、彼女の不安を拭うように、穏やかな声で言った。
そして、少し躊躇った後、そっと手を伸ばし、彼女の頭をくしゃりと撫でた。
「お前が信じてくれた力だ。無駄にはしない」
ヒマリの顔が、ぱっと赤くなる。だが、彼女は力強くうなずいた。
「はい! 私、待ってます。アルクさんが、王都を世界一綺麗にして、帰ってくるのを!」
そのひまわりのような笑顔に見送られ、アルクを乗せた一団は、王都へと向けて出発した。
数日間の旅路を経て、王都の城門が見えてきた時、アルクは息を呑んだ。
彼が記憶している活気と輝きに満ちた都の姿は、そこにはなかった。城壁の周りには重くよどんだ空気が漂い、行き交う人々の顔は一様に暗く、絶望に打ちひしがれている。
道の端には、黒い痣を浮かび上がらせた人々が力なく座り込み、乾いた咳を繰り返していた。これが、黒煤病の惨状か。
王城の雰囲気は、輪をかけて陰鬱だった。
かつては華麗な装飾と明るい声に満ちていた城内は、静まり返り、まるで巨大な霊廟のようだった。すれ違う兵士や侍女たちも、皆、死人のような顔色をしている。
案内されたのは、王女の寝室だった。
天蓋付きの豪華なベッドの上で、まだ十代前半ほどの可憐な王女が、浅い呼吸を繰り返していた。その白い肌には、痛々しい黒い痣が無数に浮かび上がり、彼女の生命力を蝕んでいるのが見て取れた。
部屋には、国の最高位とされる魔術師や神官たちが十数人詰めていたが、誰もがなすすべもなく、ただ立ち尽くしているだけだった。
彼らは、みすぼらしい洗濯屋の身なりをしたアルクの姿を認めると、侮蔑と不信の目を隠そうともしなかった。
「ギデオン、本気か? こんな男に、王女殿下を任せるなど……」
囁かれる声が聞こえる。
だが、アルクは彼らを一瞥もせず、部屋の中央に進み出た。
「桶と水を。それと、例の聖布を持ってこい」
彼の落ち着き払った、しかし有無を言わせぬ口調に、場の空気が一瞬で張り詰めた。
ギデオンがうなずき、部下たちに指示を出す。やがて、アルクが村から持ってきた大きな洗い桶が運び込まれ、清らかな水が満たされた。
そして、厳重な封印が施された箱の中から、呪いの根源である聖布が取り出される。
アルクの前に、その純白だったはずの布が広げられた。
中央には、五年前、彼が己の手で生み出してしまった、醜い黒いシミが、まるで悪意の塊のように鎮座していた。そのシミは、この五年間でさらに色を濃くし、禍々しいオーラを放っている。
五年前の悪夢が、鮮明に蘇る。
人々の非難の声、同僚たちの嘲笑、師の失望の眼差し。胸の奥が、氷の刃で抉られるように痛んだ。
だが、今の彼は、五年前の彼とは違う。
彼の足元では、ブクが水瓶から飛び出し、洗い桶の中で「ブクブク!」と力強い泡を立てている。
遠い村では、ヒマリが彼の帰りを待っている。
彼の背中には、村人たちの期待がある。
彼はもう、一人ではなかった。
アルクは、ゆっくりと袖をまくり、洗い桶の前に立った。
周りの高位の魔術師たちが、これから何が始まるのかと、固唾を飲んで見守っている。
彼は目を閉じ、深く息を吸った。ひまわり畑の匂いを、ソレイユの丘を渡る風を思い出す。
そして、静かに目を開いた。その瞳には、かつての「銀閃」の輝きとは違う、どこまでも深く、澄み切った決意の光が宿っていた。
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彼の静かな声が、絶望に沈む王城に響き渡った。
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