ブラック企業で過労死した俺が転生先で開いた酒場、絶品飯テロ料理で氷の華と呼ばれる女騎士団長様を骨抜きにしてしまいました

黒崎隼人

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第2話「氷の華と温かいスープ」

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 あの日以来、アリアは店の常連になった。
 いつも任務が終わる頃合いに一人でやって来て、カウンターの隅にある指定席に座る。そして、俺の作る日替わりの料理を静かに味わい、一杯のエールを飲んで帰っていく。言葉数は少ないが、彼女がこの場所を気に入ってくれていることは、その穏やかな表情から十分に伝わってきた。
『陽だまりの酒場』は、少しずつ活気を取り戻し始めていた。アリアが置いていった銀貨を元手に食材を仕入れ、俺は毎日新しい料理を試作した。マードックは文句を言いながらも俺に厨房を任せ、リナは店の看板娘として甲斐甲斐しく働いてくれる。俺たちの間には、いつしか家族のような温かい空気が流れるようになっていた。
 その日、アリアはいつもより遅い時間に顔を見せた。顔色が悪く、その美しい顔には隠しきれない疲労の色が浮かんでいる。銀の鎧には泥が跳ね、いつもきちんと結われている紺色の髪も、少し乱れていた。
「いらっしゃい、アリアさん。大変な一日だったみたいだね」
 俺がいつものように声をかけると、彼女は力なくうなずき、指定席にどさりと腰を下ろした。
「……少し、厄介な任務でな。今日はもう、何も喉を通りそうにない」
 弱々しい声でそうつぶやくと、彼女はテーブルに突っ伏してしまった。普段の『氷の華』と呼ばれる凛とした姿からは想像もつかないほど、か弱く見える。
 よっぽど疲れているんだな。こんな時は、体に優しいものが一番だ。
 俺は厨房に立つと、小鍋に水を入れて火にかけた。食材庫から取り出したのは、玉ねぎ、人参、そしてこの世界で「ポポイモ」と呼ばれるジャガイモに似た野菜。それらを小さく角切りにし、コトコト煮込んでいく。味付けは、干し肉から取った出汁と塩、それに香りづけのハーブだけ。胃に負担をかけない、優しい味のスープだ。
 やがて、野菜の甘い香りがふわりと店内に漂い始める。突っ伏していたアリアが、その香りに誘われるようにゆっくりと顔を上げた。
「……いい匂いだ」
「もうすぐできますから、少し待っててください」
 俺は木製の器にスープを注ぎ、黒パンを一切れ添えて彼女の前に置いた。湯気の向こうで、アリアの青い瞳が揺れている。
「どうぞ。特製野菜スープです。きっと、体に染みますよ」
 アリアは黙ってスプーンを手に取ると、スープを一口、静かに口に運んだ。
 その瞬間、彼女の張り詰めていた表情がふっと和らぐのがわかった。野菜の自然な甘みと、干し肉の優しい塩気。温かい液体が、冷え切った体にじんわりと染み渡っていく。
 彼女は夢中になるように、一匙、また一匙とスープを口に運び続けた。その姿を、俺はカウンター越しに静かに見守る。
 やがて器が空になると、アリアはほう、と温かい息を吐いた。その頬はほんのりと赤く染まり、目元には安堵の色が浮かんでいる。
「……温かい。まるで、陽だまりの中にいるようだ」
「それは良かった。店の名前と同じですね」
 俺が笑いかけると、彼女もつられてほんの少しだけ口元を綻ばせた。それは、俺が初めて見る彼女の笑顔だった。氷が溶けるように咲いた微笑みは、どんな花よりも美しかった。
「なぜ、私が疲れているとわかったんだ?」
「顔に書いてありましたよ。『お疲れ様』って」
「……そうか」
 彼女は少しだけうつむくと、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
 今日の任務のこと。思うようにいかなかったこと。騎士団という男社会の中で、名門の家名を背負って戦うことの重圧。普段は決して人に見せない、彼女の弱さだった。
「私は、強くならなければならない。クレスウェル家の名に恥じぬように。誰にも、弱みを見せるわけにはいかないんだ」
 そうやって、ずっと一人で戦ってきたのか。
 俺は彼女にかける言葉を探したが、安っぽい慰めは口にできなかった。代わりに、残っていたスープを自分の器に注ぎ、彼女の隣に腰を下ろす。
「俺もね、前の職場では、いつも気を張ってました。店長っていう立場で、誰にも弱音を吐けなくて」
「お前が……店長?」
「ええ、まあ。ちょっと色々ありまして」
 俺は前世のことを曖昧にぼかしながら、自分の話を少しだけした。部下の手前、決して辛い顔は見せられず、一人で全部抱え込んで、結局体を壊してしまったこと。
「だから、アリアさんの気持ち、少しだけわかる気がするんです。たまには、鎧を脱いで休む場所も必要ですよ。ここは、そういう場所でありたいと思ってる」
 俺の言葉に、アリアは驚いたように目を見開いた。そして、何かをこらえるように、きゅっと唇を結ぶ。
「ここは……不思議な場所だな。お前の作る料理も、お前自身も」
「そうですか?」
「ああ。ここに来ると、いつも張り詰めている心の糸が、少しだけ緩む気がする」
 彼女はそう言うと、残っていた黒パンをスープに浸して、ゆっくりと食べた。
 その夜、アリアはそれ以上何も語らなかった。けれど、店を出ていく彼女の後ろ姿は、来た時よりもずっと軽く見えた。
 扉が閉まる直前、彼女が振り返って小さくつぶやいた言葉を、俺は聞き逃さなかった。
「……ありがとう、リョウ」
 その一言だけで、十分だった。料理は、ただ空腹を満たすだけじゃない。人の心をも温めることができる。そのことを、俺は改めて実感していた。
 氷の華とあだ名される彼女の心に、小さな陽だまりが生まれた瞬間だったのかもしれない。そして、俺自身の心にも、彼女の存在という温かい光が差し込み始めていることに、この時の俺はまだ気づいていなかった。
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