追放された農民、豊穣神のスキルで辺境を楽園に変え、自分を虐げた貴族に復讐する

黒崎隼人

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第三話「強欲な貴族と復讐の炎」

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 フェンとリゼが仲間になってからというもの、アルト村の周辺は驚くほど平穏になった。姉妹の戦闘能力は本物で、クリムゾンボアのようなモンスターは言うに及ばず、たちの悪い盗賊さえも彼女たちの姿を見ただけで逃げ出すほどだった。
 確固たる安全を手に入れたアースは、農業にさらに没頭した。前世の知識を活かし、小麦の栽培に着手したのだ。この世界にも小麦は存在するが、品種改良の概念はなく、収穫量も品質もそれほど高くはなかった。
 アースは【豊穣神の祝福】を使い、収穫までの期間を極端に短縮し、世代交代を繰り返すことで、病気に強く、収穫量も多い、理想的な品種をあっという間に作り上げてしまった。
 収穫の時期、アルト村の一角は、見渡す限りの黄金色の海と化した。陽光を浴びてキラキラと輝く小麦畑は、まるで一枚の絵画のように美しく、村人たちはその光景に感嘆の声を上げた。
「すごい……こんなに綺麗な小麦、見たことがない」
 リリアがうっとりと呟く。
「これだけあれば、パンだけじゃなく、色々作れるな。パスタとか、うどんとか……」
 アースが前世の料理に思いを馳せていると、フェンがくんくんと鼻を鳴らした。
「なんか香ばしくていい匂いがするな! これも食えるのか?」
「ああ、もちろんだ。粉にすれば、もっと美味しいものが作れるぞ」
 その日の食卓には、焼きたてのパンが並んだ。外はカリッと、中は驚くほどフワフワで、噛むほどに小麦の豊かな甘みが口の中に広がる。村人たちは涙を流してその味を噛み締めた。パンという食べ物が、これほどまでに美味しいものだとは誰も知らなかったのだ。
 アルト村の奇跡的な復興。その噂は、風に乗って瞬く間に広まっていった。そして、ついにその噂は、この土地を支配する領主の耳にも届くことになる。
 辺境伯爵、バルバロッサ。強欲で冷酷なことで知られ、領民からは蛇蝎の如く嫌われている男だった。
 ある日、ものものしい一団がアルト村にやってきた。先頭に立つ馬上でふんぞり返っている、肥え太った男がバルバロッサだった。彼は村の変わりように一瞬驚いた顔をしたが、アースの黄金色の小麦畑を見るやいなや、その目にギラギラとした欲望の光を宿した。
「ほう……これが噂の畑か。見事なものだな」
 バルバロッサは馬から降りると、尊大な態度でアースに近づいた。
「貴様がアースか。この奇跡の小麦、どうやって育てた?」
「……神の恵みと、日々の努力の賜物です」
 アースは平静を装って答えた。しかし、バルバロッサの纏う濁った空気に、嫌な予感を覚えていた。
 案の定、バルバロッサは鼻で笑った。
「神の恵み、だと? このバルバロッサ領で起きた奇跡は、全てこの私のものだ。農民風情が、自分の手柄のように言うでないわ」
 そして、彼は信じられない言葉を口にした。
「その畑、全て余が没収する。そして、今年の収穫の九割を税として納めるのだ。領主である私への感謝を、形で示せ」
 法外、という言葉すら生ぬるいほどの要求だった。それは実質、村人たちに死ねと言っているのと同じだった。
「お待ちください、伯爵様! それでは我々は生きていけません!」
 村長が震えながら抗議するが、バルバロッサは聞く耳を持たない。
 アースも、怒りで腸が煮えくり返るのを必死でこらえ、冷静に反論した。
「その要求は、到底受け入れられません。この畑は、俺たちが汗水流して作り上げたものです」
「口答えをするか、賤民が!」
 アースの言葉に、バルバロッサの顔が怒りで赤く染まる。
「こやつを捕らえよ! 領主への反逆罪だ!」
 バルバロッサの号令で、屈強な兵士たちがアースに襲い掛かった。
「アースに指図するな!」
「触れたら……殺す」
 即座にフェンとリゼが前に出て、兵士たちを睨みつける。その凄まじい殺気に、兵士たちは一瞬たじろいだ。
 しかし、多勢に無勢。姉妹は奮戦したが、次々と繰り出される兵士たちの数の暴力の前に、次第に追い詰められていく。リリアがアースを庇おうとして、兵士に突き飛ばされ、地面に倒れた。
「リリア!」
 その光景にアースの意識が逸れた一瞬の隙を突かれ、彼は兵士たちに取り押さえられてしまった。フェンとリゼも、激しい抵抗の末、ついに力尽きて捕らえられてしまう。
「ふん、獣人風情が逆らうからだ。全員、牢にぶち込んでおけ」
 バルバロッサは、冷酷に言い放った。そして、彼はさらに残虐な命令を下す。
「その忌々しい畑、我が軍馬の蹄で踏み荒らしてしまえ! こいつらに、私に逆らうとどうなるか、その目に焼き付けさせてやれ!」
「やめろぉぉぉっ!!」
 アースの絶叫が響き渡る。だが、その声は無情にもかき消された。
 兵士たちが乗る軍馬が、黄金色の小麦畑に乱入し、その全てを踏み潰していく。丹精込めて育てた小麦が、村人たちの希望が、無残にも土に塗れていく。それは、アースの心を直接踏みにじるような、耐えがたい光景だった。
 アースは、村の粗末な牢屋に投げ込まれた。リリアは腕に怪我を負い、フェンとリゼは満身創痍で壁にもたれかかっている。村人たちのすすり泣く声が、牢の外から聞こえてきた。
 絶望が、アースの心を支配しかけていた。自分の力の無さ、貴族という理不尽な権力の前での無力さ。
(俺は……何のために、この世界に来たんだ……)
 唇を噛み締め、膝を抱えるアースの肩を、そっと叩く者がいた。村長だった。彼は、密かに持ち込んだ道具で、牢の貧弱な鍵をいとも簡単に開けてしまった。
「アースさん。どうか、逃げてください。あなたまで捕まっていては、我々は本当に希望を失ってしまう」
 他の村人たちも、頷いていた。彼らは自分たちのことよりも、アースの身を案じてくれていたのだ。
「でも、みんなを置いてはいけない……!」
「私たちは大丈夫です」
 そう言ったのは、リリアだった。彼女は痛む腕を押さえながらも、気丈に微笑んだ。
「アースさんがいれば、きっとまた、あの畑を取り戻せます。だから、今は逃げて。力を蓄えてください」
 フェンとリゼも、頷いた。
「借りは、必ず返す」
「……倍にして」
 仲間たちの言葉に、アースは迷いを振り払った。
 村人たちの手引きで、アースたちは夜の闇に紛れて村を脱出した。振り返ると、そこには変わり果てた故郷の姿があった。
 踏み荒らされ、見る影もなくなった黄金色の畑。絶望に打ちひしがれる村人たち。仲間たちの流す涙。
 その光景を、アースは瞬きもせず、目に焼き付けた。
 彼の心の中で、何かが音を立てて燃え上がった。それは、穏やかな農民だった彼の中にはなかった、黒く、熱い感情。
 復讐の炎だった。
「バルバロッサ……」
 アースは、地の底から響くような声で、その名を呟いた。
「俺は、お前を絶対に許さない。奪われたものは、何倍にもして取り返してやる。お前たちが……二度と俺たちの前から笑えないように、必ず、してやる」
 その瞳には、かつての穏やかな光はなかった。あるのは、全てを焼き尽くさんばかりの、静かで、しかし深い憎悪の光だけだった。
 アース、リリア、フェン、リゼ。
 傷つき、全てを失った彼らは、復讐を誓い、新たな安住の地を求めて、闇の中へと歩き出した。それは、過酷な逃亡の始まりであると同時に、後に王国を揺るがすことになる壮大な復讐譚の、静かな幕開けだった。
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