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五章
59.一生懸命な君に笑顔になる
しおりを挟む俺がカウンター席の前に立つと既にカウンターの中で待機していたワタルがニコッと笑って真ん中の空いている席を指定した。
なるほど、俺を客に見立てて接客しようとしてんのか。それなら厳しい目で見てやるよ。
「いらっしゃいませ♪お客様は初めてですか?」
「いや、来た事あるよ」
「失礼致しました。いつもありがとうございます♪僕は新しいglowのメンバーのワタルです。よろしくお願いします」
「ん、よろしく」
丁寧にそれでも少しワタルっぽく挨拶をされた。別に客に対してそこまでしろとは指導はしてないけど、常連の気を悪くさせない配慮としては悪く無いんじゃないか?
俺は、月一ペースで通う頑固で多くを語らない無愛想な客を演じる事にした。
「本日は何をご用意しましょう?」
「いつもの」
新人にとってこれ以上の意地悪は無いだろう。
実際にこういう客はいるんだ。この常連にとってはいつも通りにいつものお酒を楽しみたいだけ。だけど、つい最近入ったばかりのワタルにとってはこの客とは初めて会うんだ。
「いつもの」なんて言われても困るに決まっている。
ワタルは顔色を変えずに笑顔のまま受け答えし続けた。
「恐れ入ります、僕にお客様の事を少し教えていただけませんか?」
「あ?俺は早く美味い酒が飲みたいんだ。くっちゃべってないで早く出してくれ」
「かしこまりました」
俺は全く飲みたいお酒を伝えていないにも関わらずワタルは笑顔のまま、お酒を作り始めた。
まさか勝手に想像して作って提供する気か?そもそもワタルがバーテンダーなんていつの間にやったんだ?
俺は厳しい目のままワタルの行動をずっと見ていた。
元々綺麗に整った顔をしていて常に笑顔でいるからそこは問題ない。姿勢も良くて、ワタルのアホな一面を知らなければ何も疑う事なく安心して待てるだろう。女性だったら惚れ惚れするんじゃない?
手際の方はやっぱりまだ慣れてない感じはあるかな。グラスを置くときに音を立てたり、あれどこだっけみたいな仕草も度々見て取れる。
それでも真面目に、一生懸命にやっているのは伝わった。
俺は何も言わずにワタルを見ていると、一瞬目が合って眉毛を下げてニコッとされた。困ってるみたいだな。
ワタルの手元にはジン、トニックウォーター、そして仕込んであるライムの入ったタッパー。
ジントニックを作る気か。定番と言えば定番のカクテルだな。うちでも多く注文の入るカクテルでもあるし、好きな人は多いからこの選択は悪くない。
だけど、ジントニックは一見シンプルだけど、それだけに選ぶ材料や、作り方によって味が変わりやすいんだ。飲めばその店の味が分かると言われるぐらいに、慣れている俺でも初見の人に出すのは緊張する一杯だ。
まずここでワタルはミスを犯している。グラスだ。グラスは良く冷えている物を使う方が良い。だから冷蔵庫で冷えてるグラスを用意するべきなんだけど、緊張しているのかそれに気付かず、常温のグラスを一番初めに用意していた。
もし作るのに時間が掛かるのであれば、グラスは後から出してもいいと思うんだけど、今は何も言わずに見ていようと思った。
あくまでも俺は頑固な無愛想常連ジジイだ。
「ふぅ……」
何とかカクテルを作り終えたワタルは一息付いた後に、普通サイズの氷を使ったジントニックのグラスの下の方を慣れない手付きで持って、差し出して来た。
そして初めと同じ感じの良い笑顔を見せた。
「お待たせ致しました。ジントニックです」
「うむ、いただこう」
カクテルを受け取って一口付けてみる。
甘み、苦味、そしてライムの香り。うん!美味しい♪ずっと作り方を見ていたけど、グラスと氷以外はキチンとこなしていたんだ。氷に当たらないように注いでいたり、混ぜるときも静かに混ぜすぎずに気を使っていたり、グラスを冷やしておいた方がいいのは、早く氷が溶けて味が薄くなってしまうから。そしてそれを防ぐ為にも大きめの氷を使った方がいい。
改善点はあったものの、お酒を飲まないワタルにしては頑張ったんじゃないかな?
ワタルの事を知っている俺は、一口飲んだだけで表情が緩くなっちゃった。
「美味しい♪ワタルにしては上出来だ♪」
「ほんと!?良かったぁ!」
もう自分のキャラ設定も忘れて笑顔でワタルを褒めてやった。ワタルも安心したようにヘラ~とした笑顔に変わった。
何よりも俺の知らない所でお酒を作れるようになっていた事に驚いたよ。
ワタルも頑張って仕事を覚えようとしていたんだね。俺は怒ってばかりでちゃんとワタルの事を見れていなかったのかもな。
その後は、ワタルに改善点を教えてあげて、客にこういう注文をされたら無理はせずに俺を呼ぶ事を教えた。
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