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名前の重み

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「何の事……だ?」

 おっちゃんは自分から怒鳴られた言葉の内容に対し、困惑しているようだ。怒りの表情すら浮かべていない。

「一回目のマリアちゃんに対する頬への張りは理解できる。自分の娘がこれだけの大さわぎを起こして大多数の人の迷惑をかけた以上、それなりの罰を与えるのは親の役目だ。それを怠ればろくな大人に成長しないからな。だが……」

 ここでさらに自分は一歩前に出る。自分の周囲を取り囲んでいる自警団の皆さんが向けている槍の穂先の一つが自分の胴体に軽く触れたが、そんなことはお構いなしだ。

「その後のアンタの行動は何だ! 更に叩こうという面もあまり感心できんが、そこは百歩譲って黙ろう。だがな、こんな時ですらアンタは自分の娘の名前を呼ぶ事すらできんのか!!」

 自分が蹴り飛ばした最大の理由はここだ。おっちゃんはマリアちゃんの事を、『お前はお姉ちゃんになっているのに』と言っていた。おっちゃんの家族構成は、マリアちゃんの発言から想像するに両親にマリアちゃん、そしてその妹の四人であると思われる。なので、確かにお姉ちゃんと言えばマリアちゃんの事を指している訳だから意味は通じるだろう。だが、意味が通じている事と名前を呼ばなくていい事は決してイコールにはならない。

「大体マリアちゃんがこんな騒ぎを起こした原因の一つは、アンタにあるんだぞ!」

 そう思いきり言葉を叩き付け、さらに言葉を紡ごうとした時だった。それを止める人物が自分とおっちゃんの間に現れたのは。

「お兄ちゃん、そこからは私が言う。私が言わないと……」

 それはマリアちゃんだった。ひっぱたかれた頬が赤く腫れ上がっていて痛々しい。それでも目はしっかりとした意思を宿している。本当に聡い子だ。こんな小さいのに、これだけのしっかりとした自分を持っている人はどれぐらいいるだろうか。

 ──自分の十歳の時はこんなに賢くも無ければ、物事を深く理解もできなかった。獣人だからなのか、それともこの子が特別優秀なのか……おそらく後者なんだろうけど。

「お父さん、お父さんは私の事を名前で呼ばなくなったのはどれぐらい前か覚えてる?」

 父親であるおっちゃんの方に向き直り、そうマリアちゃんは口を開き始めた。そのマリアちゃんの言葉に、この場に居る自分や自警団の皆さんは静かに様子を伺う。

「妹が三年ぐらい前に生まれて、それから一年ぐらい後……二年位私は、お父さんにもお母さんにも『マリア』と呼んでもらった記憶はないよ。『お姉ちゃん』としか呼んでもらってない」

 マリアちゃんの告白が進むにつれて自警団の皆さん、特に小隊長と名乗ったラッセルさんの方から緩やかに怒気の様な物を感じたのでちらりと盗み見ると……その表情は恐ろしい事になっていた。間違いなく怒っている。その理由は……そのうち分かるか? 今は口を挟まないでおこう。

「妹に手がかかるのは分かるよ? 妹はちっちゃいし、ちょっとした事で病気にかかりそうになったりしているみたいだから。だからそれはいいの。でもね、お父さん。私は妹からすれば『お姉ちゃん』だけど、お父さんたちから見れば『マリア』なんだよ……? お父さん、私の事を『お姉ちゃん』と言う言葉で記号や道具みたいに片付けないでよ! きちんとお父さんとお母さんがくれた名前の『マリア』って呼んでよ!!」

 最後は感情的になって、涙交じりの絶叫になった。マリアちゃんのこぼす涙は地面に小さなシミを生む。マリアちゃんは自分の背を向けているから表情は分からないが、見ていいものでもないだろう。ひっくひっくと鳴くマリアちゃんの隣に進み、ゆっくりと片膝立ちの恰好を取ってその頭をなでたのはおっちゃんではなく……ラッセルさんだった。

「お嬢ちゃん、苦しかったろ。ここに来る前にも思っていたが、本当に強い子だ」

 まるで自分の孫のように優しい声でマリアちゃんの頭をゆっくりと撫でる。そのお蔭か、マリアちゃんの鳴き声はゆっくりとおさまっていく。しかし……そのマリアちゃんの状態が収まった時、ラッセルさんは道具屋のおっちゃんに向けてギラリとした怒りの表情を向けた。

「それに引き換え、お前さんは何だ。まさか忘れたのか? 我ら獣人の子育ての基本を。『名前とは、その人が世界に認められる唯一無二の手段。故に親は子供に名を授け、世界から認められるという祝福を与える。だが、名前の役割はそこからが本番であり、感謝や尊敬、愛情の念を抱いて呼ばれると輝きを増す。そして蔑みや恨みの念を抱いて呼ばれると穢れる。故に親は子供の名前に最大の愛情をこめて呼ぶことで、その名前が付けられた子供が他の人からも愛されるようにしていくべきである』という基本を」

 ゆっくりと立ち上がったラッセルさんはおっちゃんに近づいていく。

「確かにしつけも大事だ。悪い事をしたときはひっぱたいて痛みを与える事で、罰を与えるのも親の大切な役目なのは確かだ。だがな……」

 そこでラッセルさんは言葉を区切り、右手で握り拳を作っておっちゃんの顔目がけて突き出した! だが、その拳は寸止めで止めたようだ。おっちゃんがぶっ飛んでないし。

「その悪い事をしたときに与える罰にも愛をもって行うべきだ! 理想論? ふざけるな、理想を語る事も出来ないのであれば何もやれん! ましてや、自分の娘の名前を蔑ろにして呼ばないとは何事だ! こんな聡い子が何故家出をしたのか、この子と街で合流してからここに来るまで理由が分からずに内心首をかしげていたのだが、よく分かった! 聡い子だからこそ、名前を呼ばれなければ愛してもらえてない、自分は親にとって邪魔になったんだと考えてもおかしくねえ!」

 ラッセルさんからの言葉に対しておっちゃんは「そ、そんなつもりはなかった!」などとしどろもどろに反論するが、ラッセルさんはそれがどうしたとばかりに払いのける。

「あのな、お前さん本人は確かにそんなつもりはなかったのかも知れねえよ。だがな、肝心のマリアちゃんがどう感じるかは全く別問題なんだよ! ましてや二年だぞ? 二年も名前を呼ばれないって事自体が、邪魔者扱いされる家に居たくないと言う考えに到達するには十分な時間だろうが! 胸に手を当てて、よーく考えてみろ!」

 そう、そこだ。これは親になると忘れてしまう事の一つだろう。自分がそう思っているのだから息子や娘にもちゃんと伝わっていると考えてしまう。ここが血を分けた存在という物の問題点でもある。

 わかりやすくなるかは分からないが一つの例を上げよう。しっかりと毎日に仕事を行う事で十分な収入を得て、家族を十全に養っている一人のお父さんがいたと課程しよう。それは世間から見れば立派な父親であると写る可能性が高い。社交的な性格であればなおさらである。

 だが、その反面休日などはこれといった事をせずに、家に居ればだらしない恰好でゴロゴロとしながら新聞やらTVやらを見ているばっかりだったらどうか? 子供はだらしない父親としか見ないだろう。

 収入を得ているから、普段は毎日仕事をしているからと父親は言うだろう。休日ぐらい好きに休ませろと。だが、それを子供が理解するかどうかは別なのだ。今回の件もおっちゃんは愛情を込めてお姉ちゃんと言っていたのかも知れない。だが、娘のマリアちゃんからしてみれば『名前をぜんぜん呼んでもらえなくなった』事で、もう両親から自分は見て貰えていない、邪魔になったのかもしれないと考えるようになったのだろう。そこには親からの愛情があったとしても、これでは伝わっているとはとてもじゃないが言えたものじゃない。

 そしてそういった事を徐々に理解し始めたのか、おっちゃんの表情はどんどん真っ青になって行った。そんなおっちゃんの様子を見たラッセルさんはようやく怒気を収める。

「どうやら気がついたようだな。俺も確かに自警団をやってるからよ、忙しい日々を送っちゃあいる。だが、だからって自分の息子や娘の名前を呼ばないなんて真似はしちゃいない。こんな良くできた娘さんをこんなことで泣かすんじゃねえぞ。もしもう一回同じことを繰り返した場合は……解ってるな?」

 そんなラッセルさんの言葉に、おっちゃんは半分うなだれるようにうなずく。もう大丈夫かな? これだけ周囲に言われても同じことを繰り返すようじゃどうしようもない。そしてこのおっちゃんはそのどうしようもないような人物ではないはずだ。

「よし、俺達はここで引きあげよう。お前さんはどうする?」

 ラッセルさん達はここで引きあげか。まあ、あのおっちゃんの様子を見ればもうマリアちゃんが無為に叩かれる可能性もまずないよな。自分も今日は引き上げてよさそうだ。

「自分も宿屋に引き上げますよ。後は家族の話題の領域でしょうし、そこに部外者が混じるのはよろしくない」

 とラッセルさんに告げる。そしてようやくここで自分を包囲していた槍の穂先が外される。といっても、全然気にしていなかったが。何せラッセルさんほどではないのかも知れないが自分も頭に来ていたからな。向けられた槍の穂先何てろくすっぽ視界に入っていなかった。

「そうかい、それなら途中まで一緒に行こうか。一応念のためって奴だ」

 ま、仕方ないか。一発とは言え住民であるおっちゃんに蹴りを叩き込んだからな……まだ警戒されていても仕方がない。宿屋に戻る道で自警団の人達を雑談を交わしつつ歩く。さすがにこの日は宿屋に戻り次第ベッドに入ってログアウトした。
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なんでこんな話を書いたのか。それは最近子供につける名前が流行りだとかに乗っかってつけるような風潮がある為です。

名前と言う物は重いのです。何せ一生使うのですからね。それを一時期のはやりだとか、とんでもない当て字の様な名前とか……そんな名前も貰ってしまった子供は一生苦労する事になりかねないのです。

一見平凡に見えても、その裏にはしっかりとした理由と親からの愛がある。そんな名前を子供にはつけていただきたいものです。
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