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第14話「人喰い階長」
しおりを挟む「こっちだ!」
零は胸の傷から滲む血を押さえながら、城崎の姿を追った。天井と壁を自在に移動する怪異の姿は、時折廊下の薄明かりに照らされて、不気味な影を投げかけていた。
凛も息を切らせながら零の後を走る。「あいつ、どこに向かってるの?」
「中央ホールかもしれない」
27階の構造は他の階と同様、中央に大きなホールがあり、そこから各部屋へと廊下が伸びている。零は本能的にそこへ向かうと感じていた。
暗い廊下を駆け抜けながら、零は遠藤の言葉を思い出していた。「住人たちが一人、また一人と姿を消している」。その意味するところが、彼の中で恐ろしい形を取り始めていた。
「あの怪異、何を目的に…」
零の言葉が途切れた瞬間、城崎の姿が壁から天井へと移り、中央ホールの入口に向かって這うように進んでいた。
「やはりホールへ向かってる!」
二人は急いで追いかけた。しかし中央ホールの扉の前で、凛が突然立ち止まった。
「零…この匂い…」
零も気づいていた。ドアの隙間から漂ってくる腐臭。それは腐敗した肉の、あまりにも濃厚な匂いだった。
「心の準備をしろ」
零が扉を押し開くと、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
中央ホールの床には、複数の人間の死体が転がっていた。五体、いや、それ以上か。暗闇の中でもはっきりと見えたのは、それらの腹部が全て裂かれ、内臓が抜き取られていたことだった。腹部は大きく開かれ、空洞となっており、床には乾いた血のシミが黒く広がっていた。
「こいつ…住人を…」
凛の声が震えた。零も言葉を失い、ただ恐怖に目を見開いた。
天井の暗がりから、何かが降りてきた。それは城崎だった。彼は頭を下にして、蜘蛛のように天井から垂れ下がっていた。その顔は先ほどよりさらに人間離れしており、目は大きく見開かれ、口は耳まで裂け、顎が外れたように大きく開いていた。
「もっと…食わせろ…」
城崎の声は喉の奥から絞り出されたような、湿った音を伴っていた。そして最も恐ろしいことに、その口の中からは人間の指がいくつか覗いていた。まるで何かを飲み込みきれていないかのように。
「お前は…一体何なんだ?」零は震える声で尋ねた。
城崎はゆっくりと床に降り立つと、四つん這いの体勢で首だけを不自然に起こした。
「私は…城崎…だ…」
その声は人間の声と別の何かが重なったような不気味な二重音だった。
「嘘だ!」零は封魔竹刀を抜いた。「お前は城崎を乗っ取った怪異だ!」
城崎の顔に、冷たい笑みが浮かんだ。
「正解だ…この男は『操り怪異』の力を使って27階を制覇した…だが力の代償は大きすぎた…」
零と凛は警戒しながら、城崎から距離を取った。
「彼は怪異の力を利用して階長になった…だが最後は自分が怪異に食われる運命だった…」
城崎は不自然に首を回しながら二人を見回した。
「新たな階長のお前の肉は特別だろうな」
その言葉と共に、城崎の体が急激に変形し始めた。背骨が浮き上がり、肋骨が皮膚を突き破って外部に露出した。腕は異常に長く伸び、指先には15センチほどの鋭い爪が生えていた。
「来るぞ!」
零の警告の声が響く間もなく、城崎の姿が一瞬で消えた。次の瞬間、彼は零の頭上に現れ、鋭い爪で零の肩を狙っていた。
零は咄嗟に身をかわし、封魔竹刀を振るった。刃が城崎の腕を切り裂くが、傷口からは血ではなく、黒い液体が噴出した。
「こんなもので私を倒せると?」
城崎の動きはあまりにも速く、壁、天井、床を縦横無尽に移動しながら攻撃を仕掛けてくる。零は竹刀で応戦するが、その速さについていくのが精一杯だった。
凛も参戦し、赤く光るグローブで城崎を攻撃するが、彼はその攻撃も軽々とかわした。
「チッ…素早すぎる!」
城崎が壁を這う瞬間を狙い、凛が強烈な蹴りを放った。だが城崎は体を不自然にくねらせ、わずかな隙間を縫うようにしてその攻撃をもかわした。
「遅い遅い!」
城崎の爪が閃光のように凛の腕を掠め、彼女の制服が裂け、血が噴き出した。
「凛!」
零が駆け寄ろうとした隙に、城崎は再び零に襲いかかった。今度は防ぎきれず、零の胸の傷がさらに深まる。
「ぐっ…!」
零は鋭い痛みに膝をつき、口から血を吐いた。傷は前回よりも深く、大量の血が零の制服を濡らしていく。視界が赤く染まり、霞み始めた。
「零!」
凛が零を支えようとしたが、城崎は彼女も容赦なく攻撃した。凛の腕にもう一筋の傷が加わり、彼女は痛みに顔をゆがめた。
「このままじゃ…」零は血まみれの手で封魔竹刀を握りしめた。「何か作戦を…」
城崎は二人の苦戦を見て、不気味に笑った。その笑い声は人間のものとは思えない、金属的な響きを持っていた。
「もっと苦しめ…もっと恐怖を…そして美味しく頂く…」
零は頭がクラクラする中、なんとか立ち上がろうとした。胸からの出血が止まらず、視界が霞む。こうなると、長期戦は不利だ。
「銀の鈴…」
零は懐から守護鈴を取り出した。ミユキの遺した武器が、この窮地で役立つかもしれない。
鈴を手に取った瞬間、零の手のひらに温かさが広がった。守護鈴が反応し、かすかな光を放ち始める。
「何…?」
城崎の動きが一瞬止まった。彼は鈴の光を警戒するように、わずかに後退した。
「弱点は光か!」
零は直感的に悟った。城崎は「操り怪異」、つまり影や闇に関連した能力を持つ怪異なのかもしれない。だとすれば、光は天敵となる。
「凛!」零は銀の鈴を鳴らした。澄んだ音色が部屋中に響き渡ると、城崎は悲鳴を上げ、顔を覆った。
「その音…止めろ!」
「効いてる!」凛が叫んだ。「続けて!」
零は繰り返し鈴を鳴らし、光を放った。その光に守られるようにして、彼は封魔竹刀を構え直した。竹刀も零の意思に呼応するように青白い光を放ち始めた。
「くっ…」城崎は光を避けるように壁に張り付いた。「光だけで倒せると思うな!」
彼の体が再び変形し、背中から突然何かが飛び出した。それは触手のような、しかし骨や筋肉が露出した、グロテスクな器官だった。無数の触手が城崎の背中から伸び、部屋中に広がっていく。
「なんだそれは…!」
触手は零と凛を捕らえようと伸びてきた。零は鈴を鳴らしながら、触手を切り裂いていく。切断された触手からは黒い液体が噴出し、床を腐食させていった。
「零、気をつけて!後ろ!」
凛の警告が遅れ、一本の触手が零の死角から襲いかかり、彼の足を捕らえた。
「くっ!」
もう一本の触手が零の手から銀の鈴を叩き落とした。鈴は床に落ち、その光が弱まっていく。
「終わりだ…」城崎は不気味に笑った。
「まだだ!」
凛が素早く動き、鈴を拾い上げた。彼女が鈴を鳴らすと、城崎は再び悲鳴を上げ、触手が一瞬緩んだ。
「今だ、零!」
零はその隙に封魔竹刀を強く握りしめ、全身に残った力を込めた。竹刀が青白い光を放ち、まるで光の刃のように輝いた。
「はああああっ!」
零は渾身の力で城崎に突進した。城崎も最後の力を振り絞り、全ての触手を零めがけて突き出した。
時間が止まったかのような瞬間があった。
零の竹刀が城崎の胸を貫くと同時に、一本の太い触手が零の腹を貫通した。
「ぐはっ…!」
零の口から血が噴き出した。腹を貫通した触手からは激痛が全身に広がり、彼の視界が真っ白になる。
しかし、竹刀は確かに城崎の胸を貫いていた。青白い光が城崎の体内に広がり、彼の体が内側から輝き始める。
「ぎゃああああっ!」
城崎の絶叫が部屋中に響き渡った。彼の体が痙攣し、触手が次々と切れて床に落ちていく。触手が零の体から抜け、零は血を吐きながら床に崩れ落ちた。
「零!」
凛が零を抱きかかえる中、城崎の体が徐々に灰のように崩れていった。皮膚、筋肉、骨が灰となって床に落ち、最後に残ったのは歪んだ人間の顔だけだった。
「次は…お前も…」
その言葉を残して、城崎の顔も灰と化して消滅した。部屋に残ったのは零、凛、そして床に散らばる犠牲者の死体だけとなった。
「零!しっかりして!」
凛の声が遠くから聞こえる。零の意識は急速に遠のいていた。腹部からの出血が止まらず、床に大きな血溜まりができている。
「だ…大丈夫…」
零は弱々しく笑おうとしたが、それは血に濡れた苦痛の表情になった。腹を貫通した傷は深く、内臓にまで達していることが明らかだった。
「急いで30階に戻りましょう!」
凛は必死に零を抱きかかえ、立ち上がった。彼女の顔には涙が流れていた。
「死なないで…お願い…」
零は返事をする力もなく、ただ意識が闇に引きずり込まれていくのを感じていた。凛が零を抱えて廊下を走る足音、エレベーターのボタンを連打する音、そして上昇中の揺れ。それらが零の遠のく意識の中で混ざり合っていた。
「生きて…零…」
凛の涙声だけが、零の耳に残った最後の音だった。その後、彼の世界は完全な闇に沈んでいった。
---
意識が戻ったとき、零はまず天井の蛍光灯を見た。
「ここは…」
「医務室よ」
声のする方を向くと、凛が疲れた表情で微笑んでいた。彼女の腕には包帯が巻かれていたが、表情は安堵に満ちていた。
「何日…経った?」
「三日よ」凛は零の額に手を当てた。「ずっと意識不明だった」
零は体を動かそうとしたが、腹部に鋭い痛みが走った。
「無理しないで」凛が制止した。「触手で内臓を損傷したの。命が危なかった」
零はゆっくりと頭を動かし、周囲を見回した。医務室のベッドには彼の他にも何人かの住人が横たわっており、医療班が忙しく動き回っていた。
「城崎は…」
「倒したわ」凛は静かに言った。「あなたの竹刀が彼を貫いた瞬間、怪異は消滅した」
零は安堵のため息をついた。少なくとも、犠牲は無駄ではなかった。
「でも、あの怪異…」零は眉をひそめた。「城崎は階長として、なぜ怪異に…」
「わかっているのは少ないけど」凛は声を落とした。「彼は27階の怪異の力を借りるために、何らかの契約を結んだんじゃないかと思う。そして最終的に彼自身が怪異に乗っ取られた」
零は考え込んだ。住人を食い殺していた城崎の姿、そして彼の口から覗いていた人間の指。あの指は犠牲になった住人たちのものだったのだろうか。想像するだけで吐き気がした。
「そんな力、借りるべきじゃなかった」
「そうね」凛は同意した。「でも、このマンションでは生き残るために人は何でもするわ」
その言葉に、零は身震いした。彼自身も守護武器の力を使っている。それは違うのだろうか?守護武器と怪異の力を借りることの境界線はどこにあるのだろう。
「また眠りなさい」凛は優しく言った。「もっと休まないと」
零は疲れた目を閉じた。今は休む必要がある。27階は攻略したが、この先にはさらなる階層と、さらなる怪異が待ち受けているはずだ。
「絶対に…生き残る…」
零の意識が再び闇に落ちていく中、彼は強く誓った。どんな怪異が待ち受けていようと、彼は必ず生き残り、このマンションの謎を解き明かす。そして全ての住人を救うのだと。
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