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最終章 ありのままのヒーロー
8ー4
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車に乗ってエンジンをかけると、咲子さんが助手席に座るあたしの方を見て優しく微笑んだ。
「一葉くんね、お母さんが亡くなってから、ずっとお父さんに反抗してばかりだったの。しばらく、口なんてきいたことなかったんじゃないかな」
「……え」
突然、咲子さんが一葉くんのことを話し始めて、あたしは驚きながらもじっと次の言葉を待った。
「家の中もめちゃくちゃにして、一葉くん自身も苦しんでいて、逃げるようにうちにやって来たの。あたしも、最初はどうやって向き合っていこうかなって、すごく悩んだ。一葉くんのお父さんとは、あたしは面識があったし、すごく良くしてもらっていたから、一葉くんのことを預かること自体は、別に問題はなかった。だけどね、話を聞いてみると、ずっとお父さんのことを勘違いしてきているんだなって、思ったの」
小さくため息を吐き出し、咲子さんは「出発するね」と言って、車を走らせ始めた。
「一葉くんのお母さんのことは、聞いた?」
「……はい。お墓に、連れて行ってもらいました」
あたしがすぐに答えると、一瞬驚いたようにこちらを見てから前に向き直って、咲子さんはなんだか切なそうに優しく微笑む。
「……そう」
「事故で亡くなったって、聞きました」
「うん、そうなの」
咲子さんは赤信号で止まると、思い出すように語り始める。
「あの頃、桐さんとても忙しくて。そんな中で不倫の報道が出てしまったの。弁解する時間もなかったみたい。もちろん不倫なんてしていないし、落ち着いたらちゃんと事実を話そうとしていたみたいなんだけど」
小さくため息を吐き出して、咲子さんは続ける。
「きっと、奥さんも限界だったのかもしれない。本当に、突然のことで……桐さんはそんなことがあった後も仕事をこなさなくちゃならないし、一葉くんのことを一人にしてしまったことも、本当に後悔しているって言っていた。大切なのは、目の前の仕事じゃなくて、何よりも家族だと、あの時は気がつけなかったって」
辛そうに眉を顰める咲子さんに、あたしは離れていた父が連絡がなくともちゃんと家族のことを思っていてくれたことを思い出す。もしも、一葉くんのお父さんもそうだったとしたら。
「……一葉くんのお父さんは、家族のこと、大切に思っていたんですか?」
聞いて良かったのかなと戸惑いながらも、あたしは咲子さんの返事を待つ。ちょうど、目的地の駅前に到着して、駐車場に車が停まった。咲子さんはシートベルトを外して、背もたれに体を倒した。
「もちろんよ。あたしね、こっちに桐さんが住んでいた頃から、将来もしもカフェを開く時があったら、店内や外装のデザインをお願いしますって口約束していたの。あんなに有名になってしまうなんて、あの頃は思わなかったし、あたし自身も本当にカフェを開くなんて考えられなかったから、ただの口約束だと思っていたの。だけど、あたしがカフェを開くって噂を、どこから聞きつけたのか、桐さんから連絡が入ったの。それでね、絶対に俺がデザインするからって、言ってくれて」
真っ直ぐに遠くを見つめる瞳は、きっと当時のことを思い出しているのかもしれないと思った。
「桐さんは不倫なんてしている暇なんて、なかったわよ。寝る間も惜しんでカフェデザイン考えてくれていたし、一葉くんと奥さんを驚かせたいって、また、昔暮らしたこの場所が新しく家族の思い出になるようにって、完成まで秘密だぞって、悪戯に笑っていたの……それなのに」
俯いた咲子さんの声が、震えている。なんだか、あたしの方が泣きそうになって、そっと視線を外に向けた。
新幹線が到着したのかもしれない。駅の出入り口から、たくさんの人が出入りしているのが見えた。
「ちゃんと、一葉くんにあの時のことを話せていればいいなと、あたしはそればっかり心配してる。桐さんって器用なくせに、自分のこととなるとめちゃくちゃ不器用な人だから」
困ったように笑う咲子さんに、あたしの胸がギュッと詰まるように苦しくなった。
一葉くんは、お父さんのこと、責めたり罵倒してしまったりしたのだろうか。すれ違って、言葉を交わすこともしないでいた時間を後悔して、嘆いたんだろうか。ちゃんとお互い向き合えて、納得のいく話は出来たんだろうか。
帰ってきた一葉くんのことを、あたしはどうやって迎えてあげるのが、正解なんだろう。やっぱり、少しだけ不安になる。
「一葉くんね、お母さんが亡くなってから、ずっとお父さんに反抗してばかりだったの。しばらく、口なんてきいたことなかったんじゃないかな」
「……え」
突然、咲子さんが一葉くんのことを話し始めて、あたしは驚きながらもじっと次の言葉を待った。
「家の中もめちゃくちゃにして、一葉くん自身も苦しんでいて、逃げるようにうちにやって来たの。あたしも、最初はどうやって向き合っていこうかなって、すごく悩んだ。一葉くんのお父さんとは、あたしは面識があったし、すごく良くしてもらっていたから、一葉くんのことを預かること自体は、別に問題はなかった。だけどね、話を聞いてみると、ずっとお父さんのことを勘違いしてきているんだなって、思ったの」
小さくため息を吐き出し、咲子さんは「出発するね」と言って、車を走らせ始めた。
「一葉くんのお母さんのことは、聞いた?」
「……はい。お墓に、連れて行ってもらいました」
あたしがすぐに答えると、一瞬驚いたようにこちらを見てから前に向き直って、咲子さんはなんだか切なそうに優しく微笑む。
「……そう」
「事故で亡くなったって、聞きました」
「うん、そうなの」
咲子さんは赤信号で止まると、思い出すように語り始める。
「あの頃、桐さんとても忙しくて。そんな中で不倫の報道が出てしまったの。弁解する時間もなかったみたい。もちろん不倫なんてしていないし、落ち着いたらちゃんと事実を話そうとしていたみたいなんだけど」
小さくため息を吐き出して、咲子さんは続ける。
「きっと、奥さんも限界だったのかもしれない。本当に、突然のことで……桐さんはそんなことがあった後も仕事をこなさなくちゃならないし、一葉くんのことを一人にしてしまったことも、本当に後悔しているって言っていた。大切なのは、目の前の仕事じゃなくて、何よりも家族だと、あの時は気がつけなかったって」
辛そうに眉を顰める咲子さんに、あたしは離れていた父が連絡がなくともちゃんと家族のことを思っていてくれたことを思い出す。もしも、一葉くんのお父さんもそうだったとしたら。
「……一葉くんのお父さんは、家族のこと、大切に思っていたんですか?」
聞いて良かったのかなと戸惑いながらも、あたしは咲子さんの返事を待つ。ちょうど、目的地の駅前に到着して、駐車場に車が停まった。咲子さんはシートベルトを外して、背もたれに体を倒した。
「もちろんよ。あたしね、こっちに桐さんが住んでいた頃から、将来もしもカフェを開く時があったら、店内や外装のデザインをお願いしますって口約束していたの。あんなに有名になってしまうなんて、あの頃は思わなかったし、あたし自身も本当にカフェを開くなんて考えられなかったから、ただの口約束だと思っていたの。だけど、あたしがカフェを開くって噂を、どこから聞きつけたのか、桐さんから連絡が入ったの。それでね、絶対に俺がデザインするからって、言ってくれて」
真っ直ぐに遠くを見つめる瞳は、きっと当時のことを思い出しているのかもしれないと思った。
「桐さんは不倫なんてしている暇なんて、なかったわよ。寝る間も惜しんでカフェデザイン考えてくれていたし、一葉くんと奥さんを驚かせたいって、また、昔暮らしたこの場所が新しく家族の思い出になるようにって、完成まで秘密だぞって、悪戯に笑っていたの……それなのに」
俯いた咲子さんの声が、震えている。なんだか、あたしの方が泣きそうになって、そっと視線を外に向けた。
新幹線が到着したのかもしれない。駅の出入り口から、たくさんの人が出入りしているのが見えた。
「ちゃんと、一葉くんにあの時のことを話せていればいいなと、あたしはそればっかり心配してる。桐さんって器用なくせに、自分のこととなるとめちゃくちゃ不器用な人だから」
困ったように笑う咲子さんに、あたしの胸がギュッと詰まるように苦しくなった。
一葉くんは、お父さんのこと、責めたり罵倒してしまったりしたのだろうか。すれ違って、言葉を交わすこともしないでいた時間を後悔して、嘆いたんだろうか。ちゃんとお互い向き合えて、納得のいく話は出来たんだろうか。
帰ってきた一葉くんのことを、あたしはどうやって迎えてあげるのが、正解なんだろう。やっぱり、少しだけ不安になる。
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