巡りくる季節の途中で

佐々森りろ

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第一章 あれから十年

1ー12

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 とは言ったものの。さっきつけたばかりのエアコンはまだ部屋の中を冷やし切っていなくて、扇風機のぬるい風が行ったり来たりしている。リビングの椅子にきちんと座って梅ジュースが出てくるのを待っている一葉くん。その姿をチラリと見てから、あたしはグラスに氷を落としつつ、後悔の渦に飲み込まれていた。
 なんであんなこと言っちゃったんだろう。なんで家の中にあげちゃったんだろう。これからどうしたらいいの、あたし。
 震える手をどうにか落ち着かせて、梅ジュースを一葉くんの前にゆっくりと置いた。

「ど……どうぞ……」
「あ、ありがと。いただきます」

 一葉くんと対面して座り、グラスを持ち上げて飲み始めるのをジッと見ていた。

「……梨紅は飲まないの?」
「え、あ、はい。あたしは、とりあえず大丈夫です……」

 自分の分はすっかり忘れていただけ。この状況をどうしたら良いのか頭の中でぐるぐると考えすぎて、もはや梅ジュースどころではない。

「うわ、美味いね、これ」

 一気に半分近く飲んで、一葉くんが笑うから嬉しくなった。

「よかったぁ! うちのお母さん手作り梅ジュースなんです。毎年夏はこれを飲んで乗り切ってます」
「そうなんだ」

 あ、また。あたしってばペラペラと喋りすぎてしまった。緊張もあいまって、普段の自分の感覚が鈍ってしまう。しかも、すっごく馴れ馴れしい気がする。距離感完全にバグってないかな。
 落ち込んで下を向くと、カタンっとグラスをテーブルに置く音がして、顔を上げた。

「それさ、試着してみて。実は咲子さんに写真送んなきゃないんだよね」
「……え?」

 一葉くんがスマホを取り出して、さっき渡された紙袋を指差すから、中身を引っ張り出してみる。生成色のエプロンは共布で両脇に大きめのポケット、黒い胸ポケットには深緑色で「和やか」とおしゃれな字体の刺繍がしてある。
 思ったより長いリボンを後ろで結ぶのに手間取っていると、見かねたのか、一葉くんがそばにきて、「貸して」とリボンを手に取った。サラリと流れる髪の毛が、一瞬あたしの頬を掠めて、リボンを持っていた手に一葉くんの手が触れた。こんなに男の子に接近されることが今まで無かったから、瞬時に石のように固まってしまった。
 一度、後ろでクロスさせてから前に持ってきて、おへそのあたりでリボン結びをしてくれた。

「よし、こんなもんだろ……って、梨紅? 固まってる?」

 ぼーっとしてしまっていたあたしの顔の前で、一葉くんが手を振っている。

「え! あ、ご、ごめんなさいっ。びっくりしちゃって」
「なんで? ほら、そこに立って。撮るぞ」
「え! あ、待って……」

 スマホを向けられて、慌てて背筋をピンッと伸ばす。いつ撮られたかもわからないまま立ち尽くしていると「もういいよ」と笑われた。
 一葉くんって、ちゃんと笑える人なんじゃん。さっきから笑顔ばっかり見ている気がする。

「サイズ丁度いいよな? もし長そうだったら肩の紐で調節してって言ってたぞ。じゃあ、用も済んだし、帰る」
「あ、はい。ありがとうございます」
「いや、別に。俺の仕事だし。じゃあまた店でな。ごちそうさまでした」

 玄関から出る時に、一葉くんはきちんと頭を下げた。パタンと閉まった玄関扉を見つめたまま、しばし茫然としてしまう。
 一葉くんが、笑っていた。
 笑顔を思い出しては、緩んでしまう頬に手を置いて、嬉しさに目をつむる。
 やっぱり、あたしのヒーローは優しいんだ。日向子ちゃんの言う通り、あたしの第一印象は衝撃的だったみたいだし、一葉くんの記憶に残る存在にはなれている。よし、この調子で、一葉くんと仲良くなりたい。友達に、なりたい。

 リビングに戻ってエプロンを脱ぐと、折り目が付かないようにハンガーにかけた。紙袋の中のシフト表に気が付いて取り出すと、昨日海と約束した日はちょうど休みになっていた。こちらから頼むことをしなくて良かったと一安心する。
 日向子ちゃんと一葉くんのシフトは見事に合わないように組まれていて、その代わりに、あたしは常に二人のどちらかと一緒の時が多いようだ。日向子ちゃんがいれば心強いし、一葉くんも無愛想だとは言え、さっきあんなに笑顔を見せてくれたから、きっと大丈夫。もしかしたら、一葉くんも人見知りだったのかもしれない。
 初対面だと、どう反応していいのかわからなくて、あたしもたまに無愛想な態度をとってしまうことがあるから。きっと、一葉くんもあたしや日向子ちゃんに対してそうだっただけかもしれない。そう思うと、不安が少しだけ、和らぐ気がした。
 

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