異世界転移した私が「お前とは結婚しない」と言った運命の番(獣人)と幸せになる話~銃声を添えて~

深山恐竜

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第5話

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 その日、巡は書斎にいた。そこには大きな窓とバルコニーがあり、立派な猫足の机と椅子が置いてある。他の部屋よりも装飾は少な目で、巡は落ち着いた雰囲気のこの部屋が気に入っていた。
 その部屋の花瓶には黄色い花が生けられていた。

 それを見て、巡はぽつりと言った。
「今日も、レスシェイヌさんから花束が届いているんですね……」

 レスシェイヌは毎日欠かさず巡に贈り物を届けてくれる。人にものをもらうことに慣れていない巡はどう反応したらいいのか困り果てていた。
 まして、相手が直接持ってくるわけでもないため、お礼を言うタイミングすらつかめない。

 レスシェイヌとはあれ以来まったく会えていなかった。それで花束だけ届くのだから、巡の困惑はもっともである。


 巡のつぶやきを拾って、ヨンシが言った。
「お礼のお手紙を出してみてはいかがでしょうか」
「いえ、そんな……お忙しいでしょうし」

 巡は頭を振った。自分などから手紙をもらっても迷惑だろう。事実、レスシェイヌは正式に大神官となるための儀式の準備でまともに城にも戻れないそうだ。手紙を書いては負担かもしれない。

 巡をこちらに呼んだのはレスシェイヌだ。
 彼が巡を呼んだ理由は、彼が成人と認められて大神官の指名を受けるのに番が必要だったからだ。
 ふつう番は愛し合い、夫婦になる。しかし、レスシェイヌは番である巡を呼んだだけで、夫婦になろうとはしなかった。

 脳裏でプラチナの髪がゆらりと揺れた。

(「運命の番は結婚をするものですが、私はそのつもりはありません」かぁ……)

 巡はあの日聞いたレスシェイヌの言葉へどう反応したらよかったのか、まだわかりかねていた。

(ふつう、結婚する。でも、私とはしない)

 考えれば考えるほど、彼の言葉が痛みを生む。

(好みじゃなかったのかなぁ)

 それなら仕方ない。頭ではわかるが、ではなぜ自分はここにいるのだという疑問が大きくのしかかる。
 巡は奥歯を噛み締めた。
 義務的に送られてくる花束、来訪のない部屋。
 ヨンシは巡が手紙を書きだすのを今か今かと待っているが、その期待には応えられない。応えることをレスシェイヌは望まないはずだ。

(というか、字が書けないと思うのよね)

 こちらの世界の文字は日本語とは異なっている。しかし、じっと見つめるとその文章が翻訳されて頭に浮かんだ。きっと話す言葉もこのようにして勝手に翻訳されているのだろう。
 ヨンシは巡が文字をすらすらと読むのを見て、書くこともできるのだろうと思い込んでいる。しかし翻訳は一方通行のようで、ヨンシが巡のメモを覗き込んだとき彼女は「変わった文字ですね?」と首を傾げていた。
 かといって、巡は自ら「できない」と言い出すこともできない。母親に対してそうであったように、彼女は自身の困りごとを人に話すのが苦手であった。

 巡は豪奢な部屋の真ん中で途方に暮れた。


 レスシェイヌとの関係性をどうなるのか、レスシェイヌは何を望んでいるのか。巡はずっとそれを考え続けているが、答えは出ない。
 このひとつの悩みを除けば、城での生活は快適だ。こちらの世界で巡がしなくてはいけないことはなにもない。
 ただぼーっとしていれば一日が終わる。それは平穏ともいえ、退屈ともいえる。
 ヨンシは巡が郷愁の念に駆られないように心を砕いてくれている。
 その心配りを見るたびに巡は複雑な気持ちになった。
 帰りたいかと問われれば「帰った方がいいと思う」と返事をするだろう。しかし、帰らなくていいと命じられたなら「はい」と従順に頷くだろう。

 それくらい巡はどちらの世界にも寄る辺がなかった。


「私、この世界で何をすればいいんでしょうか」
 巡がついにぽつりと漏らした困りごとに、ヨンシはすばやく反応した。
「ただ楽しくお過ごしいただけましたら」
「ヨンシさんは」
「どうかヨンシ、と」
「ヨンシ」

 巡は慌てて言い直す。たびたび注意されているのだが、どうしても年上の彼女を呼び捨てにすることに慣れなかった。

「ヨンシは、レスシェイヌさんとの付き合いは長いんですか?」
「はい。乳母を務めました」
 巡は目を丸くして目の前の女を見た。
「乳母? ヨンシが?」
「ええ。今年で四十四になりますわ」

 巡は「え」と思わず声を漏らす。
 三十代前半であった自分の母親の目じりに入った皺を思い返し、巡は首を振った。

「見えない……。すっごく若く見えますね……」

 三十代前半、ともすれば二十代にも見えそうなほど、彼女ははつらつとしている。それが彼女特有のものなのかそれとも獣人という種族がそうであるのか巡には判断がつかなかった。

「あら、ありがとうございます。でも、もうふたり子どもを産みましたわ」
「子どもたちはどこにいるんですか?」
「レスシェイヌ様にお仕えしております」
「そうですか……なんでヨンシは私のところに?」
「立候補しましたのよ。他にも手を挙げるものがいましたが、勝ち取りましたわ」
「…………そっか」

 巡は黙りこくった。
 レスシェイヌにすべてを捧げているヨンシ。
 きっと、巡がレスシェイヌと夫婦になることを期待して巡の侍女になったのだろう。巡はその期待にも応えられそうにない。

(きっとがっかりするよね)

 がっかりしているかと問いたかったが、その言葉は音になる前に消えた。
 もしその質問に彼女が是と答えたら、巡は自分が立ち直れないだろうと思ったのだ。


 巡はため息をついた。
 ずっと自分がなにかに責め立てられているような感覚があった。わざわざ異世界から呼び出され、贅沢な暮らしをさせてもらっているのに、ちっとも期待に添わない自分。なすべきことを見つけられない自分。
 巡は眉根を寄せた。

「なにか、することがあるといいんだけれど」
「こちらのことを学ばれてもよろしいかと存じますが」
「勉強……? でも、いまもヨンシがいろいろ教えてくれていますよね」

 メモ帳に手をおく。そこには毎日たくさんのこちらの世界の常識が書き込まれていく。それらはすべてヨンシが教えてくれるものだ。

 ヨンシは笑った。
「あまりにもメグル様がいい生徒ですので、もうわたしくにお教えできることはありませんわ」
「でも、勉強といっても、まだこっちの常識もわからないですし」
「それを習えばよろしいかと。何も小難しいことばかりが勉強ではありませんわ」
 巡は少し考えたあと、うなずいた。
「そうですね。それもいいかもしれません」

 ほんとうは乗り気ではないのだが、ヨンシの期待に応えたかった。
 ヨンシはぱっと両手を合わせた。

「先生をお呼びしますわ」
「先生」

 苦いものが胸に広がる。先生、から連想される学校、クラスメイト、勉強……どれもいい思い出がない。

(駄目だなぁ)

 すぐに弱気になるところ。そして、すぐに卑屈になるところ。わかっているのに、なおせない自分の悪いところ。

(変わらなきゃ……)

 このままではいけない、という思いがあった。それは前の世界にいるときもずっと抱いていたのだが、いまはそれがいっそう強くなった。
 ――あの日撃ちまくった散弾銃の衝撃が手に残って、それが巡にほんの少しだけ勇気をわけてくれた。

 巡は窓の外を見る。
 城の外、山の下にはかわいらしい煉瓦の街並みが広がっている。

「外に出てみてもいいですか?」
「ええ。お庭のアルカンザの花が満開ですよ」
「あ、いえ、そうではなく」

 巡はぐっとこぶしを握った。

「街に行ってみたくて」

 そう、レスシェイヌへの恋心は叶いそうもないが、新しい友人をつくることはできるかもしれない。
 巡は精いっぱいの笑顔をつくってみせる。
 せっかく異世界に来たのだから、巡は生まれかわってみたかったのだ。

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