5 / 35
第5話
しおりを挟むその日、巡は書斎にいた。そこには大きな窓とバルコニーがあり、立派な猫足の机と椅子が置いてある。他の部屋よりも装飾は少な目で、巡は落ち着いた雰囲気のこの部屋が気に入っていた。
その部屋の花瓶には黄色い花が生けられていた。
それを見て、巡はぽつりと言った。
「今日も、レスシェイヌさんから花束が届いているんですね……」
レスシェイヌは毎日欠かさず巡に贈り物を届けてくれる。人にものをもらうことに慣れていない巡はどう反応したらいいのか困り果てていた。
まして、相手が直接持ってくるわけでもないため、お礼を言うタイミングすらつかめない。
レスシェイヌとはあれ以来まったく会えていなかった。それで花束だけ届くのだから、巡の困惑はもっともである。
巡のつぶやきを拾って、ヨンシが言った。
「お礼のお手紙を出してみてはいかがでしょうか」
「いえ、そんな……お忙しいでしょうし」
巡は頭を振った。自分などから手紙をもらっても迷惑だろう。事実、レスシェイヌは正式に大神官となるための儀式の準備でまともに城にも戻れないそうだ。手紙を書いては負担かもしれない。
巡をこちらに呼んだのはレスシェイヌだ。
彼が巡を呼んだ理由は、彼が成人と認められて大神官の指名を受けるのに番が必要だったからだ。
ふつう番は愛し合い、夫婦になる。しかし、レスシェイヌは番である巡を呼んだだけで、夫婦になろうとはしなかった。
脳裏でプラチナの髪がゆらりと揺れた。
(「運命の番は結婚をするものですが、私はそのつもりはありません」かぁ……)
巡はあの日聞いたレスシェイヌの言葉へどう反応したらよかったのか、まだわかりかねていた。
(ふつう、結婚する。でも、私とはしない)
考えれば考えるほど、彼の言葉が痛みを生む。
(好みじゃなかったのかなぁ)
それなら仕方ない。頭ではわかるが、ではなぜ自分はここにいるのだという疑問が大きくのしかかる。
巡は奥歯を噛み締めた。
義務的に送られてくる花束、来訪のない部屋。
ヨンシは巡が手紙を書きだすのを今か今かと待っているが、その期待には応えられない。応えることをレスシェイヌは望まないはずだ。
(というか、字が書けないと思うのよね)
こちらの世界の文字は日本語とは異なっている。しかし、じっと見つめるとその文章が翻訳されて頭に浮かんだ。きっと話す言葉もこのようにして勝手に翻訳されているのだろう。
ヨンシは巡が文字をすらすらと読むのを見て、書くこともできるのだろうと思い込んでいる。しかし翻訳は一方通行のようで、ヨンシが巡のメモを覗き込んだとき彼女は「変わった文字ですね?」と首を傾げていた。
かといって、巡は自ら「できない」と言い出すこともできない。母親に対してそうであったように、彼女は自身の困りごとを人に話すのが苦手であった。
巡は豪奢な部屋の真ん中で途方に暮れた。
レスシェイヌとの関係性をどうなるのか、レスシェイヌは何を望んでいるのか。巡はずっとそれを考え続けているが、答えは出ない。
このひとつの悩みを除けば、城での生活は快適だ。こちらの世界で巡がしなくてはいけないことはなにもない。
ただぼーっとしていれば一日が終わる。それは平穏ともいえ、退屈ともいえる。
ヨンシは巡が郷愁の念に駆られないように心を砕いてくれている。
その心配りを見るたびに巡は複雑な気持ちになった。
帰りたいかと問われれば「帰った方がいいと思う」と返事をするだろう。しかし、帰らなくていいと命じられたなら「はい」と従順に頷くだろう。
それくらい巡はどちらの世界にも寄る辺がなかった。
「私、この世界で何をすればいいんでしょうか」
巡がついにぽつりと漏らした困りごとに、ヨンシはすばやく反応した。
「ただ楽しくお過ごしいただけましたら」
「ヨンシさんは」
「どうかヨンシ、と」
「ヨンシ」
巡は慌てて言い直す。たびたび注意されているのだが、どうしても年上の彼女を呼び捨てにすることに慣れなかった。
「ヨンシは、レスシェイヌさんとの付き合いは長いんですか?」
「はい。乳母を務めました」
巡は目を丸くして目の前の女を見た。
「乳母? ヨンシが?」
「ええ。今年で四十四になりますわ」
巡は「え」と思わず声を漏らす。
三十代前半であった自分の母親の目じりに入った皺を思い返し、巡は首を振った。
「見えない……。すっごく若く見えますね……」
三十代前半、ともすれば二十代にも見えそうなほど、彼女ははつらつとしている。それが彼女特有のものなのかそれとも獣人という種族がそうであるのか巡には判断がつかなかった。
「あら、ありがとうございます。でも、もうふたり子どもを産みましたわ」
「子どもたちはどこにいるんですか?」
「レスシェイヌ様にお仕えしております」
「そうですか……なんでヨンシは私のところに?」
「立候補しましたのよ。他にも手を挙げるものがいましたが、勝ち取りましたわ」
「…………そっか」
巡は黙りこくった。
レスシェイヌにすべてを捧げているヨンシ。
きっと、巡がレスシェイヌと夫婦になることを期待して巡の侍女になったのだろう。巡はその期待にも応えられそうにない。
(きっとがっかりするよね)
がっかりしているかと問いたかったが、その言葉は音になる前に消えた。
もしその質問に彼女が是と答えたら、巡は自分が立ち直れないだろうと思ったのだ。
巡はため息をついた。
ずっと自分がなにかに責め立てられているような感覚があった。わざわざ異世界から呼び出され、贅沢な暮らしをさせてもらっているのに、ちっとも期待に添わない自分。なすべきことを見つけられない自分。
巡は眉根を寄せた。
「なにか、することがあるといいんだけれど」
「こちらのことを学ばれてもよろしいかと存じますが」
「勉強……? でも、いまもヨンシがいろいろ教えてくれていますよね」
メモ帳に手をおく。そこには毎日たくさんのこちらの世界の常識が書き込まれていく。それらはすべてヨンシが教えてくれるものだ。
ヨンシは笑った。
「あまりにもメグル様がいい生徒ですので、もうわたしくにお教えできることはありませんわ」
「でも、勉強といっても、まだこっちの常識もわからないですし」
「それを習えばよろしいかと。何も小難しいことばかりが勉強ではありませんわ」
巡は少し考えたあと、うなずいた。
「そうですね。それもいいかもしれません」
ほんとうは乗り気ではないのだが、ヨンシの期待に応えたかった。
ヨンシはぱっと両手を合わせた。
「先生をお呼びしますわ」
「先生」
苦いものが胸に広がる。先生、から連想される学校、クラスメイト、勉強……どれもいい思い出がない。
(駄目だなぁ)
すぐに弱気になるところ。そして、すぐに卑屈になるところ。わかっているのに、なおせない自分の悪いところ。
(変わらなきゃ……)
このままではいけない、という思いがあった。それは前の世界にいるときもずっと抱いていたのだが、いまはそれがいっそう強くなった。
――あの日撃ちまくった散弾銃の衝撃が手に残って、それが巡にほんの少しだけ勇気をわけてくれた。
巡は窓の外を見る。
城の外、山の下にはかわいらしい煉瓦の街並みが広がっている。
「外に出てみてもいいですか?」
「ええ。お庭のアルカンザの花が満開ですよ」
「あ、いえ、そうではなく」
巡はぐっとこぶしを握った。
「街に行ってみたくて」
そう、レスシェイヌへの恋心は叶いそうもないが、新しい友人をつくることはできるかもしれない。
巡は精いっぱいの笑顔をつくってみせる。
せっかく異世界に来たのだから、巡は生まれかわってみたかったのだ。
2
あなたにおすすめの小説
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
あなたのそばにいられるなら、卒業試験に落ちても構いません! そう思っていたのに、いきなり永久就職決定からの溺愛って、そんなのありですか?
石河 翠
恋愛
騎士を養成する騎士訓練校の卒業試験で、不合格になり続けている少女カレン。彼女が卒業試験でわざと失敗するのには、理由があった。 彼女は、教官である美貌の騎士フィリップに恋をしているのだ。
本当は料理が得意な彼女だが、「料理音痴」と笑われてもフィリップのそばにいたいと願っている。
ところがカレンはフィリップから、次の卒業試験で不合格になったら、騎士になる資格を永久に失うと告げられる。このままでは見知らぬ男に嫁がされてしまうと慌てる彼女。
本来の実力を発揮したカレンはだが、卒業試験当日、思いもよらない事実を知らされることになる。毛嫌いしていた見知らぬ婚約者の正体は実は……。
大好きなひとのために突き進むちょっと思い込みの激しい主人公と、なぜか主人公に思いが伝わらないまま外堀を必死で埋め続けるヒーロー。両片想いですれ違うふたりの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~
tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。
番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。
ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。
そして安定のヤンデレさん☆
ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。
別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。
脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。
石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。
ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。
そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。
真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない
百門一新
恋愛
男の子の恰好で走り回る元気な平民の少女、ティーゼには、見目麗しい完璧な幼馴染がいる。彼は幼少の頃、ティーゼが女の子だと知らず、怪我をしてしまった事で責任を感じている優しすぎる少し年上の幼馴染だ――と、ティーゼ自身はずっと思っていた。
幼馴染が半魔族の王を倒して、英雄として戻って来た。彼が旅に出て戻って来た目的も知らぬまま、ティーゼは心配症な幼馴染離れをしようと考えていたのだが、……ついでとばかりに引き受けた仕事の先で、彼女は、恋に悩む優しい魔王と、ちっとも優しくないその宰相に巻き込まれました。
※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる