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第3話
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こつん、こつんと音が響く。杖が硬い床を叩く音だ。キルクトーヤの耳にこびりついて離れない、悪夢のはじまりを告げる音だ。
目を開けると、キルクトーヤは地下室にいた。彼はすぐに自分が夢を見ていることに気が付いた。いつもの夢だ。そしていつも通り、彼は彼自身に目を覚ませと命じるのだが、うまくいった試しはない。
そうしている間にろうそくの灯りが頼りなくゆらゆらと揺れ、闇の中に巨漢の姿を浮かび上がらせる。彼は伸ばした黒い髪を垂らし、銀の杖をついている。その杖が音を立てる。こつん、こつん、と。
夢だとわかっていても、キルクトーヤは全身の毛が逆立つのをとめられなかった。
闇の中に浮かび上がるその人物、彼の名前はナハト・ドゥンケルハイトだ。一代で財を成した大商人で、いまも港にいくつも船をもっている。――そして、キルクトーヤの養父でもある。
ナハトは爛々とした目でこちらを見て、一歩ずつ近づいてくる。
逃げようと足に力をいれるのだが、キルクトーヤの足は縫い留められたように動かない。キルクトーヤは「動け、動け」と足をめちゃくちゃに叩く。
ナハトはゆっくりとこちらに近づいてくる。目と目があったとき、キルクトーヤは全身から力が抜けて、その場に倒れ込んだ。もう呼吸をするのも忘れてしまって、ただナハトの巨大な体が自分の上に覆いかぶさるのを見ているしかない。ナハトが持っていた杖は放り出され、からんからんと音を立てて床に転がる。
ナハトは言った。
「お前はこの家で生き、この家で死ぬのだ」
ナハトは左手に酒瓶を持っていた。その酒を一気にあおる。酒臭い口をキルクトーヤに近づけて言う。
「お前は私の天使だ……」
ナハトが杖を振り上げる。長くて苦しい、折檻の時間がはじまるのだ。
キルクトーヤは全身を硬直させた。
――ああ、嫌だ。
*
「キルクトーヤ?」
名を呼ばれて、意識が覚醒する。ネルケがこちらを覗き込んでいた。目を動かし、自分の状況を確認する。キルクトーヤは講堂の長椅子に座ったまま眠ってしまっていたらしい。
全身に嫌な汗をかいていた。身じろぎすると服が体に張り付いた。
「ネルケ…………」
キルクトーヤは顔をしかめながら友人の名を呼ぶ。
そして、講堂清掃の仕事の途中だったことを思い出す。足元に箒が落ちていた。それを拾い上げる。ずいぶん長い間寝ていたようだった。窓から橙色の光が差し込んでいる。夜がもうすぐそこに迫っていた。
ネルケが言った。
「大丈夫? 顔色が悪いけど……」
「なんでも、ないよ。たぶん寝不足。ネルケこそどうしたの、こんな時間に」
「お客さんが来ているから呼んできてって言われたんだ。レーアムト老師に」
「お客……?」
脳裏に、ナハトのおぞましい顔がよぎる。
しかし、キルクトーヤは頭を振って悪夢を追い払った。ナハトは入学初日にキルクトーヤを無理やり連れ帰ろうと騒ぎを起こして以来、学校への出入りを禁止されている。
友人は続ける。
「お客さん、なんだかとってもきれいな人だったよ。貴族の人かな?」
「貴族……」
心当たりがない。しかし戸惑う暇もなく、ネルケに背中を押される。
「ほら、早く行きなよ」
言われて、一歩を踏み出す。
――大丈夫。
キルクトーヤは息を吐く。自分はいまナハトの手の届かない安全な場所にいる。
目を開けると、キルクトーヤは地下室にいた。彼はすぐに自分が夢を見ていることに気が付いた。いつもの夢だ。そしていつも通り、彼は彼自身に目を覚ませと命じるのだが、うまくいった試しはない。
そうしている間にろうそくの灯りが頼りなくゆらゆらと揺れ、闇の中に巨漢の姿を浮かび上がらせる。彼は伸ばした黒い髪を垂らし、銀の杖をついている。その杖が音を立てる。こつん、こつん、と。
夢だとわかっていても、キルクトーヤは全身の毛が逆立つのをとめられなかった。
闇の中に浮かび上がるその人物、彼の名前はナハト・ドゥンケルハイトだ。一代で財を成した大商人で、いまも港にいくつも船をもっている。――そして、キルクトーヤの養父でもある。
ナハトは爛々とした目でこちらを見て、一歩ずつ近づいてくる。
逃げようと足に力をいれるのだが、キルクトーヤの足は縫い留められたように動かない。キルクトーヤは「動け、動け」と足をめちゃくちゃに叩く。
ナハトはゆっくりとこちらに近づいてくる。目と目があったとき、キルクトーヤは全身から力が抜けて、その場に倒れ込んだ。もう呼吸をするのも忘れてしまって、ただナハトの巨大な体が自分の上に覆いかぶさるのを見ているしかない。ナハトが持っていた杖は放り出され、からんからんと音を立てて床に転がる。
ナハトは言った。
「お前はこの家で生き、この家で死ぬのだ」
ナハトは左手に酒瓶を持っていた。その酒を一気にあおる。酒臭い口をキルクトーヤに近づけて言う。
「お前は私の天使だ……」
ナハトが杖を振り上げる。長くて苦しい、折檻の時間がはじまるのだ。
キルクトーヤは全身を硬直させた。
――ああ、嫌だ。
*
「キルクトーヤ?」
名を呼ばれて、意識が覚醒する。ネルケがこちらを覗き込んでいた。目を動かし、自分の状況を確認する。キルクトーヤは講堂の長椅子に座ったまま眠ってしまっていたらしい。
全身に嫌な汗をかいていた。身じろぎすると服が体に張り付いた。
「ネルケ…………」
キルクトーヤは顔をしかめながら友人の名を呼ぶ。
そして、講堂清掃の仕事の途中だったことを思い出す。足元に箒が落ちていた。それを拾い上げる。ずいぶん長い間寝ていたようだった。窓から橙色の光が差し込んでいる。夜がもうすぐそこに迫っていた。
ネルケが言った。
「大丈夫? 顔色が悪いけど……」
「なんでも、ないよ。たぶん寝不足。ネルケこそどうしたの、こんな時間に」
「お客さんが来ているから呼んできてって言われたんだ。レーアムト老師に」
「お客……?」
脳裏に、ナハトのおぞましい顔がよぎる。
しかし、キルクトーヤは頭を振って悪夢を追い払った。ナハトは入学初日にキルクトーヤを無理やり連れ帰ろうと騒ぎを起こして以来、学校への出入りを禁止されている。
友人は続ける。
「お客さん、なんだかとってもきれいな人だったよ。貴族の人かな?」
「貴族……」
心当たりがない。しかし戸惑う暇もなく、ネルケに背中を押される。
「ほら、早く行きなよ」
言われて、一歩を踏み出す。
――大丈夫。
キルクトーヤは息を吐く。自分はいまナハトの手の届かない安全な場所にいる。
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