白猫と時渡りの杖

深山恐竜

文字の大きさ
10 / 44

第9話

しおりを挟む
 それからしばらくの間、キルクトーヤに平穏な夜が訪れていた。キルクトーヤの目は光を取り戻し、深く刻まれていた隈は消え去っていた。キルクトーヤはよりはつらつとして、勉強に、修行に、そして学費を稼ぐのに大忙しの毎日を送った。

 キルクトーヤは毎夜ペンをとった。手紙を書くのだ。宛先は、この平穏な夜を与えてくれたジークである。キルクトーヤはジークが言う「命の恩人」ではない。しかし、いまではジークはキルクトーヤの恩人である。
 彼の夢には今度はジークが出てくるようになった。夢の中の彼は美しくキルクトーヤに笑いかけてくれた。

 ある日、授業の終わりを告げる鐘が鳴ったあとで後ろの席のネルケがキルクトーヤの背中をつついた。
「キルクトーヤ、何それ? 見たことない本だね」
 振り返ると、ネルケがキルクトーヤの手元を指さしていた。キルクトーヤはその手元の図書の表紙を彼に見せてやる。
 それを見て、またネルケが問う。

「星座図鑑? もしかして、星読みの魔術師を目指すの?」
「ううん。そういうわけじゃないんだけど……もらったから」
「ふうん? 誰から?」

 その問いに、返事はなかった。ネルケが覗き込むと、キルクトーヤは頬を赤く染めていた。ネルケは仰天した。少し前、新聞がそれを書き立てたときは彼も大騒ぎしてキルクトーヤを問い詰めたものだった。しかし強く否定され、またそれ以後動きがなくて、もうすっかり何もないのだと思い込んでいたが――。

「え、もしかして……ジーク騎士?」

 キルクトーヤは何も答えないが、赤く染まった耳が答えである。
 ネルケは身を乗り出した。

「えー! お熱いね! 贈り物? じゃあやっぱり恋人なんだね!」
「ちょ! そ、そんなんじゃ……!」
 慌ててキルクトーヤは否定するが、ネルケの妄想は止まらない。
「二人、やっぱり結婚するんだね? 新聞には嘘ばかり書いているんだと思っていたのに、そうでもないんだね? 子どもの頃の約束で結婚かぁ……吟遊詩人たちに歌われそうだねぇ……。なんで教えてくれなかったのさ? 僕ら友達だろう?」

 捲し立てるように言われて、キルクトーヤは参ってしまった。キルクトーヤは弱弱しく言う。

「図鑑はもらったけど……その、友達として、連絡を取り合っているだけで……」
「え? なになに、どういうこと? 連絡を取り合っている?」

 しまった、と思ったときにはもう遅い。ネルケはキルクトーヤの腕を掴み、詳しく話すまで話さないと目で語った。
 キルクトーヤは意を決し、親友にことの成り行きを説明した。いきなり求婚されたこと、新聞に載ったこと、手紙をもらったこと、返事を書いたら贈り物をもらったこと、そしてそれ以来手紙のやりとりをしていること。
 ネルケは仰け反って大袈裟に驚いて見せた。

「ええ! 文通! それって立派な恋人じゃないか!」
「ちょ、声が大きいってば……!」

 キルクトーヤはネルケの口を抑え、そして付け加える。

「恋人じゃないよ。手紙の内容もふつうだよ。何を食べたとか、何をしたとか……。それに、図鑑をもらったときから会えていないし……」

 キルクトーヤの声はどんどん小さくなっていく。

「会えてないの?」

 ネルケが目を丸くして尋ねると、キルクトーヤは泣きそうな顔で頷いた。会いに来てくれと言えるような関係でもないし、かといって気軽に会いに行けるような人物でもない。キルクトーヤはジークがこれから自分との関係をどうしたいと考えているのかわからなかった。
 しかし、ネルケはあっさりとジークの意図を読み解いた。

「ああ、叙爵式があるから、忙しいんだね。手紙があるだけ十分じゃない?」
「え?」
「ジーク様が子爵に叙爵される式典だよ。……新聞読んでないの? たまにはちゃんとしたことも書いてあるんだよ?」

 ネルケが懐から新聞を取り出す。広げられたそこには『明日いよいよ叙爵式。シュヴェルト子爵誕生へ』と書かれていた。ジークが子爵となり、スコッチウェッド領とメルク領の一部を割譲され、あたらしくシュヴェルト領が誕生するという話だった。

「……そうなんだ」

 キルクトーヤは目を丸くしてその文字を追った。確かにそのような話を友人たちがしていた気がするが、英雄譚の中心人物など自分の人生には関係がないと思っていたのだ。
 ネルケはあきれたように肩をすくめ、それから尋ねた。

「いっしょに見に行く?」
「え?」
「叙爵式だよ。式典の前には儀杖隊の行進もあるし、屋台も出るよ。ジーク様も馬車で大通りを行かれると思うから、ひとめ見えるんじゃないかな。いくらキルクトーヤが仕事ばかり入れているとはいえ、少しくらい遊びに行く時間はあるでしょ?」

 その誘いに、キルクトーヤは躊躇った。胸の中には行きたい気持ちと、行きたくない気持ちがあった。その天秤は、わずかに前者に傾いた。

「……うん」

 キルクトーヤが小さく頷くと、ネルケは両手を叩いて喜んだ。

「キルクトーヤと街に出るのは初めてだね!」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? 騎士×妖精

攻略対象に転生した俺が何故か溺愛されています

東院さち
BL
サイラスが前世を思い出したのは義姉となったプリメリアと出会った時だった。この世界は妹が前世遊んでいた乙女ゲームの世界で、自分が攻略対象だと気付いたサイラスは、プリメリアが悪役令嬢として悲惨な結末を迎えることを思い出す。プリメリアを助けるために、サイラスは行動を起こす。 一人目の攻略対象者は王太子アルフォンス。彼と婚約するとプリメリアは断罪されてしまう。プリメリアの代わりにアルフォンスを守り、傷を負ったサイラスは何とか回避できたと思っていた。 ところが、サイラスと乙女ゲームのヒロインが入学する直前になってプリメリアを婚約者にとアルフォンスの父である国王から話が持ち上がる。 サイラスはゲームの強制力からプリメリアを救い出すために、アルフォンスの婚約者となる。 そして、学園が始まる。ゲームの結末は、断罪か、追放か、それとも解放か。サイラスの戦いが始まる。と、思いきやアルフォンスの様子がおかしい。ヒロインはどこにいるかわからないし、アルフォンスは何かとサイラスの側によってくる。他の攻略対象者も巻き込んだ学園生活が始まった。

fall~獣のような男がぼくに歓びを教える

乃木のき
BL
お前は俺だけのものだ__結婚し穏やかな家庭を気づいてきた瑞生だが、元恋人の禄朗と再会してしまう。ダメなのに逢いたい。逢ってしまえばあなたに狂ってしまうだけなのに。 強く結ばれていたはずなのに小さなほころびが2人を引き離し、抗うように惹きつけ合う。 濃厚な情愛の行く先は地獄なのか天国なのか。 ※エブリスタで連載していた作品です

聖獣は黒髪の青年に愛を誓う

午後野つばな
BL
稀覯本店で働くセスは、孤独な日々を送っていた。 ある日、鳥に襲われていた仔犬を助け、アシュリーと名づける。 だが、アシュリーただの犬ではなく、稀少とされる獣人の子どもだった。 全身で自分への愛情を表現するアシュリーとの日々は、灰色だったセスの日々を変える。 やがてトーマスと名乗る旅人の出現をきっかけに、アシュリーは美しい青年の姿へと変化するが……。

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

処理中です...