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8 エグリス王国崩壊の始まり
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《バルディア王国 王宮にて》
バルディア王国の若き王、グレンはエグリス王国との戦いに向け、すでに敵国の王宮とアルストレイン公爵家に間者を忍ばせていた。
魔道具の通信機で日々届く報告に、グレンは呆れ果てている。
「……ふざけているのか?」
王宮では、愚かなレオナルト王太子の独断で全てが決まり、軍師を務めるアルストレイン公爵家では、長女シルヴィアが父の代わりに働かされているという。
「それだけではありません。シルヴィア嬢は多くの仕事を押しつけられているにも関わらず、公爵家では全く大切にされておりません」
通信機越しの報告に、グレンは眉を寄せた。
――父親の影か……可哀想に。我が国に生まれていれば、才能を隠すこともなかったものを。
間者から逐一届く情報の中で、グレンはいつしかシルヴィアに同情し、気にかけるようになっていた。そして、悪い報せが届く。いや、グレンにとっては吉報と言うべきか。
「シルヴィア嬢が、追放されました」
通常、罪人の追放は国境近くの森に置き去りにされる。グレンは即座に決断し、側近たちとともに魔導馬を駆る。
通常の馬なら三日はかかる道のりも、魔導馬ならばわずか半日。国境へ到着した彼は、森のなかほどで倒れているシルヴィアを見つけると、宝物を扱うように抱き上げ、己の魔導馬に乗せた。
「――連れて帰る」
グレンはシルヴィアの涙で汚れた顔を、絹布で拭うと呟いた。
「愚かなレオナルト王太子よ、追放してくれて感謝する。シルヴィア嬢を手放したことを後悔するがいい」
◆◇◆
ゆるやかな揺れを感じて、シルヴィアは薄く瞼を開けた。
……揺れている?
夢を見ているのかと錯覚しながら、ぼんやりと視界を確かめる。自分は——馬の上にいる。
しかも、見知らぬ男の胸にもたれ、後ろから抱きしめられるような体勢だ。
「っ——!」
慌てて顔を上げた瞬間、視線が絡み合う。
漆黒の髪、青灰色の瞳。精悍で気品のあるその顔立ちは、息を呑むほどに美しい。雄々しく、そして洗練された王者の風格。
「あ、あのぉ……これは、いったい……?」
「森で倒れていた君を助けた。女性でありながら、影の軍師とはな……しかもこの若さで、実に見事だ」
「軍のことなど、女の私にわかるはずがありません。何の才もなく、公爵家から追放された身です」
警戒のあまり、シルヴィアは自身が軍師の仕事をしていたことを隠した。
だが、グレンは穏やかに微笑む。
「ひとつ、仕事を引き受けてくれたら、安全な生活を保障しよう。……祖国に戻ることは、もうできまい」
《バルディア王国 王宮》
夜明けとともに、バルディア王宮に到着したシルヴィアは、すぐに仕事を与えられた。
兵士訓練場に5人の兵士が整列する。
「この中に、エグリス軍の偵察兵が紛れている」
グレンはシルヴィアの耳元で囁く。
「拷問で吐かせるのは手間がかかるし、私の好みではない。君なら、どうやって見抜く?」
シルヴィアは兵士たちが朝食を終えたばかりだと聞くと、紅茶とジャスミン茶を用意させた。
エグリス人は辛い料理を好むため、食後は清涼感のあるお茶を飲む。紅茶を選ぶ場合も、砂糖やミルクは入れない。
対して、バルディア人は紅茶に砂糖やミルクをたっぷり入れる習慣があった。
シルヴィアの読みどおり、誰もジャスミン茶は選ばなかった。
間者なのだから、あからさまなミスはしない。
問題は紅茶の飲み方だ。
右端の男が、砂糖もミルクも入れず、一気に飲み干した。
これで確信した。
エグリス人は何にでも「ガラシト」という塩辛い調味料をかける。食後は喉が渇き、甘みのないお茶をがぶ飲みする傾向がある。
間者は、習慣の違いを隠しきれなかった。
「どうだ、誰か見当はついたか?」
「……そうですね。今のところは右端の兵士が怪しいかと。長年身体に染みついた習慣は誤魔化しきれるものではありません。食べ物の嗜好や食べ方。言葉のアクセント。武器の持ち方の違い……。演技をしようとしても、無意識の行動が必ず表れます。一日、観察する時間をいただければ、確実に判断できましょう」
「ふむ、合格だ。やはり君は優秀だな」
シルヴィアは、豪華な部屋と複数の侍女を与えられ、充分な休息を取った。
《翌日、王宮 戦議の間》
戦議の場に呼ばれると、グレンの隣に座るよう促された。
「この女性を、軍師とする。若く、女性ではあるが、その才は非凡だ」
その言葉に戦場の猛者たちがざわめくが、戦略を議論するなかで、次第にシルヴィアの有能さが明らかになっていく。公の場で称賛されるシルヴィア。
アルストレイン公爵家では、一度もなかったことだ。
影ではない。誰にも認められず、ただ働かされてきた日々とは違う。
――自分が自分でいられる。それは、こんなにも、清々しいものなのか。
シルヴィアは、ふと笑みをこぼした。
《エグリス王国 王宮作戦会議室》
重厚な扉が乱暴に開かれた。
「レオナルト王太子殿下! 急報です!ローデン砦が陥落! 第4軍壊滅! 第3軍も崩壊寸前! カール将軍、戦死!」
「何だと……?」
「バカな……!」
軍議の間が凍りつく。
「どうする、ルドヴィク!」
「策を出せ!」
「いつものように、妙案を頼む!」
詰め寄る王太子と将軍たち。
だが、ルドヴィクは沈黙したまま。
軍神と呼ばれた男は、かつてない重圧の中で、追い詰められていくのだった。
•───⋅⋆⁺‧₊☽⛦☾₊‧⁺⋆⋅───•
こちらはカクヨムでも投稿しております。アルファポリスではテンポ良く仕上げておりますので、8話の部分はカクヨムとは多少表現が違います。
バルディア王国の若き王、グレンはエグリス王国との戦いに向け、すでに敵国の王宮とアルストレイン公爵家に間者を忍ばせていた。
魔道具の通信機で日々届く報告に、グレンは呆れ果てている。
「……ふざけているのか?」
王宮では、愚かなレオナルト王太子の独断で全てが決まり、軍師を務めるアルストレイン公爵家では、長女シルヴィアが父の代わりに働かされているという。
「それだけではありません。シルヴィア嬢は多くの仕事を押しつけられているにも関わらず、公爵家では全く大切にされておりません」
通信機越しの報告に、グレンは眉を寄せた。
――父親の影か……可哀想に。我が国に生まれていれば、才能を隠すこともなかったものを。
間者から逐一届く情報の中で、グレンはいつしかシルヴィアに同情し、気にかけるようになっていた。そして、悪い報せが届く。いや、グレンにとっては吉報と言うべきか。
「シルヴィア嬢が、追放されました」
通常、罪人の追放は国境近くの森に置き去りにされる。グレンは即座に決断し、側近たちとともに魔導馬を駆る。
通常の馬なら三日はかかる道のりも、魔導馬ならばわずか半日。国境へ到着した彼は、森のなかほどで倒れているシルヴィアを見つけると、宝物を扱うように抱き上げ、己の魔導馬に乗せた。
「――連れて帰る」
グレンはシルヴィアの涙で汚れた顔を、絹布で拭うと呟いた。
「愚かなレオナルト王太子よ、追放してくれて感謝する。シルヴィア嬢を手放したことを後悔するがいい」
◆◇◆
ゆるやかな揺れを感じて、シルヴィアは薄く瞼を開けた。
……揺れている?
夢を見ているのかと錯覚しながら、ぼんやりと視界を確かめる。自分は——馬の上にいる。
しかも、見知らぬ男の胸にもたれ、後ろから抱きしめられるような体勢だ。
「っ——!」
慌てて顔を上げた瞬間、視線が絡み合う。
漆黒の髪、青灰色の瞳。精悍で気品のあるその顔立ちは、息を呑むほどに美しい。雄々しく、そして洗練された王者の風格。
「あ、あのぉ……これは、いったい……?」
「森で倒れていた君を助けた。女性でありながら、影の軍師とはな……しかもこの若さで、実に見事だ」
「軍のことなど、女の私にわかるはずがありません。何の才もなく、公爵家から追放された身です」
警戒のあまり、シルヴィアは自身が軍師の仕事をしていたことを隠した。
だが、グレンは穏やかに微笑む。
「ひとつ、仕事を引き受けてくれたら、安全な生活を保障しよう。……祖国に戻ることは、もうできまい」
《バルディア王国 王宮》
夜明けとともに、バルディア王宮に到着したシルヴィアは、すぐに仕事を与えられた。
兵士訓練場に5人の兵士が整列する。
「この中に、エグリス軍の偵察兵が紛れている」
グレンはシルヴィアの耳元で囁く。
「拷問で吐かせるのは手間がかかるし、私の好みではない。君なら、どうやって見抜く?」
シルヴィアは兵士たちが朝食を終えたばかりだと聞くと、紅茶とジャスミン茶を用意させた。
エグリス人は辛い料理を好むため、食後は清涼感のあるお茶を飲む。紅茶を選ぶ場合も、砂糖やミルクは入れない。
対して、バルディア人は紅茶に砂糖やミルクをたっぷり入れる習慣があった。
シルヴィアの読みどおり、誰もジャスミン茶は選ばなかった。
間者なのだから、あからさまなミスはしない。
問題は紅茶の飲み方だ。
右端の男が、砂糖もミルクも入れず、一気に飲み干した。
これで確信した。
エグリス人は何にでも「ガラシト」という塩辛い調味料をかける。食後は喉が渇き、甘みのないお茶をがぶ飲みする傾向がある。
間者は、習慣の違いを隠しきれなかった。
「どうだ、誰か見当はついたか?」
「……そうですね。今のところは右端の兵士が怪しいかと。長年身体に染みついた習慣は誤魔化しきれるものではありません。食べ物の嗜好や食べ方。言葉のアクセント。武器の持ち方の違い……。演技をしようとしても、無意識の行動が必ず表れます。一日、観察する時間をいただければ、確実に判断できましょう」
「ふむ、合格だ。やはり君は優秀だな」
シルヴィアは、豪華な部屋と複数の侍女を与えられ、充分な休息を取った。
《翌日、王宮 戦議の間》
戦議の場に呼ばれると、グレンの隣に座るよう促された。
「この女性を、軍師とする。若く、女性ではあるが、その才は非凡だ」
その言葉に戦場の猛者たちがざわめくが、戦略を議論するなかで、次第にシルヴィアの有能さが明らかになっていく。公の場で称賛されるシルヴィア。
アルストレイン公爵家では、一度もなかったことだ。
影ではない。誰にも認められず、ただ働かされてきた日々とは違う。
――自分が自分でいられる。それは、こんなにも、清々しいものなのか。
シルヴィアは、ふと笑みをこぼした。
《エグリス王国 王宮作戦会議室》
重厚な扉が乱暴に開かれた。
「レオナルト王太子殿下! 急報です!ローデン砦が陥落! 第4軍壊滅! 第3軍も崩壊寸前! カール将軍、戦死!」
「何だと……?」
「バカな……!」
軍議の間が凍りつく。
「どうする、ルドヴィク!」
「策を出せ!」
「いつものように、妙案を頼む!」
詰め寄る王太子と将軍たち。
だが、ルドヴィクは沈黙したまま。
軍神と呼ばれた男は、かつてない重圧の中で、追い詰められていくのだった。
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