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第四話
モデルデビュー(3)
しおりを挟む真紀ちゃんときなこくんと別れて私と迅くんはタクシーに乗り、一度家に戻って冬馬くんのスマホを回収して、冬馬くんのお仕事現場へと向かう。
迅くんは慣れた様子でスタジオらしき建物の中に入って行く。
スタジオの中では写真撮影が行われているようで、バシャ、バシャ、とシャッターが切られる音と電子音が何度も繰り返し鳴っている。
『うわああああ!! ほ、本物だぁ~!!』
キャリーケースのプラスチックの蓋越しにいろんなポーズを取っているメンバーの姿が見えた。
人間の時だったら危うく拝み倒して五体投地しているところだ。猫でよかった。人間だったら大人としての人権を失っていたところである。
「あ! 来た来た!」
撮影を見守っていたスーツ姿の男性がこちらに気付いて駆け寄ってくる。
「迅くんいつもありがとうね~!」
「いえ。これ、兄貴のスマホです」
ぺこりと迅くんが頭を下げて、男性に冬馬くんのスマホを渡す。
「こっちが噂のみーちゃん?」
「です」
マネージャーさんがキャリーケースを覗き込んでくるので思わず固まってしまう。
「めちゃくちゃ怯えてるけど大丈夫?」
「まぁ、ちょっと人見知り入ってるっぽいんで。獣医さんにも大丈夫って言われました。はい」
言ってたよ!? 確かにおじいちゃん先生大丈夫って言ってたけど、住んでる環境が変わってストレスがかかっちゃったのかな。なるべくストレスのかからないようにしてあげてね~と言っていた。
いや、ここに来ないという選択肢もあった。あったよ? でも多分その選択をしたら今感じているストレスはなくなるけれど、一生に一度あるかないかのビッグチャンスを逃したことをずっと後悔し続けて今度はそれがストレスになる。
オタクって本当に生きにくい。
人間がただでさえ生きにくい生き物だというのに絶対に遺伝子のバグだと思う。
「みーちゃん!」
そして私の癒しであり、ストレスの最大の原因でもある冬馬くんが満面の笑みで駆け寄ってくる。
輝かしい笑顔が眩しい。そして冬馬くんが近付くに連れて心音も増していく。
家でも毎日そのお姿を拝見しているが、それはオフの姿だ。
今は衣装を着てメイクもして、完全にオンの姿となっている。つまり、ときめきによる殺傷能力一〇〇〇%である。
今日は初めて見る衣装で、深い青色のスーツのような衣装を纏っていた。ネクタイやリボン、ジャケットの裾やズボンの丈の長さなど、メンバーに合わせたちょっとしたアレンジでそれぞれの個性を出している。
冬馬くんはリボンタイをしていて、白い手袋をつけていた。靴も真っ白な革靴。
「みーちゃん、来てくれてありがとうね~!」
キャリーケースを覗いてくる冬馬くんに驚いて、伏せのポーズを取る。もはや這いつくばっていないと自我を保てない。
「めっちゃびびってる。ウケる」
迅くんが鼻で笑う。馬鹿にされているのは分かるけれど、もうそれどころじゃない。非常事態だ。
「なんで!?」
しかし迅くんが私に向けた言葉に対して冬馬くんが反応する。
「兄貴がでかい声出すからだろ」
迅くんの冷静な指摘に冬馬くんは、はっ! と言う表情を浮かべた。でかい声にもびびるけど、それ以上にあなたの存在にびびっています。
「先生にもストレスが原因じゃないかって言われたし」
さらなる追い討ちで冬馬くんが打ちのめされた。
「僕が……みーちゃんの、ストレス……?」
いや、腹痛の原因はストレスじゃないかとは先生も言っていたけど、住む環境が急激に変わったからじゃないかとか言ってたじゃん。冬馬くんが原因とは先生一言も言ってなかったじゃん。
迅くんは冬馬くんで弄ぶ為にあえて主語を抜いたのだろう。
いや、ストレスっちゃあストレスですけど、悪い意味のストレスではないんですよ! と声を大にして言いたいが、猫の身ではそれも叶わない。
しかし、推しには本当の気持ちを伝えたい。カリカリとキャリーケースの縁を引っ掻いて、外に出せと催促する。
迅くんは首を傾げながらもキャリーケースの蓋を開けた。
「みーちゃん……?」
断罪を待つ罪人の様な表情で冬馬くんがこちらを見つめてくるので、思わず息が止まりそうになる。
『す、ストレスなんかじゃないよ……冬馬くんは私に生きる楽しさを教えてくれた恩人だよ』
「うん? うん?」
必死で言葉を伝えようとするが、冬馬くんは残念ながら私の言葉は通じないので、ずっとニコニコして首を傾げるだけだった。
私の言葉が通じる迅くんは目頭を押さえてそっぽを向いていたが。
「ねぇ、みーちゃん抱っこしてみていい?」
冬馬くんに必死に訴えていると、横からにゅっと人影が割り込んでくる。
真島瑛人くんだ。お人形さんみたいに小柄で、一瞬女の子と見間違えるくらいに華奢な男の子。私服も男物も女物も着こなすジェンダーレス男子で、曲によってガラリと雰囲気を変えてくるので振り幅の広い彼に心を掴まれたファンは多い。
そして何より真紀ちゃんの推し様である。
瑛人くんは大きくてクリクリの目を迅くんに向けている。
冬馬くんではなく、迅くんに伺うあたりがさすがと言うべきか。かわいい外見とは裏腹に、周囲をよく見て冷静に立ち回ることができるギャップの天才でもある。
「どう、ですかね」
迅くんが戸惑ったような表情を浮かべて、私の方に視線を落とす。
いやいや、真紀ちゃんに瑛人くんがどんな匂いしたか教えてとか言われたけどさすがに無理。
たとえ今はかわいい猫の姿でも、瑛人くんに抱っこされるとか罪悪感に押しつぶされる。
『無理無理無理……死んじゃう……』
この場にいるほとんどの人の注目を集めてしまっているので、首を横に振るなどの分かりやすい動きをするわけにもいかず、通じないとはいえ口を大きく動かすのも憚られたので、できるだけ動かず、囁くような声で迅くんに訴えた。
「まぁ、大丈夫じゃないっすかね」
しかし全く通じていなかった。迅くんはあっさりと抱っこを了承してしまう。
「やった。実家では猫飼ってたんだけど、こっちじゃ一人暮らしで飼えなかったから猫不足だったんだよね。失礼しまーす」
そう言いながら瑛人くんがキャリーケースの蓋を開け、手を入れて私の体を下から掬い上げた。
「あはは、緊張してるね~」
私はもう緊張でカチコチで、瑛人くんにもそれは伝わったようで笑われてしまった。
実家で猫を飼っていたと言うだけあって、手慣れた様子で抱っこされる。病院のおじいちゃん先生に抱っこされた時の様な安心感があった。
真紀ちゃんの願いを遂行すべく、一応空気を吸ってみるが緊張のあまりいい匂いがするということしか分からない。
「みーちゃん、なんで瑛人くんに抱っこされるとそんなに大人しいの……僕が抱っこしたらすっごく暴れるのに……」
そう言って冬馬くんが切なそうな表情で正面からこちらを覗き込んでくる。ぎえええ。
「瑛人いいな~。次俺も抱っこさせて」
「ずるい! 俺も抱っこしたい!」
そう言って瑛人くんの両脇からこちらを覗き込んできたのは伊勢京介くんと城山葵くんだ。
今こそ私とは一生無縁だと思っていたあの言葉、「私の為に争わないで」を発動すべきだろうかと思ったが、言ったところで迅くんにしか通じない。きっと鼻で笑われて終わるだけだ。
「あんまり構いすぎると嫌われるんじゃないか? ほどほどにしておけよ」
「冬馬が拾ってきたんだっけ? なんか表情が人間っぽいよなぁ」
「…………」
忠告を投げてくるのはリーダーの藤田剣心くん。その横でにこやかに年下組を見守っているのはリーダーの女房役的存在の夏宮藍くん。そしてじっと瞬きすらせずこちらを無言で凝視しているのが日下部凌くん。
感覚が鋭そうな藍くんにもどきりとしたが、凌くんがあまりにも意味深に見つめてくるので、もしかして彼も霊感持ちなのかと一瞬思った。
瑛人くんに抱っこされていたが、京介くんと葵くんに渡され、もう何がなんだかって状態である。
「ねぇねぇ! 写真撮って!」
再び私を抱っこしていた瑛人くんが、京介くんに頼んで写真を撮ってもらう。それはいい、それはいいのだが……。
『顔が近いいいいいい!!』
こちらに自分の顔を寄せて来て、人間同士ならまるでウルトラ熱愛期のカップルの自撮りツーショットのようだ。思わず前脚で瑛人くんのほっぺたを押してなんとか距離を取ろうと試みる。
「あっはっは!! めっちゃ嫌がられてんじゃん!!」
「みーちゃーん、俺とみーちゃんの仲じゃんかー」
どんな仲だ。
「冬馬、迅くん、ちょっといい?」
私が顔のいい男たちに弄ばれている間、マネージャーさんが冬馬くんと迅くんを呼ぶ。三人と、スタッフさんらしき人とで何かを話し合っている。
冬馬くんは嬉しそうに笑っているが、一瞬、迅くんがちらりとこちらに視線を向けた。
その意味深な視線に、なんだかとっても嫌な予感がする。
「みんな集合ー!」
カメラマンらしきスタッフさんの掛け声により、その場にいた全員が集合する。私は瑛人くんに抱っこされたまま集合した。
「ブロマイドのシークレット用の撮影、みーちゃんと一緒に撮ってみようか」
マジか。
「みーちゃんすごいじゃん。モデルデビューだって」
そう言いながら瑛人くんが私の喉を撫でる。
いやいや、一介のキモオタが一緒に写っていい訳がない。なんか変な念も一緒に写りそう。
「シークレットは集合写真になるから、誰がみーちゃん抱っこする?」
マネージャーさんの一言で、一瞬空気に電気が走った様な気がした。
剣心くんと藍くん、凌くんの年上三人組はスッと後ろに下がり、残った年下組四人が拳を握って一歩前に進み出た。
瑛人くんは私を抱えたままで、肩越しに迅くんの姿が見える。
『なんで私が一緒に写真撮ることになってんの!?』
迅くんに訴えると、彼は表情を変えずに親指を立てた。
じゃーんけーんぽん!! あーいこーでしょ!! しょっ!! しょっ!! とじゃんけんの掛け声が聞こえる。
「やったああああ!!」
拳を突き上げて勝鬨を上げているのは冬馬くんだった。他の三人があーあー、と声を漏らしている。
「抱っこさせてくれてありがとうね」
「いえいえ~」
瑛人くんから冬馬くんに渡される。嫌だ、離れないで、私いろんな意味で死んじゃう。そう思っても通じることはなく、冬馬くんの腕に捕獲された。
どうにかして逃げ出したかったが、ここで私が逃げたら撮影が滞る。
Seven Seasのメンバーだけでなく、他の人もたくさん仕事を抱えているだろう。そんな忙しい人達のスケジュールを私のわがままで狂わせるのは気が引けた。
小心者の私は、結局撮影が終わるのを大人しく待つしかなかった。
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