推しの猫になりまして

朝比奈夕菜

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第四話

モデルデビュー(5)

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 翌日、冬馬くんをお仕事に送り出してから私と迅くんは、冬馬くんがノエルを拾ったという橋へとやってきた。
 キャリーケースを使うと重いし、私も慣れない感覚が苦手だったので、前に冬馬くんを助けに行った時と同じ様に迅くんの上着に入れてもらっている。あったかいし安定感もあっていい。
「さっむ…………」
『寒いね…………』
 橋の近くは当たり前だが風を遮る建物もなく、師走の凍てつく風が容赦無く吹き付ける。
 迅くんは上着のポケットに両手を突っ込み、スヌードに鼻まで埋めて橋の周囲を歩く。
 すれ違う人達は最初できるだけこちらを見ないようにしているのだが、上着の中からひょっこりと顔を出す私を見て相変わらず二度見して行く。
「よっ! おつかれー」
『あー! 蛍ちゃんと……かっこいいお兄さんだー!!』
 あったかそうなロング丈のカーキ色のダウンを着た真紀ちゃんと、真紀ちゃんが着ているダウンとお揃いの色の犬用ダウンを着たきなこくんが向こうから走ってやって来た。
 迅くんは真紀ちゃんに向かってぺこりと頭を下げる。
 昨日のうちに迅くんが私のスマホを使って真紀ちゃんに連絡を取り直し、ノエルの件について相談したのだ。
 真紀ちゃんのアドバイスで、とりあえずノエルに縁のある所を巡ってみようという事になったのである。
『蛍ちゃん良いな~! あったかそう!!』
『きなこくんもお洋服真紀ちゃんとお揃いでかわいいね』
『えへへ~』
 普段からニコニコ顔がデフォルトなコーギーだが、きなこくんは嬉しい時はとろけたバターの様な表情になるのがかわいい。
「昨日言ってたノエルちゃん? の気配分かる?」
「いえ、なんかいろいろ気配が混じっててはっきりとは……」
「だよねぇ。水辺ってただでさえ色々寄って来やすいから」
 マジか。
 物騒な発言とは裏腹に、爽やかな笑みを浮かべて真紀ちゃんが川の方を見つめる。
 二人が気配を追えないのならどうすべきか。元々私は霊感なんてないし、そっちの知識は全くないので役に立たない。
 というか人間に戻った時ってどうなってるんだろう……視える様になってたら嫌だし、以前の様に視え亡くなったとしても存在を知ってしまった今、もしかしたらそこに幽霊がいるのかもしれないと思って過ごすのも嫌だな、と悶々と考えていた。
 そんな時、ふと思いついた。
『ねぇ、きなこくん』
『うん?』
 私が名前を呼ぶと、相変わらずデフォルトのニコニコ顔でこちらを振り向く。
『きなこくんは幽霊……おばけって視えるの?』
『うん視えるよぉ』
 おっとりとした口調できなこくんが頷いた。
『じゃあさじゃあさ、わんちゃんって匂いを追うの得意でしょう? おばけの匂いも追えるものなの?』
 私の質問にきなこくんは首を傾げる。
『う~ん、やったことがないから分かんないけど、やってみようか? その探して欲しいおばけの持ち物ってある?』
『迅くん!! 真紀ちゃん!!』
 思わぬ突破口の予感に大きな声を出してしまい、迅くんと真紀ちゃんが少し驚いた。
 きなこくんの言葉は二人に通じないので、私がさっきの会話を二人に伝える。
「なるほど。犬に幽霊の匂いを追いかけさせるっていうのは盲点だったわ。ていうか動物もやっぱり幽霊視えてんのね」
「ちょっと俺一回帰ってノエルの好きだったおもちゃ持って来ます。すみません、みー……蛍さんお願いしても良いですか」
「オッケーオッケー」
 そう言って迅くんは上着から私をずるりと引き出して真紀ちゃんに渡す。
「わぁ~さすがだね~。若い~速い~」
『フォームからして若いよね……』
『お兄さんはやーい!!』
 迅くんは踵を返すとすぐに走り出した。あっという間に背中が遠くなる。
 絶賛運動不足を実感しているアラサー企業戦士組(私は今猫だけど)は見るだけで全身が筋肉痛になりそうだ。きなこくんは楽しそうにその場でくるくると回っている。
 迅くんは帰りも猛ダッシュで戻ってきた。近いとはいえ来る時は歩いて十分くらいかかっていた道を、往復で十分。早過ぎる。
「本当に速いね。スポーツやってた系?」
「特には」
『特にスポーツもしてないのにスポーツ万能とか、少年漫画でスーパーサブとして駆り出されるやつじゃん』
「ああ、よく助っ人は頼まれてた」
 汗を袖で拭いながら、迅くんは平然と答えた。
 迅くんは途中で暑くなったのか上着を右脇に抱えている。戻ってきてすぐは息切れしていたが、ものの数分で息は整っていた。羨ましい。私が同じような事をすれば倍以上の時間が掛かる上に、この後使い物にならないと思う。
 右手にはジップロックに入った猫用のおもちゃが入れらている。ちょっとくたびれた、茶色のネズミの形をしたぬいぐるみ。
「これはノエルしか使ってないやつなんで、まだ匂い分かりやすいと思うんですけど……時間が経っているので、そこら辺が難しいかなと」
 きなこくんが嗅ぎ分けやすい様に、できるだけノエルだけが使っていたものを選んで持って来てくれたのだろう。
「まぁ、ダメで元々だもの。とりあえずやってみましょう。そもそもきなこにできるのかどうか分からないけれど」
『できるかどうかは分かんないけど、僕頑張るよ~!!』
 不安視している飼い主をよそに、きなこくんは体育会系出身の新卒入社社員の様に意気込んでいる。
 迅くんがジップロックの袋を開け、きなこくんの鼻先に持って行くと、きなこくんはふんふんと鼻息荒くジップロックの袋に鼻を豪快に突っ込んだ。
 充分匂いを嗅いだ後、きなこくんはふんふん匂いを嗅ぎながら道をゆっくり進んでいく。
『きなこくんどう? 分かりそう?』
 真紀ちゃんから迅くんに戻され、最初と同じ上着の中に入った状態できなこくんに問いかける。あまり急かすのは良くないと思うのだが、ついつい進捗を伺ってしまう。
『むむむむむ……なんか、こう、ふんわりと、似た匂いがする気がするけど、果たしてこれがそうなのか……むむむむむ……』
 きなこくんは顔を上げることなく、ずっと地面に鼻を擦り付けるようにして匂いを嗅いでいる。
 正直飽きっぽい性格なのかな、と思っていたけれど、一つのことに取り組めば結構集中するタイプらしい。
「きなこなんて言ってる?」
 きなこくんのリードを持っていた真紀ちゃんが振り返ってこちらに問いかける。
『似た匂いがする気がするって。でも、確信はないみたい』
「へぇ? 意外と才能ある感じ?』
『結構真剣にやってくれてるよ』
「おお、頑張れ~」
 飼い主の真紀ちゃんにとっても意外な発見だったらしい。
 それからたっぷり三時間、休憩を取りつつも捜索を続けた。
 きなこくんは本当に予想以上に根気強く、ずっと匂いを辿ってくれている。今は橋から少し外れて、住宅街に入っていた。
 日が傾いて空が橙色に色づき始めている。同じ夕暮れなのに、秋冬は尚更寂しく感じてしまう。
『むむっ!?』
 それまではずっと大きなリアクションを取らなかったきなこくんが、始めて声を上げた。足取りもだんだん速くなって行って、最後の方には全力疾走になっていた。
『うわわわわ……!!』
 きなこくんが走ればみんな走る。迅くんに抱えられている状態の私は、上下に大きく揺れる。一応迅くんが片手で支えてくれているけれど、正直言ってほんの気休めだった。まるで荒地を走る車のようだ。
『いた!! いたよ!! あの子じゃない!?』
 きなこくんが家と家の間の狭い隙間に向かって勢いよく吠える。
 夕暮れとはいえ、建物と建物の間に挟まれていて、そこは一足早く夜を迎えていた。



 その夜の中に、真っ白な毛並みがぼんやりと浮かび上がるのが視えた。



 しなやかな身のこなしで歩いており、長い尾がゆらゆらと優雅に揺れている。
 あの夜の日に、会った猫だ。
「ノエルっ!!」
 迅くんが声を上げた。今まで聞いたことのないほど切羽詰まった声に驚く。
 名を呼ばれた猫は、ゆっくりとこちらに振り向いた。
 黄金の一対の目がこちらを射抜くと、その場にいた全員が息を呑む。
 ノエルは、一度振り向いた後、さっと走り出してしまった。
「くそっ!!」
『あばばばばば』
 迅くんが駆け出す。そして私も激しく揺れる。
 家と家の間は人が通れる幅はないので、回り道をするしかない。何軒か先でようやく人が通れる道を見つけて、ノエルの向かった方へと回り込む。
『いない……』
 隙間を覗き込めば、向こう側には真紀ちゃんときなこくんが見えたが、ノエルはいなかった。
「ざんねーん。惜しかったねー」
 頭上から声がして上を見上げれば、夕焼けを背に白髪の美女が屋根からこちらを見下ろしていた。
 この間見た時と同じ、白いノースリーブのワンピースを着ている。向こうは全く気にしていなさそうだが、やはり見ているだけでこちらが寒くなる。
「ノエル、なのか……?」
 迅くんが呆然とした様子でつぶやいた。
 彼女は迅くんを見て、少し寂しそうに微笑む。
「そうよ。迅、また会えて嬉しいわ。まさかあなた達がその子を拾うなんて思ってもいなかったけれど、これも運命の巡り合わせなのかしら」
 いつもなら矢継ぎ早に言葉を繰り出す迅くんが、珍しく言葉が出てこない。はくはくと音にならない空気だけが口から漏れて行くのが分かる。
「どうして、お前」
「迅と冬馬に会いたい会いたいって強く思ってたら、気付いたらこうなってたの」
「だったらもういいだろう。この人を元に戻せ」
「えー、でも、冬馬にはまだ会えていないし、その人元に戻したらチケット返せって言われるじゃない」
 いつの間に取り出したのか、右手につまんだチケットをひらひらと振られる。
「当たり前だろ。そのチケットはお前のものじゃない。この人のものだ」
「猫は会場に入れないでしょう? だから、私が使ってあげる。このままじゃ勿体ないじゃない」
「だから……!!」
「お説教は聞き飽きたわ。じゃあね」
 ノエルはひらりと優雅に体を翻して姿を消した。その後みんなで周囲を探したが、どうやら家の屋根を伝って逃げたようで、きなこくんは匂いを追うことができなかった。



 とりあえず今日は一度解散しようということになり、一条家に帰って来たのだが、迅くんはずっと難しそうな顔をして黙り込んでいた。
 おいそれと話しかけられる雰囲気ではなかったので、テレビの音と、迅くんが料理をする音が部屋に虚しく響く。
 テレビの中では年末の華やかな歌番組の生放送にSeven Seasが出演していた。
 年末年始は特番ばかりだが、Seven Seasを見ない日はない。
 今日も大歓声を浴びながら、煌びやかな舞台で人の目を釘付けにしている。
 テレビの前に座って推しの姿を見つめていると、台所からガチャン、と不穏な音がした。
 驚いて振り向くと、迅くんが険しい顔をして近くにあったキッチンペーパーを数枚ちぎって左手の人差し指を押さえていた。
 キッチン前のカウンターに登って様子を伺う。
『だ、大丈夫?』
「指切った……」
 迅くんが聞いたこともないくらいしょげた声でつぶやいた。
 見るからに気持ちが落ち込んでいっているのが分かる。
 元気を出して欲しいのは山々なのだが、何をどう言えばいいのか分からない。喉元まで言葉がせり上がってきては、これは違うと音になる事なく消える。
「……ノエルが体調崩してから、兄貴は仕事以外の時は付きっきりで看病してた」
 自分の切れた指先を眺めながら迅くんがポツポツと呟く。
「ろくに料理もできないのに、食が細くなったノエルの為にネットで調べた猫の手作りご飯とか作りはじめてさ。俺がいない間にするもんだから、帰ってきたらキッチンがすんげー荒れてた。物はひっくり返ってるわ、床は水浸しだわ、電子レンジは中で爆発が起こってるわで、散々だった」
『お、お疲れ様でした』
 私もあの荒れ狂った部屋を目の当たりにした身だ。冬馬くんが料理をするとなると惨状は火を見るより明らかである。
 しかもその惨状を片付ける迅くんのことを考えるとその言葉しか出てこなかった。
「指先も切り傷だらけで、床に血が落ちてたりしてほぼサスペンスだった」
 そこまで話して、迅くんの目に僅かに光が宿る。
「……もしかして、ノエルの奴、兄貴の血を舐めたのか?」
『血を舐めるとどうなるの?』
「主人の血を舐めた猫が化け猫になって主人の恨みを晴らそうとしたっていう昔話がある。そもそも生き物の血や髪の毛なんかの体の一部は呪術的力が強い。丑の刻参りなんかそれだ。あれは相手の髪の毛がいるだろ。普通の猫だったノエルが人の血を舐めて力を得たのかもしれねぇ」
『なるほど』
「ということは、だ」
『ということは?』
「今回の鍵を握っているのは兄貴だ」
 さっきまでの意気消沈した姿は消え、強い光を目に宿した迅くんがいた。



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