推しの猫になりまして

朝比奈夕菜

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第五話

ノエルの真実(3)

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 ノエルを封印したのは、冬馬くんに会わせる為だった。
 迅くんの言うとおり、今の時期はただでさえ忙しいのにこの寒空の下冬馬くんをノエルのところに連れていくわけにもいかない。
 だが、ノエルに伝えたところで簡単に信用してくれないだろう。
 なので考えた策が筒封じだった。
 迅くんが伝えると、ノエルはそれまでの大暴れが嘘だったかのように大人しくなった。迅くんが持っている缶は少しも音がしなくなったので、底抜けてない? と不安になったほどだ。
 真紀ちゃんは冬馬くんの自宅の場所を知るのはちょっと……と渋ったが、迅くんが「今更だろ」と言って付いてくることになった。
「ただいま」
 真紀ちゃんときなこくんは迅くんの部屋で、私は迅くんの足元に付いてリビングに向かい、私はソファの下に潜り込んで様子を見守ることにした。
 今日は仕事から帰ってきたら家にいて欲しいと朝に迅くんが言っていたし、廊下やリビングの電気は点いているので家には絶対いるはずなのだが、返事が返ってこない。
 妙に思ってリビングを覗くと、テレビ前のラグの上で冬馬くんが猫のように丸くなって眠っていた。
『めっ…………』
 めっちゃかわいい。
 反射で叫びそうになったのをなんとか気合いで堪える。
「兄貴」
 迅くんが床にしゃがんで冬馬くんの肩を叩くが、冬馬くんはごろりと転がって睡眠を続行する。
 はぁ~と胃の底から深いため息を出して、迅くんはもう一度冬馬くんの肩を強く揺さぶる。
「あ、に、き!! 起きろ!!」
「あわわわわわ!? なに!? なにごと!?」
 さすがに冬馬くんが飛び起きた。
 しかし完全には起きていないようで、目がとろんとしている。そんな冬馬くんの前に迅くんはどっかりとあぐらをかいて座り、缶に巻きつけている麻糸を丁寧な手つきで解いていく。
 冬馬くんはぼんやりとした表情で迅くんの手元を見つめていた。
「兄貴に会わせたい奴がいるんだ」
「会わせたい奴……? この中にいるの?」
「ああ」
 かぱっと缶の蓋が開く軽い音がした。
 いや、ちょっと待って。あの中どうなってんの? ノエルは一体どんな形で出てくるの? まさか人間の姿な訳ないし、猫の姿だとしても無理だ。もしくはあの大暴れしていた時の姿なのか? どんな姿かは知らないが、あまり好意的な感情を抱ける姿ではないと思われる。
 ドキドキしながらソファの下から見守っていると、缶の中からにゅるりと白い猫が出てきた。まるでところてんが押し出されるみたいだと思った。
 缶から出てきたノエルは、冬馬くんと向き合う形でお行儀よくおすわりをする。長い尻尾は足元にくるりと巻きつけられていた。
 そんな不思議な登場をしたノエルを、冬馬くんはパチパチと瞬きをして数秒見つめている。
「…………ノエル?」
 名前を呼ばれたノエルは、にゃあと猫らしく返事をした。
 さっきまでの荒れた口調と態度からは想像できないくらいのお澄ましである。
「なんで? え? どうして?」
「兄貴に会いたかったんだとよ」
 迅くんは膝に頬杖をついて言った。それで納得するのかと思ったが、
「ノエル、お前、天国に行ってなかったのか……?」
 ちょっとズレた冬馬くんの言葉に思わずズッコケそうになったが、なんとか堪える。
 迅くんとノエルは慣れているのか、特に反応はなかった。
 たとえ明日から異世界に飛ばされたとしても、冬馬くんなら何事もなく馴染んで、異世界でもトップアイドルに上り詰めるだろう。それくらい順応性が高い。
「ノエル」
 冬馬くんがそっと手を伸ばすと、ノエルは頭を擦り付ける。
 あれだけ気高くて誰にも媚びないお猫様が、普通の人好きな猫に見えるのだから不思議だ。
「うわぁ……ノエルだぁ……」
 撫でるどころか抱っこにも素直に応じている。それどころか、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。
 飼い主、というか、推しの力すごい。
「……兄貴こいつとなんか約束した?」
「え?」
 何気ない様子で迅くんが問いかける。
「普通は一度死んだ猫が戻ってくるなんてありえないだろ」
 そこははっきり言っちゃうんだ、と驚いた。
 問われた冬馬くんは、ノエルを抱っこしながらうーん、と天井を見上げる。
「これからもっとたくさん大きな舞台に立つから、その姿をノエルにも見てほしいとは言ったけど……それかな?」
「それだ……」
 迅くんが右手で顔を覆いながら、大きなため息をついた。
 心配そうにしている冬馬くんの顔を、ノエルがてしてしとつつくと、冬馬くんは目尻を下げてノエルを見下ろす。
「ノエルは僕との約束を守ってくれようとしたのかぁ。ありがとう」
 にゃおん、とノエルが返事をする。
「でも、僕がノエルに縋っちゃったから、心配で天国に行けなかったんだね。ごめん」
 ノエルは否定するようににゃあにゃあと鳴くけれど、伝わっている様子はなかった。
「離れるのは寂しいし辛い。でも、ノエルが幸せなら、僕はそれがいい。寒くないところで、楽しく、穏やかに過ごして欲しいんだ。これも僕の勝手な思いだよね。どこまでも勝手な飼い主でごめん……ごめんね」
 言葉の途中で、冬馬くんの目から涙が一粒ポロリとこぼれた。そのあとも涙は止まることなく次から次へとボロボロこぼれていき、頬杖をついていた迅くんが目を見開いた。
 ノエルはぐるぐると喉を鳴らしながら冬馬くんの頬に自分の頭をしきりに何度もこすりつけた。まるで涙を拭っているようだと思った。
「いってらっしゃい、ノエル」
 冬馬くんの言葉を受けて、ノエルの体がほんのり光を帯びて砂糖菓子がほろほろと溶けていくように消えていく。
 最後のひとかけらが、冬馬くんの手から消えたその時、閃光が走った。
「いっ!?」
 瞬きをした次の瞬間に、頭にゴンっと衝撃が走り、思わず声を上げてしまった。ハッとして口元を覆った両手は、ふわふわの肉球ではなくて、見慣れた人間の手のひらだ。服もあの日猫に変えられてしまった日のままだ。万が一全裸だったらどうしようと思っていたが、ひとまず安心だ……じゃなくて! 今は絶体絶命のピンチである。
 何せ今の私の状況は、事故とはいえ推しの家のソファの下に潜り込んでいるファン、という字面だけ見ると社会的に抹殺されてもおかしくない状況だ。せっかく人間に戻ったというのに前科持ちは嫌すぎる。
「えっ、なんか今ソファの下光った? しかもちょっと動いたよね……?」
 案の定冬馬くんがソファの下を覗こうとするのが見えた。
 万事休す。
「あー! あー! 兄貴! ごろ寝して体冷えたんじゃないのか!? 風呂入ってあったまってきたらどうだ!?」
「えっ、えっ」
 聞いたこともないくらい焦った声の迅くんが聞こえ、だいぶん強引に冬馬くんを風呂に連行していく。冬馬くんは訝しみながらも迅くんに押されるがまま大人しく風呂に向かった。冬馬くんじゃなかったら絶対誤魔化されてくれなかったと思う。
 冬馬くんを風呂に追いやった迅くんがバタバタとリビングに戻ってきて、こちらを覗き込んできてギョッと目を見開いた。横には真紀ちゃんときなこくんもいる。
「ほ、蛍!」
 最初に声を発したのは真紀ちゃんだった。真紀ちゃんの横できなこくんが頭を突っ込んできてベロベロと顔を舐めてくる。もう猫じゃなくなってしまったので、きなこくんの言葉は分からないが、喜んでくれているようで何よりだ。
「本当に人間だ……」
「だから人間ですって一番最初に言ったでしょう」
「いや、分かってたんだが、実際元の姿を目にすると驚くというか……というかそこから出れるか?」
「……すみませんがソファを持ち上げてもらえないでしょうか」
 迅くんと真紀ちゃんがソファを持ち上げてくれて、やっとソファの下から這い出た。
「迅くーん! シャンプー切れちゃったんだけど、新しいのどこだっけー!」
 お風呂から聞こえた冬馬くんの声に全員その場で飛び上がった。
「今行くからちょっと待て! ……俺の部屋にあんたの荷物があるから、それ持って逃げろ。兄貴に見つかったらさすがにまずい」
 冬馬くんの声に応えたあと、迅くんは私たちに小声で指示を出し、私たちはそれに対して無言で頷く。
「あとこれ、そこに落ちてた。もう取られんなよ」
 手首を掴まれて何かを握らされた。
 ちょっとくちゃくちゃになっているけれど、数日前に発券した私のチケットだった。
 迅くんが脱衣所に行くのと同時に、迅くんの部屋に駆け込んで自分の荷物を引っ掴み、真紀ちゃん達と転がるように一条家を脱出した。



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