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第一話
神席への道(3)
しおりを挟む絶対に見つけてやる、と意気込んで夜を明かした。
初めての野宿で早々に、気力体力共に限界を迎えていた。
鞄を引きずり込んだコンビニ前の生垣の下で、寒さに震えながらもう死ぬのかな、とぼんやりと思った。
あれから謎の美女の足取りを追ったが、全く掴めなかった。スマホは肉球でも操作できたけれど、この状況を誰にどう訴えればいいのか分からずうんうん悩んでいると、あっけなく充電が切れてしまった。無念。
昨日までは何かあればすぐにスマホで調べて、大体のことが解決していた。それが使えないだけでこんなにも心細く、何もできない人間だと思い知らされる。今は猫だけれど。
財布は鞄の中にあるが、猫の姿では使うことができない。よって食べ物を買うこともできない。
それに今は年末。めちゃくちゃ寒い。昨日の夜なんかは雪がちらついてこのまま死ぬんじゃなかろうかとも思った。鞄の中に潜り込んでなんとか寒さを凌いだが、あと何日もは保つまい。
チケットどころか、命が危うい。
私はこのまま、自分で当てたライブの席に座ることもできず、死んでしまうのか。
いやだ。それだけは絶対いやだ。私が当てたあの席に、私じゃない誰かが不当に座ることなんて絶対許せない。
このまま死んだらあの席めがけてあの世から雷を落としてやる。絶対だ。できるかどうかは知らないけれど。
「こんなところで何してんの?」
ガサガサと生垣をかき分ける音がして、自分に向かって話しかけられたのが分かった。
音に反応して、自分の意思と関係なく耳がぴこぴこと動く。
「大丈夫? お前なんで鞄に入ってるの。ていうかそれ誰の鞄? ご主人の?」
声の主は無視する私にお構いなしに話しかけてくる。
なんかこの声聞き覚えがある気がする。もしかして知り合いか?
のろのろと目を開け、首を持ち上げる。ぼやけた視界がだんだんと明確になって、相手が誰か分かった瞬間息が止まった。
私に話し掛けていたのは、私の推しの一条冬馬だった。
眼鏡に帽子、マスクをしていて顔は隠れていたが、見れば見るほど一条冬馬だ。それに声。顔も声も親の顔より見たし、親の声よりも聞き続けた声を、この私が、推しを間違えるはずがない。
黒茶の髪はふわふわのパーマがかかっていて、吸い込まれそうなほど大きい瞳は、人の良さの滲み出るかのように目尻が下がっている。毎日毎日、見てきた、大好きな推しの姿だ。
お釈迦さまは臨終の時に、その人が迎えに来て欲しい人の姿で迎えに来ると聞いたことがある。
ついにお迎えが来たのか。私は仏教徒じゃないけど、お釈迦さまってサービスいいな……。このご恩は一生忘れません。いやもうそろそろ一生終わりそうだけどさ。来世はきっと仏教徒になります。多分。
心の中でお礼を唱えていると、ふわりと体が浮き上がった。
「とりあえず、うちにおいで。こんなところにいたら凍えちゃうよ」
ああ、あったかい。このまま死ねるのなら本望だと思った。
ぶすっ。
『いったあああああい!!??』
途切れていた意識が、痛みによって一気に覚醒する。
「おおー、元気だねぇ」
のんびりとした声が聞こえてぐるりと周りを見渡す。
上からは煌々とライトが照らされていて、暖かいけれど少し眩しい。下はひんやりと冷たい。上と下で温度差が激しくて頭がクラクラしそうだと思った。
自分のふわふわの左前脚には針が刺さっていて、その先は点滴のパックに繋がっている。超絶健康体なので点滴なんて生まれてはじめてだ。
「これだけ元気なら大丈夫そうかな」
白衣を着て丸眼鏡をかけた、ちょっと頭が寂しいひょろながいおじいちゃんがニコニコ笑って私の頭をぽんぽんとなでた。節くれだった手は少しひんやりしているけれども、手つきが優しくてとても安心した。
「点滴終わったら帰っても大丈夫だよ。迅くんには連絡したの?」
点滴の液の調節をしながらおじいちゃんが問いかける。
「いや、まだできてなくて……」
「早く連絡しておきなよ。後で怒られるの冬馬くんなんだからさ」
「はははは」
頭の上で交わされる会話に耳がぴこぴこと動いて、聞き慣れた単語に反応する。
そうだ、私は死ぬ間際に推しの一条冬馬が迎えにきてくれて、無事昇天したはずだった。
ぐるりと頭を回すと、先生と反対側の位置に意識を失う前に見た時と同じ格好をした冬馬くんがこちらを見下ろしている。
「よかったねぇ。すぐ元気になるって」
聖母のような微笑みを浮かべながら、冬馬くんがこちらに手を伸ばしてくる。
『…………いやああああああああ!!』
「うわっ!?」
金属製でツルツル滑る台の上で必死に踏ん張って、白衣のおじいちゃん先生の方へダイブする。
「えっ、なんでなんで!?」
「いたたた。爪は立てないでくれって」
先生に必死にしがみついてよじ登ると、苦笑しながらも慣れた手つきで私が落ちないように支えてくれる。チラリと冬馬くんの方を見たら、手を伸ばした状態で切なそうな表情を浮かべていた。
「ぼ、僕なんかした?」
「男前すぎてびっくりしちゃったのかねぇ」
「ええ?」
ひゃっひゃっひゃと先生が愉快そうに笑い、冬馬くんは不服そうな表情を浮かべた。
これが今どういう状況なのか全く理解できないけれど、たとえ夢の中でも推しとゼロ距離は無理すぎる。お近づきになりたい人もいるのかもしれないが、私は絶対無理。緊張と動悸が激しすぎて死ぬ。
もちろん、ずっとそのご尊顔を間近で見つめていたいという気持ちもあるのだが、こちらも同時に見られているとなると話は違う。やはり一枚くらい画面を隔てて見るのがちょうどいいと思うのだ。多分すんごい顔をして見つめていると思うので、推しの尊い視界を汚したくない。
こちとら推しの顔が画面越しにドアップで映るのにすら奇声を上げるくらいなのに、生身のドアップとかたとえ夢の中でも無理だ。死んじゃう。
「僕はちょっとまだお仕事あるから、仮とはいえ君のご主人様のところで大人しくしていようか」
よっこいしょ、と先生が服に引っかかった私の爪を丁寧に外して、冬馬くんに渡そうとする。
しかし、私はそれが嫌で必死に先生にしがみつこうとするが、結局あっけなく冬馬くんの手に渡されてしまった。
大きな両手に、すっぽりと自分の体が収まってしまった。
「うわぁ、ふわふわだ……」
先生から私を受け取った冬馬くんは、とろりと蜂蜜を溶かしたように微笑んだ。
その表情を見て一瞬、魂が飛んだかと思った。
いや、絶対飛んだ。
しかし飛んで行った魂はすぐ戻ってきて、正気に戻る。
『ぎ……ぎゃああああああああ!!』
「うわわわわわ……!?」
必死に手から逃れようとするが、お手玉をするように冬馬くんが手の内に止める。別の部屋に行こうとしていた先生がこちらを見て「がんばれがんばれ」と微笑んでいた。おのれ。
無意識に爪がにゅっと出てきそうになるが、夢とはいえ推しを傷つけるわけにも行かない。結局ふわふわの肉球ではどうすることもできず、動けば点滴の針も痛いのでじっとしているしかなかった。
「やっと落ち着いた?」
冬馬くんがふふっと笑って、指で眉間の間をこしょこしょとなでる。
疲れと、なでる指と、手のあたたかさでうとうとしてきた。ああ、もうどうせ夢だ。なるようになれ、と思いながら瞼を閉じた。
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