推しの猫になりまして

朝比奈夕菜

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第一話

神席への道(4)

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 ふと意識が浮上して目を開けると、また見慣れない部屋だった。
 私はダンボールの箱に毛布を敷かれた中に入れられていた。
「あれ、どこやったかな……」
 聞き慣れた声がしてぴこぴことまた耳が勝手に動く。ガサガサと何かを探る音がしたかと思うと、続いて何かが派手に落ちるような音が聞こえて、思わず小さく飛び上がった。
「あちゃー……また迅くんに怒られちゃうな……」
 少し困ったような推しの声が聞こえる。
 恐る恐るダンボールに前脚をかけて外の様子を伺う。
 冬馬くんはウォークインクローゼットの上の方を探っていたようだが、誤って近くにあった箱や紙袋をひっくり返してしまったらしい。鞄や靴がクローゼットの外まで散乱している。
 それにても、クローゼット周りだけでなく部屋全体がなんというかものすごく散らかっていた。
 いや、私の一人暮らしの部屋も物が多すぎて雑然としているのだが、なんというか、私は最低限自分の行き来する道は残すタイプだが、今この部屋は文字通り足の踏み場もない。
 洗濯前なのか洗濯後なのか分からない服がソファやクローゼット周りに散乱しており、なぜか洗濯物を入れる用らしきバスケットがテレビの前に置かれている。ソファ前のローテーブルには漬物の入ったタッパーから食べかけの個包装のチョコレート菓子、卓上用の塩胡椒、マヨネーズや雑誌類が自由な配置で置かれている。
 そんな部屋の中で、私の推しの一条冬馬が動いて喋っていた。
 まだあのヘンテコな夢は続いているらしい。
 推しが出る夢とか我ながら欲望に忠実すぎる。
 自分が猫になってしまったというのがすでに夢というか悪夢のようで、目覚めて欲しいと願う一方だ。
 しかし、悪夢は一向に覚めそうになかったので、猫になってしまったことは悲しいことに事実だと思わざるを得ないと分かっていた。
 寒さも空腹も、紛れもない現実だと突きつけられた。
 だが、これはなんなんだ。夢のように突拍子もないことが起こっているのだが、一向に覚める兆しがない。
「あったあった!」
 目当てのものが見つかったようで、クローゼットから冬馬くんが何かを引きずりながら嬉しそうな表情で出てくる。
 おそらく組み立て式の猫用のケージだ。
「これどうやって組み立てるんだろ? 説明書どこだっけ……」
 床に雑然と置かれていたものをブルドーザーの如く全て一緒くたに端に避け、ケージの部品を床に置く。
 お綺麗なお顔からは想像できなかったが、一条冬馬という人はどうやらだいぶん大雑把な性格らしい。
 見た限りは一条冬馬にしか見えないが、よく似たそっくりさんという可能性もまだある。
 否、可能性があると考えただけで、十中八九彼は正真正銘の「一条冬馬」だ。
 毎日毎日、飽きることなく彼の動画や写真を見てきたのだから、この私が見間違ったり聞き間違えたりするはずがない。
 私が今全身全霊で推している一条冬馬とは、七人組の男性アイドルグループ『Seven Seas』のメンバーの一人だ。
 日本の芸能界で今最も勢いがると言われており、スターダムを爆速で駆け上がっているグループの一つである。
 冬馬くんはグループ内屈指の歌唱力を持っており、聞く者全てを強烈に惹きつけ、見る者全てを魅惑的な表情で魅了する。私もそのうちの一人だ。
 冬馬くんはトーク主体の時はあまり前に出ず、いつもニコニコしていた。
 たまに話を振られるとフワフワとした着地地点の見えない話をしていたので、なんとなく天然なんだろうなぁとはみんな察していたが、思った以上にいろんなことがフワフワしていそうだなと思った。世間知らずのお嬢様といった感じである。
 ケージを組み立てようとしているのだが、はっきり言ってめちゃくちゃ要領と察しが悪かった。
「あれ? えいっ」
 嵌まらない部品を力任せに嵌めて、バキッと不穏な音をさせていた。
 多分それは向きが違うんじゃないかと、ダンボールの中から見ていて思った。
 その時はなんとか嵌ったものの、結局後で部品が壊れて、ガムテープで補強する。その補強したガムテープもまた不細工というかなんというか。
 ある程度大人になれば家具の一つや二つは組み立てたことがあるし、なんとなくやっていてもだんだんと要領を掴んでくるものだが、一向に要領を掴む気配が見られない。
「えー、ネジが止まんない……なんで……」
 混沌の中からなんとか探し出したドライバーでネジを止めようとしても、延々とドライバーを回している。多分、それ逆に回してる……と声を大にして言いたかった。
「できたー!」
『…………』
 ケージが形を成したのは時計の針がてっぺんを過ぎた頃だった。ちなみにちゃんと部品が嵌っていなかったり力技でどうにかした部分がほとんどで、ほぼ違法建築である。見るからにいろんなところが斜めで不安しかない。
「ほらほらほらー。新しいお家ですよー」
 おそらく違法建築の新居にお引越しさせようと、冬馬くんダンボールの上から覗き込んできて、手を出してくる。
 推しの大接近に驚いて、出された手を避けてジャンプしてダンボールを飛び越えた。そして一目散に違法建築の新居に入居した。
「もう気に入ってくれたの? 頑張って組み立てた甲斐があるなぁ」
 過供給が恐ろしくてケージの隅っこで震えている私の前に、病院で先生がくれた毛布をそっと入れる。
 今日はこれで終わるかと思ったら、冬馬くんはなぜかゲージの前に寝転がり始めた。
 いろんなものを下敷きにしているが、この短時間で彼はそんなこと全く気にならないんだろうなということは分かってしまった。
「やっぱり動物がいる生活っていいなぁ……迅くん飼ってもいいよって言ってくれないかなぁ」
 とろけるような笑顔を浮かべ、私に一方的に話しかけながら、冬馬くんはスヤァと安らかに寝落ちた。
 推しがこんなにも近くにいる緊張がすごいが、今は違う緊張が私を襲っていた。
『なにあれ……』
 リビングと廊下を繋ぐ扉が開けっぱなしなのだが、その扉の向こう側に、ぼうっと誰かが立っていることに気付いた。
 地味なスーツ姿の、髪の長い女。前髪が長くて俯いているので、表情は分からない。
 ずっとあそこに立ったまま動かず立っており、もしかして斬新なインテリアだったりするのだろうかとも思ったのだが、足元がぼやけていて視えなかった。
 多分、おそらく、きっと、十中八九、幽霊だと思った。
 人間だった時はそういう霊感の様なものは皆無だったのだが、今は猫だ。猫に限らず動物ってたまに何もない虚空をじっと眺めていることがあると聞くが、一説には人に視えていないものが視えていると聞いたことがある。
 視えるようになったところで、どうもできない。ただひたすらその場から動くなよ、と念を送るしかなかった。


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