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第二話
人は見かけによらない(3)
しおりを挟むふっと意識が浮上し、物音を捉えて勝手に耳が動く。
その場で大きく伸びをして周りを見渡すと、キッチンに立つ迅くんの姿が見えた。
何かを作っているようで、火をつける音と、じゅわりと何かが焼ける音がする。甘い香りがふんわりと漂い、口の中に唾液が溢れた。
何を作っているのか気になって、ケージから出て最早定位置となりつつあるキッチンの配膳台の上に登る。
『フレンチトーストだ……!!』
フライパンに蓋をして、迅くんは火加減を調整していた。
「あんたのメシも後で出してやるから待ってろ」
迅くんはこちらに目を向けず、テキパキと作業を進めている。
小さなフライパンを出して、そちらも火をつけるとベーコンとウィンナーを炒め始めた。戸棚から皿を出し、冷蔵庫から取り出した葉物のサラダをサッと盛り付ける。
フレンチトーストを焼いているフライパンの蓋を取ると、綺麗な焼き色がついた黄金のフレンチトーストがお目見えした。
焼き上がったフレンチトーストとカリカリに焼いたベーコンとウィンナーを盛り付けると、あっという間に家で作ったとは思えないほどおしゃれな朝食プレートが完成する。
トドメは電気ケトルでお湯を沸かしていたようで、コーヒーを淹れていた。
純和風の朝食の次は、おしゃれなカフェのモーニングのような物を繰り出すとは。
本当にこの子は何者なんだ。
ああ、それにしても甘いのとしょっぱいのが一緒に味わえるとか幸せすぎるでしょ……! こう言うのって大体どっちかしか選べないし、選べたとしてもカロリーが気になる。
甘いものとしょっぱいものを一緒に作って食べ、なおかつカロリーも気にならない大学生男子、羨ましすぎる。
「……あんたのメシはそっちだぞ」
『分かってます』
迅くんが料理と私の分の朝食をテーブルに運び終えて席に着いたのだが、あまりにも迅くんの分が美味しそうで至近距離で皿を見つめてしまう。
とっても食べたいのだが、今の私が食べたらダメなんだろうなぁと分かるので、大人しく私用に用意してくれたものを食べる。
しかし、いつスマホのことを切り出そうか。一方的な頼み事なので、いいタイミングで切り出したい。ご飯を食べながら、こっそりと迅くんを観察する。
大きな口で次々と豪快に頬張っていく。スピードはすごいが、要領良く丁寧な手つきで口元に運んでいる。本当に気持ちのいい食べっぷりだ。
迅くんはテンポよくご飯を口に運んでいたのだが、突然ピタリと手が止まった。
何事? と思っていると、フォークとナイフを置いて立ち上がり、口をもぐもぐと動かしながら玄関へと向かう。慌てて後をついていくと、ドアがガチャガチャと音を立てる。
迅くんは相変わらず口をもぐもぐさせたまま玄関の扉を見つめて、右手の人差し指と中指を立てた。あれだ、漫画やアニメでなんかの術を使う時によくやるやつ。それを上下左右に交互に動かしている。
それにしてもあの口にどれだけのご飯を詰め込んでいたのか。ずっともぐもぐしている。
「ただいまー!!」
なんとなく分かっていたけれど、バーン!! と勢いよく扉を開けて冬馬くんが帰宅する。帰って来る時もとっても元気だ。良いことである。
気になることと言えば彼は元気そうなのだが、
『うわああああああ!!??』
彼の後ろに見える黒い影の中に浮かぶ無数の人の顔は、とても元気がなさそうだ。
俯いていてそもそも視線が合わない人もいるし、視線があっちこっちに行っていたり、白目をむいていたり、いろんな人が黒いドロドロしたものに飲み込まれている。
冬馬くんの輝く笑顔の後ろで、とんでもない闇が広がっていた。あまりにも気持ち悪くて全身の毛が逆立つのが分かる。
「えっ、なになに? 二人でお迎えしにきてくれたの~?」
『ひいいいいいい……!!』
嬉しそうに冬馬くんが駆け寄ってこようとするが、それと一緒に後ろの黒いものも迫って来るので思わず迅くんの足に縋りついた。
「臨兵闘者皆陣裂在前」
迅くんが何か呪文のようなものを呟くと、冬馬くんの後ろの黒いものが一瞬で消し飛んだ。
「ん?」
そこでようやく何かに気付いたらしい冬馬くんが、きょとんとした表情で後ろを振り返る。しかし黒い物体は綺麗さっぱり消えて、清浄なただのマンションの廊下が見えているだけだ。
「おかえり」
自分の兄があんな得体の知れないものを連れて帰ってきたというのに、迅くんは平然としていた。
「ただいま!」
そして得体の知れないものを連れて帰ってきた本人も晴れやかに笑っている。私だけが置いて行かれている様な気がした。
「みーちゃーん! ただいまー!」
迅くんの足元に隠れている私に冬馬くんが意気揚々と近付いてくるが、今はいろんな意味で近付けない。
「あんまり大きい声で話しかけると嫌われるぞ」
「あ、そっか。みーちゃんただいま」
迅くんに注意され、今度は小声でさっき言ったことをもう一度言う。かわいすぎだろ。怖過ぎて反射で迅くんの足にしがみついてしまった。
迅くんに首根っこをひょいと掴まれて、離される。
「いてぇ。爪刺さってんぞ」
『ご、ごめんなさい』
無意識に爪を立ててしまっていたようだ。大変申し訳ない。
「えー! 二人でおしゃべりしてる! かわいい~!!」
迅くんに首根っこを掴まれたまま、リビングに連行され、冬馬くんはキャアキャア言いながら後ろを付いてくる。
確か公式プロフィールで公開されている年齢は二十六歳だったはずだが、言動が成人男性というよりは女子高生や女子大生の様なノリだなと思った。
「ちゃんと手ェ洗ってうがいして来い」
「はぁい」
リビングに向かう途中で迅くんが前を向いたまま言うと、冬馬くんは素直に頷いて浴室へと向かった。
迅くんは迅くんで見た目はやんちゃな男子大学生なのに、中身は主婦歴十五年のベテランお母さんみたいである。
『……冬馬くん、いつもあんなの連れて帰っちゃうの?』
首根っこを掴まれたままの移動なので手足をぶらぶらさせながら、迅くんを見上げて聞いた。
昨日帰って来た時も妙なものが部屋の中にいたが、特に驚いた様子もなく対処していたし、さっきの黒いやつを見ても迅くんは少しも驚いていなかった。昨日今日だけの話ではないんだろうなということが薄々と察せられた。
「まぁな。善人っていうのは人にも好かれやすい様に霊的なものにも好かれやすいもんだ」
そりゃあ幽霊だって嫌な人より善い人の方がいいか。それにしても一条冬馬を選ぶとは、幽霊もお目が高いな。
『昔から迅くんが退治してきたの?』
「兄貴だから云々以前に、あんなもん家の中に連れ込まれて安らげねぇだろ。帰ってくる度にいろんなものくっつけて帰ってくるもんだから毎回プロ呼ぶ訳にもいかねぇし、寺や神社に行って退魔や除霊の方法を勉強した」
迅くんはなんでもないことのようにさらりというが、私は思わずギョッとした。
生活の為に特殊スキルを身につけるとか、生活力と呼ぶには枠を越えているが、これを生活力と呼ばずに何と呼ぶのか。
義務教育の時ならまだしも、大学生になったら一人暮らしをするという選択肢も生まれてくる。それでも兄と一緒に住んで、特殊スキルを身につけて、日夜兄に付いてくる良くないものを祓って兄の生活を守る。
なんだかんだ言ってお兄ちゃん大好きなんだなぁと思った。
リビングに入ると冬馬くんが帰ってきたので私はケージに戻されるかなと思ったけれど、テーブルの上に下ろされた。迅くんはそのままキッチンに向かって冬馬くんの夕飯の用意をしているのだろう。
「わぁ、みーちゃんと一緒にご飯食べてたの?」
「一人で食べるのは嫌だろ」
「だよね~」
ニコニコと笑って、冬馬くんは迅くんがチンした器をテーブルに運ぶ。その時も迅くんが「ちゃんと足元見ろよ」と注意をしていた。注意が三歳児の子供に対するそれである。
冬馬くんが座っていたところには私が座っているので、冬馬くんは迅くんの隣に座った。
若い男二人とサシで、しかも片方は自分の最推しというなかなかあり得ない状況である。
ご飯を食べるフリをしてチラリと冬馬くんを盗み見ると、ご飯そっちのけで頬杖をついてニッコニコの笑顔を浮かべてこちらを見つめていた。
推しと目が合ったことにびっくりして、飛び上がった拍子に無様にも机から落っこちた。
「みーちゃん!?」
冬馬くんも驚いたようだが、迅くんも驚いて目を見開いてこちらを見下ろしている。
人間の時だったら鈍臭く怪我の一つでもしていただろうが、猫だったおかげで体を捻ってうまく着地できた。そのままダッシュを決めて違法建築のケージへと逃げ込んだ。恥ずかしすぎる。
「みーちゃん大丈夫? みーちゃん一緒に食べないのー?」
冬馬くんが心配そうにケージの中を覗き込んできて、できるだけ隅に頭を突っ込んで冬馬くんから身を守る。
私にとっての推しとは、もはや天変地異に等しい。
「……兄貴早く食え。飯が冷める。あんまり構いすぎると前みたいに嫌われんぞ」
見かねた迅くんが助け舟を出してくれた。
適正な距離を保って欲しいオタクにとって、距離の近すぎる推しというのはもはや凶器だ。
動物と触れ合えなくて残念そうな冬馬くんには申し訳ないが、私は自分の命が惜しい。
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