推しの猫になりまして

朝比奈夕菜

文字の大きさ
11 / 24
第三話

推し危機一髪(1)

しおりを挟む



 少しは迅くんとの距離が縮まったかと思われたが、私の同担拒否発言によって初日の距離感に戻ってしまった。いや、多分私のせいなんですけれども。
「迅くんいってらっしゃーい」
『…………』
「…………」
 冬馬くんに抱き上げられて右の前足を上げられて招き猫のような状態になって死んだ目をしている私と、そんな私を哀れそうに迅くんが見つめ合う。
 冬馬くんだけがニコニコと笑って楽しそうだ。
 今日は迅くんが用事があって午後から出かけるそうで、冬馬くんは逆に午後から休みらしい。
 冬馬くんは今日が年末最後の休みと言っていた。年末最後の休みが一日の半分だけとか悲しすぎる……。
 だがしかし、彼は今や飛ぶ鳥を落とす、もしくは破竹の勢いを持つアイドルグループのメンバーだ。全国民が毎日彼を求めていると言っても過言ではない。……いや、ちょっと過言すぎたかも。
 少なくとも全世界にいる一条冬馬のファン達は、毎日彼の姿を拝めることを望んではいるが、それはそれとして社会人として年末年始はきちんと休んで頂きたいという気持ちがある。
 仕事から帰って来た冬馬くんに「一緒に迅くんのお見送りをしよう!」とケージから引っ張り出されてしまった。
 抵抗するも怪我をさせるわけにはいかないので、結局生ぬるい反撃できず、推しの手に捕まってしまった。
「……あんま構いすぎると嫌われんぞ」
「分かってる分かってる」
 見かねた迅くんが軽く忠告してくれるが、それを聞く冬馬くんではない。
 いろいろと言いたいことはありそうだが、言っても意味がないと思ったのか、迅くんは大きく深くため息をついて「いってきます」と言って出かけて行った。
『…………』
「なにして遊ぼっかー!」
 ふんふんふんと鼻歌を歌いながら冬馬くんは私を抱えてリビングに戻るが、私は迅くんの出て行った後の玄関扉に釘付けだった。
 玄関扉は向こうからカリカリと爪で引っ掻くような音がして、ドアノブが小さくガチャガチャと音を立てていた。
 あれが聞こえていないし、視えていないのか、と絶望的な気持ちで冬馬くんを見上げる。
「?」
 しかし冬馬くんには私の伝えたいことが全くもって伝わらないので、ただただ推しと見つめ合うだけと言う状況だけが出来上がってしまい、緊張が一気に全身を突き抜ける。
『ぎぃやあああああ!!』
「えっ、えっ!? あだだだだ……!!」
 無我夢中でもがいて冬馬くんのなんとか腕の中から脱出する。
 誰だ、美人は三日で慣れるとか言った奴。全然慣れねぇじゃねぇか。どう責任とってくれるんだよ。
 フローリングで滑りながらも、全速力でリビングを走り抜け、もはや住み慣れてしまった違法建築ケージへと逃げ込む。
「ええ~せっかく仲良くなれたと思ってたのに~……」
 後を追いかけてきた冬馬くんがケージを覗き込んでくるが、目を合わせたら負けと言わんばかりに毛布に頭から突っ込んで一切の情報を遮断する。
 やがて私はテコでも出てこないと悟ったのか、冬馬くんはケージから離れて別のことをし始めた。
 最初は遊ぶ気満々だったようだが、やはり仕事が忙しいようで冬馬くんは何かの台本を読み始めた。ぶつぶつと呟きながら、身振り手振りをして動きを確認している。
 何の台本だろう。映画かな、ドラマかな。どんな仕事だとしてもうまくいってほしい。
 猫になる前も、きっと努力家な人なんだろうなぁと思っていたけれど、やっぱりそうだった。
 予想外のことと言えば、私が思った以上に不思議ちゃんというか、ふわふわしていたということくらいだ。
 冬馬くんの集中を乱さない様、ケージの中で静かにしていたのだが、
『…………』
 玄関の向こうから聞こえる爪で引っ掻くような音が気になって仕方ない。
 頼むから迅くん早く帰って来て。
 しばらくすると、カリカリと引っ掻く様な音はガリガリと強い音になっていって、玄関の向こうのやばい奴が近付いて来ていることが分かった。
 やばいやばい。まじでやばい。ここに乗り込まれたらどうなんの?
 冬馬くんはしばらくは大人しく台本を読んでいたが、少し時間が経つと何かを探すような素振りをし始めた。
 戸棚や冷蔵庫を開けて中を確認し、うーん、と考え込む。
 なんだろう、なんかすごく嫌な予感がする。
 冬馬くんは自分の部屋に行って、すぐにこちらへ戻ってきた。その手には長財布が握られている。
「僕ちょっとお腹すいちゃったからコンビニ行ってくるね」
 アカーン!!
 思わず脳内に関西芸人を召喚してしまった。
 いやいやダメだって! 外にやばいのいますって!
 声を大にして言いたいのだが、霊力ゼロの冬馬くんにはにゃおにゃおと鳴いている様にしか聞こえていないらしい。
「えー、寂しいのー? すぐ戻ってくるから大丈夫だよ~」
 必死に訴えるも、ケージ越しにちょんちょんと額を撫でられて終わった。
 はああああ!! 私の推し罪深い~!! ……じゃなくて!!
 推しの尊さに悶え苦しんでゴロゴロしている間に冬馬くんは出かけてしまった。
 どうしよう、どうしよう……!
 とりあえずケージから出て玄関扉の前に立つ。
 さっきまでは扉越しに変な音がしていたのに、今はシンとしている。気のせいかは分からないが、さっきまで扉の向こうにいた「もの」の気配が感じられない。
 絶対に冬馬くんに憑いて行ってる。
 猫になる前は幽霊なんて全然視えなかったし、霊のことは全然詳しくないが、この予感は当たっていると確信できた。
 どれだけ待っても冬馬くんは帰ってこない。実際時計を見たら三十分くらいしか経っていないけど、こんな都会でコンビニに行くのに三十分もかかるか……? いや、レジが激混みして、とかありがちなことが原因ならいいんだけれど、今は嫌な予感しかしない。
 ジリジリと焦れて玄関の前で冬馬くんが帰ってくるのを今か今かとウロウロしながら待っていた。
 すると、ガチャガチャと扉の鍵を開ける音がした。
 冬馬くんが帰ってきた!
 ホッとして扉に熱視線を向けると同時に扉が開いた。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

処理中です...