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第三話
推し危機一髪(3)
しおりを挟む家に帰ると迅くんはすぐに冬馬くんをお風呂に放り込み、電気ケトルをセットしてヒーターの前で暖を取った。
「あ~、やべぇ、さみぃ……」
ヒーターに手を翳しながら、迅くんはココアを啜った。その隣に座って私も暖を取らせてもらう。
『本当にお疲れさまでした』
「いや、よくあることだしな」
『よくあること……』
あんな得体の知れないものに取り憑かれることが日常茶飯事とは。
他者に気持ちを向けられることがアイドルの生命線ではあるが、人どころか幽霊にまで好かれるとは恐れ入る。
どんな世界も行き過ぎは良くない。
好きという気持ちは尊いものだが。どれだけ相手のことを好きでも、思っていても、行き過ぎれば相手を追い詰めることもあり、自分を追い詰める。
推しのプライベートを垣間見ようとしたり、接触しようとしたりするファンもいる。ファンとの交流が好きな人もいるかもしれないが、私だったら仕事の時間外に仕事の対応をしたくない。
ファンはファンで、自分の経済力の度を越して生活を切り崩してでもライブチケットを求めたりグッズを買ったりする人もいる。
オタ活とは推しにどれだけ金を注ぎ込めるかで推しへの愛を測っていると考える人も少なくない。
もちろん運営にとってお金をたくさん使ってもらえることはありがたいことだろうけれど、自分の生活が崩れてしまったら周りの人を悲しませてしまうことになるし、その人の推しをあまりいい目で見られなくなるかもしれない。
何より、末長く推せないことはお互いにとっての損失だろう。
好きなことと言っても、何事も行き過ぎは良くない。
『あのお札って、退魔とか除霊とかそういう効能のやつ?』
「まぁな。また作り置きしておかねぇと……」
迅くんはぶつぶつと呟きココアを淹れたマグカップで指先を温めながら、ゆっくりとマグカップを傾けた。
さっきからそれとなく自分の荷物の話を切り出すタイミングを伺っているのだが、なかなかここぞという時が来ない。
このままではヒーターの前でのんびり暖を取って終わってしまう。
『あのー、お疲れのところ大変申し訳ないのですが、少しお頼みしたいことがございまして……』
「なんだよ」
迅くんが怒っていないことは分かるのだが、やはりお願いする立場なので申し訳なさが人の手を煩わせてしまうことに引け目を感じて面倒に思っているのではないかとどうしても思ってしまう。
切り出したものの踏ん切りが付かずモゴモゴとしていたら、横目でガンを飛ばされてプレッシャーがかかってきた。
ええい、ままよ、とお願い事を口にする。
『私を保護した時、冬馬くんが飼い主のものだと思って私と一緒に私の鞄を拾ってくれていると思うんです。私の鞄を探していないでしょうか……』
後ろめたさからだんだんと視線が下がり、最後には俯いたまま話した。迅くんがどんな顔をしているのかは全く分からない。
何の反応もないので、それもそれで怖くなって顔を上げると、
「なんでもっと早くに言わねぇんだよ!」
『ひえっ!?』
なぜか怒られて飛び上がった。
迅くんはの見かけのマグカップをテーブルに置いて、ズカズカと大股でお風呂の方へと向かう。
「兄貴! みーちゃん保護した時にあった鞄どこ置いた!?」
まさかの迅くんもみーちゃん呼びに開いた口が塞がらない。
「えっ!? あっ! 警察に届けようと思って忘れてた!」
お風呂特有の反響する声で冬馬くんが答えたのが聞こえた。
「多分僕の部屋にあると思う! お風呂すぐ出て探す!」
「分かった」
迅くんが短く返事をした声が聞こえ、続いてどすどすと凶悪な足音がこちらに向かってくる。
「とりあえず兄貴の部屋探すぞ。兄貴が参戦してくると間違いなく部屋が今以上に荒れて迷宮入りになりかねない。兄貴が風呂入ってる間に探す」
『りょ、了解!!』
踵を返した迅くんの後ろについていく。
今までよくドアが半開きになっていたのでチラリと部屋の中が見えたことはあるが(あまりプライベートを詮索しすぎるとよくないと思ったので、見えそうな時も薄目で見ないフリをしていた)、正直言って冬馬くんの部屋にあまりいい予感はしていない。
いつも通り半開きになっている扉を迅くんが勢いよく開けて、部屋の中に突入していく。
『うわぁ……』
扉の外から部屋の中を眺めると、想像通りの光景が広がっていた。
床も見えないほど至る所に置かれている。雑誌やCD、服や帽子やマフラー、ぬいぐるみに最新の美容家電グッズなどなど。とりあえず部屋の中が物で溢れている。
私も整理整頓が得意な方ではないが、これは凄すぎる。さすがに負けた。
「安心しろ、まだマシな方だ」
迅くんが淡々と言うので、思わず戦慄した。
ベッドから扉までの最短距離が辛うじてものが少なく、通るならここだな、という道筋ができており、まるで獣道なと思った。
「俺はこっち探すから、お前はそっちな」
『ラジャー!!』
ざっくりと捜索範囲を分けて捜索に取り掛かる。
捜索と言っても探すものは小さいものじゃなくて、通勤用の鞄でそこそこ大きい。あまり時間もかからないだろうとたかを括っていたのだが、
『見つからないんですけど!?』
五分経っても十分経っても見つからなかった。
前脚でいろんなものを掻き分けていくのだが、蟻地獄の様に周りから別のものが押し寄せてくる。
最初は推しの部屋だしドキドキしなかったと言えば嘘になるが、今ではイライラして仕方ない。
「食べ物が混じっていないだけ良い方だ。一緒に暮らし始めた時は食べた後の弁当の容器とかもベッドの上にそのまんまにしてやがって、さすがにキレたらそれ以降はしなくなった」
『それはキレるよ……』
迅くんに同情を禁じえなかった。
人間に戻ったら自分の部屋をちゃんと掃除しようと、心に強く誓う。
物をかき分けるのにも疲れて、ふぅと息をついて迅くんの方を見ると、そこには短時間で整理整頓が成された空間が広がりつつあって、思わず二度見した。
『なんでそこだけ綺麗になってんの!?』
「探すついでに片付けてるだけだ。掘り返すだけじゃ二度手間以上だろ」
ごもっとも!!
正直冬馬くんの部屋の荒れ具合を軽く見ていました!!
しかし猫の手での整理整頓は至難の技だったので、物を右から左へ流す簡単なルールだけ決めて部屋を漁る。
「見つかったー?」
冬馬くんが扉から部屋の中を覗き込んできた。パジャマ姿で濡れた髪をタオルで拭いている。
「ちゃんと髪乾かして来い。大事な時に風邪引いたら承知しねぇ」
「はぁい」
黙々と手を動かしながら迅くんが注意すると、冬馬くんはのんびりと返事をして浴室の方へ戻っていく。
これが世に言うツンデレか……と思わず迅くんを凝視してしまう。
「これか!!」
迅くんが声を上げ、ベッドの下から何かを引っ張り出した。
元々クタクタだった茶色の通勤鞄は、なんだか最後に見た時よりももっとクタクタになっている気がしたが、紛れもなく私の鞄である。
『それですそれです!!』
「リビング行って確認するぞ!!」
二人で急いでリビングに戻ると、ドライヤー片手に脱衣所から冬馬くんが出てくる。
「見つかった~?」
「見つかった!」
「よかったよかった」
やわらかな髪の毛はドライヤーの熱風に煽られて右から左へ盛大に流れている。
この男のせいで自分の荷物が見つからなかったと言っても過言ではないのに、そんな無防備な姿さえ可愛いと思ってしまうのだからオタクは救えない。
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