推しの猫になりまして

朝比奈夕菜

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第四話

モデルデビュー(1)

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『ええ~……絶対行かなきゃだめ?』
「今日を逃したら年末年始の休みに入るぞ」
『うう……』
 私は今、キャリーケースに入れられて移動の真っ最中だ。
 昨日の夜からお腹が痛くて、最初は様子を見ていたものの、我慢できなくなって朝に冬馬くんに相談したらすぐにキャリーケースに突っ込まれて今に至る。
「お兄ちゃんそれ猫ちゃん?」
 タクシーの運転手さんがルームミラー越しに話しかけてくる。
「はい」
「そっかそっか~! どんな猫ちゃん? いくつなの?」
「メスの三毛猫です。この間拾ったばっかりなので、いくつなのかは分からないです」
「へぇ! 運命的な出会いをしちゃったんだねぇ」
「運命的……まぁ、そんなもんです」
 いや、めちゃくちゃ嫌そうにこちらを見られましても。私も色々言いたい事はありますけれど。
 迅くんは今日も寒いのにダメージ加工バリバリのジャケットとジーンズを着ている。相変わらず両耳には数えきれないほどのピアスが光っており、なにも知らない人だったら非常に話しかけにくい。
 私は今でこそ彼は良い人だと分かっているから個性的なファッションだなくらいにしか思わないが、初対面だったら絶対に声を掛けれない人種だ。初対面だというのに朗らかに話し掛けられるあたりがさすが接客業というべきか。いや、猫マジックかもしれない。
 ていうか迅くん敬語話すんだ……とびっくりしたのはここだけの話である。
「僕も昔猫を拾ってね。それまで特に動物は好きじゃなかったんだけど、これがまたかわいくてねぇ。今じゃメロメロだよ」
 運転手さんはさっきまでも嬉しそうな顔をしていたが、愛猫のことを語る今はそれこそ顔がとろけそうである。
 老若男女を虜にしてしまう猫、本当にすごい。



 この間お世話になった動物病院に到着すると、迅くんが受付を済ませて待合室で自分達の順番が来るのを待つ。
 上が半透明になったキャリーケースから周りを眺めると、患者は犬や猫が大半を占めている。のんびり昼寝している子もいれば、ガチガチに固まってお座りをしている子もいた。
「げっ」
 キャリーケースの横でスマホをいじっていた迅くんが、顔を歪める。
『どうしたの?』
「…………兄貴がスマホ忘れたからスタジオまで持ってきてもらえないかってマネさんから連絡が入った」
『えっ!? 早く行ってあげなきゃじゃん!』
「猫の病院行ってからって伝えたら、兄貴や他のメンバーが猫会いたいから連れてこいって言ってるらしいけど」
『えっ……』
 思わず固まった。
 私が迅くんに慣れてきたように、迅くんも私の性格を把握してきているらしく、気の毒そうな視線を向けられる。
『ううっ……!! 行きたいけど!! 行きたくない!! つらい!! どっち!!』
「嫌なら断っとくけど」
『行きますです!!』
 メンバーとほぼゼロ距離で会うとか怖すぎるけど、この機会を逃せばこんな宝くじに当たる以上のチャンス、二度とない。
 しかも! 今の私は! 冴えないオタクOLではなく、世界に愛されしふわふわのかわいいネコチャンである!
 いつもの私なら視界に入ることも大変申し訳なくを感じるが、今は息をしているだけでかわいいと言われる最強のネコチャンだ。中身が多少アレでもネコチャンパワーで気持ち悪さは多少減っていると思いたい。
 なんでこんなことになってしまったのかと嘆いていたが、こればっかりはありがたい展開だ。猫になって自己肯定感がほんの少し上がった気がする。
 今を逃せば二度と無理だ。
『うわー、やばいやばいドキドキして死にそう……!!』
「ドクターストップかかったりしてな」
『縁起でもないこと言わないでっ!』
 自分でも行く行かないでうだうだ言っていたくせに、他人に茶々を入れられると腹が立つのは愚かな人のサガだろう。
 は~、そわそわする。どうしようどうしよう。
 落ち着かなくてキョロキョロしていたら、隣に座っている女性が座ったのが目に入った。
 サラサラの長い黒髪をキリッと一つに結い上げた、美人さんに見覚えがありすぎた。
『えっ、真紀まきちゃん!?』
「は?」
 思わず反射で声が出てしまい、突然声を上げた私に驚いた迅くんがすっとんきょうな声を上げる。
 真紀ちゃんとは私のオタク友達で、猫になる直前まで電話をしていたアイスを三つ買う女だ。
 きなこくんというコーギーを飼っていて、よく写真も見せてもらっていたし、実際きなこくんに会って遊んでもらったこともある。
 キャリーケースの中で背伸びをして真紀ちゃんの足元を覗いたら、きなこくんが『え?』という顔をして
「えっ? 蛍!?」
 しかし驚いたのは真紀ちゃんがギョッとしてこちらを見て私の名前を呼んだことだ。
 厳つい格好をした迅くんを見てもう一度真紀ちゃんがギョッとして、気のせいかと思ったらしく、何事もなかったように装ってスマホをいじる。いや、無理あるでしょ。
『真紀ちゃん!! 私です!! 蛍です!! Seven Seasの一条冬馬推しの神代蛍です!!』
 スマホをいじっていた真紀ちゃんがぽかんと口を開けてこちらを見つめる。
『やっぱり蛍ちゃんだー!! なんで猫になってるのー!?』
 飼い主よりも先にきなこくんの方が理解して短い尻尾をプリプリと振りながらこちらに寄ってくる。
「知り合いか」
 迅くんが冷静に問うてきた。
『私の友達です!! 推しは真島瑛人ましまえいとくんです!!』
「瑛人くん推しか……」
「えっ……本当に蛍……? えっ、えっ?」
 キャリーケースに収まっている三毛猫と迅くんを交互に見て真紀ちゃんは絶賛混乱中だ。
 どさくさに紛れて見ず知らずの人に推しまで暴露されているが、混乱のあまり気付いていないようである。
「一条みーちゃーん! 診察室へどうぞー!」
 診察室から顔を出した看護師さんに呼ばれて、会話が途切れた。
「後で事情をお話ししますので、ここで待っていてもらえませんか」
「え、あ、はぁ……」
 普段からは考えられない丁寧な言葉遣いで迅くんが頭を下げた。
 見た目は厳ついのに礼儀正しい迅くんの態度に、真紀ちゃんは気の抜けた返事を返していた。
『あとでねー!!』
 ご主人様よりもひと足さきに順応したきなこくんは、その場でドタバタしながら元気に送り出してくれた。



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