不眠症の上司と―― 千夜一夜の物語

菱沼あゆ

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間抜けな部下のそれほどでもない秘密

那智の恋

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「どうした。
 機嫌が悪いようだが」

「悪いですよ。
 いけませんか?」

「自分が呼び出しておいてなんだ」
と桜田は言う。

 昨日のロシア料理の店だ。

 桜田の都合でかなり早い時間だった。

 遥人はまだ仕事をしている。

 桜田も自分も、気に入った店に通いつめる癖があるので、今日も此処でいいようだった。

「今、迷ってるとこなんです」
と那智は目を閉じ、上を向く。

「貴方の力を借りるかどうか」

「ま、その場合、俺が貸すかどうかも問題だがな」

「薄情ですね」
と那智は目を開けた。

「辰巳遥人はよせ、と俺は言ったはずだが」

 こちらをうかがうように見て桜田は言う。

 そんな彼を見ながら那智は言った。

「今気づいたんですけど。
 専務と桜田さんは、ときどきしゃべり方が似てますね」

「そうか、そうかもな」

 あっさり桜田はそう認めると、
「だから、お前、遥人が好きなんだろう」
と言ってきた。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよっ」
と那智は、手で、待て、と合図を出す。

「いっぱい否定したいことがあるんですが。

 まず、私、専務を好きなわけじゃないですし。

 そもそも、なんで、あなたと似てたら、私が専務を好きにならなきゃいけないんですかっ」

「だって、お前、俺のこと好きだろう」

「なんなんですか、その自信……」

 いっそ、呆れる、と思いながら、那智は桜田を見た。

「あれだけ長い間、私を放っておいて、よくそんなことが言えますね」

「仕事だ。
 仕方ないだろうが」

「男の人って、仕事って言えば、なんでもケリがつくと思ってますよね」

 まあ、うちの場合は、母親もそうだが。

「辰巳遥人なんて、その典型だろう。
 仕事だ、仕事だって言って、梨花をほったらかしにしている」

「だからって、あなたがそのフォローをしなくてもいいんですよ」
と言うと、

「いや、だから、遥人と俺は似てるって話だ。
 っていうか、あれか? お前。

 俺が梨花とばかり居るから妬いてるのか?」
と嬉しそうに笑い、

「ほんとに可愛いな、那智は」
と頭を撫でてくる。

「やめてくださいよっ」
とその手を払ったとき、

「ちょっと!」
と鋭い声がした。

 振り向くと、梨花が立っていた。

「なんなの? この女」

 げ。

 なんで、この人、ここに、と思ったが、女ともだちを後ろに連れていた。

 友人と食事に来たところだったのだろう。

 友人たちは梨花と違い、おとなしめな感じで、少し離れたところから、困ったようにこちらを見ている。

「桜田さん、この女、誰っ?」

 いや、あなた怒鳴り込める立場ですか、と思っている後ろから、更にロクでもないことを桜田が言ってきた。

「……妹」

 おい。

「妹さん?」

 仕方ない。
 こくりと頷いてやる。

「ああ、そうなの。
 そういえば似てる」

 そ、そうですか? と那智は苦笑いした。

「ごめんなさい、お邪魔して」
と梨花は可愛らしく桜田に向かい、笑いかけたあとで、こちらを向き、

「でも、妹さん、何処かで見たことあるような」
と言い出す。

 会社に遊びに来てたあなたに、一度、お茶を運んだことがありますよ、と思ったが、一社員のことなど梨花が覚えているはずもない。

 梨花は気を利かせてか、ちょっと離れた席で食事を始めたが、時折、こちらを見て、なにか言っているようだった。

 女ともだちに、なにか楽しげに話している。

 ちらと横目にそれを窺いながら、那智は言った。

「あれはどういう心理なんですかね。
 そして、おともだち達は、なにを思って聞いてるんでしょうね。

 恐らく、あなたの自慢話をしてますね」

 ……結婚目前の婚約者が別に居るのにな。

 いっそ、自分と遥人も、コソコソしなくていいのではないかと思ってしまう堂々っぷりだ。

 こっちなんか、ただ、寝かしつけてるだけなのに逃げ回っているのが莫迦莫迦ばかばかしくなってくる。

 いっそ、お宅の王子様に雇われている下僕です、と言ってみようか。

 そんなことを思っていると、桜田が言う。

「お前の母親と似てるだろ」
と。

「は? お母さんですか?」

「ああいうピュアなところが」

 ピュア!?

「見ろ。
 オトモダチが明らかに困惑している。

 なのに、気づいていない。

 自分の感情しかなくて、周りが目に入らないんだよ」

「なるほど。
 周囲の目を気にしないところは確かにそうですね。

 特に人の感情を深読みしてあげることもないから、誰に対しても、さして、悪意もない」

 今も、友人たちの気持ちを考えていないから、彼女らが困っていることにも気づいていない。

 だから、それを嫌だと思うこともないのだ。

 或る意味、幸せな人だな、と思う。

 それをピュアと言っていいのかはわからないが、少なくとも、そういうのが桜田の好みなのだろう。

「ま、だが、確かに、辰巳遥人とは合わない女だろうな。

 あの男には、お前みたいなのが合ってるだろう。

 だが、『お前みたいなの』でいいんだ。
 お前じゃなくていい」
と桜田は強い言葉で言い切る。

「自分は好き勝手してるくせに、いろいろと口を挟んでくるんですね」

「お前が巻き込まれて傷つく必要はないと言ってるんだ。

 お前が俺たちみたいな性格なら止めない。

 やりたいようにやればいい。

 お前、遥人とは、まだなにもないだろう」

 見ればわかる、と言われた。

「そうやって、いろいろ考えて動けなくなる奴は、恋とは縁遠くなるよな」

「あのー、私に専務を勧めてるんですか、やめろと言ってるんですか」

 どっち? と思わず、訊いてしまう。

 どちらにも取れることばかり言ってくるからだ。

 だが、桜田は渋い顔で言ってきた。

「勧めてるわけないだろう。

 俺だって、お前が傷つくところは見たくない。
 でも、そのままの性格じゃ、いき遅れるかもな、とも思っている」

 桜田は肘をついて身を乗り出し、
「他にいい男は居ないのか」
と大真面目に訊いてくる。

「真面目でいい奴で、お前を泣かさない。
 それでいて、お前みたいな、ぼーっとした奴を、ぐいぐい押してきてくれる男は」

「み、見かけないですね、そんな人」

 私の周りに限らず、あんまり居ない気がするのだが、と思っていると、そうか、と桜田は溜息をついて言う。

「将来のために、しっかり貯蓄しろよ」
と言って食べはじめた。

「あっ。
 勝手に、私の未来を投げ捨てないでくださいよっ」

 他にもいろいろと結婚する手段はあるじゃないですか、見合いとかっ、と思ったのだが。

 じゃあ、今、見合いして誰かと結婚できるかと言うと――。

 それどころか、桜田が言うような理想的な男が現れたとしても。

 きっと、ずっと頭に、遥人の寝顔がチラつくだろうなとは思っていた。

 他の人と居るようになっても、きっと毎晩願う。

 今夜、専務が眠れますように、と。

 これが恋なのだろうか。

 よくわからない。

「那智」

 呼ばれて顔を上げると、桜田が那智の額を人差し指で突いた。

「絶対幸せになれよ」

 そう真剣な顔で言ってくる桜田に、ちょっと泣きそうになりながらも、

「……また、なに勝手なことを言ってるんですか」
と言っていた。

 私の幸せを他人に丸投げじゃないですか、と。

 でも、ちょっとだけ笑ってしまう。

「ほら、食え。
 どんどん食え。

 今日はおごってやるから」

 なんだろう。

 この、すでに私が専務にフラれたような雰囲気は。

 好きなのかもしれないと思った瞬間に、フラれることが確定している恋というのも、なかなかしんどいな、と思いながらも、食べていた。

 味はきっと、三分の一くらいしか感じなかったけれど。


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