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第2話:氷の皇太子の略奪
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降りしきる雨は、なおも激しさを増していた。
泥濘の中に膝をつき、私の凍えた手を取るリュカオンと名乗った男。その瞳に見つめられているだけで、心臓の奥が熱くなるような、奇妙な感覚に襲われる。
「……私の、価値……? 何を仰っているのですか。私は、魔力を持たない無能として家を追われた身ですよ」
自嘲気味に呟いた私の声を、彼は鼻で笑って切り捨てた。
「無能だと? この国の魔力測定器は、よほど腐っているらしいな。君の内に眠る奔流が、これほどまでに周囲の魔素を震わせているというのに」
リュカオンは私の手を握ったまま、立ち上がった。その拍子に、彼の漆黒の外套が私の肩にかけられる。上質な毛織物の重みと、彼自身の体温、そして微かに漂う白檀のような香りが私を包み込んだ。
「行くぞ、アイリス。君を評価できない三流国家に、これ以上一秒たりとも滞在する必要はない」
「え……行くって、どこへ……?」
「私の国だ。デルフィア帝国。……そこで君を、相応しき地位に据える」
デルフィア帝国。その名を聞いた瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
このプロスティア王国の北に位置する、大陸最強の軍事国家。その冷酷非道な精鋭騎士団を率いるのは、「氷の獅子」と恐れられる第一皇太子リュカオン・ヴォル・デルフィアであると、社交界の噂で聞いたことがあった。
「……まさか、あなたが、あの……」
「そうだ。驚くのは後だ。今はまず、君の体を温めるのが先決だ」
彼は躊躇なく私の腰に手を回すと、軽々と横抱き――いわゆるお姫様抱っこの体勢で私を持ち上げた。
「あ、あの! 自分で歩けます! 泥で汚れてしまいますわ!」
「黙っていろ。君のような小さな宝石を泥の中に歩かせるのは、私の矜持が許さない」
反論を許さない力強さで、彼は私を抱えたまま、庭園の暗がりに待機させていた黒塗りの馬車へと歩き出した。
馬車の内装は、外の見かけからは想像もつかないほど贅沢なものだった。
座席には柔らかな獣毛の敷物が敷かれ、中央のテーブルには温かな茶が用意されている。リュカオンは私を座らせると、自らも向かい側に腰を下ろした。
「……デルフィア帝国の皇太子殿下が、なぜこのような場所に?」
温かい茶を一口啜り、ようやく人心地ついた私が尋ねると、彼は組んだ脚に肘をつき、鋭い視線を私に向けた。
「視察だ。……表向きはな。だが真の目的は、この国に眠る『失われた加護』を探し出すことだった」
「失われた、加護……?」
「千年前、神に愛された聖女が持っていたとされる『星の加護』だ。全属性の魔法を操り、一国を一夜にして肥沃な大地に変えるほどの力。……プロスティア王国の王家は、その力を継承していると豪語していたが……今日、あの夜会で確信した。あの『聖女』を自称する女は偽物だ」
リュカオンの口調には、隠しきれない軽蔑が混じっていた。
セシリアが、偽物。そんなはずはない。彼女は確かに光魔法を発現させていた。
「いいか、アイリス。本物の光は、周囲を照らすのではない。概念そのものを書き換える。君がこれまで『無能』とされてきたのは、君の魔力が強大すぎて、この国の旧式な測定器では容量オーバー(オーバーフロー)を起こしていたからに過ぎない」
「容量、オーバー……?」
「そうだ。君は無能ではない。むしろ、この大陸で最も『万能』に近い存在だ」
彼の言葉が、信じられなかった。
18年間、私は「何も持たない空っぽの器」だと言い聞かされてきた。父にも、エドワード様にも、そして誰よりも自分自身に。
「信じられないという顔だな。ならば、今ここで証明してやろう」
リュカオンは私の右手を取り、その指先に自身の魔力を薄く流し込んだ。
その瞬間――。
ドクン、と心臓が大きく波打った。
私の指先から、眩いばかりの七色の光が溢れ出した。それは馬車の室内を昼間のような明るさで満たし、雨音さえも一瞬で消し去るほどの、清浄な波動。
「……っ!? これ、は……」
「君の中に眠る、真の力の一端だ。これほどの光を放ちながら、気づかないふりをしていた周囲の奴らは、文字通りの節穴だな」
光はすぐに収まったが、私の手には今まで感じたことのないほど、力が満ち溢れていた。
体が軽い。意識が、どこまでも澄み渡っていく。
「さて、プロスティア王国の国境を越える。これより先、君は私の庇護下に入る。……アイリス、君に一つだけ条件を提示しよう」
リュカオンの声が、これまで以上に低く、独占欲を孕んだ響きに変わった。
彼は身を乗り出し、私の顔のすぐ近くまでその端正な顔を近づける。
「私の国で、私の妃になれ。君を貶めたすべての者に、君がどれほど高い場所にいるかを見せつけてやろう。……君の復讐は、私がすべて肩代わりしてやる」
「妃……? 復讐……?」
「そうだ。君を捨てたことを、彼らに血の涙を流して後悔させる。……悪い話ではないだろう?」
彼の青い瞳が、獲物を狙う猛獣のように怪しく光った。
それは救済の手であると同時に、決して逃れられない呪縛のようにも見えた。
けれど、雨の中、泥の中で死にかけていた私にとって、その差し出された手は、あまりにも眩しく、そして抗い難いほど魅力的だったのだ。
「……はい。私を、連れて行ってください。リュカオン様」
私の答えを聞いた瞬間、リュカオンの口角が僅かに上がった。
それは、彼が見せた初めての、そして酷く不敵な「勝利」の笑みだった。
馬車は夜の帳を切り裂き、北へとひた走る。
背後にある、私を嘲笑った母国が、遠ざかっていく。
今、この瞬間から。アイリス・ベルモンドという哀れな令嬢は死に、帝国の龍に愛される女神としての人生が始まった。
泥濘の中に膝をつき、私の凍えた手を取るリュカオンと名乗った男。その瞳に見つめられているだけで、心臓の奥が熱くなるような、奇妙な感覚に襲われる。
「……私の、価値……? 何を仰っているのですか。私は、魔力を持たない無能として家を追われた身ですよ」
自嘲気味に呟いた私の声を、彼は鼻で笑って切り捨てた。
「無能だと? この国の魔力測定器は、よほど腐っているらしいな。君の内に眠る奔流が、これほどまでに周囲の魔素を震わせているというのに」
リュカオンは私の手を握ったまま、立ち上がった。その拍子に、彼の漆黒の外套が私の肩にかけられる。上質な毛織物の重みと、彼自身の体温、そして微かに漂う白檀のような香りが私を包み込んだ。
「行くぞ、アイリス。君を評価できない三流国家に、これ以上一秒たりとも滞在する必要はない」
「え……行くって、どこへ……?」
「私の国だ。デルフィア帝国。……そこで君を、相応しき地位に据える」
デルフィア帝国。その名を聞いた瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
このプロスティア王国の北に位置する、大陸最強の軍事国家。その冷酷非道な精鋭騎士団を率いるのは、「氷の獅子」と恐れられる第一皇太子リュカオン・ヴォル・デルフィアであると、社交界の噂で聞いたことがあった。
「……まさか、あなたが、あの……」
「そうだ。驚くのは後だ。今はまず、君の体を温めるのが先決だ」
彼は躊躇なく私の腰に手を回すと、軽々と横抱き――いわゆるお姫様抱っこの体勢で私を持ち上げた。
「あ、あの! 自分で歩けます! 泥で汚れてしまいますわ!」
「黙っていろ。君のような小さな宝石を泥の中に歩かせるのは、私の矜持が許さない」
反論を許さない力強さで、彼は私を抱えたまま、庭園の暗がりに待機させていた黒塗りの馬車へと歩き出した。
馬車の内装は、外の見かけからは想像もつかないほど贅沢なものだった。
座席には柔らかな獣毛の敷物が敷かれ、中央のテーブルには温かな茶が用意されている。リュカオンは私を座らせると、自らも向かい側に腰を下ろした。
「……デルフィア帝国の皇太子殿下が、なぜこのような場所に?」
温かい茶を一口啜り、ようやく人心地ついた私が尋ねると、彼は組んだ脚に肘をつき、鋭い視線を私に向けた。
「視察だ。……表向きはな。だが真の目的は、この国に眠る『失われた加護』を探し出すことだった」
「失われた、加護……?」
「千年前、神に愛された聖女が持っていたとされる『星の加護』だ。全属性の魔法を操り、一国を一夜にして肥沃な大地に変えるほどの力。……プロスティア王国の王家は、その力を継承していると豪語していたが……今日、あの夜会で確信した。あの『聖女』を自称する女は偽物だ」
リュカオンの口調には、隠しきれない軽蔑が混じっていた。
セシリアが、偽物。そんなはずはない。彼女は確かに光魔法を発現させていた。
「いいか、アイリス。本物の光は、周囲を照らすのではない。概念そのものを書き換える。君がこれまで『無能』とされてきたのは、君の魔力が強大すぎて、この国の旧式な測定器では容量オーバー(オーバーフロー)を起こしていたからに過ぎない」
「容量、オーバー……?」
「そうだ。君は無能ではない。むしろ、この大陸で最も『万能』に近い存在だ」
彼の言葉が、信じられなかった。
18年間、私は「何も持たない空っぽの器」だと言い聞かされてきた。父にも、エドワード様にも、そして誰よりも自分自身に。
「信じられないという顔だな。ならば、今ここで証明してやろう」
リュカオンは私の右手を取り、その指先に自身の魔力を薄く流し込んだ。
その瞬間――。
ドクン、と心臓が大きく波打った。
私の指先から、眩いばかりの七色の光が溢れ出した。それは馬車の室内を昼間のような明るさで満たし、雨音さえも一瞬で消し去るほどの、清浄な波動。
「……っ!? これ、は……」
「君の中に眠る、真の力の一端だ。これほどの光を放ちながら、気づかないふりをしていた周囲の奴らは、文字通りの節穴だな」
光はすぐに収まったが、私の手には今まで感じたことのないほど、力が満ち溢れていた。
体が軽い。意識が、どこまでも澄み渡っていく。
「さて、プロスティア王国の国境を越える。これより先、君は私の庇護下に入る。……アイリス、君に一つだけ条件を提示しよう」
リュカオンの声が、これまで以上に低く、独占欲を孕んだ響きに変わった。
彼は身を乗り出し、私の顔のすぐ近くまでその端正な顔を近づける。
「私の国で、私の妃になれ。君を貶めたすべての者に、君がどれほど高い場所にいるかを見せつけてやろう。……君の復讐は、私がすべて肩代わりしてやる」
「妃……? 復讐……?」
「そうだ。君を捨てたことを、彼らに血の涙を流して後悔させる。……悪い話ではないだろう?」
彼の青い瞳が、獲物を狙う猛獣のように怪しく光った。
それは救済の手であると同時に、決して逃れられない呪縛のようにも見えた。
けれど、雨の中、泥の中で死にかけていた私にとって、その差し出された手は、あまりにも眩しく、そして抗い難いほど魅力的だったのだ。
「……はい。私を、連れて行ってください。リュカオン様」
私の答えを聞いた瞬間、リュカオンの口角が僅かに上がった。
それは、彼が見せた初めての、そして酷く不敵な「勝利」の笑みだった。
馬車は夜の帳を切り裂き、北へとひた走る。
背後にある、私を嘲笑った母国が、遠ざかっていく。
今、この瞬間から。アイリス・ベルモンドという哀れな令嬢は死に、帝国の龍に愛される女神としての人生が始まった。
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