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Mission 22*作戦開始
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しおりを挟む木曜日の夜。
計画通り、悟之さんは定食屋に現れた。
彼の姿を確認するために、圭が定食屋向かいのカフェから出入りする人間をテレビ電話で私に見せた。
正直、驚いた。
無精ひげを生やして、くたびれたシャツにスラックス姿。
実年齢よりも十歳は老けて見える。
三週間前に会った悟之さんは、最後に会った時から四年も経っていたのに、その年月をまるで感じさせなかった。
憎らしいほどに。
笠原さんに去られたことで――。
「木島よ……」
私はポツリと言った。
私の手には、スマホが二台。
一台は圭と、もう一台は長谷川くんと繋がっている。
私が悟之さんを確認したことで、圭との通話は切れた。私はもう一台をスピーカーに切り替えた。
私は定食屋から三百メートルほど離れた駐車場にいた。圭の車の中。
静かな社内に、定食屋のざわめきが響く。
『日替わり定食』
静かに注文する悟之さんの声が聞こえた。
これなら、間違いなく満井さんと長谷川くんの会話が彼の耳に届く。
二人もそれを確認したようで、打ち合わせ通り長谷川くんがT&Nにヘッドハンティングされて悩んでいると話し始めた。
『このご時世、会社がデカけりゃ安心てこともないじゃないですか』と、長谷川くん。
『小さいけど、今の会社ではそれなりに重要な案件も任されてますし、安定の現状維持もありかなと思うんですよね』
『けど、提示された待遇も年俸も今より格段にいいんだろう?』と、満井さん。
『俺なんて、必死こいて就活したんだぞ? それを、向こうから誘われたなんて、俺なら飛びつくけどな』
満井さんの言葉には、実感がこもっていた。
『T&Nはまだまだ伸びるぞ? 近々、小さいけど話題性のあるデザイン事務所と手を結ぶことになってるしな』
満井さんが本題に入った。打ち合わせより、早い。
窓に人影が見えて、私はスマホのスピーカーをオフにした。圭が車に乗り込んで来る。
「どうだ?」
静かにドアを閉め、圭が小声で聞いた。
「ちょっと早いけど、本題に入ったわ」
本当に普通に言ったつもりだった。けれど、圭にはわかってしまった。
伏せて膝に置いたスマホを持ち上げようとした時、圭の手がそれを阻んだ。
圭の手が私の手ごとスマホを私の足に押し付け、向こうにこちらの声が聞こえないようにした。
圭の顔が近づく。
「どうした?」
耳元で囁かれ、私は返事に困った。
言えるはずがない。
悟之さんの姿に気持ちが乱されたなんて。
返事の代わりに、私は首を回しキスをした。
圭が、それに応える。
舌先が触れ合った瞬間、駐車場に入って来た車のヘッドライトに照らされて、反射的に離れた。
圭の手が放れ、私は再びスピーカーをオンにした。
『――――って最近経済紙とかにも取り上げられてますよね? それなのに業務提携ですか?』
『吸収と言う名の、な』
『へぇ……』
『T&N《ウチ》は前々から、全社統一した広報活動ができる部署を新設したいと思ってたんだよ。そこで目をつけたのがSIINAだ。話題性も実力も申し分ない』
ガシャンッ! と食器が割れる音がして、一瞬無音状態になった。恐らく、店内の客が音のした方に注目したのだろう。
『すいません! 失礼しました!!』
元気な女性の声がして、再び店内がざわざわし始める。
『けど、SIINAってファッション関係も手掛けてましたよね? そんなのがT&Nに必要なんですか?』
長谷川くんが話を続ける。
『観光の方が結婚式なんかにも手を出し始めて、オリジナルのドレスを作るとかなんとかじゃなかったかな』
満井さんの興味なさ気な言い方が、自然に聞こえる。
悟之さんもこの会話が仕組まれたものだとは思わないだろう。
『へぇ……』と、長谷川くんも興味なさ気に空返事をする。
『ま、とにかくだ! 運よくヘッドハンティングされたんだ。大船に乗った気持ちでT&Nにこい!』
『はぁ……』
『あ、だけど、返事するなら早い方がいいぞ? こっからしばらくはSIINA絡みで慌ただしくなるからな』
コポコポとグラスに液体を注ぐ音が聞こえる。多分、ビール。
『締結はいつなんですか?』
『……それは言えないだろ』
『早く返事しろって言うなら、教えてくださいよ。週明けには手遅れなんてこと、嫌ですよ』
ゴクッとビールを流し込む喉の音に、喉が渇く。
『可愛い後輩のお前だから、特別だぞ? 絶対口外するなよ?』
『はい』
『契約の締結は五日後だ』
満井さんが内緒話らしく少し声を抑えて言った。
悟之さんには聞こえたろうか。
『マジで時間ないじゃないですか!』
『だな。……で、どうする?』
『明日の朝一で連絡します』
『ようこそ。T&Nへ』
カシャンとグラスがぶつかる音がした。
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