サレたふたりの恋愛事情

深冬 芽以

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4.過去は忘れて……

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「じゃ、改めて――」

 篠井さんがビールの缶を私の缶に軽くぶつける。

「――これからよろしく」

「ヨロシクオネガイシマース」

「うわ。全然よろしくされてる感ねぇ!」

 篠井さんが笑う。

 当然だ。

 もう、三回目のよろしくともなれば、酔っ払いのたわ言にしか聞こえない。

「飲み過ぎですよ」

「どこがだよ」

 普通なら、なんら顔色を変えない量だろうが、今日は引っ越しやら買い出しやらで疲れている。

 そのせいで篠井さんは、顔色こそ変わっていないが缶ビール五本目で三回目の乾杯をするに至っている。

 衝撃的な一幕はあったものの、篠井さんの引っ越しは驚くほど簡単に終了した。

 六畳ほどの部屋に胸の位置までのチェストと本棚を置いただけだから、当然と言えば当然。

 布団は客用のものを使うから、週末にマットレスを買うだけでいいそうだ。

 机こそ持って来られなかったが、私としてもあんな状態を見てしまっては持って来てもらいたくなかったし、仕事の時はダイニングを使ってもらうことにした。

 引っ越しの時、必要かどうか迷いながら買ったダイニングテーブルだが、あって良かった。

 荷物を片付けた後、篠井さんが車を出してくれて、買い物に出た。

 私は重いものを中心に買い込み、篠井さんはマイ食器を買った。

 この三日間、篠井さんは出張の報告やら何やらで朝は早く出て帰りは遅く、一緒に食事をするどころか挨拶もままならなかった。

 こんな生活なら、お互いに支障はなさそうだと思う。

「羽崎さぁ」

「はい」

「あの後、大丈夫だったか?」

「あの後って?」

「元カレ」

「ああ」

「俺、あんま家にいなかったからさ?」

「大丈夫です。さすがに平日は仕事してるでしょうし」

「それなら良かったけど?」

 意味もなく語尾が上がり、やっぱり酔っているなと思う。

「な、羽崎」

「はい?」

「お前、なんで結婚したいんだ?」

「なんで、とは?」

「昔、言ってたろ? ひとりで生きていくスキルが欲しい、って」

「言いました?」

「イイマシタ! ほら、俺がお前をけーえーせんりゃんに誘った時」

 酔い過ぎだ。

「そこまで仕事に熱意がないか? って聞いた時」

「ああ」

 よく覚えているな、と思った。

 六年前。

 経営戦略課課長に昇進したばかりの篠井さんに自分の部下にならないかと誘われた私は、経理部に所属していた。

 社員の給与計算や、経費精算、契約関係の入出金管理のうち、経費精算を担当し、経費精算のシステム更新を訴えていた。

 システム自体は既に活用されていたのだが、なにせ古かった。

 使いづらくて誰も使わないシステムで、社員は紙の精算票を持って来て、私たちが入力して決算するという、なんとも無意味で煩わしいだけのものだった。

 私は何度も上司に頼んだが、システムをろくに使ったことのない定年間際の彼にはその必要性を理解してもらえず、終いには『俺の時代は複写紙の伝票をそろばんで――』なんて言い出す始末。

 そして、どこかからかその話を聞きつけた篠井さんが、私を経営戦略課に誘ってくれた。

 もちろん、一言も話したこともなければ、挨拶すらしたことがあるかもわからない彼からの誘いに、私はうさん臭さしか感じず、どうして私を誘うのかをそれはもうしつこく聞いた。

『度胸とプレゼン力、かな』

 案外単純な理由に、私は安心して異動願を提出したものだ。

 その時、逆に聞かれたのだ。

『安定の経理から激務で能力評価の経営戦略に異動するほど、仕事に熱意はないか?』と。

 私は即答した。

『あります! ひとりでも生きていけるスキルが欲しいし』と。
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