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第3話
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病院の廊下を車椅子を押しながら春華が言った。
「あー、しあわせになりたーい」
「今はしあわせじゃないんですか?」
「こうして順さんの車椅子を押している時はしあわせだよ。うふっ
でもね、普通にしあわせになりたいの」
車椅子から見える世界は子供の目線だ。私は自分の子供たちからどんなふうに見られていたのだろう?
「女の人は普通のしあわせを望みますよね? 別れた妻もそうでした。「普通の暮らしがしたい」とよく言っていました。あんなに贅沢をさせてやったのに、うれしくなかったようです。
大きな屋敷もブランド品も要らない、普通の暮らしがしたいと。
普通の生活って何ですかね?」
「好きな人と結婚して子供はふたり、男の子と女の子。旦那も私もそこそこの会社で働いて小さな3LDKのマイホームを建てて男の子はサッカーか野球をさせて女の子はお菓子作りが得意。
お休みの日には家族でお出かけ。夏休みと冬休み、GWにはお泊りで旅行をする。
毎週土曜日にはファミレスでお食事。
子供たちの学校の成績は中の上。大学まで進学させて就職して結婚。そして孫が生まれる。
私たちは定年退職して旅行をしたり食べ歩きをしたり・・・」
「それは普通の暮らしじゃありませんよ、贅沢な暮らしです」
「そうかしら?」
私は学校の成績は良かったが大学進学を諦めるしかなかった。両親は借金もせず、ただ真面目に働いたが生活は貧しかった。家は賃貸、クルマもなかった。
子供の時からずっと金持ちに憧れた。金持ちになることが幸福になることだと思っていた。
結婚して家族が出来て、よりカネが欲しくなった。幸福になるにはカネが必要だった。
深夜、帰宅してあどけなく眠る子供たちの寝顔を見ながら私は誓った。
「いい暮らしをさせてやるからな」
学歴もなく人脈もなくカネもない。ましてや親や親戚にも頼ることは出来なかった。
私はそんな「普通の幸福」を求めてがむしゃらに働いた。
そしてその結果、大切な家族はいなくなり私は孤独な還暦過ぎのジジイとなり、そして不治の病になった。
放射線検査室にやって来ると、学生時代はラグビーをやっていたような放射線技師が出迎えてくれた。
「斑目さんでーす、よろしくお願いします」
「斑目順次さんですね? お名前と生年月日をお願いします」
「斑目順次、1962年5月3日生まれ」
「ありがとうございます。ではこれからレントゲンとCT、心臓の超音波検査を行いますので上半身を脱いでこちらにお立ち下さい。まずはレントゲン撮影になります」
私は車椅子からやっと立ち上がると、上着を脱いでレントゲンの前に立った。
「では大きく息を吸ってー、はい止めてー、はい、チーズ」
放射線技師は笑っていた。
どうせ検査結果は最悪だろう。もしかすると他に病気が見つかるかもしれない。私は暗澹たる思いだった。
一通り検査が終わると技師に春華が言った。
「CTの読影は放射線科医の広瀬アリスがやるの?」
「春華ちゃん、誰それ? それはドラマでの話でしょ? ここのドクターはオラウータンみたいな厚塗りメイクの礼子先生しかいないの知ってるくせに」
「あはははは だってここは何だっけ? ジェネレーター? ラジエター・ハウスなんでしょう?」
「ジェネレーターでもラジエターでもなくてラジエーション・ハウスだよ、そんなこと一度も言ったことねえけどね。ここはあんなカッコいい職場じゃねえよ。あはははは」
「あはははは 順さん、ここには広瀬アリスはいないんだってさ。病室に戻ろうか?」
検査を終え、私たちは病室へ戻った。
病室ではちょうど昼食の最中だった。
「松五郎さーん、お食事ですよ~」
「何がお食事だ! こんな具材が蕩けてゲロみたいなメシ、食えるか! ああ、山岸家のチャーシューワンタン麺、煮卵付きが喰いてえ!」
「お食事もお薬の内なんですからね? ちゃんと食べないと。私が食べさせてあげますから我慢して食べてね? そうしないといつまでも退院出来ませんよ」
「退院なんかせんでいい、ワシはこの病院で死ぬんじゃ!」
「またそんなこと言って~」
「うるせえブス!」
「はいはい、どうせ私はブスですよー。はい食べて下さいね~」
その看護士は菜々緒に似た美人だった。
レースクイーンのような見事なプロポーションはナース服の上からも想像出来た。
すると今度は向いのベッドの老人がナースコールをした。
「どうしました? 総理?」
どうやら「総理」とは渾名のようだった。
「ウンチが出ました」
「今行くから待っててね」
すぐにダンプ松本みたいなナースが現れ、サッとカーテンを閉めるとその爺さんのオムツを見ているようだった。
「どれどれ? う~ん、まだ頭を出しただけだからもう少し出るかもねー、それまで待ちましょうか総理?」
「お腹が空くとムカムカするのでブドウ糖を下さい」
「ウンチが出てご飯を食べてからね?」
松五郎さんが苦言を呈した。
「人がゲロみたいなメシを我慢して喰ってるっていうのに、クソなんかしてんじゃねえよったく。
もうメシは要らねえから下げてくれ」
「デザートの桃はどうする? 好物でしょ? 桃」
「桃は喰うに決まってんだろうブス!」
「私のお尻みたいに小さくてかわいいピーチ」
「お前のケツみたいな桃じゃなくてもっとデッカイ桃を丸齧りしてえ、こんな中国産の缶詰の桃じゃなくてよう」
「国産の桃は美味しいもんねー? 高いけど」
「いくら腎臓にいい喰い物だからってゲロみてえな食事はいらねえから中国産の桃の缶詰だけ山盛りにして持って来い!」
「駄目よ食事はバランス良く食べなきゃ。血糖値とカリウムが上がるわよ」
「死んでもいいから缶詰ごと寄越せ!」
「松五郎さん、いいからちゃんと食べないとダメよ。ハイ、あーんして」
「うるせえブス!」
すると総理が言った。
「看護士さん、ウンチ出た」
「あらホント、大きなチョコバナナみたいな立派なウンチ」
「チョコバナナだと? ふざけんな! もう桃もいらねえ!」
私も今日の夕食からは病院食になる。
私の食欲は性欲と共に失せてしまっていた。
「あー、しあわせになりたーい」
「今はしあわせじゃないんですか?」
「こうして順さんの車椅子を押している時はしあわせだよ。うふっ
でもね、普通にしあわせになりたいの」
車椅子から見える世界は子供の目線だ。私は自分の子供たちからどんなふうに見られていたのだろう?
「女の人は普通のしあわせを望みますよね? 別れた妻もそうでした。「普通の暮らしがしたい」とよく言っていました。あんなに贅沢をさせてやったのに、うれしくなかったようです。
大きな屋敷もブランド品も要らない、普通の暮らしがしたいと。
普通の生活って何ですかね?」
「好きな人と結婚して子供はふたり、男の子と女の子。旦那も私もそこそこの会社で働いて小さな3LDKのマイホームを建てて男の子はサッカーか野球をさせて女の子はお菓子作りが得意。
お休みの日には家族でお出かけ。夏休みと冬休み、GWにはお泊りで旅行をする。
毎週土曜日にはファミレスでお食事。
子供たちの学校の成績は中の上。大学まで進学させて就職して結婚。そして孫が生まれる。
私たちは定年退職して旅行をしたり食べ歩きをしたり・・・」
「それは普通の暮らしじゃありませんよ、贅沢な暮らしです」
「そうかしら?」
私は学校の成績は良かったが大学進学を諦めるしかなかった。両親は借金もせず、ただ真面目に働いたが生活は貧しかった。家は賃貸、クルマもなかった。
子供の時からずっと金持ちに憧れた。金持ちになることが幸福になることだと思っていた。
結婚して家族が出来て、よりカネが欲しくなった。幸福になるにはカネが必要だった。
深夜、帰宅してあどけなく眠る子供たちの寝顔を見ながら私は誓った。
「いい暮らしをさせてやるからな」
学歴もなく人脈もなくカネもない。ましてや親や親戚にも頼ることは出来なかった。
私はそんな「普通の幸福」を求めてがむしゃらに働いた。
そしてその結果、大切な家族はいなくなり私は孤独な還暦過ぎのジジイとなり、そして不治の病になった。
放射線検査室にやって来ると、学生時代はラグビーをやっていたような放射線技師が出迎えてくれた。
「斑目さんでーす、よろしくお願いします」
「斑目順次さんですね? お名前と生年月日をお願いします」
「斑目順次、1962年5月3日生まれ」
「ありがとうございます。ではこれからレントゲンとCT、心臓の超音波検査を行いますので上半身を脱いでこちらにお立ち下さい。まずはレントゲン撮影になります」
私は車椅子からやっと立ち上がると、上着を脱いでレントゲンの前に立った。
「では大きく息を吸ってー、はい止めてー、はい、チーズ」
放射線技師は笑っていた。
どうせ検査結果は最悪だろう。もしかすると他に病気が見つかるかもしれない。私は暗澹たる思いだった。
一通り検査が終わると技師に春華が言った。
「CTの読影は放射線科医の広瀬アリスがやるの?」
「春華ちゃん、誰それ? それはドラマでの話でしょ? ここのドクターはオラウータンみたいな厚塗りメイクの礼子先生しかいないの知ってるくせに」
「あはははは だってここは何だっけ? ジェネレーター? ラジエター・ハウスなんでしょう?」
「ジェネレーターでもラジエターでもなくてラジエーション・ハウスだよ、そんなこと一度も言ったことねえけどね。ここはあんなカッコいい職場じゃねえよ。あはははは」
「あはははは 順さん、ここには広瀬アリスはいないんだってさ。病室に戻ろうか?」
検査を終え、私たちは病室へ戻った。
病室ではちょうど昼食の最中だった。
「松五郎さーん、お食事ですよ~」
「何がお食事だ! こんな具材が蕩けてゲロみたいなメシ、食えるか! ああ、山岸家のチャーシューワンタン麺、煮卵付きが喰いてえ!」
「お食事もお薬の内なんですからね? ちゃんと食べないと。私が食べさせてあげますから我慢して食べてね? そうしないといつまでも退院出来ませんよ」
「退院なんかせんでいい、ワシはこの病院で死ぬんじゃ!」
「またそんなこと言って~」
「うるせえブス!」
「はいはい、どうせ私はブスですよー。はい食べて下さいね~」
その看護士は菜々緒に似た美人だった。
レースクイーンのような見事なプロポーションはナース服の上からも想像出来た。
すると今度は向いのベッドの老人がナースコールをした。
「どうしました? 総理?」
どうやら「総理」とは渾名のようだった。
「ウンチが出ました」
「今行くから待っててね」
すぐにダンプ松本みたいなナースが現れ、サッとカーテンを閉めるとその爺さんのオムツを見ているようだった。
「どれどれ? う~ん、まだ頭を出しただけだからもう少し出るかもねー、それまで待ちましょうか総理?」
「お腹が空くとムカムカするのでブドウ糖を下さい」
「ウンチが出てご飯を食べてからね?」
松五郎さんが苦言を呈した。
「人がゲロみたいなメシを我慢して喰ってるっていうのに、クソなんかしてんじゃねえよったく。
もうメシは要らねえから下げてくれ」
「デザートの桃はどうする? 好物でしょ? 桃」
「桃は喰うに決まってんだろうブス!」
「私のお尻みたいに小さくてかわいいピーチ」
「お前のケツみたいな桃じゃなくてもっとデッカイ桃を丸齧りしてえ、こんな中国産の缶詰の桃じゃなくてよう」
「国産の桃は美味しいもんねー? 高いけど」
「いくら腎臓にいい喰い物だからってゲロみてえな食事はいらねえから中国産の桃の缶詰だけ山盛りにして持って来い!」
「駄目よ食事はバランス良く食べなきゃ。血糖値とカリウムが上がるわよ」
「死んでもいいから缶詰ごと寄越せ!」
「松五郎さん、いいからちゃんと食べないとダメよ。ハイ、あーんして」
「うるせえブス!」
すると総理が言った。
「看護士さん、ウンチ出た」
「あらホント、大きなチョコバナナみたいな立派なウンチ」
「チョコバナナだと? ふざけんな! もう桃もいらねえ!」
私も今日の夕食からは病院食になる。
私の食欲は性欲と共に失せてしまっていた。
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