【完結】Romantical Blue(作品251016)

菊池昭仁

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第3話

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 2月、威厳に満ちた冬の剣岳は俺達を拒絶し、魅了した。
 俺達は剣に人生の厳しさをイヤというほど教えられ続けて登っていた。
 
    どうしてこんな険しい山に登っているんだろう?

 虚しい自問自答の中、凄まじい風と雪。肌を突き刺す痛いほどの寒さ。
 立山信仰では劔岳は鬼の棲む「針の山」として恐れられており、明治時代の測量官、柴崎芳太郎が剣岳山頂に測量登頂をして三角点を建てるまではこの山を登る者はいなかった。
 山頂に奉納されていた剣を調べてみると、平安時代の物であることが判明した。それがその当時収められた物か、奉納された剣が古いものであったのかは知らないが、もしその当時に剣岳に登った人間がいたとすれば、それは人間ではなく、峨眉山の仙人だったのかもしれない。装備も何も無い、その当時の人間では不可能だからだ。


 ロケは過酷を極めていた。
 時折見せてくれるラピスラズリの天空、日本ではなくスイスかヒマラヤにいるような錯覚を覚えた。


      試練と憧れ


 早月尾根登山口の石碑に刻まれたシンプルな銘文である。
 俺は厳しい試練を乗り越え、憧れの頂に立ちたい。

 よく人生は山登りに例えられる。人生も山登りも辛くて苦しいからだ。
 そして人生も登山も常に危険と隣合わせだ。
 山頂を目指して道なき道を進む。凶暴なクマやマムシに遭遇することもあるかもしれないし落石や雪崩、沢やクレバスに滑落したり、雷に撃たれることもあるかもしれない。
 寒さで体温は奪われ、凍傷になるかもしれない。足指の壊死、切断。
 
 人生も同じだ。病気や交通事故、失業や失恋。様々な災難が俺たちを待ち受けているかもしれない。
 ではそのために人は何をすべきなのか? それは、


      万一への備え


 がそれだ。つまり保険だ。
 遭難した場合に救助を求めるための連絡手段やGPS発信機の装着。山で怪我や病気になった場合の医薬品、少し多めの非常食やサバイバルナイフ、火を起こすためのオイルライターなど。
 雨に濡れないための雨合羽や濡れた際の着替え、暗闇でのトーチライト。その他アイゼンやロープ、ピッケルなど様々な登山グッズが必要だ。
 
 だがそのお世話になることはないかもしれない。
 それでも「万が一」に備えるのが冒険者の心構えというものだろう。

 病気にならないように食事や飲食に気を使い、タバコは吸わない。
 筋力低下と肥満防止のための適度な運動。
 いつ会社をクビになってもいいように高いスキルを身に着け、常に勉強と人脈づくりを怠らない。
 老後の孤独死を避け、性欲の処理、社会的信用を得るためにする結婚。
 俺はそんなことに興味はなかった。


     登山も人生も身軽が一番


 そう考えていたからである。俺は夢があればそれで良かった。
 映画俳優になる夢さえあればそれで良かったのである。




 俺に僥倖ぎょうこうが訪れた。先日のオーディションで決まっていた俳優が女性スキャンダルにより急遽降板となり、俺に代役の話が舞い込んで来たのである。


 「晋也、おめでとう。やっと念願が叶ったのね?」
 「ああ、まだ実感はないけどな。店は辞めることになる。迷惑を掛けてすまない」
 「あなたは俳優が本業だもの、気にしないで」
 
 俺は店を辞めることにした。今までさんざん陰口を叩いていた連中は掌を返したように俺を称賛した。

 いつもは俺を嫌っていた厨房のチーフ、益田が缶ビールをくれた。

 「伊吹、お前は凄えよなあ。映画俳優になるのはお前の夢だったもんなあ?」
 「まだスタートラインに立っただけですよ」
 「でも俺はお前はやると思っていたよ」
 「ありがとうございます」

 益田は翔子のことが好きだった。だから俺にはいつもキツく当たった。
 俺が映画俳優になったと知ると、今まで疎遠だった親戚や友人たちが寄って来た。
 それが社会というものだろう。自分に得があれば寄ってくるが、得がなければ去って行く。




 どうしてこんなとんでもない冬山に俺は登ろうとしているんだろう?
 
 
     そこに山があるから


 そうかもしれない。
 だがひとつ言えることは、山登りも人生も一人では辛いが、仲間と一緒だとその辛さ、苦しさは半減し、この見たこともない美の世界の感動は何倍にも跳ね上がる。

 俺は今、人生の夢の真っ只中にいた。

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