元魔王様の愛人にされそうですが、俺は元勇者です

佐倉

文字の大きさ
17 / 31
3章 映画「怪人二十面相」

3

しおりを挟む
 梅雨の気配が忍び寄る六月の午後。控室では照明の調整待ちの間に、三浦なおが台本を膝の上でめくっている。

 指先は動いていても、ページの内容はほとんど頭に入っていない。彼女の視線は、ガラス越しに見える別棟――録音スタジオの方を向いていた。

 そこでは「二十面相」の独白シーンが別録りで進められている。

 父・香山篤志の声がスピーカーを通して響き、なおの鼓膜を微かに震わせた。

――静かな声。低く、落ち着いた語り。

 その抑揚の中に、幼い日の記憶がふとよぎった。眠れない夜、父が童話を読み聞かせてくれたあの声。けれどその温もりは、数年前に途絶えていた。

 なおは小さく息を吐く。

「……別録り、また今日もか」

 隣にいた昴が、軽く首を傾げた。

「そういうスケジュールらしいな。監督が“対峙する前に、距離の芝居を完成させたい”って言ってた」

「距離、ね……。本当に“距離”があるのは、僕とあの人のほうなのに」

 ぽつりとこぼれた言葉に、昴は少しだけ目を細めた。彼は余計な慰めは言わない。ただ、その場にいて、黙って受け止める。

「……小さいころ、僕、あの人のこと“大きい怪人”って呼んでたんだよ」

「怪人?」

「うん。夜遅くに帰ってきて、いつも黒い服で、でも笑うと優しい顔になるから。 “おとうさんは怪人みたい”って。母が笑ってた」

 なおは苦笑しながら台本を閉じた。机の上のペットボトルの水が、淡い蛍光灯の光を反射している。その光が揺れるたび、記憶もまた揺らいでいる。

「でも、僕とお母さんが家を出た日のことは、よく覚えてる。お母さんが泣いてて、僕、何もできなかった。そのあと会わないようにしていたけど……。なのに、映画でいきなり“父子役”って。ねえ、神様って残酷じゃない?」

 昴は少しの間、答えを探すように天井を見上げた。そして、穏やかな声で言った。

「神は残酷じゃない。人の選択が、残酷になるだけだと思う」

 なおが小さく息を呑む。昴の言葉には、彼自身の長い旅路の重みが滲んでいた。

「……昴さん、そういうの、どこで覚えたの?」

「昔、師匠が言ってた。戦場では、どんな敵よりも“選択”が人を傷つけるって」

「戦場……か。映画の中だけで十分だよ、そんなの」

 なおは笑ってみせたが、その笑みはどこか脆かった。昴は黙って彼女を見つめる。

 この世界の少女は、戦いではなく演技で傷を隠している。それがどれほど繊細なことか、彼にはわかっていた。

 撮影再開の合図が鳴り、スタッフが慌ただしく動き出す。

 なおは立ち上がり、衣装係に軽く会釈した。

 昴はそれを見送りながら、ポケットの中の携帯電話を握りしめる。

 彼の役目は、あくまで“守ること”。だが、守る対象が心の奥で戦っている時、自分は何をすればいいのか――

 その答えは、まだ見えなかった。



 夜、撮影が終わり、スタジオを出るころには雨が降り始めていた。昴は傘をさし、送迎車までの道を先に歩いた。なおは黙ってその後をついていく。佐倉の部下である日向も一緒だ。

 遠く、駐車場の照明の下に立つ黒い車が、ぼんやりと光っていた。

「ねえ、昴さん」

「ん?」

「僕さ、お父さんとちゃんと話すべきなのかな。でも、話したら、何か壊れそうで……」

 昴は立ち止まり、振り返る。雨粒が彼の髪に当たり、淡く光る。

 彼は一拍置いてから、静かに答えた。

「壊れるかもしれない。でも、壊れたあとに残るものもある」

「残るもの……?」

「それが“絆”ってやつなんだろう。俺は、そう信じたい」

 なおは驚いたように昴を見つめ、やがて小さく笑った。涙とも雨ともつかぬ雫が頬を伝う。

「……ずるいね、昴さん。そんなこと言われたら、ちゃんと向き合うしかないじゃん」

「逃げたいなら、俺が時間を稼ぐ」

「ふふ、頼もしいボディガードだね」

 ふたりの頭上で、雨音が強くなる。日向の運転で送迎車が静かに発進し、街の灯がにじむ。

フロントガラス越しに見える景色は、どこまでも灰色だった。

 後部座席でなおは小さくつぶやいた。

「もしあの人が“怪人”なら……僕は何だろうね」

 昴は答えず、ただ前を見据えていた。彼にとってもまた、守ることとは何か、まだ見えない問いのままだった。



 その夜。昴は自分のアパートに戻ると、濡れた上着を脱ぎ、静かに窓を開けた。

 遠くの街灯の下を、なおの送迎車が通り過ぎていく。

 その光の軌跡が、まるで異世界の流星のように一瞬だけ輝いた。

(……彼女が、光の中にいるなら。俺は、その影でいい)

 昴はそう心の中でつぶやき、窓を閉めた。

 机の上のノートには、勉強中の数式と英単語が並んでいる。

 明日もまた、彼は学生として、そして“守る者”として一日を始めるのだ。

 雨はまだ止まなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

勇者のハーレムパーティー抜けさせてもらいます!〜やけになってワンナイトしたら溺愛されました〜

犬の下僕
恋愛
勇者に裏切られた主人公がワンナイトしたら溺愛される話です。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

猫を拾ったら聖獣で犬を拾ったら神獣で最強すぎて困る

マーラッシュ
ファンタジー
旧題:狙って勇者パーティーを追放されて猫を拾ったら聖獣で犬を拾ったら神獣だった。そして人間を拾ったら・・・ 何かを拾う度にトラブルに巻き込まれるけど、結果成り上がってしまう。 異世界転生者のユートは、バルトフェル帝国の山奥に一人で住んでいた。  ある日、盗賊に襲われている公爵令嬢を助けたことによって、勇者パーティーに推薦されることになる。  断ると角が立つと思い仕方なしに引き受けるが、このパーティーが最悪だった。  勇者ギアベルは皇帝の息子でやりたい放題。活躍すれば咎められ、上手く行かなければユートのせいにされ、パーティーに入った初日から後悔するのだった。そして他の仲間達は全て女性で、ギアベルに絶対服従していたため、味方は誰もいない。  ユートはすぐにでもパーティーを抜けるため、情報屋に金を払い噂を流すことにした。  勇者パーティーはユートがいなければ何も出来ない集団だという内容でだ。  プライドが高いギアベルは、噂を聞いてすぐに「貴様のような役立たずは勇者パーティーには必要ない!」と公衆の面前で追放してくれた。  しかし晴れて自由の身になったが、一つだけ誤算があった。  それはギアベルの怒りを買いすぎたせいで、帝国を追放されてしまったのだ。  そしてユートは荷物を取りに行くため自宅に戻ると、そこには腹をすかした猫が、道端には怪我をした犬が、さらに船の中には女の子が倒れていたが、それぞれの正体はとんでもないものであった。  これは自重できない異世界転生者が色々なものを拾った結果、トラブルに巻き込まれ解決していき成り上がり、幸せな異世界ライフを満喫する物語である。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

処理中です...