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3章 映画「怪人二十面相」
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映画『怪人二十面相』が封切られた初週末、都内の劇場前には、予想以上の人だかりができていた。
チケット売り場の列は朝から途切れず、SNSには「満席」「パンフ完売」の文字が次々と流れていく。
如月昴は、その光景をスマートフォンの画面越しに見つめながら、ほっと息をついた。
「……うまく、いったな」
昴はその日、なおの公式スケジュールを確認するために、控え室のソファに腰を下ろしていた。公開初日イベントは撮影時期の都合で見送られたものの、メディアの取材対応やリモートインタビューがひっきりなしに入っている。
画面の隅に表示された「今週の観客動員ランキング1位」の速報を見て、昴の口元が自然と緩んだ。
スクロールを進めると、映画評や観客のコメントが並んでいた。
「主演・佐倉陽介、まるで本物の明智小五郎のような静けさと知性」
「新人女優・三浦なお、透明感と緊張感の共存がすごい」
「社会的メッセージもあるけど、ちゃんと娯楽作品として楽しめる」
どれも好意的なものばかりだった。
昴は思わず笑みをこぼした。あの日、監督とキャストが佐倉を説得していた光景が脳裏に浮かぶ。
最初は本気で拒んでいた佐倉が、最終的に明智小五郎を演じる決断を下した瞬間――その重さを、昴は今ようやく理解し始めていた。
“人を救った男が、今度は物語を救ったんだな。”
昴は胸の中でそう呟き、スマホをポケットにしまった。
昼過ぎ、控え室のドアが軽くノックされた。入ってきたのは、淡いブラウス姿の三浦なおだった。取材帰りらしく、少し頬が上気している。
「昴さん! 見た? ニュース!」
「ああ、見た。ランキング一位だってな。おめでとう」
「えへへ……ありがとうございます!」
なおは笑みを弾けさせた。その表情は、撮影中の緊張と不安を乗り越えた者だけが見せる、清々しい笑顔だった。
昴は、彼女がいかにこの作品に心を注いできたかを知っている。主演の交代が決まったあの日、涙をこらえて頭を下げていた少女が、いまこうして胸を張っている。
「課長も、取材で引っ張りだこみたいですよ。出演俳優なのに、どのメディアも“作家で会社員の主演”って紹介してて」
「まあ、前代未聞だもんな。……でも、あの人なら違和感ない」
昴は静かに笑った。
佐倉陽介という男は、不思議な存在感を持っている。どんな立場に置かれても、浮かない。逆に“その場所を正しいものに変えてしまう”力がある。
俳優としての経験がないにも拘わらず、彼の一挙手一投足には説得力があった。それは演技ではなく、生き方そのものが滲み出ていたからだろう。
「……あの人が主演じゃなかったら、きっと映画は完成してなかった」
なおがぽつりとつぶやいた。その声には、確信と感謝の両方が滲みていた。昴はうなずきながら、彼女の目線に合わせて座り直す。
「君も、よく頑張ったよ。あの状況で逃げなかった。それがいちばん偉い」
「私なんて……まだまだですよ。課長がいたから、最後まで立っていられただけで」
なおは照れたように視線を落とし、手のひらを見つめた。
昴は、その強さを心の中で称えた。彼女はもはや“守られる存在”ではない。自らの意思で立ち向かう俳優になりつつある。
しばらくして、日向小春が差し入れを持って入ってきた。
スタッフの間でも好調の知らせが広まっており、控え室は柔らかな笑い声で満ちていった。
昴は紙コップのコーヒーを受け取りながら、何気なく壁に貼られたポスターを見上げた。
黒のコートを翻し、冷静な眼差しでこちらを見つめる明智小五郎――その姿の中に、佐倉陽介の面影があった。
だが、ポスターの下で微笑む少女の瞳には、まぎれもなく三浦なお自身の輝きが宿っていた。
昴はゆっくりと目を細め、胸の奥でつぶやく。
「――きっと、これが始まりだな」
彼の言葉に、なおが首をかしげる。
「始まり?」
「そうだ。映画は終わっても、君の物語はまだ続く。……あの人も、きっとそう思ってるさ」
なおは小さく笑い、うなずいた。
控え室の窓の外では、夕陽が沈みかけている。オレンジ色の光が二人を包み、まるで新しい幕開けを祝福するように輝いていた。
昴は静かに立ち上がり、ポスターにもう一度目を向けた。
そこに写る佐倉陽介の眼差しは、確かに何かを託すように見えた。
彼が守ったもの――それは作品だけではない。
自分たちの生き方そのものを肯定する“希望”だった。
その想いは誰にも聞こえなかったが、なおがふと笑った。まるで同じ想いを感じ取ったかのように。
映画の光は、スクリーンを越えて、確かに彼らの心にも届いていた。
チケット売り場の列は朝から途切れず、SNSには「満席」「パンフ完売」の文字が次々と流れていく。
如月昴は、その光景をスマートフォンの画面越しに見つめながら、ほっと息をついた。
「……うまく、いったな」
昴はその日、なおの公式スケジュールを確認するために、控え室のソファに腰を下ろしていた。公開初日イベントは撮影時期の都合で見送られたものの、メディアの取材対応やリモートインタビューがひっきりなしに入っている。
画面の隅に表示された「今週の観客動員ランキング1位」の速報を見て、昴の口元が自然と緩んだ。
スクロールを進めると、映画評や観客のコメントが並んでいた。
「主演・佐倉陽介、まるで本物の明智小五郎のような静けさと知性」
「新人女優・三浦なお、透明感と緊張感の共存がすごい」
「社会的メッセージもあるけど、ちゃんと娯楽作品として楽しめる」
どれも好意的なものばかりだった。
昴は思わず笑みをこぼした。あの日、監督とキャストが佐倉を説得していた光景が脳裏に浮かぶ。
最初は本気で拒んでいた佐倉が、最終的に明智小五郎を演じる決断を下した瞬間――その重さを、昴は今ようやく理解し始めていた。
“人を救った男が、今度は物語を救ったんだな。”
昴は胸の中でそう呟き、スマホをポケットにしまった。
昼過ぎ、控え室のドアが軽くノックされた。入ってきたのは、淡いブラウス姿の三浦なおだった。取材帰りらしく、少し頬が上気している。
「昴さん! 見た? ニュース!」
「ああ、見た。ランキング一位だってな。おめでとう」
「えへへ……ありがとうございます!」
なおは笑みを弾けさせた。その表情は、撮影中の緊張と不安を乗り越えた者だけが見せる、清々しい笑顔だった。
昴は、彼女がいかにこの作品に心を注いできたかを知っている。主演の交代が決まったあの日、涙をこらえて頭を下げていた少女が、いまこうして胸を張っている。
「課長も、取材で引っ張りだこみたいですよ。出演俳優なのに、どのメディアも“作家で会社員の主演”って紹介してて」
「まあ、前代未聞だもんな。……でも、あの人なら違和感ない」
昴は静かに笑った。
佐倉陽介という男は、不思議な存在感を持っている。どんな立場に置かれても、浮かない。逆に“その場所を正しいものに変えてしまう”力がある。
俳優としての経験がないにも拘わらず、彼の一挙手一投足には説得力があった。それは演技ではなく、生き方そのものが滲み出ていたからだろう。
「……あの人が主演じゃなかったら、きっと映画は完成してなかった」
なおがぽつりとつぶやいた。その声には、確信と感謝の両方が滲みていた。昴はうなずきながら、彼女の目線に合わせて座り直す。
「君も、よく頑張ったよ。あの状況で逃げなかった。それがいちばん偉い」
「私なんて……まだまだですよ。課長がいたから、最後まで立っていられただけで」
なおは照れたように視線を落とし、手のひらを見つめた。
昴は、その強さを心の中で称えた。彼女はもはや“守られる存在”ではない。自らの意思で立ち向かう俳優になりつつある。
しばらくして、日向小春が差し入れを持って入ってきた。
スタッフの間でも好調の知らせが広まっており、控え室は柔らかな笑い声で満ちていった。
昴は紙コップのコーヒーを受け取りながら、何気なく壁に貼られたポスターを見上げた。
黒のコートを翻し、冷静な眼差しでこちらを見つめる明智小五郎――その姿の中に、佐倉陽介の面影があった。
だが、ポスターの下で微笑む少女の瞳には、まぎれもなく三浦なお自身の輝きが宿っていた。
昴はゆっくりと目を細め、胸の奥でつぶやく。
「――きっと、これが始まりだな」
彼の言葉に、なおが首をかしげる。
「始まり?」
「そうだ。映画は終わっても、君の物語はまだ続く。……あの人も、きっとそう思ってるさ」
なおは小さく笑い、うなずいた。
控え室の窓の外では、夕陽が沈みかけている。オレンジ色の光が二人を包み、まるで新しい幕開けを祝福するように輝いていた。
昴は静かに立ち上がり、ポスターにもう一度目を向けた。
そこに写る佐倉陽介の眼差しは、確かに何かを託すように見えた。
彼が守ったもの――それは作品だけではない。
自分たちの生き方そのものを肯定する“希望”だった。
その想いは誰にも聞こえなかったが、なおがふと笑った。まるで同じ想いを感じ取ったかのように。
映画の光は、スクリーンを越えて、確かに彼らの心にも届いていた。
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