家の中で空気扱いされて、メンタルボロボロな男の子

こじらせた処女

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弟(後)

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 頭がずっと痛い。目の奥が痛い。眠ってしまいたい。拭かれてさっぱりした足がスースーして、制服に着替えても落ち着かない。一日中浮遊感のせいかボーッとして、それは下校時間になっても続いた。
 課題、やりたくない。勉強したくない。家に帰りたくない。眠りたいのにきっと今日も許してくれない。でも進捗は絶対母さんに確認されるから図書室に向かう。
(…さむい)
蒸し暑い期間は終わったとはいえ、今日はいい気温のはずだ。なのに、やけに寒い。それに眠い。文字が全く入ってこなくて突っ伏したら、目を開けていられなくて眠りに落ちた。
「んぁ、」
起きたら日は暮れかけていて、目の奥の痛みは幾分かマシになっている。よだれにまみれたノートを慌ててハンカチで拭う。寝てしまった。全く進んでいないのに。今日は塾はないけれど、自習室に行かなければならない。それが終わったら家に帰って、また怒られて…。
(行きたくないなぁ…)
 漫然とした思考は片付けをしていても、門を出ても消えることはない。もう、嫌で嫌で仕方ない。気づいたら塾とは別の道を歩いていた。
 普段入らない商店街を意味もなく歩く。クレープを持ったカップルや、ゲームセンターのプリクラ機に並ぶ女子高生。みんな、楽しそう。誰かと笑っている。
 いいな。羨ましい気持ちを自覚して、でも虚しくなってやめた。
「あれ、亜季?」
しばらく歩いていると不意にゲームセンター側から声をかけられた。後ろにいた連れに一言話をした後、こちらに寄ってくる。
「お前…こんな時間にどうした?」
俺達がが散々バカにして、追い詰めて出ていった兄貴だ。こんな声してたっけ。こんなに表情豊かだったっけ。
「何々、弟?」
「うん、先帰っててー」
連れらしき複数人はあっさりと遠ざかっていった。
「…何してんの」
「え?ああ、高校の友達。カラオケいこーぜって話だったんだけどどこも混んでて入れなかったからさ。この辺ブラブラしてた」
何で。何でコイツだけ楽しんでんの。俺が散々いじめられて、朝早くに起こされてヒーヒー言ってんのに。何でコイツだけ呑気なの。
「んで?お前は?家も塾もこの辺ないよな」
「…うるさい、お前には関係ないだろ」
「中学生が1人でうろつくのはあぶねーって言ってんの。ほら送ってくから帰るぞ」
「やだ、帰んない」
「何、母さんと喧嘩でもしたの」
「お前には関係ないだろって言ってるだろ」
「そーいうわけには行かないだろ。…慶くん家かお前の家か選べ」
中学生は不便だ。ホテルに泊まることも出来ないし、野宿も100パー補導される。
「…慶くんち…」
小さくボソリと呟くと、分かったと言われて腕を引かれた。




「うぉっ…亜季じゃん。デカくなったなぁ~…どうしたの、母親と喧嘩した?」
「…うるさい」
俺が小学生の時はもっと爽やかだったのに。見た目はともかく、おじさんのような言動にゲンナリした。
「お母さんに連絡した?」
ケータイを見ると、バカみたいな数の通知と着信履歴でホーム画面が埋まっている。
:慶くんの家に泊まります。
送ったメッセージはすぐに既読が付き、また電話がけたたましく鳴る。それを無視していたら、慶くんのスマホが鳴った。
「うぉっ…さっすが…早い早い」
慶くんの耳越しから聞こえる怒声に体が固まって、心臓がドキドキする。
「まあまあ…明日学校休みなんだし…はい…はい…必ず…失礼しまーす…うぉっ…切れた」
「…ごめんなさい、」
「すげーガチギレだったけど…まあ良いってさ。飯は?食った?」
「…いえ、」
「てかお前…顔真っ白じゃん。…うわー、目の下も…ぜってー貧血じゃん」
顔とか、手とか。こんなに体調のことを気遣われたのが久しぶりすぎて、凄く気まずい。
「飯食えそ?消化に良いものにしてやろーか?」
「…いえ…いらないので、…」
「そーいう訳にもいかないだろ。じゃあうどんにしよう。周音はそれプラス好きに冷凍のおかず食え」
やったーー、と冷凍庫を漁り始める兄貴は本当に声がデカくて、明るくて。まるで別人のようで驚いた。



 あ、睡眠薬ないや。布団に入って思い出した。目を瞑ってみても、疲れているはずなのに眠れない。
「どした?寝れない?」
電気のついたリビングに行くと、慶くんがスマホを弄っていた。
「あったかいお茶淹れようか」
こんなに柔らかい空気、久しぶりだ。当たり前だけど、俺が勉強しなくても何も言わない。むしろ早く寝な、と心配されて布団も敷いてくれた。
「お腹は空いてない?うどん少なかったでしょ」
お茶の入ったカップが手のひらを温める。息を大きく吐いたら少し、眠気を自覚した。
時間がゆっくり流れている気がする。小さく聞こえるテレビの音も、捨て忘れたせんべいの袋も。そういうのをぼーっと眺めながらお茶を啜っていると、急に眠気がきた。
「…ねます、」
「ん、おやすみー。あ、コップそこ置いときな」
睡眠薬がないのに眠くなるのなんていつぶりだろう。母さんが居ないだけで何でこんなに落ち着くんだろう。
久しぶりの気持ちいい眠気に任せ、そっとまどろんだ。



 やばい。トイレ行きたい。授業の真っ只中で、でもあと30分以上もあって。
腹ん中はパンパンに膨れて足を何度も組み替える。もう限界だと思って手を挙げる。先生は許してくれて、慌てて廊下に飛び出した。
おしっこ。おしっこおしっこおしっこ。人目がないから前をこねくり回してトイレに走る。
『授業中にトイレ?舐めてるの?』
不意に耳元で声がして、腕を掴まれる。
『むり、がまん、できないからぁ、』
俺は何度も何度も叫んでいるのに、腕を引っ張られて教室に連れて行かれる。
おしっこができないまま教室に入って、席に座る。
漏れる。ほんとにおしっこ。机の下でぎゅうぎゅうに握りしめて、泣きそうになりながら尻を揺らして。
『ぁあっ…』
ジュワリと前が熱くなった。
ぶしゅううう…
けたたましい勢いで手を濡らして、びちゃびちゃと床に撒き散らした。皆、みてる。先生も、友達も。
『帰ってこないからよ』

 ハッと目が覚めたらいつもと違う天井が見えた。あ、そうか。夢か。まあそうだよな。学校に母さんが居るっておかしいもんな。よく考えたら変な夢だし。
意識が段々覚醒して、なぜか手が濡れていることに気づいた。
(あれ…?)
それに、下の寝巻きも…。
「ぁ、」
俺、おしっこしちゃった…?それも寝ながら?しかも、人様の布団の上で?
どうしようって思って、頭がおかしくなりそうだった。何でお茶飲んだ後にトイレ行かなかったんだろう。ていうか、こんな失敗した事なかったのに。何で。よりにもよって今日に限って。
「…亜季?」
ベッドから、寝ているはずの兄貴の声がした。
「どうした?」
電気がついた。隠そうとしたけれど間に合わなくて、間抜けなシミが露わになった。
「…お前みたいに毎日してない、」
何を言ってるんだ自分って思った。兄貴にかけた言葉が全部全部頭の中に蘇ってくる。恥ずかしくて、惨めで。
「とりあえずシャワーして来い」
悪態の一つでもついてくれたらまだ気が楽だったのに。同情のような、心配のように背を撫でられた。
「…バカにしてるだろ、」
「はぁ?してねえって。あの人のせいで相当参ってんだろ?」
「ざまあみろって思ってるんだろ!!いいよな、バカは逃げてヘラヘラ出来て!!」
枕を投げて、兄貴の腹を殴った。
「っ…いってぇな!人が折角心配してんのに!じゃあ言ってやるよ!!中学生にもなって恥ずかしくねーの!?体までバカになってんじゃねーの!?俺、全部忘れてねーからな!!」
「ちょいちょいちょいちょい、夜中に何叫んでんの、」
慶くんが来た時にはもう、しゃくり上げた声は止められなくって、年甲斐もなく泣き喚いた。
「俺何回もお前にバカにされたよな!?俺がどんな気持ちであの家に居たか分かんの!?」
「周音ストップ、言っていい事と悪い事あるから!亜季、シャワー行こっか。ね?」
ぐずぐずと泣き続けた俺は、半ば強制的に脱衣所に連れてこられて服を脱がされた。
「びっくりしたな~。どうした、怖い夢みた?」
「っ、みてない、あいつのせいで、」
「ん?周音の事?」
「あいつが出てったせいだ、あいつが、出てったから、っ、」
うまく言葉に出来なくて泣き続ける俺をシャワー室に連れて行って、お湯をかけて。ご丁寧にタオルで拭って服まで着せられた。
「周音さ、ここ来た時すっごくしんどそうだったんだよ。何回も魘されて、ボーッとして。亜季もそん時の周音にそっくりの顔してる」
「…おれはあいつ、バカにした…母さんと一緒にいじめた、だから自業自得なんだって、」
「周音はそう言ったの?」
「…バカにされた、」
「最初っから?」
「…おれが、叩いたから、同情みたいなの、むかついたから、」
「悪かったって思う?」
「…おもう…けど、でも…」
「悪いと思ってるんだったら謝りな。君たち兄弟なのにろくに喋ってなかったでしょ。大丈夫。喧嘩くらいするから。そういうものだから」
兄貴があんな風に大声で怒るの、初めて見た。ろくに会話していなかったからなんだけど。
「…兄貴、」
ごめん、小さく呟いた。聞こえたのか、聞こえなかったのか。兄貴は何も言わずに頭を撫でた。乱雑に撫でた。
「…ごめん、ほんとに、」
「…もういいよ。俺も怒鳴って悪かった」
小さい頃はこうやって喧嘩して仲直りをしていたのだろうか。とうの昔すぎて覚えていない。兄貴は許してくれるだろうか。
「いままで…の…ゆるされないって分かるけど、」
ぐしゃぐしゃと撫でる手はくすぐったくて、大きくて。
「もういいよ」
その言葉は柔らかくて、優しくて。また涙がこぼれた。
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みんなの感想(1件)

菜名南
2025.02.12 菜名南

好きだから更新嬉しい!!

2025.02.13 こじらせた処女

好きって言っていただけて嬉しい!!!

解除

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