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第1話 ドゥーン、セクハラ疑惑をかけられる
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「セクハラぁ? 誰が?」
「他ならぬお前が、だよ。ドゥーン・ザッハーク」
日の入らない、しかし春の陽気漂う部屋の中で、最強格の「開拓者」たる幼馴染から聞かされた言葉に、俺はただ唖然とした表情を返すほかなかった。
俺たちが暮らす「ブルーフレア」は、大陸を南北に分ける「前線都市群」の中で最大の規模を誇る都市のひとつである。
100年も昔から魔獣の支配を受けるこの大陸において、己が領域を取り戻していく「開拓」は人類の最優先課題であった。
さて、そんな前線都市群において、日夜魔獣どもとの戦いを繰り広げるものたちこそ、「開拓者」と呼ばれる戦闘技能者たちだ。
そして、そんな「開拓者」が集まってできた幾千の「ギルド」の中でも、特に上澄み中の上澄みに数えられる「英雄」の巣窟こそが、俺たちが5年前に作ったギルド、「暮れずの黄昏」なのだった。
憮然とした表情を浮かべる俺の目の前で、どこか貴族然とした雰囲気をもった金髪の男が、大量の書類を前に眉根にしわを寄せる。
この金髪の男こそ、「暮れずの黄昏」のギルドマスターにして「人類の希望」、「黄昏の勇者」など、いくつもの異名をほしいままにする我らがリーダー、トワイライト・レイドだった。
俺は尋ねる。
「言っている意味がわかんねェ。いつ俺がンなことをした?」
「いつ、と聞かれて答えるなら、日常的にだ。大量の嘆願書、目撃証言、証拠写真。これらの物的・状況的証拠が、もはや言い逃れを許さない段階にあることは、お前にも理解してもらえると思う」
そう言ってトワイは、手元にあった書類のいくつかを、机の上をすべらせてこちらに放ってきた。
ギルドマスターであるトワイライトから呼び出しを受ければ、ただふたりの創設メンバーの片方である俺とて──もうひとりは言わずもがなトワイである──、無視を決め込むわけにはいかない。
トワイと違い、戦闘には疎い俺だが、情報や裏方周りの仕事にはいくら手があっても足りないものだ。
今日も俺は、ブルーフレアの眼前にたたずむ大山脈攻略のため、情報局に跳梁跋扈するジジイどもが、どの娼館をひいきにしているのかを調べるのに大忙しだったのだが──今はそれを中断し、こうしてトワイの元へと馳せ参じている、というわけだった。
仕事中であったため、俺の服装は「領域」へと出る際のものとあまりかわらない。
皮でできたプロテクター──トワイが身につけるいかにも騎士然とした鎧とは雲泥の差である──と、腰には愛剣。
服装はともかく、帯剣しているあたり、間違ってもギルドマスターに会う格好ではないが、そこは呼び出しが唐突だったトワイが悪い。
だが、そこでこうして俺が受けたのは、身に覚えのないセクハラ被害の告発だった、というわけだ。
「……」
俺は、トワイが放ってきた書類を手に取ることなく、立ったままその一部に目を落とした。
そこには、告発者を示すサインこそ隠されているものの、トワイの言ったようなセクハラ被害を訴える内容が、乱暴な筆跡でいくつもいくつも踊っている。
「汚ねェ字だな」
「それは同感だがお前が言うことではない」
じと、と半目をこちらに向けてくるトワイを無視し、目を横にすべらせる。
そこには、先日街道沿いで行われた、定期魔獣討伐行軍におもむく俺の姿を写した写真があった。
写された俺の後ろ姿の横には、仲間の女性討伐者と、随伴した現地調査員の姿もある。
それは確かに見ようによっては、俺の手が、同僚の尻に手を伸ばしているようにも見えた。
「……ご苦労なこったな、この連中も。王都ならまだしも、この前線都市で写真だなンて安いもんでもねェだろうに」
「認めるのか?」
「まさか。ンなもん、偶然そう見える、ってだけじゃねェか。何が目的か知らねェが……無駄な手間をかけやがって」
そう言って俺は、机の上の書類をそのままトワイに向けて滑らせ、返した。
だがトワイの表情には、俺へ向けた険の感情が宿ったままだ。いや、この生真面目男は、だいたいいつもこんな顔なのだが。
「同じ言い訳を、この全ての訴えに対してするつもりか? 言ったはずだぞ。告発者も証拠も証人も、ここにある書類の数だけ存在する」
そう言ってトワイは、目の前の机の上に指を落とし、トントン、と音を立てる。
そうして示された先、散らばった書類と写真の数は、ざっと見ただけでも数十枚をくだらない。
「彼女たちはこの被害を、正式に憲兵局に訴えるそうだ」
「……本気で言ってんのか?」
トワイが放ってきた言葉に、俺は絶句するしかない。このような曖昧な証拠をたずさえて、それで訴えを起こしたとして、受理はまだしも、正式な捜査が始まるまでは至らないだろう。
しかし、訝しんだ俺の言葉を受けてなお、
「どうやら本気だ、彼女たちは。だが安心しろ」
そう言ってトワイは、机に立てていた指をこちらに向けた。
「彼女たちを説得し、訴えの提出を待ってもらっている。ギルドとして君を正式に処分することを条件にな」
「処、分?」
それはつまり、
「俺を……追い出す、ってのか? 俺とお前のふたりで作り、ここまで大きくしてきたこのギルドから」
》
俺が口に出して言った結論に、トワイは何も言わないままに目を閉じ、やがてゆっくりと首肯した。
「……っ、話になんねェーな。大体、俺を追い出してそのあとはどうすンだ? 俺がやっていた仕事は誰が引き継ぐ?」
物資の調達。補充要員の選定。ギルドメンバーの任務割り振りや、訓練方針の立案。ギルドの設立時からこれまで、戦闘バカのトワイに代わり、俺が引き受けていた役割は多岐にわたる。
そのほか、討伐任務に際する作戦立案はもちろん、トワイを筆頭とする一番隊の斥候だって、俺の専任だった。
「お前がやっていた仕事、か」
そう言ってトワイは、座っていた椅子の背もたれに体重を預け、熟考するように顎に手を当てた。
「以前よりメンバーから、疑問の声があがっていた。訓練にも参加せず、前線にも出ないお前は、果たしてこのギルドに必要な人材なのかと」
「そういうバカな連中がいることは知ってンだよ。だけどな、てめェだってわかってンだろ。俺は必要な仕事をやっている。代わりはいない。いたとしても、俺より上手くはこなせねェ」
「……『本当にそうか?』と言うのが、彼女たちの意見だ」
そこで俺は、ある程度の事情を察した。
「……ち」
舌をひとつ打ち、
「マティーファか」
その名前を聞いたトワイの目つきが、一瞬だけ鋭くなった。
》
マティーファ・ギブソン。
それはこのギルドにおいて、実質的なナンバースリーと言っていい、術師系でありながら闘気法を習得した、ゴリゴリの武闘派女性開拓者の名だ。
ギルド内の女性陣から絶大な支持を受けるヤツの差金であれば、セクハラなどという雑な捏造を、声の大きさを頼りに成立させてしまうのは難しくないだろう。
だが、
「お前も知ってンだろ? アイツは俺のことを目の敵にしてる。ギルド内の権利関係は大体、俺とお前で握ってっからな」
金の管理はもちろん、人事権も、だ。
つまり、
「あの女の目的は、俺を追い落とすこと。何を言われたのかは知らねェが、ことこの一件において、マティーファの言葉に耳を貸すのは、愚行という他ねェぜ?」
そう言って俺は、はっきりとトワイへの糾弾の言葉を口にする。
だがトワイは、
「まあ、そう邪険にするな。彼女だってこのギルドでは古参だ。ある程度の実権を握る資格は、十分にあるだろう」
「……は?」
俺は、トワイが放った言葉の内容を、頭の中で噛み砕くことができなかった。
邪険にするな。彼女にだって資格はある。それではまるで、マティーファの言い分に、一定以上の正当性を認めているようではないか。
何を言っていいのかわからず、俺が困惑している間にも、トワイは続ける。
「それに、実質的、と言うがな。彼女はすでに名実共にこのギルドのナンバースリーだ。いや、戦闘力だけで言うなら、もう俺につぐ英雄と言ってもいい。メンバーとの関係も良好。他ギルドとの合同任務でも、彼女の強さは既にひとかどのものとして受け入れられている」
つまり、
「彼女、マティーファ・ギブソンの言葉には、もはやそれだけの影響力が備わっている。無視で終わらせることはできない、ということだ」
至って真面目な顔で、トワイはそこまでを言い切った。
「……お前、本当にどうしちまったンだよ。あの女に何を言われた?」
「何も。ただ俺は、正当に彼女の能力を評価しているだけだ」
「だったらこの訴えは正当か? その結果が俺の放逐か?」
俺はなおも食い下がる。ここで言い負けてはマティーファの思う壺だからだ。
だがトワイは言う。
「お前がなんと言おうと、訴えは現実としてある。それを無視して、このギルドの運営は継続できない」
つまり、
「お前の脱退は、この一件を無血でおさめる最低条件であると。メンバーの多くはそう理解している。どうか聞き分けてはくれないか」
そう言ったきり、トワイは俺の反応を見るかのように、押し黙ってしまった。
それはまるで、俺をこのギルドから追放するという結論に変更はない、と、そう強く主張しているかのようだった。
「……」
どうやらこの一件に、マティーファの存在があることは間違いない。
女性メンバーの意見を集約し、数の暴力じみた訴えを実際に起こしたのも、マティーファの意思によるものだろう。
しかし、その内容、真偽がどうあれ、最終的に俺を「どうするか」という決定権はトワイにあった。
トワイが俺の味方であるなら、マティーファの思惑がどうあれ、俺をこのギルドから追い出せすことは叶わない。
俺にある明確な有利がそれだった。これまでマティーファが俺を追い落とすことができなかったのは、俺とトワイの間に、突き崩せない信頼関係があったからに他ならない。
だが今、肝心のトワイがこれだ。
色に惑わされたか、金に狂ったか。どうあれ今のトワイは、明確すぎるほどに、マティーファの意見に毒されている。
そう。のちにして思えば、今、このときこそが。
このギルドのどこにも、俺の居場所がなくなった瞬間だった。
》
「五年間このギルドに尽くしてきて。その結果が……はっ。これか」
ギルドのメンバーは、俺にとってかけがえのない仲間だった。
実際、命を預けあったことも、一度や二度できくものではない。
たとえば、斥候の任務には危険がともなう。
先の見えない洞窟の先陣をきるのは当たり前だったし、竜種の飛び交う平野をひとり、駆け抜けたこともあった。
だがそれは、俺にとって、命をかけるに値することだったからこそやってきたことだ。
後方にいるトワイたちは俺以上の危険に身を置くのだから、俺こそが頑張らなくてはいけない、と。
しかしトワイの話を聞く限り、俺の献身はすべてひとり芝居だったということだ。
俺以外の皆は、決して俺に命を預けてくれてなどいなかったのだ。
俺はそのことを思い、少しだけ込み上げてくるものを感じながら、頭をかいた。
「……わかったよ。出て行きゃいいンだろ、このギルドを」
「ああ」
言葉を落として背を向けてみても、トワイは相変わらず淡白なままだ。
……変わらない、といえばそうだけどな。
幼いころから、この男はこうだった。人の気持ちを汲もうという気概がない。
そのあたりのフォローも、これまでは俺の仕事だったわけだが──。
否。
それももはや、栓なきこと。俺が考えることではないのだった。
「ああ、そうだ」
思い出したように、トワイが言った。
「出ていくなら、それは置いていってくれ。お前がどうしても、というから使わせていたが、所有名義はこのギルドにある」
そういってトワイが座ったまま指さしてきたのは、俺の腰が腰に提げている、一本の長剣だった。
白の柄と銀の装飾が眩いそれは、「ブルーフレア」ができる前、ここら一帯と王都の間を支配していた都市級大型魔獣から出土した、金等級の獣王武装だった。
剣を産んだ魔獣の名は「インドラ」。ゆえにこの剣も、それと同じ名で登録されている。
インドラの討伐は、トワイと俺を含めた「暮れずの黄昏」の前身が総出で行った。
その際に手に入れたこの剣は攻撃的な加護こそないものの、サイズと重さが好みであったため、これまでほぼ俺専用の武装として使ってきたものだった。
数年来の付き合いになる愛着のある一振り。で、あったのだが──まあ、仕方がない。
俺が適当に管理して、盗まれでもしたら事だしな。
「代わりにこれをやる」
俺が黙って「インドラ」を差し出すと、それと交換するように、トワイは己のかたわらに立てかけてあった一本の剣を差し出してきた。
きらびやかな装飾が施されていた「インドラ」とは違い、その剣に見た目を彩るような装飾のたぐいは一切ない。
ただ、目をみはるような漆黒が際立ったその剣は、まるでひとつの鉄塊からそのまま切り出したかのように、剣身、ガード、柄までもが全てひとつのパーツで構成されていた。
特にいわれも加護も備わらない量産型の剣は、主に鋳造でつくられる。
この黒の剣は、重さこそ腕にずしりとくるが、そう言った十把一絡げの剣となんら変わりないように思えた。
「こんなもの貰ったって、その剣の代わりにはならねェぞ」
「そう言うな。ギルドを抜けるなら、そのくらいの武器を用意するのだって大変だろう」
この都市にも武具を扱う工房はいくつかあるが、そこに仕事を頼むにはギルドを通すのが一般的だ。
どこにも所属しないで武器を欲しがるような輩は、ゴロツキ崩れか後ろめたい事情があるか、と相場が決まっているから。
しかし俺は、他ならぬ「暮れずの黄昏」の裏方を総括してきた男だ。
ギルドから抜けようと、武器を用意する当てくらい、両手の指では足りない程度にはあるのだが──。
「……ち。なめられたモンだな。くれるというなら貰っていくが」
「そうしろ。何度言っても手放さなかったこの『インドラ』より、よほどお前向きだ」
それは、「お前にはこのくらいがお似合いだ」と言いたいのだろうか。というかほぼ言っている気もするが。
と、その時。俺は剣を受け取りながら、ふと思い出した。
「ああ、そうだ。ノエルは連れて行くぞ。当たり前だが」
それは、付き合いの長さで言うなら間違いなくトワイに次ぐ最愛の妹の名だった。
ノエル・ザッハーク。
俺とトワイと同じく、王都よりはるか東方の領地で生まれ育ち、今では「暮れずの黄昏」にて開拓者として腕をふるう、武具闘術の達人だ。
ノエルは俺とトワイと一緒に領地を出て、共に旅をし、王都を経てこの「前線都市」にやってきた。
今や彼女も優秀な戦士のひとりであるため、トワイは手放したくないだろうが、ここはさすがに譲れない。
なにせたったひとりの、血のつながった家族なのだ。
だがトワイは、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、こともなげにこんなことを言い出した。
「彼女はお前とは行かない」
……ん?
一瞬、トワイの言葉の内容がまたしてもわからなくなった。
だが俺は、たっぷり数秒をかけ、トワイの放った言葉をどうにかこうにか噛み砕き、
「……いやいや。あいつを手放したくないのはわかるがな。ノエルは俺の家族だ。連れていくことになんの問題がある?」
「そうか、そういえば言ってなかったな」
と、本当にうっかりしていた、とでも言いたげな態度を崩さないまま。
トワイは言った。
「彼女は俺と結婚する。だからお前とは行けない」
》
今日何度目か、もはやそれすらはっきりとしないが、俺はトワイの言葉がまたしてもわからなくなった。
「……結、婚? 誰が? 誰と?」
「俺とノエルがだ。先日決まった」
そう言ってトワイは、かたわらにあった引き出しに手を伸ばし、そこから何やら書類を取り出す。
「婚姻届だ。正式な受理は清書を王都に届けてからになるが、写しはブルーフレアの官公局に届け出済みだ」
そう言ってトワイが差し出してきた紙切れには、確かにトワイとノエルのサインが書かれており、その下に血判がおしてあった。
トワイ、そしてノエルとは、文字通り生まれてこの方の付き合いだ。その血判が本人たちのものであることは、一目見ただけでわかった。
何か、大事な。
かけがえのない、自分自身そのものを構成する、失われてはいけない、己そのものとも言える土台。
それがぐらりと、支えを失して揺らいだような気分が俺の体を襲った。
「な、ンで。いつの間に」
「いつの間に、というのであれば、ここ半年くらいのことだろうか。彼女から告白されて、少し迷ったが、受け入れることにした。だからノエルはお前とはいけない。悪いな」
そう言ってトワイは、血判のおされた婚姻届を引き出しにしまう。
だが、
「ば、……ふざけンな! ノエルは俺の妹だ、家族だ! 俺がギルドを出る以上、あいつは俺が連れていく! たとえお前と結婚するのだとしてもだ!」
「何を言っている。それこそふざけるな、だ。お前がノエルの家族というのであれば、今や俺もそうだ」
トワイはそう言って、わずかに眉根を詰める。
「どうしても、というのであれば、彼女自身に尋ね、確認をとるべきだ。それでノエルがお前についていく、というのであれば、俺はそこに介入をしない」
もっとも、とトワイはいう。
「彼女は俺を選んだ。兄であるお前にすらその事実を隠したまま、な」
わかるか? と前置きをし、
「ノエルはもう、お前が考えているほど子供ではない。誰も彼も、昔とは違うのだから」
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