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第23話 絶望するマティーファ、元気なドゥーン、割と元気なサーヴェル、土を食うノエル
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他の六組と別れ、山頂を覆う雲の中へと走って侵入した俺は、「帝雲」が魔獣を産み落とすとされる理由を一瞬で理解した。
「……これは……」
そこは、異常な空間だった。
周囲を包むのは純粋な闇だが、不思議と見える視界に不便は感じない。
横を走るノエルの顔も、数メートルほど上を飛ぶレイチェルも、どういう原理か、闇の中にくっきりと浮かび上がる不思議な像として認識できた。
だが、それらを置いてなお俺の目に異常に映ったのは、この闇色の空間の「外縁」だった。
俺が走るルートを闇に包まれた一本道の洞窟だとしたとき、その壁と天井、地面に当たる部分に、まるでスクリーンに投影したかのような「映像」が見えたのだ。
天井、円形に区切られたスクリーンに見えるのは、荒野にそびえる一件の城砦だ。
ただしそれは天井から生えるように逆さに建ち、さながら巨大なつららのように、莫大な威圧感を放っている。
天井を見たレイチェルが言った。
「王都より遥か北西3000キロ。未だ人類の到達せぬ、記録上にのみ確認される古世遺物──『無限城』」
左の壁に見えたのは、全体的に色褪せた風合いを持つ、石で造られた灰色の街だった。
通りがあり、建物があり、真四角に区切られた城壁がある。
ただしどう目を凝らしても人が住んでいる形跡はなく、ただ街の中央部には、四角く平坦で、しかし圧倒的な巨大さを持つ何かしらの建造物が見えた。
街を見たノエルが言った。
「あれ、『薔薇獄の迷宮』? 噂だと地下200階とか300階とか言われてっけど、まだ八階までしか探索できてないとかいう」
今ふたりが言ったどちらも、「虚構領域」にそびえ、未だ人類の手が伸びきっていない「古世遺物」である。
それと同じように、右の壁には海中にあると思しき巨大神殿が。
下、地面に当たる部分には、鬱蒼と茂る大森林の像が見えていた。
これらは全て、まるでそこに投影された映像のように闇の中に浮かび上がっているが、
「これ……実際にそこに通じてるンじゃねェのか」
見える景色は、まるで闇にたゆたうように不確かで、時折ピントすらはっきりとしないものだ。
しかし不思議と、これらの像が決して幻ではなく、実際に「そこにある」のだということだけは、疑問を抱くでもなく直感で理解ができたのだ。
帝雲。
空間を支配し、世界を繋ぐ「移動装置」。
悪魔の狩場。「魔獣を産み落とす雲」。
この雲と内部の空間は、世界中にある「古世遺物」と繋がり、魔獣を通す「道」なのだという事実が。
今ここに、暴かれるに至った。
》
七組に別れ、「雲」に入り、どれくらいを走っただろうか。
他のギルドやらパーティは羨ましい。
だって私は確かに「世界最強」と呼ばれる騎士だが、今この現場ではひとりきりである。それなのに他の皆はひとりじゃない。これは明確なズルである。
ひとりは危険だ。だってひとりだとできることに限界があるが、ひとりではない場合の限界値は人数に比例して上昇する。
ひとりは危険だ。だって「ひとり」とは何か想定外のトラブルがあってもそれをカバーしてくれる人がいない、ということだし、ふたりであれば助けを呼びにいくことだってできる。
ひとりは危険だ。さっきから闇の中にいろんな建造物が見えているが、ひとりであればその調査も記録もままならない。
パーティやギルド単位であれば、斥候を出し、慎重に本隊を進め、あらゆる想定外を排除しながら進軍できるが、今の私はひとりなので全部無視して素通りするしかない。
聞けば、この中にある七つの「道」は、空間を支配する悪魔──そう呼ばれる魔獣もいる──によって、順番や法則をぐちゃぐちゃに書き換えられていたのだそうだ。
それを元に戻そう、あるいは正確に道を進むためのマッピングを行おう、というのが先ほどの翼人の術式であり、それを成した今、七つのルートは全て「元の場所」へと繋がっているのだという。
乱した「道」へと迷い込んだ獲物の「記憶」を、悪魔は食らう。
そうして満足すれば、記憶の抜け殻である獲物は元の場所へと返し、また「帝雲」と悪魔は空を彷徨っていく。
おそらくは、そうして乱した「道」を、時たま偶然に踏破してしまう魔獣がいるのだろう。
そうして「帝雲」は、「魔獣を産み落とす雲」と呼ばれるに至ったのだ。
しかしだとすれば、
「……この七つの道のうち、当たり──すなわち『アグロスアグノム』が潜む『異世界』へと通じるのは、たった一本、ってことよね」
それ以外の六本は、この世界の見知らぬ「どこか」へと通じるのだろう。
つまり、だ。
「よっぽどのことがない限り、『記憶を食う』なんていうマジヤバ魔獣に行き着く可能性は低いわ……!」
何せ、七分の一である。
ハーケン公の依頼はこなさなければならないが、「行き着けなかった」とあれば話は別だ。
どこへ行き着こうと、何かしら魔獣なり「古世遺物」なりにぶち当たりはしそうだが、「悪魔」なんてものと戦うのと比べれば幾分かマシだ。
この依頼を投げられ、周囲のあまりの「死臭」にヤバ気配を感じ取り、逃げ出そうとしてでも逃げられなかった時は覚悟を決めたが、どうやら運が向いてきたようだ。
「危ないことは絶対にしないわ……! 適当な『古世遺物』を引き当てて、適当に死闘を演じて元の場所に帰る……!」
そうすれば、もはやハーケン公も文句は言わないだろう。
他の「開拓者」たちが悪魔を捕らえられなければ、依頼は失敗ということにはなろうが、それは私とは関係のない話だ。
「そう! 私は今から四時間後には、家に帰って、いいお酒を飲んで、お風呂に入って鼻歌を奏でているの……!」
そうして私は、闇の中を駆け抜けた。
そうして私の視界は、やがて光に包まれた。
そうして私の体は、いつの間にか闇色の空間から抜け出していた。
そこは森の中だった。
そこは何かしらを奉っている祭壇だった。
祭壇の上にいたのは、黒く、毛むくじゃらで、六つの眼を持ち、複雑に歪曲した四本の角を有した、見上げるような巨体の四足魔獣だった。
それは、「世界最強」と呼ばれるようになるまで、数多の魔獣を屠ってきた私をして完全なる初見の、
「……悪魔さまでいらっしゃいます、か」
アグロスアグノムが、不可視の刃を725本ほど放ってきた。
》
俺たちが闇の空間を抜けた先、そこは深い森の中だった。
「森!? どこだ!?」
「知らないけど、どっかの古世遺物!? 心当たりは!?」
「わらわは知らーん」
レイチェルが高く飛び上がって安全なので若干のんきだが、俺としてもこのような古世遺物に心当たりはなかった。
あえて近いもので言うなら、「極彩の神殿」だろうか。だがあそこは「森の中の神殿」ではなく「森に飲まれた神殿」であるため、ある程度は人工物の気配が見てとれたはずだ。
だがここは、そのようなものなど一切見えない、鬱蒼とした大森林である。
もしかして運よく(あるいは運悪く)どこか普通の森に出てしまったのか、とも思ったが、
「──」
俺の隣にいたノエルが、突如として大剣を振りかぶり、襲いかかってきた。
その目には常なるものとは明らかに異なる赤光が宿り、口から漏れる唸りは強い狂気を孕んでいる。
……受けたら死ぬし、ノエルの一撃を俺が避けられるはずもねェ。
だから俺は、足元に転がっていた小石をひとつ蹴り上げる。
正面、ノエルの脇を通ってまっすぐに進んだ小石は、その先の空中で「何か」にぶつかって地面に落ちた。
すると、
「……はっ」
今しがた正面に迫っていたノエルの姿が掻き消え、代わりに、数メートル離れた場所で「本物のノエル」が、剣を振り切った残心の体勢で眼を見開いていた。
俺は、弾いた小石が地面に落とした「何か」──拳大ほどの大きさの蜂に似た生き物──を見下ろし、
「人間に幻を見せる魔獣、『幻光虫』。あくまで幻なンで無害っちゃァ無害だが、複数人で固まってるとたまに被害が出る」
「あ、お? そうだね、幻、幻。いやぁ、よかった幻で!」
「ノエルおめェ……今何斬った?」
「ははは、そんな、ねえ? ……本当に聞きたい?」
聞きたくないので俺は無視をした。
「おいレイチェル、そっちは何か見えたか?」
「見えたが……のうドゥーン、この虫、もうちょっとこう、脅威となるような幻は見せんのか? いきなり太陽が爆発するとか」
「脅威のレベルがダンチなのは置いといて、あくまで対象者の脳に干渉するものだからな。その場で『有り得ること』の範囲でしか無理だとか」
「あー、それでか。いやな、いきなりその大剣女がストリップしながら地面の土をむしゃむしゃと食い始めたのでさすがのわらわもドン引きで」
「やんのかコラァ」
「は? やらないが? ちょっと今任務中じゃからしてもうちょい真面目にやってくださいませんこと?」
そう言って石の投げつけ合いが始まるが、今度は幻ではないので俺は無視をした。
しかし、と思うのは、
「魔獣がいる、ってことは、ここはやっぱ『虚構領域』の中か。……悪魔、とやらに関しては、ハズレを引いたみてェだなァ」
》
なんなのここは、と私は思う。
虚構領域。鉄血山脈。「黄昏」にとってその前哨戦でしかないはずであった「ディアンマ大森林」の踏破は、一応は今回の遠征における大目的として設定された事柄だ。
この森林が難攻不落とされる最大の要因は、空間がでたらめにつながってしまうことによって、全く「驚異度」の異なる場所へと、不意に飛ばされてしまうことにある。
だが私たちに、それは「脅威」とならないはずだった。
虹の武装三本を有した、大規模ギルド。
その圧倒的物量と戦闘能力をもってすれば、たとえどのような場所に飛ばされようと、戦闘を継続していけるはずだったのだ。
しかし、
……想定外がいくつも……!
私は、巨木の陰に身を隠しながら思い出す。
まずひとつは、「虹」持ちのヒルドさんを始めとした、古参組の数人がこの遠征に参加しなかったこと。
そしてもうひとつは、「前線を離れるなら俺たちは辞めるよ派」が、この遠征に先んじてギルドを離れてしまったことである。
元々「辞めるよ派」の彼らは、名声や金を求めてギルドに参加した(ということを私は教えられるまで知らなかったが)、いわば傭兵じみた生業に手を染めるものたちだ。
なかば独立した部隊として活躍していた「辞めるよ派」は、私による装備の統一と編成の見直しを受け、「これでは実力を発揮できない」として、ギルドを離れていってしまったのだ。
……「紅蓮の釜戸」の最高級の武装があって! トワイライトたち「虹」武装持ちを活かすための一切の隙なき編成があって!
一体それの、何が不満だというのか。
それこそが、「暮れずの黄昏」が大陸最高のギルドになるための、最短最速の道だというのに。
大体、装備なんてある程度の統一感と、部隊内での汎用性があった方がいいに決まっているではないか。
そこを考えずに「なんか今までとちげえんだよなぁ」とかヌカすなら、自分で調整するなり工房に依頼を出すなりすればいいではないか。
……まあ、実際にそれを言ったら「正論言うなよ……」と意気消沈してギルドを辞めていってしまったわけですけどねぇ。
あれ、これもしかして私が悪いのだろうか。いやまさか。はは。
もっとも、彼らが離れたところで、「黄昏の勇者」たるトワイライトの強さは、絹一枚分すらも薄らがない。
だがしかし、「黄昏」の中核たる部隊の「厚み」が、多少なりとも失われてしまったことは確かである。
ゆえに私は考える。
……なんなのここはぁ……!
ギルド一丸となって進めば、この大森林の魔獣如き、その上澄みのさらに上澄みであろうと、対処可能であるはずだった。
だが今、集団で進んでいたはずの私たち「暮れずの黄昏」は。
たかが数匹の、「幻を見せる虫」によって、完膚なきまでに分断されてしまっていたのである。
》
数百の見えぬ刃が飛んできて、私は、祭壇を中心とした同心円を走り回りながらそれを避けた。
二十が私の横を素通りし、八を斬り落とし、それでも迫ってきた三十が私の股の間と脇の下を通り過ぎていく。
八十ほどを走る背後に置き去りにし、二十あまりをまた斬り飛ばせば、私の剣の間合いに「悪魔」の頭部が入ってきた。
「……殺意高くないかしら!」
そう叫びながら斬撃を放つと、しかし魔獣は巨体に見合わぬ身のこなしでそれを避けた。
というかなんだこの攻撃は。
この悪魔さんとやらは「記憶」を食べるのだろう。いきなりこんなもの放ってきては、人間などなますだ、なます。
そんなもの食事どころではないではないか。
それとも、
……やっぱこれ、「悪魔」じゃないのかしら。
思い、また斬撃を飛ばすが、悪魔はまるでこちらの攻撃を見切っているかのように、紙一重でそれを避ける。
……当たらないわね。
ちょっとプライドが傷ついた。一応当方、「世界最強」なのだけれど。
すると今度は攻撃を避けた悪魔が、見えぬ刃は効果が薄いと判断したのか、跳躍をもってこちらへと接近してきた。
巨体だ。ゆえに慣性があり、鋭さはないが、
「うひぃ!」
黒の体躯がどこか遠近感を狂わせつつ、振るわれた前足が爪撃としてこちらを襲ってきたのだ。
不思議な動きだった。
初動が遅いのに、爪の一撃だけが異常に鋭く、緩急をつけた動作がこちらの感覚を乱してくる。
悪魔は私が攻撃を避けたと悟ると、空中で身を捻り、首を巡らせ、六つの眼で即座にこちらを捕捉してきた。
追撃の態勢。油断なき戦い方。
まあ、なんというか、しっかりしている。
……動きは面倒で、普通に強くて、能力も厄介。
爪。挙動。そして飛ぶ刃。
強力な魔獣だ。
大きさが足りていれば、「都市級」にもカテゴライズされていただろう。
しかし、
「これまで数多の『開拓者』を退けてきた、歴戦の魔獣。って感じじゃ……ないわねえ?」
だから私は、悪魔に視線を合わせたまま、空いた左腕を無造作に後ろへと伸ばした。
「あんたね」
その手には、妖魔種の子供よりさらに小さい、大きな頭と針金のような体を持った、二頭身の生き物が掴まれていた。
》
俺は音を聞いた。
「今の聞こえたか? ノエル」
「聞こえたよ。羽女だよね。大丈夫、仕方ないよ。芋は美味しいもんね……」
「やんのかコラ」
「はー? さっきやりませんって言ったの誰ですかー?」
「何それ誰が言ったんじゃ何時何分月が何回昇ったときー?」
飛び交う石がうるさいが、いや、音は確かに聞こえたはずだ。
金属音と、木々を断つ音。
土を踏む音と、土が爆ぜる音。
そう思ったとき、不意に、
「お」
俺たちの正面、数十メートルの位置だ。
高い木々と厚く茂る葉。それによって生まれた薄闇の中に、ガラスについた手脂のようにも見える空間の歪みが生まれた。
次の瞬間、
「おっと失礼」
歪みの中から飛び出してきた影が、俺たちのかたわらに降り立った。
この魔獣が闊歩する森の中、そうとは思えないくらいの気安さで、黄金の剣をもった男が、
「おやドゥーン。元気かい」
片手をあげて、挨拶をしてきた。
トワイだった。
次いで、歪みの中から、それぞれに武器を持った四メートルほどの人型魔獣が四体飛び出してきた。
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