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1巻
1-1
しおりを挟む第一章 それはキスからはじまった
1 不本意な結果
「はい、僕の勝ち。約束通りキスはいただきますね」
目の前の眼鏡越しの青い目がふっと細くなり、シルフィーナは彼が微笑んだのだとわかる。それから柔らかな感触が彼女の唇を覆った。ふわり、と羽のように軽やかに触れるだけのキスだ。
その温もりを感じたのは、ほんの一瞬だけ。すぐに彼は唇を離した。
しかし、彼女は呆然と立ち尽くし続ける。紫水晶のような目を見開いたまま、頭の高い位置でまとめた長い黒髪を春のそよ風にやさしく撫でられて揺らしながら。
ここは、騎士団の屋外訓練場。シルフィーナは仲間の騎士たちが見守る中、団長と一戦交えたあとだった。
シルフィーナは白の騎士服に身を包んだ凛とした雰囲気の女騎士だ。今年入団二年目で、歳は十九になる。
訓練で鍛えられた体は引き締まっており、健康美溢れる体つきだ。ウエストは締まっており、騎士服の上からはわかりにくいが、お尻はきゅっと上向きで弾力がある。
そんな彼女の後方に、一振りの剣が物悲しく落ちていた。
「嘘だ……」
(こんなの信じられない。信じたくもない)
シルフィーナは自分がこんな男に負けたなどと、どうしても認めたくなかった。
目の前に立つ男はどうしたものかな、と困ったように笑みを浮かべている。それがシルフィーナを苛つかせた。
「あの~なんだか勝っちゃって申し訳ありません。ですが、君のキスがかかっているとあれば放っておくわけにもいかず」
許してくださいね、と彼は微笑み、眼鏡をくい、と指で持ち上げる。
「嫌だ……」
「シルフィーナさん……」
「嫌だ、こんなのは認めないっ。もう一度、私と勝負しろ!」
彼女は目の前の男に吼えた。すると彼はやれやれと溜息を吐く。
「……何度やっても結果は変わらないと思いますが、それでよろしければ――しかし僕も、ただでというわけにはいきませんねぇ。なにかメリットがなくては」
「そんなもの、あとで決めればいいだろう! この勝負、受けるのか受けないのかはっきりしていただきたい!」
シルフィーナは噛み付かんばかりの勢いで相手に詰め寄る。
「ひえっ。おっかないですねえ」
(この程度で怯むとは情けない……こんなのが我が騎士団の団長だなんて信じたくない)
シルフィーナは苛立ち舌打ちした。そう、今、年下の彼女に詰め寄られているのは聖ステラ騎士団の団長であるジェラールだ。
聖ステラ騎士団はワイアール国にある騎士団の一つで、王都の教会と連携した騎士団である。国直属の白獅子騎士団が王都の中心部を、聖ステラ騎士団が王都のそれ以外を警備していた。
聖ステラ騎士団の騎士服は白を基調にした制服で、丈夫な布地でできており、袖ぐりに一本と、胴体部に縦に二本のロイヤルブルーのラインが入り、銀のボタンがついている。胸元のジャボは、青い宝石が埋め込まれたブローチで留めている者が多い。しかし、人によってリボンタイやネクタイとバリエーションがある。そして白のブーツ。シルフィーナとジェラールはロングブーツを好んで履いている。
団長の制服はひと目でそれとわかるように、一般の騎士よりも上着の丈が長く、足首まである。騎士団長であるジェラールはすらりと長身で、その騎士服がよく似合っていた。目が隠れるほど長い前髪と、尻尾のようなうしろ髪が、彼のトレードマークだ。漆黒の髪と眼鏡が、理知的な雰囲気を醸し出している。
しかし、それは彼が堂々と振る舞っていればの話だ。彼はどこか抜けていて、しょっちゅう頭をぶつけたり書類をぶちまけたりしている。勤続十年の騎士団長でありながら、部下のシルフィーナに詰め寄られている現状からして頼りない。二十七歳だと言われてもとても信じがたい。
が、これはあくまで騎士団内での話。ひとたび外に出れば、彼は周囲に一目置かれている完璧な騎士なのだ。
「団長、とっとともう一度、勝負して負けてあげたらいいじゃないですか」
その場に居合わせた他の騎士たちから同じような声が次々と上がる。若手騎士の彼らは、シルフィーナがジェラールと勝負する前に、彼女に挑み負けた者たちだった。
「君たち。失礼な言い方をしちゃいけません。騎士ならば手抜きされて勝っても嬉しくないでしょう」
年長者らしく周りを窘めるジェラール。
どうしてこのようなことになったのか、事の発端はこうだ。
王城の敷地内にある騎士団の訓練場で、シルフィーナはいつものように剣の稽古に励んでいた。周りには、彼女と入団時期の近い男性騎士が数人。すると彼らが、とんでもないことを言い出したのだ。
「普通にやりあっててもつまらないな。なにか賭けをしないか?」
「あっ、なら、シルフィーナのキスを賭けて戦うってのはどうだ? 彼女と勝負して勝てばキスをする権利を得る」
「おお、それはいいな!」
「こら! お前たち、勝手に盛り上がるな。私は断じてキスなんかしないぞ」
(まったく、これだから男は……まあ私がこの騎士団で唯一の女だから、的にされやすいのもわからなくはないが。私は、貴様らの慰み者ではないぞ!)
シルフィーナは剣を鞘に収め、会話に加わった。少し汗ばんだ肌は仄かに上気している。その様子を見ていた他の騎士たちは、顔を赤くし、ごくりと生唾を呑み込んだ。
「ふーん。さてはシルフィーナ、俺に負けるのが怖いんだろ」
「そんなわかりやすい挑発に乗るか、馬鹿が」
「そんなつれないこと言いなさんな、ほっぺにちゅーでいいからさ」
「そんなもの、酒場の女にいくらでもしてもらえばいいだろう」
(根は悪くないが困った奴らだ。いくら女に飢えてるとはいえ、なぜ私なんだ。ドレスで着飾ったり、男受けのいい格好をしていたりするわけでもないのに)
「ほっぺにちゅーくらい、いいじゃないですかー、シルフィーナさーん」
そう言うのは最年少のマーキスだ。まだ十七歳の彼は身長こそあれ体が細く、ひょろっとして見える。明るい茶色の髪にぱっちりとした青い瞳が印象的な、可愛い感じの少年だ。天使像のような巻き毛で、愛らしい顔をしている。もっとも数年後はどうなるかわからないが。
「お前な……彼女ができたんじゃなかったか?」
「速攻でふられちゃいましたよ、そんなの。なんか僕のほうが痩せてるのがダメって理由で」
「……それは、ご愁傷様」
周りの騎士たちは声を上げて笑っている。
「だからぁ、傷心のかわいそうな僕に、ほっぺちゅー恵んでくださいっ」
言いながらマーキスは、シルフィーナの手を両手で力強く握り締めた。
「私がそんなことをする人間に見えるのか?」
「見えません。だから勝負に勝ったらって条件をつけて譲歩したんです。シルフィーナさんみたいな美人さんにちゅーしてもらったら、めっちゃ元気になるんで!」
「……軽い……お前のその軽さも、振られた一因じゃないのか?」
思わず呟いてしまうシルフィーナ。
「あ、ひっどーい! 傷ついたー、めっちゃ傷ついたー!」
わざとらしく大げさに傷ついたふうを装うマーキスである。しかし、実際は特に傷ついてはいないに違いない。
「おいおい、ひどいなシルフィーナ。後輩を苛めたらダメなんだぞ~」
「これは勝負を受けてやらないと、収まりがつかんぞ、シルフィーナ」
「うぐ……」
他の騎士たちの悪ノリ兼つっこみに、シルフィーナは眉間に皺を寄せる。
(とんだ言いがかりだ。こんな馬鹿げた理由で、ほっぺちゅーとやらをしろと? この勝負を受ける義務はない)
「おい、手を放せ、マーキス」
(とっととここから離れよう。それがいい)
「じゃあ、勝負を受けてください。負けたらすっきり諦めますから!」
立ち去ろうとしたそのとき真っ直ぐに見つめられ、シルフィーナは不本意ながら頷く。
「う………………わ、わかった」
彼女は少々押しに弱いのと、純粋な気持ちで言われると断ることができない性分だった。
「わーい、やったー!」
両手を上げて喜ぶマーキスにやれやれと溜息を吐きながら、シルフィーナは鞘から剣をふたたび抜く。
すると、マーキスも素早く剣を抜き身構える。その瞳には楽しげな光が宿っている。
「手加減しませんよ、シルフィーナさんっ」
「ふん、望むところだ」
互いの視線がかち合い、剣が一閃する。怯むことなく懐に飛び込んだシルフィーナの動きに、マーキスは体勢を崩しよろめく。シルフィーナはそこを見逃さず、彼の右足を払った。あっさりと仰向けに倒れた長身の彼の喉元に、すかさず切っ先を突きつける。
「あちゃー秒殺されちゃった。残念」
「私はほっとした。キスをしなくて済んだ」
シルフィーナはくすりと笑い、倒れたマーキスを引っ張り起こしてやる。
「ちぇー、つまんなーい。さて、負けた僕はなにをしたらいいですか?」
「いや、別になにも……」
「えっ、欲がなさすぎですよ。僕にほっぺちゅーさせるとかでも全然……」
そんなマーキスをシルフィーナは冷めた目で見つめる。
「やだなー、もう。冗談ですってば」
訝しんでいると、マーキスが笑った。
「ほんと、なんというか、シルフィーナさんて自分の価値、わかってないですね?」
シルフィーナはその辺の若い娘より断然美しく、剣の腕も確かだった。在籍二年目と若手騎士ではあるが、彼女の実力はこの聖ステラ騎士団の中でも五指に入るものだ。
騎士団の中にはそんな彼女に憧れ、淡い恋心を持つ者も多い。しかし当の本人は色恋沙汰に疎く、浮いた噂の一つもない。まあ、平たく言うとやや鈍感なのだ。
騎士としての凛々しい面もよいが、ドレスを着れば美しい淑女に化けるであろうことは誰の目にも明らかだ。
「なんのことを言っているんだ?」
シルフィーナは訳がわからず問いかけるも、なぜか周囲から憐れみの視線を向けられる。しかし彼女が困った顔をすると、仲間たちの表情はやさしく綻んだ。
「いいえ、なんでもないでーす! シルフィーナさんは、ずっとそのままでいてくださいね。騎士になるために、それだけ脇目も振らず頑張ってきたってことです」
確かに自分は、ある事件をきっかけに騎士になろうと決めた。それからは鍛錬に明け暮れる毎日を送ってきたのだ。しかし、それと今の話になんの関係があるのか。
シルフィーナが首を捻っているうちに、別の仲間が喋りだす。この筋肉質な騎士の名は、ヨアヒムという。シルフィーナと同じ十九歳で、入団して二年目の同期でもある。
「よし! シルフィーナ、今度は俺が相手だ」
「お前が私に勝てると思うのか?」
「うわ、いきなり痛烈な一言を……本気でいくぜ!!」
「受けて立つ」
シルフィーナは剣で斬りかかってくる彼を、さらりと躱す。それを想定していた様子のヨアヒムは大きく足をうしろに振り上げ、シルフィーナの不意をついて一撃入れた……はずだったのだが。
「ありゃ、手応えなし?」
「どこを見ている」
落ち着いた一言と共に、ヨアヒムの鳩尾に彼女の繰り出した剣の柄がめり込む。のではなく、トンと軽く当たった。手加減してやったのである。
「あーっ! くやしーっ! 寸止めされたーっ! いっそのこと勢いよくやってほしかった……」
彼は地に膝と両手のひらをつき、がくりと肩を落とした。
こんな調子で、あっという間に五人が地に伏した。
そこへ最後に名乗りを上げてきたのが、ちょうど訓練場の前を通りかかった騎士団長のジェラールだった。
「なにやら楽しそうじゃないですか。僕も交ぜてください」
「あ! 団長!」
「団長、敵を討ってくれ!」
「人を悪者みたいに言うな」
(こっちはやりたくもない、キスを賭けた勝負に付き合ってやったというのに)
シルフィーナは今しがた負かした騎士たちを、じとっと見つめた。
「だってお前、まだ二年目の癖にやたら強いしよ……いくら剣士の親父さんに稽古をつけてもらっていたからって、ずるい」
するとマーキスも楽しそうに話す。
「あれですねぇ、シルフィーナさんは生まれつき剣の才能があったんですね。父親譲りの」
「確かに父に剣を教えてもらっていたが……昔のことだ」
シルフィーナの父、テオドールは凄腕の剣士で、その剣の腕で家族を食べさせてきたほどだ。各地で剣の大会が催されると、そこが多少遠くても多額の賞金目当てに赴いた。
そういうわけで、シルフィーナは幼い頃から父が一週間、長いときはひと月ほど家を空けるという生活が当たり前となっていた。なぜ自分の住む屋敷には、よその家みたいに毎日父親がいないのだろうと寂しい幼少期を過ごしたものだ。かといって、まったく愛情を受けなかったわけではない。
独身時代から剣の腕で食べてきた彼女の父は、大金持ちだ。あるときは弟子を取り、あるときは城の剣術指南として働いていた。そして、大金を稼いだ彼は早々に隠居し、城下町に居を構えている。母は三年前、病気でこの世を去ったので、現在は一人暮らしだ。
「あの~、僕との勝負は……」
そこへ会話の外で置いてきぼりにされていた団長のジェラールが、申し訳なさそうに口を挟んでくる。
「シルフィーナさん、僕とも手合わせをお願いしたいのですが」
眼鏡を指でつい、と上げながらジェラールに問いかけられる。
「団長も私なんかのキスに興味があるんですか?」
一応相手が団長なので、丁寧語で話す。
「いやぁ、あははははは。通りかかったら話が聞こえちゃいましてねぇ。ここは団長である僕が幕を引いてあげなくちゃって思いまして」
(そういえば私、団長が剣を手にしてるところ見たことないんだよな。私が知っている団長といえば、服のボタンを掛け間違えてたり、頭にかけた眼鏡に気づかなかったり、段差でつまずいてたり――――ろくなもんじゃない。いつも事務処理みたいなことばかりしてるし、この人、本当に剣を扱えるのか?)
それでも団長と手合わせできるせっかくの機会だし、やるだけやっておくかと、シルフィーナは勝負を受けることにした。
「わかりました。ではさっそく始めましょう。剣をお持ちでないようなので、訓練用のでいいですか?」
するとジェラールは微笑みながらこう言う。
「いえいえ、僕はこの木刀で十分ですよ」
と、近くの壁に立てかけてあった木刀を手に取った。
「それは……私を馬鹿にしているのですか?」
ほんの少しだけシルフィーナの目つきが険しくなる。
(お遊びの勝負とはいえ、こっちは抜き身の剣で戦うんだぞ? 人を見くびるにも程がある)
「決してそのようなことは。でも、女性の体に傷をつけたくありませんので」
シルフィーナに軽く睨まれるも、意に介さず相変わらずのほほんとしているジェラールだ。彼は手にした木刀をすっと片手で構える。
「っ!?」
そのとき一瞬にして彼を取り巻く空気が変わったのを感じ、シルフィーナは驚いて初動が遅れてしまった。気がつけば身を切るような鋭い一突きが右頬を掠めていった。
「な……っ」
ただのお飾り団長だと思っていたのに、予想外のことに思わず驚きの声が漏れてしまう。
「えええーっ!?」
「嘘だろ……」
「団長って実は強かったんですか!?」
「……君たち、僕を一体なんだと思ってたんです? 実力のない者に団長が務まりますか。やだなぁ、もう」
さっきの鋭い一撃が嘘だったのかと思うほどに、ふたたびのほほんと気の抜ける笑みを浮かべている。
「僕の一撃を見切ったのはさすがですね。シルフィーナさん。ですが……」
ジェラールの青い瞳が、瞬時に捕食者のそれに変わる。さっきまでのほのぼの感が消えうせ、まるで別人だ。殺気に近いものを感じて、シルフィーナは一瞬身動きが取れなかった。
そのわずかな隙にジェラールの木刀が目にも留まらぬ速さで繰り出される。後方でカランと乾いた音がしたことで、シルフィーナは手にしていた剣が弾き飛ばされたのだとわかった。
「僕の敵ではありません」
「……そんな……信じられない」
シルフィーナは呆然と目の前のジェラールを見つめる。思わず指が震えた。
「はい、僕の勝ち。約束通りキスはいただきますね」
――――こうしてシルフィーナはジェラールにキスされることとなったのだ。
2 予想外のお願い
どうしてこうなった。
そう思わずにいられないシルフィーナである。
(こんな遊びの試合に負けた代償としてキスされることになるなんて。私のキスは、初めてのキスは……大好きな人とって思っていたのに!)
そのとき彼女の脳裏に一人の少年の姿が浮かんだ。
彼――シルフィーナの初恋の相手は、自分が騎士団を目指すきっかけとなった、ある事件にも関係している。
今から十年前、彼女の住む館が何者かに襲われ火を放たれた。そのときの彼女はまだ剣を手にしたこともない、幼くか弱い九歳の少女だった。必死で家族を探し、燃えさかる館の中を逃げ回っていたとき。無情にも彼女の頭上の天井が崩れ落ち、その下敷きに――なったかに思われた。
しかし彼女は助かった。一人の少年が降ってくる天井を剣で切り裂き、彼女を炎の海から助け出したのだ。
顔も名前も知らない少年は、恐らく十代後半だったように思う。覚えているのはその背中と、卓越した剣捌きだけ。
だが、この火事がまだ幼い少女だったシルフィーナの心に大きな傷をつけ、それは今なおトラウマとなっている。
以来彼女は、燃え盛る炎を見ると体が竦んでしまうようになっていた。
――炎恐怖症である。
この事件がきっかけで、彼女は顔も名も知らぬ少年に憧れて騎士を目指し、剣士である父について学び騎士団へやってきたのだ。少年への想いは、憧れというよりは初恋だ。
城お抱え凄腕剣士であった彼女の父は、騎士たちに剣を教えるほどの実力者であった。剣を学ぶのに、これほどうってつけの師は他にいなかった。実際、彼女の父親は優れた剣の師でもあった。
その父の血を引いているシルフィーナもぐんぐんと剣の腕を上げ、とうとう騎士団に入るまでになった。
そしてシルフィーナは入団したその日、白獅子騎士団の団長であるオードリックと知り合い、騎士の鑑のような彼に惹かれた。城内にあるサフラという木が限りなく白に近い薄桃色の可憐な花を咲かせ、その五枚からなる丸い花びらが雪のように舞う日だった。
できれば彼と同じ騎士団に入りたかったのだが、白獅子騎士団は定員に達し新規入団を受け付けていなかった。よって、当時まだ空きのあった、この聖ステラ騎士団へ入団したのだ。
(本当はオードリック様とお近づきになりたいのに、ことあるごとにちょっかいを出してくるのはうちの団長だったりするわけで……。誰も頼んでないのに剣の指南とかしてくるし。そりゃあ団長だから部下の面倒を見るのは仕事のうちかもしれないけど。これがオードリック様だったらどんなによかったか!)
そんな内情もあり彼女は怒っていた。触れただけとはいえキスされたことと、目の前の男に勝てなかった自分に。
どうしても負けを認めたくなくて、抑えきれない怒りと共に再度勝負をしろと詰め寄ったというわけだ。
「団長、もう一度手合わせを」
静かに剣を構えるシルフィーナは、怒りと悔しさでぎらぎらと燃えていた。
だがジェラールが不快に思う様子は微塵も感じられない。むしろ自分に真っ直ぐに向かってくる姿勢に感心しているようだ。
「わかりました。お相手しましょう。僕が勝ったら一つ言うことを聞くんですよ?」
柔らかな笑みを浮かべ、ジェラールも木刀を再度構える。どこか大人を子供の遊びに付き合わせているような感覚を覚える。
「わかった」
シルフィーナは深呼吸と共に肩の力を抜き、しっかりとジェラールを見据える。当のジェラールは相変わらずにこやかで緊張感の欠片もない。
「ふっ」
先に攻撃を仕掛けたのはシルフィーナだ。ジェラールに鋭い突きを連続して浴びせる。しかし彼はそれをいとも容易く受け流していく。必死で打ち込むシルフィーナと違い、ほとんど力を入れていないように見える。
シルフィーナと剣を交えながら、ジェラールはなぜかどこか懐かしそうな顔をしていた。遠い昔を思い出しているような表情で「よく似ている」と呟いた。今、彼は誰を思い出しているのだろう。それに、そんな遠い目をして思い出に浸るほど昔から彼を知っているわけでもない。第一、自分との勝負中に別のことを考える余裕を見せられた事実に腹が立つ。
「うわ、すっげえ攻防」
興奮気味に叫ぶヨアヒムの声が耳に届く。
「シルフィーナさんも団長もすごいですね~! 僕じゃ、この速さはついていけないな」
マーキスは目を皿のようにして二人の動きを凝視する。
「ふふ、遊んでいるね。ジェラールは」
そこへ通りかかったオードリックがマーキスの隣にやってきた。目の前では変わらず激しい攻防が続いている。
「オードリック様!」
若手騎士たちは慌てて場所を空けた。
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