アデルの子

新子珠子

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第一章 静かな目覚め

18. 再会

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 僕とハリスは手を繋いで散策路を歩く。
 以前一緒に歩いた時は冬枯れの樹木ばかりであったが、今の時期は藤やライラック、エルダーフラワーが満開で、散策路にはシャクヤクやラベンダーなどが美しく咲いていた。花盛りの美しい庭に咲く花々を見るたびにハリスは感嘆の声をあげて楽しんでくれる。

「前にお伺いした時と全く雰囲気が違いますね。本当に綺麗…。」
「良かった。ちょうど見頃だったので一緒に見れて嬉しいです。」

 ハリスは頷いて微笑んだ。そして僕をまじまじと見つめる。

「ティト様も雰囲気が変わられましたね。」
「そうですか?」
「はい、背も伸びて…大人びて見えます。」
「ふふ、嬉しい。でもまだハリスの方が背が高いですね。」

 ハリスもまた以前より背が高くなり、あどけなさはあるものの、青年といっていい雰囲気だ。僕も背が伸びて身長差は少し縮まったが、まだ彼の方が高い。

 僕たちはしばらく散策して花々を楽しんだ。ある程度進むとガゼボが見えてきた。以前訪れたものとは違い東屋になっているものだ。僕は東屋のベンチにハリスをエスコートした。隣り合って座ると、ハリスはそっと僕に身体を寄せた。

「ハリス…僕、貴方に期待させる様な事を言ったのに先にレヴィルとリノと婚約する事になって…嫌な思いはしていませんか?」
「…お2人と婚約を予定していらっしゃる事は元々知っておりました。嫌な思いはしてませんよ。」

 ハリスは微笑んで首を振った。僕はその答えに少し安堵する。

「僕、貴方の不安がなくなるまで、ちゃんと待てます。心配しないで。」
「ありがとう…。」

 ハリスは優しく微笑んで瞳を細めた。キラキラと光を帯びたアッシュブロンドの髪がさらりと耳元から流れる。僕は思わず彼の髪に手を伸ばしてそっと耳にかけた。彼はびっくりしたように目を見開いた後、甘える様に僕の手に頬をすり寄せる。

「ティト様…僕、あれからフェロモンが出ない様に母に教わって練習をしました。」
「…練習?」
「はい、貴方にもっと触れてほしいから…。」
「ハリス…。」
「ティト様…大好きです…。」

 彼は僕の太ももにするすると手を滑らせて僕を見つめた。その仕草にどきどきしてしまって僕はぐっと息を飲む。ハリスは自分でした事なのにどこか恥ずかしそうで、瞳を潤ませていた。

「キスして…。」
「…うん。」

 僕がそっと引き寄せると彼は瞳を閉じた。そのままキスを落とす。何度か啄む様に唇を合わせて彼の髪を撫でると、彼はうっとりとした様に唇を開けて僕を迎え入れた。

「ん…っ。」

 彼を怯えさせないようにやんわりと舌の縁をなぞり、そっと口内を舐め上げる。彼は気持ちよさそうに吐息をもらし、僕の背中に手を回す。それが承認の合図の様に思えた。
 急速に世界から音が遠のいて、2人だけの世界に入った様な感覚に陥る。彼の舌が誘う様に僕の舌に絡み、そのまま深く彼を貪る。

「…は、……んぅ……ぁ…。」

 鼻から抜ける様な声が彼から漏れる。僕が舌の上を滑らす様に舌を這わせると、答える様に彼の舌が僕の舌先を刺激する。気持ちがいい。夢中になって触れ合う。

「ん…。」

 どちらのものとも分からない唾液が口内に溜まり水音を立て始めると、ハリスは不慣れな様子でこくん、と唾液を嚥下した。僕は慌てて唇を離す。

「…大丈夫?」
「ぁ…ん…大丈夫…もっと…。」

 彼はとろんとした表情で、強請る様に僕の胸元を掴んできた。あまりにも無防備なその姿にくらっとしそうになる。僕は思わず彼の腰を掴み、僕の膝上に向き合う様に座らせた。

「あっ…や……っ。」
「恥ずかしい?」
「ん…っ。」

 恥ずかしそうに僕に跨いで座る彼は、その仕草とは裏腹に期待するように僕を見ていた。彼は髪を耳に掛けながら吐息を漏らし、身体を身動ぎさせた。その仕草が誘うように見えて、僕はぐっと息を止めた。欲望の波を押し殺すように短く息を吐く。
 僕は彼の身体を優しく撫でながらもう一度キスをする。彼は気持ち良さそうに身を捩らせ、僕の首に腕を絡ませた。

「ハリス、フェロモン…我慢してくれてありがとうね。」
「ぁっ…あ、ティト様…好きっ。」
「うん…ありがとう…。」

 ハリスはうっとりとした表情で何度もキスをせがんだ。僕たちはかなり長い時間をかけて、じっくりとキスを交わした。





「ティト様…。」
「ん?」

 僕たちは長いキスの後、ベンチに身体を寄せ合って庭を眺めていた。性急にキスをしてしまったのもあり、少しだけハリスからはライラックの香りがする。でも花盛りの庭で嗅ぐ彼の匂いは、優しくて嫌な匂いじゃなかった。

「僕、前にお会いした後、王都に帰っても貴方のことばかり考えてました。」
「うん…。」

 ハリスはそっと僕の手を握った。僕の肩に彼の頭が寄りかかる。

「次会う時はどんな風に過ごせるだろうって何度も考えたけど…今は想像より何倍も幸せです。」
「そっか、良かった…。」

 僕は安堵する様に頷いた。

「……ティト様、ご自分を責めたりしないでくださいね。」
「え?」
「僕が貴方を好きだから、想いに答えようとしてくださっているんですよね?」

 ハリスの指摘は図星で、僕は何と答えればいいか分からなかった。彼はそれを肯定と捉えたのか、優しく僕の膝元を撫でた。

「無理して僕の事を好きになろうとしないでいいんですよ。僕たちはまだ短い時間しか一緒に過ごしていないんです。そういった感情が湧かなくてもごく自然な事です。」
「……それで、いいの…?」
「はい。僕、貴方に好きになってもらえるように頑張りますから、だから罪悪感を持ったりしないで。」
「うん…。」

 僕は小さく頷いた。僕の胸の痛みを含めて、彼が僕を認めてくれているような気がした。

「僕…本当はまだまだ子供でレヴィルやリノに助けてもらってばかりなんだ。僕の事、もっと知ったらハリスは好きじゃなくなっちゃうかも…。」
「ふふ、それを知ってるレヴィル様もリノ様もあんなに貴方に夢中なのに?」
「それは…人によって違うだろうから…。」
「そうですね、それも含めてこれから教えてくださいね。」

 ハリスは僕の頬にキスを落とした。僕は小さく頷く。ハリスの想いは優しくて無垢だ。僕はまだハリスに言っていない事があった。覚悟を決めて口を開く。

「あのね…ハリス…僕…君にもう一つ謝らなきゃいけないことがあるんだ。」
「はい。」
「僕…ウィッグス伯とご相談して、レヴィルが妊娠をするか、僕が社交界デビューするまではリノと関係を持たない事にしたんだ。」
「それは…お家柄からですか…?」
「ううん、僕を守るために反感を買ってしまったレヴィルが軽視されないように。リノがそう勧めてくれたんだ。」
「…そうなんですね。」

 ハリスは真剣な表情で頷いた。僕は彼に向き直る。

「だから…もしハリスの想いに答える事ができるようになっても、僕はリノを抱く前に、君の事を抱く事はできない…それでも本当にいいかな…。」

 今の僕は彼の気持ちに答える事も、彼が心の内で望んでくれている事を叶える事もできない。何もかも中途半端な自分が申し訳なかった。僕は罪悪感からごめんね、と言って深く頭を下げた。

「頭をあげてください。奥様方より先んじて好意をいただくわけにはいきませんから…当然のことです…。」
「うん…でもごめんね…。」
「謝らないで。でも…もしティト様が嫌じゃなければ、これからもキスを…して欲しいです。」
「うん。」
「あと…デートもしたいです。」
「うん…それは僕もしたいかも。」

 正直にそう答えるとハリスは柔らかく微笑んだ。

「嬉しい…それなら大丈夫です。僕、貴方の事をちゃんと待てます。心配しないで。」
「うん…。」
「ティト様、大好きです。」
「ありがとう…すごく嬉しいよ…。」


 僕たちは時間ギリギリまで2人で過ごし、手を繋いでゆっくりと会場まで戻った。会場に戻る前に少しだけ口付けを交わし、また会う約束をする。その辿々しいやりとりは、なんだか背伸びをしなくても許されているようで、僕は救われる様な気持ちになった。
 彼は優しく微笑んでカイザーリング伯の元へ戻っていった。








 ハリスと別れた僕はきょろきょろしながら、レヴィルとリノを探す。会場はそろそろお開きの時間だからか、ざわざわとしていた。

「ティト!」

 声がする方を向くとレヴィルとリノがいた。足早に彼らの方へ歩み寄る。
 彼らは誰かゲストと一緒にいるようだった。レヴィルの頭に隠れていた人影が動いて、ダークブロンドの髪色が見えた。

「え?」

 僕はその人影に見覚えがあった。その人物はまるで彫刻が動きだしたかのような素晴らしい身体つきに、麻のスーツをさらりと着ていた。かき上げられたダークブロンドの髪には少し白髪が混じっているが、それが更に色気を醸し出している。
 やはり彼だ。僕は慌てて駆け寄る。


 その人は僕に気付くと、ふっと表情を緩め、びっくりするほど優しい顔で僕を見た。周りのゲストが色めき立つのが分かる。彼からはとても50代とは思えない壮絶な色気が漂っていた。

 僕はその人の前まで歩み寄って片膝を折り、最敬礼を示した。

「オーウェン公爵、この様な場にお越しいただきまして誠にありがとうございます。お会いでき光栄です。」
「ああ、ティト、久しいな。よく顔を見せなさい。」
「はい。」

 僕は彼に言われた通りに立ち上がり、真っ直ぐに彼を見つめる。


 オーウェン公爵は現国王陛下の従兄弟であり、爵位を持っている現在唯一のアデルだ。

 彼は公爵としてもアデルとしても有能で、おそらく今生きているアデルの中で一番多く子供を儲けている。多くの子を残した彼は、彼自身の壮絶な魅力も含めて、この国中のエバの憧れの存在だ。
 彼は1年ほど前に王太子殿下との間に子供を儲けた。その功績により、ようやくアデルとして引退を許されたと聞いている。けれど引退をしても、まだまだその魅力的な精彩さは失っていない様だった。

「随分と大人になったな。」
「はい、ありがとうございます。」

 彼は懐かしむように僕を見つめ、グレーの瞳を柔らかく細めた。年齢以上に若々しい彼の目尻にシワが寄る。

 オーウェン公爵の瞳の色も、髪の色も、肌の色も、全て僕と同じ色だ。母親に似たレヴィルと違い、僕は容姿の特徴のほとんどを彼から譲り受けていた。



 オーウェン公爵は僕の血縁上の父親だ。

 国中の憧れの的である彼が何十人も残した子供の中で、たった1人だけ生まれたアデル。


 それが僕だった。
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