その距離は、恋に遠くて

碧月あめり

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Five

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 わたしが家族として受け入れられるようになったら帰ってくると言った健吾くんは、家を出て行ったまま本当に戻らなかった。

 どこかのビジネスホテルに滞在していて、母とだけは毎日連絡を取り合っているみたいだ。

 健吾くんは、誕生日の夜のわたしの告白のことを母には黙ってくれているらしい。何も知らない母は、わたしと顔を合わすたびに「いつも仲良かったのに、何が原因でケンカしたの?」と、不思議そうに訊いてくる。

 たまたまわたしの休みと母の休日が重なった日曜日。なんとなく家にいるのは気まずくて、わたしはひとりで買い物に出た。

 よく行くショッピングモールをブラついて夏用のTシャツと可愛いアクセサリーを手に入れて帰る途中の電車で、学校用のノートとテープのりを買い忘れたことを思い出した。

 どうせだったら、大きめの本屋に寄ろうかな。
 
 自宅の最寄りを二駅乗り過ごして、文房具も置いてある駅近の本屋に立ち寄る。

 うちの最寄駅は小さいから、駅前はあまり充実していない。ちょっとした買い物には、この、那央くんの家の最寄駅のほうが便利だ。

 来たついでに、参考書のコーナーやマンガや小説のコーナーなど、ゆっくり見て回る。最終的に、目的のノートとテープのりだけ買って店を出ると、タイミング悪く、パラパラと夕立が降り始めた。雨が降るなんて知らなかったから、傘を持っていない。

 駅は本屋の目の前なのだが、あいだに大きな道路を一本挟んでいて、雨に濡れずに駅まで行くのは不可能だ。

 わたしは買い物袋が濡れないように腕の中にぎゅっと抱きしめると、車が来ていないのを十分に確かめてから、走って道路を渡った。

駅の入り口の屋根の下に入って、ほっと一息ついたとき、ロータリーでクラクションが鳴った。急に響いてきた音にビックリして振り向くと、見覚えのある黒のSUVが駅前のロータリーに止まっていた。

 雨なのに全開にした運転席の窓から、黒髪の男の人が体を乗り出している。よく見ると、それは那央くんだった。

 車のそばには、この前見かけた清楚な雰囲気の彼女がいて。那央くんは、彼女と口論になっていた。

「とにかく、乗れって。どこかでちゃんと話そう」
「乗らない。話すこともない。今日は帰る」

 プイッと車に背を背を向けた彼女が、駅の改札のほうへと歩いて行く。慌てて運転席から降りてきた那央くんが、彼女の腕を捕まえて引き止めようとするけど。彼女は、那央くんの手を振り払って拒絶した。

「那央は、結局、私のことなんて少しも見てない! 昔も今も、ずっと、そう」

 少し離れた場所に立っていたわたしのところにまで、彼女がヒステリックに叫ぶ声が聞こえてくる。駅の改札に向かって走り去って行く彼女のことを、那央くんはもう追いかけようとはしなかった。

 彼女の行ってしまったほうを無表情でジッと見つめる那央くんの肩が、雨に打たれて濡れていく。

 このまま、何も見なかったフリをしていたほうがいいのかもしれない。そう思ったけど、雨に濡れて呆然としている那央くんのことが心配で、いてもたってもいられなくなった。

「那央くん」
「岩瀬?」

 近付いて声をかけると、那央くんが振り向いて僅かに目を見開いた。

「どーしたの? 彼女とケンカした?」 

 あまり深刻にならないように。わざと戯けて訊ねると、那央くんが濡れた前髪を掻き上げながら苦笑した。

「あー、見られてたか」
「見ちゃった。ていうか、あんなふうに駅前で言い争ってたら、みんな見るよ」
「そうか」
「那央くん、いったい何したの? 浮気?」
「どうして、俺が何かした前提なんだよ」
「だって、美人な彼女のことあんなに怒らすなんて、那央くんが何かしたとしか思えないじゃん」
「ひでぇな」

 那央くんが、唇を歪めて自嘲気味に笑う。濡れた髪から顔に伝って落ちてくる水滴が那央くんの涙みたいに見えて、胸の奥が苦しくなった。

「那央くん、大丈夫?」
「何が?」
「……、濡れてるから」

 なんだか、泣いてるみたいだから。本当はそう思ったけど、口に出す直前に言い方を変えた。

 何があったのかはわからないけど、那央くんは大人だから、子どものわたしにプライベートな弱音なんてきっと吐かない。

「岩瀬だって濡れてるじゃん。岩瀬はここで何してたの?」
「あ、うん。ちょっとそこの本屋に行ってた。店出ようとしたら、雨降ってきちゃって……」
「ふぅん。傘ないなら、送って行こうか?」
「いいの?」

 普段なら、ラッキーだと思って遠慮なく乗り込むところだけど。那央くんが彼女のケンカしているのを見てしまったあとだから、躊躇ってしまう。
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